歴史妄想 #ホウ統 #三国志 #三国志演武 #龐統 #放置少女
史実概略
考察
龐統は、孫権の元で評価されず結果、劉備の元へ流れた。
しかし、孫堅・孫策が早世せず、重用していたら?
まず、孫権が龐統を軽視した理由は、
若い孫権の元では、周瑜・張昭らの派閥が強く、外様の龐統を評価しなかった
外見が冴えなかった
ひらめいた奇策を用いるタイプで、堅実型の周瑜・張昭と方向性が違った
天才ではあったが、王道ではなかった龐統は、若い孫権には、扱いにくかった。
では、孫堅・孫策が生きていたら?
孫堅は、韓当・程普・黄蓋 など外見に拘らず、優秀な人材を見抜いてきた
孫策が、ひらめき・直感型で相性が良く、堅実戦略型の周瑜との仲を取り持てる
孫堅が、同じ荊州にいた同郷育ちの孔明も登用していたら、理解している龐統を首脳陣へ(史実で劉備の元でやったように)推挙できる
そうなれば、荊州へ戻り、劉備に仕えることもなく、落鳳坡にて流れ矢で戦死もなかった。
勝手に妄想すれば、「流れ矢」は、都合の良い暗殺の手段だ。
蜀の弱体化を狙った、曹操もしくは孫権の策だったのかもしれない。
孫堅・孫策が生きていれば、龐統と孔明の「鳳雛と臥竜」の二枚看板が、劉備ではなく、孫堅の元に集ったかもしれない。
そうなれば・・・
もし、孫堅・孫策が生きていたら、三国志はどう変わったかの妄想から、「関羽を主人公にした孫堅生存のIF三国志」を書き始めた。
孔明は誰の元にいるのか?
龐統は?
そんな物語になっている。
孫堅が流れ矢で死なない世界線で関羽主人公のIF三国志演義
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