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毎日がルーチンでも

すっかりnoteをサボっておりました間にも、少し環境に変化がありました。年明けに精神病急性期病棟へ入院した母は、3ヶ月の満期が終わり退院しました。

醜い感情について │ 毒の沼がある庭

今回の躁転で改めて確認した母の病名は、統合失調感情障害でした。躁うつ病と呼ばれたり、でも厳密には異なり、単純な双極性障害とも違います。認知症も若干入ってきており、退院後は「入院前の生活の復元」というわけにはいきませんでした。

暴言の出ている母をどうにか入院させたことでのんびりホっとしてしまった私と姉。退院後の母の暮らしの手続きについても後回しにしてしまっており、退院日が決まってバタバタと各所へ連絡、調整、申し込みの日々。要支援1を取った母は特養ダイレクトというわけにもいかず、本人の希望や経済面もあり、「訪問看護とOTを利用しながら、市に登録された独居高齢者として自宅で過ごす」ことになりました。今回の躁転で母はすっかり貯金を使い果たしてしまったので、(というかそれでも足りず、近所のお店からは”ツケ”で強奪してきていた・・・)退院後の生活費の管理は私がすることに。でも、詐欺に投資したり勝手に借金を組んだりなどの最悪な事態はなく、大事にならなくて本当によかった。

母が入院している間に、ご近所さんへ事情を説明と謝罪しに回り。昔からの仲なので「なにかおかしいと思った。お金は支払ってくれればいい。なにかあったら言ってね」と、良くも悪くも田舎の距離感。「お母さんもさみしいんだろうね」と。しかし母は母の人生を、私はわたしのそれを一生懸命生きるしかない。経済面でも福祉面でも、今できる最善の方法をとれて、ひとまずは第2フェーズも完了と言う感じです。

わたしにも大きな変化

さて、「オフィシャル独居高齢者」となった母。相変わらず事務的な私のことがたぶん嫌いです。優しい姉のほうが好き。これは昔からそうなんです。得意分野と、そういう役割。私は父の闘病のころから、事務担当。姉は母に孫の顔を見せたころから、孝行担当。ただ今回は、わたしにも大きな変化がありました。それは「嫌なことは嫌と言う」です。

あくまで自己診断ですが、私は過剰適応で、TA交流分析のエゴグラムはAC adapted child が異常に高め。ここ数年は生きづらいと思う瞬間もあり、認知行動療法も少し取り入れようとしていました。原因を考えても仕方がないんだけど、でも出自は知りたいなと思ったときに、「借金だらけの父と精神病持ちの母が、どうにかバランスを崩さないように」と、受容してきたからかもなあと気づいたんです。ACはそれ自体を下げることにはあまり意味がなく、その相反のCP Critical Parents や FC free child を上げるようにすると良いよ、とされています。でも、やりたくない事を「できるから」と引き受けてきた自分が、それがまたやりたくない事を呼ぶ循環も嫌になって、「それはできない」や「それは嫌だ」を言うようにしました。

これ、ACが低い人には驚きかもしれませんが、言えないんですよ本当に。やりたくないことを、やりたくないと言えない。それどころか「よろこんで」やる。やることで人間関係を保ってきたまであります。でもそんな生き方も見直して、大きく変化していく良い機会となりました。だいぶ大変貯金も貯めたので、このあとは良いことばかりがやってくるとも思っています。

次の進路どーすんの問題

母の第2フェーズも落ち着き、今月末には職業訓練も終わります。半年早かったなあ。わりと真面目に通学していました。ニートでもなければ学生でもない、人生の貴重な時間でした。帰りにはアルバイトに寄ったり、古巣から声がかかって仕事の準備をしたり。そして今年もパートナーの故郷、沖縄へ帰り、家族や幼なじみと会ったり。

職業訓練が始まって増えたものと減ったもの

肝心のプログラミングは難しかったので、あまり習得できていません。ドヤ。かと言って、やりたいことも固まっていません。フフ。これはやりたくないなあ、は、固まりましたけどね。大事にしたいものやひと、場所、考え方なんかもわかってきました。43歳の無職は、44歳の無職になりました。

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