富士ヒル歴10年49歳、シルバーではもう満足できなかった
はじめまして。「ままさん」と申します。実はnoteは初めて書いてみます。
ロードバイクに乗り始めて14年。
2016年に初参加した富士ヒルの魅力に取り憑かれ今年で10年目を迎えました。
現在49歳で、今年の秋には50歳になります。
初めてのnoteで何を書こうか考えた結果、2026年の富士ヒルクライムについて書くことにしました。
以下、常体文で書いていきます。
結果:過去最高の計画を信じた一年の先で、シルバー獲得以来の最低タイム(73:43)を出した
40代最後の挑戦、今年こそと意気込んだ結果が直近五年ワーストで終わり、まだ気持ちは完全には整理できていない。
むしろ、レースが終わって数日が経っても、ちょっとしたことでイライラする。
周囲から届く自己ベストや目標達成の報告を、素直に祝えない気持ちもある。
だから、これから書いていく内容はきれいな成功物語ではない。
今年の結果がなぜこれほど悔しかったのか。
どこで計画を間違えたのか。
それでも、なぜもう一度ゴールドを狙おうとしているのか。
今の気持ちを、そのまま残しておきたいと思う。
少しずつ縮めてきた富士ヒルのタイム
富士ヒルで初めてシルバータイムを出したのは2021年だった。
それ以来、一度も75分を超えていない。
2021年は73分19秒で初シルバー。身内トレインを組んで全員シルバー達成という富士ヒル人生最高の瞬間だった。
2022年は仕事都合により未エントリー。
2023年は71分38秒。
2024年は69分20秒。
2025年は68分53秒。
ほんの少しずつではあるけれど、年々タイムを縮めてきた。
若い頃のように、練習すれば自動的に強くなる年齢ではない。
疲労は抜けにくくなった。
体重も簡単には落ちない。
ヒルクライムを初めてから十年来の悩みである、長時間の登坂では右腰やお尻まわりに痛みが出る。
それでも、自分はまだ速くなれると思っていた。
2025年の68分53秒から、ゴールド基準の65分までは約4分。
簡単に埋まる差ではない。
ただ、ブロンズからいきなりゴールドを狙うような話でもない。
積み重ね方を間違えなければ、現実的に届く可能性がある。
そう思えるところまで、少しずつ登ってきた。
自己ベストの数か月後、走力はどん底まで落ちた
ただし、2025年の富士ヒル後も順調だったわけではない。
むしろ夏から秋にかけて、パフォーマンスは大きく落ち込んだ。
春には260W近くあったFTPが、夏には235Wまで低下した。25Wの低下。体重の軽いヒルクライマーにとって、これは決して小さな差ではない。
秋に出場した赤城山ヒルクライムは69分19秒。
3回目の出場で、自己ワーストだった。
初参加の定峰ヒルクライムも37分53秒。
どちらも、一般的に見れば極端に遅い記録ではないのかもしれない。
しかし、春の自分や、それまでの積み上げと比べれば、明らかな後退だった。
富士ヒルで自己ベストを出した数か月後に、ここまで走れなくなるとは思っていなかった。
年齢による衰えなのか。
春にピークを作った反動なのか。
それとも、もう以前の出力には戻れないのか。
2026年のゴールドを考える以前に、まず春の自分に戻れるのかという不安のほうが大きかった。
夏の失敗は、TSSだけを見ていても分からなかった
そこで、2025年の富士ヒル直前に取り入れたAIコーチと一緒に夏から秋の練習を細かく振り返った。
最初は、暑さや年齢、春にピークを作った反動など、いくつもの原因を考えた。
けれど、練習データを春と比較してみると、もっとはっきりした違いが見つかった。
夏は、練習の総量、特に低強度のボリュームが大きく減っていた。
春の3月から5月は、週平均で約10時間36分走っていた。
それが、パフォーマンス低下が顕著になった8月から9月には、約8時間8分まで減っていた。
週あたり2時間半近い減少だった。
とくに大きかったのは屋外で走る時間だった。
春は週平均で約5時間半あった屋外走が、8月から9月には約2時間半と半分以上にまで減っていた。
理由は明確。真夏の屋外を長時間走ることを避けていたからだ。
熱中症のリスクがある中で、冬〜春と同じように毎週末に100km前後の実走を続けるのは難しい。
結果として、夏はローラー中心になった。
ただ、自分はローラーで2時間、3時間と走り続けることが苦手だった。
実走なら景色が変わり、目的地や休憩もある。
ローラーでは、同じ場所で長時間ペダルを回し続けなければならない。
1時間前後ならできても、2時間を超えると精神的にかなりつらい。
実際、春には2時間を超えるローラーを行っていたが、7月から9月には一度もなかった。
真夏の実走ロングを減らした一方で、その穴を長時間ローラーで埋めることもできなかった。
結果として、LT1を中心とした低強度のボリュームが大きく減った。
データ上でも、低強度の代理としてPower Z1とZ2の合計を見ると、春は週平均約8時間だったものが、8月から9月には約5時間半まで減っていた。
約3割の減少だった。
一方で、週のTSSはそこまで大きく落ちていなかった。
春の週平均TSSは約472。
8月から9月も約408あった。
練習時間は23%減り、低強度量は約32%減っているのに、TSSの減少は14%程度にとどまっていた。
つまり、短い時間でTSSを稼げる中強度から高強度へ、練習が偏っていた。
1時間あたりのTSSは、春の約44から、8月から9月には約50まで上昇していた。
SSTの時間も、春の週約30分から、夏の終わりには約52分へ増えていた。
TSSだけを見れば、極端に練習できていないようには見えない。
けれど、その中身は春とはまったく違っていた。
春は、長い低強度の上にポイント練習が乗っていた。
夏は、低強度の土台が減り、中高強度でTSSを埋めていた。
自分では練習しているつもりだった。
週のTSSも、完全に崩壊しているわけではなかった。
それでも、FTPは春の260W近くから235Wまで低下した。
持久系競技の土台となる長時間の有酸素運動を削り、その代わりを中強度で埋めても、同じ効果にはならない。
疲労は残る。
けれど、有酸素の土台は少しずつ痩せていく。
そして、ポイント練習を支える回復力も失われていく。
2025年夏の失敗は、単純な練習不足ではなかった。
TSSという合計点はある程度確保していた。
しかし、そのTSSを何で稼いだのかを見ていなかった。
低強度が不足し、中高強度へ偏っていた。
真夏の実走を避けたこと。
その代わりとなる長時間ローラーを続けられなかったこと。
それでもTSSを維持しようとして、短時間で数字を稼ぎやすい練習へ寄っていったこと。
この構造が、春に作った走力を夏から秋に失った最大の原因だった。
原因が分かれば、次は修正できる。
TSSではなく、KPIで練習を管理する
夏の失敗を繰り返さないために、2026年シーズンは練習を感覚だけで進めないことにした。
AIコーチと相談しながら、トレーニングのKPIを決めた。
週の総負荷。
LT1やZ2のボリューム。
SSTと閾値の時間。
VO2Max領域、高心拍への刺激。
40分以上のレース強度での連続走。
体重の推移。
毎朝のHRV。
腰や中臀筋の状態。
毎週の練習ログを都度AIに投げ、週の終わりにKPIを評価する。
不足している刺激があれば、翌週のメニューへ反映する。
単に「今週も頑張った」で終わらせず、ゴールドに必要な能力を分解して、一つずつ積み上げていく。
自分にとっては、これまでで最も論理的で、最も完成度の高いトレーニング方針だった。
それでも当時は、夏のように何が足りないのか分からないまま弱くなることは、もう防げると思っていた。
冬、もう一度走れるようになった
秋から冬にかけて、決めた方針に沿って練習を積み直した。
すぐに結果が戻ったわけではない。
せっかちな自分には焦りがあった時期だと思う。
本当に春みたいな走力に戻るのか。こんなペースで富士ヒルに間に合うのか。
何度も何度もAIコーチに大丈夫か、と聞いた。
落ちたFTPを少しずつ戻し、低強度のボリュームを確保しながら、SST、閾値、高心拍刺激を組み合わせた。
毎週KPIを確認し、練習内容を調整した。
そして2026年1月下旬。
Alpe du Zwiftを45分09秒、PWR4.5倍で走ることができた。
設定FTPも256W付近まで戻っていた。
夏には235Wまで落ちていたことを考えれば、春のピークにかなり近いところまで戻ってきたことになる。
しかも、その走りは前半だけ飛ばして耐えたものではなかった。
後半に出力を上げることができた。
一度どん底まで落ちても、正しく積み直せば戻れる。
49歳でも、まだ強くなれる。
夏の失敗を分析し、KPIを決め、計画どおりに取り組んだ結果として、実際に春並みのパフォーマンスは戻った。
1月下旬でこの結果は、大きな自信になった。
目標FTP260Wは、すでに手が届くところにあった。
ストレッチ目標のFTP5.0倍も、まったくの夢物語ではないと思えた。
そして何より、AIコーチと作った練習方針が機能していると感じていた。
夏の失敗を感情で終わらせず、原因を分析し、数字で管理し、数か月で立て直した。
誇張ではなく、自分史上最高のトレーニング計画だと思っていた。
だから、その後もこの計画を信じた。
最大の課題は、長年抱えてきた腰痛だった
一方で、ゴールドへ進むためには、避けて通れない問題があった。
右腰から中臀筋にかけての痛みだった。
低強度でも同じ姿勢をとり続けると起立筋まわりが張ることがある。
SST以上の登坂を15分から30分ほど続けると、右の中臀筋付近に痛みが出る。
心肺や脚が限界になる前に、身体を支える側が先に壊れる。
強度が上がると胸がつぶれ、肩が上がり、呼吸が浅くなる。
右脚で強く踏もうとすると、右腰を固めて支えてしまう。
ポジションだけの問題ではなく、胸郭、呼吸、骨盤、右股関節、片脚支持などが連動した問題だと分かってきた。
1月にAlpe du Zwiftを4.5倍で走れても、このままでは、その出力を富士ヒルの65分間に使えない。
エンジンの出力を上げることと、その出力を受け止める身体を作ること。
その両方が必要だった。
呼気ガス測定が、練習計画のターニングポイントになった
2026年3月10日、東京体育館で呼気ガス測定を受けた。
ガチなアスリートがマスクをつけて走って測定するアレだ。
もっと早く受けたかったが、最短で予約が取れたのがこの日だった。
目的は、自分の有酸素能力を客観的に把握することだった。
測定はエルゴメーターを使ったランプテスト。
普段得意としている高ケイデンスではなく、70rpm前後で回すように指示された。
そのため、自分の感覚では呼吸よりも脚が先に限界に近づいた。
心電図上の最大心拍数は179。
手元の心拍センサーでは183。
RPEは9で、自分としては、あと1分程度は続けられそうな感覚もあった。
それでも、結果は予想を大きく上回った。
最大酸素摂取量は73.5ml/kg/min。
最大負荷は334W。
判定は「全身持久力、極めて良好」。
安静時心電図、運動負荷試験、肺機能検査にも異常はなかった。
49歳という年齢を考えれば、かなり高い数値だった。
率直に言って、うれしかった。
自分には、ゴールドを狙えるだけの心肺能力がある。
一度FTPが235Wまで落ちても、1月には春に近い出力まで戻すことができた。
さらに呼気ガス測定でも、非常に高い有酸素能力が確認された。
2026年のゴールド挑戦には、十分な根拠があるように思えた。
同時に、この結果は練習計画を大きく変えるきっかけになった。
というわけで今日は本格的なVo2Max測定(マスクや心電図つけてエルゴメーターでランプテストするガチなやつ)をやってきました。
— ままさん@MBCの人 (@mamachan99) March 10, 2026
結果はアラフィフとしてはVo2Maxはほぼ上限に近い数値で、指導員からも"ままさんは心肺強化よりペダリングや腰痛対策にフォーカスしたほうが伸び代が高い"という結果。
「エンジンは十分。問題はシャシーだ」と考えた
AIコーチと測定結果を分析した。
そこで出た結論は、分かりやすいものだった。
自分には、十分に大きなエンジンがある。
問題は、そのエンジンが作る出力を、長時間受け止められない身体の側にある。
いわば、エンジンに対してシャシーが弱い。
心肺能力をさらに高めるよりも、腰痛を改善することが、ゴールドへの近道ではないか。
当時の自分には、この方針は非常に納得感があった。
長年、ブレークスルーのカギは腰痛改善にあるという自覚もあったからだ。
予感が確信になった瞬間だった。
実際、1月には4.5倍を45分出せている。
出力を作る力がないわけではない。
けれど、実走の登坂では、15分から30分で右腰や中臀筋が痛み、フォームが崩れパワー維持が困難になる。
ならば、さらにエンジンを大きくするよりも、まずその出力を最後まで使える身体にする。
理屈は通っていた。
そこで3月以降、特に呼気ガス測定後は、腰と身体の使い方を改善する方向へ、トレーニングの重点を強く移した。
腰が痛み出すような長時間の連続走を減らした。
SSTや閾値は、痛みが出る前にレストを入れる分割メニューが中心になった。
レスト区間でフォームをリセットしながら、良い動きを繰り返すことを重視した。
胸郭、肩甲帯、呼吸、股関節、腹圧のオフバイクドリルも増やした。
高心拍域へ入るVO2Max練習やZwiftレースは、以前ほど重要ではないと判断した。
すでにVO2Maxは高い。
それなら、限られた回復力を、腰の改善と持続可能なSSTへ振ったほうが効率が良い。
そう考えた。
測定結果は正しかった。間違えたのは解釈だった
今でも、呼気ガス測定を受けたこと自体は間違いだったとは思わない。
自分の有酸素能力が非常に高いことを、客観的に確認できた。
心肺や肺機能に異常がないことも分かった。
年齢のせいで全面的に衰えているわけではないという、大きな自信にもなった。
腰痛やフォームの問題を深く調べるきっかけにもなった。
問題は、その結果から導いた練習方針だった。
最大酸素摂取量が高いことと、VO2Max練習が不要であることは同じではない。
大きなエンジンがあることと、そのエンジンをレース中に使い続けられることも同じではない。
呼気ガス測定が示したのは、有酸素能力の上限が高いということだった。
それを、
「心肺能力はもう十分だから、高心拍の練習は削ってよい」
と解釈しすぎた。
富士ヒルで必要なのは、単に高いVO2Maxを持っていることではない。
高地環境で心拍がLTHRゾーンに入っても、呼吸とフォームを維持し、その心拍をパワーへ変換し続ける能力だった。
その能力は、高心拍に入る練習を行わなければ維持できない。
けれど、当時はその違いに十分気づけなかった。
腰を守ることが、いつしか主役になった
腰痛を悪化させないため、長い連続走を減らし、分割したSSTや閾値メニューを増やした。
痛みが出る前にレストを入れ、フォームをリセットする。
一つ一つのメニューは完遂しやすくなった。
腰の状態を守りながらトレーニングを継続するという意味では、合理的に見えた。
ただし、分割メニューを完遂できることと、富士ヒルを65分間走り続けられることは同じではない。
レストを挟めば、腰も呼吸も一度リセットできる。
本番には、そのレストはない。
後から前年と比較すると、2026年シーズンはSSTの量自体は増えていた。
その一方で、VO2Max寄りの高強度、LTHR以上への計画的な露出、Power Z4以上、屋外の実走、40分以上の連続登坂が減っていた。
特に4月から5月は、本来なら富士ヒル特異性を最大まで高めるべき時期だった。
ところが実際には、練習時間もTSSも、前年より大きく少なくなっていた。
ハルヒルや富士ヒル試走で心拍は上がった。
しかし、それは練習で計画的に作った高心拍耐性ではなかった。
準備不足の状態でレースや試走に入り、呼吸やフォームを崩しながら高心拍に曝されていただけだった。
練習をしていなかったわけではない。
むしろ、かなり真面目に取り組んでいた。
腰を守る。
フォームを崩さない。
痛みが悪化する前に止める。
決められたKPIを達成する。
一つ一つは、もっともらしい。
それでも全体として見ると、富士ヒルで勝つための練習から少しずつ外れていった。
腰を守りながら攻めるのではなく、いつしか腰を守ること自体が主役になっていた。
途中で、「少し保守的すぎるのではないか」と感じることもあった。
VO2Max練習が少なすぎないか。
長い連続走を避けすぎていないか。
分割SSTを完遂できても、本番の65分にはつながらないのではないか。
そうした違和感はあった。
ただ、2025年夏の失敗原因を明らかにし、冬には実際に走力を戻してくれた計画を立ててくれた。
だから、今回の計画方針もAIコーチを信じた。
自分史上最高だと思っていた練習計画を、最後まで信じた。
だからこそ、結果が出なかったときの落胆は大きかった。
単にタイムが悪かったのではない。
夏の失敗を分析し、KPIを作り、数か月かけて立て直し、客観的な測定でも可能性を確認した。
そこからさらに精密な計画へ進んだはずだった。
それなのに、最終的には、富士ヒルで必要な力を削る方向へ進んでしまった。
呼気ガス測定は、自信を与えてくれた。
同時に、その後の計画を誤った方向へ曲げるターニングポイントにもなった。
GWを過ぎた頃、目標と一緒に本気まで下方修正していた
3月から4月はとにかく腰痛改善に取り組む練習に特化した。
同時にレース特異性が失われていった。
GWを過ぎた頃には、今年のゴールド獲得はほぼ不可能だと認めざるを得なくなっていた。
冬には春に近いところまで戻っていたはずの走力が、富士ヒルへ近づくほど目標から離れていった。
試走やレースの結果を見ても、ゴールドに必要なペースを65分間維持できる状態ではなかった。
初回の試走なんて料金所スタートですら75分を切れなかった。
先週のハルヒル試走に引き続きダメダメタイム。
— ままさん@MBCの人 (@mamachan99) May 2, 2026
シルバーにすら届いてないとか一年なんだったんだ🤮
まぁ足掻くけど。
ハルヒル本番どんな走り方しようかな… pic.twitter.com/Szxaqd1mp2
現実を受け入れること自体は必要だったと思う。
達成可能性の低い数字に固執し、序盤から無謀に踏んで完全に潰れるより、現在の走力に合わせて目標を修正する。
来年の参考になるように例年のような「序盤に上げすぎて失速するような走り方」をしない場合、どんな結果になるのかを把握することに決めた。
ただ、今振り返ると、自分は目標タイムだけでなく、富士ヒルへの本気度まで一緒に下方修正していた。
料金所からの2分加算してもシルバーは死守。
— ままさん@MBCの人 (@mamachan99) May 24, 2026
ただ今日の時点で70分切れてないのでさすがに目標はPR更新に下方修正かな。
🥇のハードルは果てしなく高い。
でも諦めずに続けるさ。 pic.twitter.com/DLxp0xW2va
減量期間中も、以前なら我慢できていたつまみ食いを止められなかった。
一度くらいなら大した影響はない。
そう言いながら、何度か手を伸ばした。
本番前日の夜には、一杯だけ酒も飲んだ。
その一杯が73分43秒の直接的な原因だったとは思わない。
つまみ食いを一度我慢したからといって、ゴールドを取れたわけでもない。
問題は、個々の行動が結果へ与えた影響の大きさではなかった。
目標を何がなんでも取りにいく人間なら、たぶんやらなかった行動だった。
「今年はもう厳しい」
そう考えた瞬間から、自分の中で少しずつ許すものが増えていた。
例年なら最後まで削っていた体重。
本番へ向けた生活。
試走や練習での追い込み。
レース当日に勝負を選ぶ覚悟。
表面的には練習を続け、富士ヒルのスタートラインにも立った。
けれど心のどこかでは、すでにゴールドを諦めていたのだと思う。
今年の自分に足りなかった「本気」とは、練習をサボったという意味ではない。
ゴールドの可能性が低くなっても、最後まで可能性を拾う行動を選び続けること。
少しでも軽くする。
少しでもよい状態でスタートする。
当日は、乗るべきトレインに覚悟を持って乗る。
その最後の数%を、自分は手放していた。
計画がうまくいかず、ゴールドに必要な走力を作れなかったことが、失敗の第一段階だった。
そして、その現実を知ったあと、自分自身も心の隅で勝負から少し降りてしまった。
それが、失敗の第二段階だった。
そして迎えた、2026年の富士ヒル
今年の富士ヒルは、非常に良いコンディションだった。
雨は降っていない。
気温も適温。
風もほとんどなかった。
多くの参加者が自己ベストを更新し、目標を達成していた。
言い訳のできない条件だった。
レース序盤は、試走でもご一緒したポニョさん、おーにしさんもいる4.2倍から4.3倍程度と思われるトレインに参加した。
料金所までは240Wから250Wほど。
料金所の加速区間を集団で抜けるメリットを考えれば、ここで離れる選択はなかった。
本格的な登りへ入ってからも、集団は230Wから240Wほどで進んでいた。
想定していた序盤パワーは215から220W。
このままついていけば、早い段階で終わる。
そう判断して、トレインから離れた。
計測スタートして5分経つか経たないかでの判断。
この判断自体が間違いだったとは言い切れない。
当日の自分にとって、この集団のペースは実際に高すぎた。
ただ、その後の走りは、これまでの自分とは少し違っていた。
事前に下方修正した目標パワーを超えないように、何度もサイコンに目を配った。
後ろからトレインが来ても、表示されているパワーが予定より高ければ見送った。
少し乗っても、数字が上がれば離れた。
脚や周囲の流れよりも、設定した数値を守ることが優先になっていた。
自分でレースを走るというより、下方修正した計画に走らされていた。
もちろん、すべてのトレインに無理についていけばよかったという話ではない。
速すぎる集団へ乗れば、さらに早く潰れていた可能性もある。
それでも、去年までの自分なら、もっと勝負していたと思う。
少しオーバーしていても、集団効果を使えるなら粘る。
前方に追いつけそうなら、ブリッジを試みる。
数値だけではなく、レースの流れを見て判断する。
今年は、「何がなんでもこのトレインに残る」という気持ちが弱かった。
すでにゴールドは難しいと分かっていた。
自己ベストも現実的ではないと感じていた。
だから、リスクを負って勝負するより、下方修正したペースを守る走りを選んだ。
その後は、後ろから来る集団に少し乗っては離れる形で、ほぼ一人旅になった。
呼吸は苦しく、吐き気もあった。
心拍は高い。
それでも、パワーは戻らない。
腰は、想像していたほど悪くなかった。
22分時点では痛みなし。
32分頃に起立筋の痛みが出て、48分頃に中臀筋の痛みが出た。
ただし、それは腰痛が完全に改善した証明ではない。
出力自体が大きく落ちていたから、腰が耐えられただけかもしれない。
今年の主敗因は腰ではなかった。
高い心拍と高地環境の中で、出力を維持できなかったことだった。
そしてそれは春の練習内容をそのまま反映させた結果だった。
大沢を過ぎて、ようやく自分の走りに戻った
大沢駐車場を過ぎたあたりで、私のことを認知してくれているGBtLの方から声をかけられた。
後で動画で確認したら「回しましょう!」と言ってくれたようだが、当時は発破かけてもらえたと認識した。
そこからサイコンを見るのをやめた。
その時点では、ゴールドも自己ベストも、すでに遠いところにあった。
数字を守っても、もう取り戻せるものはない。
そう思った。
そこからは、パワーでも心拍でもなく自分の感覚で走った。
勾配を見る。
脚の残り方を見る。
前を走る選手を見る。
乗れそうなら乗る。
踏める場所では踏む。
苦しくても、最後まで少しでも速く走る。
それは、去年までの自分がしていた走り方だった。
設定された数値を守るのではなく、今この瞬間に出せるものを使い切る。
ようやくレースをしている感覚が戻ってきた。
皮肉なことに、自分らしい走りを取り戻したのは、目標達成の可能性が完全になくなってからだった。
もっと早く、この走りができていたら結果が変わったのか。
それは分からない。
前半から同じように勝負していれば、さらに大きく崩れていた可能性もある。
それでも、大沢以降の走りには、結果とは別の意味があった。
自分は、完全に走り方を忘れたわけではなかった。
数字や計画に縛られず、前を追い、出せるものを出し切ろうとする自分はまだ残っていた。
来年取り戻したいのは、単に高いFTPや軽い体重だけではない。
ゴールドを狙える走力を作ったうえで、最後は数字に支配されず、レースを走ること。
必要な場面ではトレインへ乗る。
少し苦しくても簡単には手放さない。
守るべき場面と、勝負すべき場面を自分で選ぶ。
大沢以降に戻ってきた自分らしい走りを、来年はスタートから持っていきたい。
最終的な平均パワーは213W。PWRにして3.93倍と4倍も切ってしまった。
結果は73分43秒。
2021年に初めてシルバータイムを出して以来、最低のタイムだった。
動画の最後にも呟きが入っているが、
「一年取り組んでこんなもんかよ」
という思いだった。
年齢を考えれば、十分誇れる。それでも悔しい
2021年以来、一度もシルバータイムを外していない。
今年49歳。
その年齢を考えれば、毎年シルバーを維持していること自体、十分に誇っていいのだと思う。
周囲から見れば、73分43秒も立派な記録なのかもしれない。
でも、自分が見ていた景色はそこではなかった。
狙っていたのは、シルバーを維持することではない。
ゴールドを取りたかった。
せめて去年より速くなりたかった。
49歳になっても、まだ成長できることを証明したかった。
良いコンディションの中で、多くの人が自己ベストや目標達成を報告している。
そんな中で、自分はシルバー獲得以来の最低タイムを出した。
周囲の成功を、素直に祝えなかった。
人の成功を喜べない自分が、ひどく小さな人間に思えた。
けれど、他人の成功が嫌だったわけではない。
唯一「他レースで負けても富士ヒルだけはライバルに負けない」という自信や実績もあった。
その報告を見るたびに、自分が手に入れられなかった結果を目の前に突きつけられることが苦しかった。
置いていかれた気持ちになった。
自分も、そこに行きたかった。
だから悔しかった。
レース後も気持ちは落ち着かなかった。
少しのことで腹が立った。
結果や他人の投稿を見るたびに、胸の奥がざわついた。
年齢を考えれば十分すごい。
2021年以来ずっとシルバーを守っている。
それでも、悔しいものは悔しい。
その気持ちをAIにぶつけて言語化してもらったとき、自分でも驚くほど泣いた。
自分が思っていた以上に、この一年に期待していたのだと思う。
やばいAIに泣かされた🥺 pic.twitter.com/V2uUdLZQR8
— ままさん@MBCの人 (@mamachan99) June 9, 2026
AIと取り組んだからこそ、得られたものと失ったもの
今年の失敗を、すべてAIコーチの責任にするつもりはない。
最終的に練習を選び、実行したのは自分だ。
途中で感じていた違和感を、もっと強く主張することもできた。
春の時点で計画を修正することもできたかもしれない。
一方で、AIコーチ側の計画ミスもあったと思っている。
腰保護の練習を長く引っ張りすぎた。
高いVO2Maxを、VO2Max練を減らしてよい理由のように扱ってしまった。
分割SSTの成功を、富士ヒルの40分から60分の連続耐性と同じように評価してしまった。
4月から5月に戻すべきだった実走とレース特異性を、十分に戻せなかった。
自分は提示された計画を信じて取り組んだ。
自分のやり方ではこのプラトーを脱却できないと思っていたから。
だが今年の富士ヒルははっきりと失敗した。
ただし、AIと取り組んだこと自体を後悔しているわけでもない。
夏の失敗原因を整理できた。
夏秋のどん底から1月のパフォーマンスまで戻すことができた。
腰痛の原因も、以前よりはるかに詳しく理解できるようになった。
今年の失敗構造も、かなり明確になった。
AIを使えば自動的に正解へ連れていってもらえるわけではない。
数字を管理すれば、必ず本番で結果が出るわけでもない。
計画が精密であることと、その計画が正しいことは別だ。
そのことを、痛いほど学んだ一年だった。
まだ「良い経験だった」とは言えない
今年の結果を、すぐに「良い経験だった」とまとめる気にはなれない。
今も悔しい。
今も、もう少しやれたのではないかと思っている。
一番頑張らなきゃいけないレースで守りの走りをしてしまった。
ハルヒルのほうがよほど攻めてたと思うし、ハルヒルは達成感があった。
ゴール後に笑顔があった。
周囲の選手と「おつかれさまでした!」と言い合える空気だった。
自分史上最高だと信じた計画が、最後の目的地まで自分を運んでくれなかった。
一度どん底から戻してきただけに、落胆も大きかった。
ただ、今年得たものが何もなかったわけではない。
2025年までに、富士ヒルを速く走る力は確実に伸びていた。
2026年には、腰、フォーム、ペダリングについての理解が深まった。
戻すべきものと、足すべきものが分かった。
2025年の走力を戻す。
2026年に得た身体への理解を足す。
そして、期限のない保守的な計画を捨てる。
次の目標は明確だ。
序盤に上がるレース展開を受け止め、そこで終わらない身体を作る。
1合目までに勝とうとしない。
でも、1合目で終わらない。
今年の秋には50歳になる。
50歳で迎える2027年の富士ヒルで、もう一度ゴールドを取りにいく。
まだ悔しい。
まだ他人の成功を心から祝えない日もある。
今年の失敗を、きれいな物語にするつもりもない。
それでも、やめようとは思っていない。
シルバー維持はすごい。
でも悔しい。
悔しいけれど、まだやれる。
やっぱり俺は【富士ヒル】が大好きだ。
