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つづきいし・・不思議な遠野の物語

あらすじ
都内の出版社に勤める黒田はなゑは、何の前触れもなく
不思議な続き夢を見るようになる。
夢の中に毎回登場する不思議な形の大きな岩、
その岩は上司である福山が取材に訪れる、
岩手県遠野市にある、つづきいしであることがわかった。
福山の取材にカメラマンとして同行する同期入社の斎田の呼びかけもあり
はなゑも同行できることになった。
夢の中の岩は実在していたのだ。
そのことだけでも奇跡のような出来事なのに
柳田邦男著「遠野物語」でも紹介された民話のふるさと遠野
そこで3人は数々の不思議な体験に巻き込まれていく。
はなゑはなぜ不思議な夢をみるようになったのか・・・。

第一話・・・はじまり・・・

また同じ夢を見た。

鳥居のような形の大きな岩の向こうにある、

少し小ぶりな岩に、

ちょうど鳥居を潜る様に光が差し込むと、

岩が音もなくスルリと二つに分かれて、

中からキラキラ輝きながら光の粒子が飛びだし、

その真ん中にひとがたが現れて私を手招きする。

今朝もそこで夢は終わった。


私の名前は黒田はなゑ。

岩手の県南に生まれ、地元の普通高校を卒業して、

東京の大学に学び、都内の出版社に勤めている。

憧れていた出版社に就職し、

近頃やっと仕事が認められるようになり、

今が一番、思い通りの仕事ができていると感じている。


そんな私が不思議な夢を見るようになり、

今日で10日が過ぎようとしていた。


「おはよう どうしたんだよ、

朝からそんな難しい顔して」

同期で入社した

フォトグラファーの斎田一人さいだかずひとが

声をかけて来た。


彼は背が高く、

どちらかと言うと強面な印象があり、

怖いひとと思われがちだが、

誰よりも山と自然を愛する男で、

大学では山岳部に所属していたと、

本人から聞いた事がある。

山男らしく、ゆったりとした雰囲気があり、

優しい気持ちの持ち主で、

気取らずに話せる友人である。


「またあのでかい岩の夢をみたのかい?」

一人がそう言いながら、

右隣のデスクに腰かけ話しかけてきた。


「うん、今日で10日になるとさすがに気味が悪くて…」

「だよな、でもさ、はなちゃん。

本当に今まで見たことのない岩なのかい?」

「うん。形はイギリスのストーンヘンジに似ているんだけど…イギリスなんて行ったことないし…」

「手招きするってとこがちょっと不気味だよな」

「でしょう!そこなのよ!でもね、

近頃はその先が、

どうなっていくのかが気になってしょうがないの」

不思議な夢は、

まるで違う世界の出来事のように、

日を追うごとに先に進み、

ここしばらくはこちらに向い、

手招きしているところで終わったまま、

先に進んでいない。


「だとしたら、はなちゃんに、

何かを伝えようとしているんじゃないかな?」

「うーん…そうなのかな?」

「それ以外考えられないだろう!だってさ、

何度も同じ夢を繰り返し見ているんだろう、

ついでに夢の内容が物語みたいに前に進むんだろう?」

「やっぱりそうなのかな…

実は私もそんな気がしていたの…

だとしたら、

一人が言うように私に何かを伝えたいのかな?」

二人してしばし考え込んだあとに

「まずはその岩が

実際にこの世の中に存在しているのかどうか、

そこから調べて見ることなんじゃないのかな」

私もそれが一番気になることだったので、

「そうだよね…」

と、小さな声で答えた。


そうは言ってはみたものの、

どうやって調べたらいいのだろう…

なにせ相手は夢の世界の住人で、

なんの手がかりもないのである。


たとえ山に詳しい友人の一人でさえ、

イメージは沸くかもしれないけれど、

私の夢の中に出て来る岩をみつけるなんて、

土台無理な話だと思いながらも、

なぜか夢の中に登場するあの岩は、

絶対に実在していて、

必ず会えると私は信じていた。

「あんまり難しく考えるなよ」

そう言いながら一人は、私の肩を軽く叩いた。


その時、左隣のデスクのやはり同期の福ちゃんが

書類を抱えながら戻ってきた。

「お二人さん。おはよう」

デスクの上のパソコンを開きながら福ちゃんが言った。

「おはよう福山」

一人が手を上げ、福ちゃんに挨拶している

「おはよう、相変わらず早いのね」

「ああ、ちょっと調べものがあってね」

福ちゃんは毎朝一番に出社し、

今朝も既に資料集めを終えたようだ。

彼は常にクールで、現実的な考えの持ち主である。


「ところでさ。はなちゃんが見ている

例の夢のきっかけって、

やっぱりあの本なのかい?」

相変わらず椅子の背もたれに身体を預けたままで、

一人が声をかけてきた。

椅子がギイギイと変な音を出している。


「ええ、思い出してみたんだけど、

やっぱりあの本を一人から借りて

読み初めた頃と重なるのよ。」

「そうか・・・不思議な事ってあるものだな、

はなちゃんを悩ませている原因が、

俺が貸した本ってことで責任を感じているよ、

ごめんな。」

「一人が誤ることじゃないよ。

こっちこそ無理に借りておいてごめんなさい。」

いつもはなにかと、

私の行動をばかにするような言動が多い

一人らしくない言葉に、

私もいつになく素直に詫びれたことに驚いた。


私は幼い頃から、

古代の歴史や文明が大好きで、

よく図書館から本を借りてきては、

今では尋ねる事のできない古代遺跡や

歴史上に登場する

過去の時代に思いを馳せるのが好きだった。


それと不思議な出来事や

精神世界や占いなどにも興味があり、

終末論で有名になった

トヨ文明になぜか強く惹かれ、

ある一冊の本を探していた。


その本は「トヨの占いの書」と言う題名で、

トヨの二十の神々が織りなす占いの本で、

既に絶版となっている本である。


あちこち探してみたけれど、

ついぞ見つからず、諦めかけていた頃、

何気ない話しの途中で一人に話してみたら、

なんと!持っているというので、

借りて読み始めた日から、

不思議な夢をみるようになったのである。


あこがれた本の最初には


…あなたに逢えてとてもうれしいです。

この本を手にした貴方はとてもツイています。

おめでとうございます。


 自分を変えたい。

 悩みから解放されたい。

 幸せな最高の人生にしたい。

 誰もが抱くそんな思いをたちまち解決します。


そしてこの先も、

目のまえの出来事にいちいち動揺しなくなり、

自分の思い通りの道を突き進むことができます。


経済的なゆとりを手に入れ、

最高の仲間に囲まれながら、

好きな仕事、

楽しい趣味で満たされた人生を

全力で生き抜く事を可能にします。


そして、自分に与えられた時間を、

最後の最後まで

笑いながら生き切ることができます。…


更にその本の最後にはこんな注意書きがしてあった。


 …この本には約束の精霊達が宿っています。

どうぞ大切に扱ってください。…


とあったものだから、

不思議な事が大好きな私には、

たまらない内容なのが直ぐにわかり、

夢中になり読み始めた。


本を手にしたきっかけを思い出しながら、

気持ちを切り替えて、

仕事を始めようとデスクのパソコンを開いた時だった。


「おい!見ろよ!あの大きな岩!

はなちゃんの夢に出てくる岩に、そっくりじゃないか?」

一人が突然、

福ちゃんのデスクのパソコンを指差して言った。


そこには、私が今、悩みに悩んでいる、

夢の中に現れるあの岩にそっくりな岩が、

パソコンの画面いっぱいに現れていたのである。


パソコンの画面を見つめたまま、

動けないでいる私をみて福ちゃんが

「この岩かい?岩手県の遠野市にある続石だよ。」

福ちゃんの説明によると、

柳田國男氏の代表作「遠野物語」が発刊されて、

今年で丁度百年になると言う事で、

我が社が記念のパンフレットの制作の委託を受け、

福ちゃんが担当に決まり、

来週から取材に遠野へ向かうと言う事だった。


今はその資料集めをしていて、

たまたま続石について調べているところだったらしい。

「斎田!確か山岳部出身だったよな!

来週一緒に遠野に行ってくれないか」

福ちゃんが一人を遠野行きに誘っているのを見て、

私は居ても立っても居られなくなり、

慌てて席を立ち

「福山チーフ!私も遠野行きに同行させてください」

と気が付いたら深々と頭を下げお願いしていた。


かなりの図々しいお願いなのはわかっていたけれど、

今はとにかくあの岩のそばに行きたい、

その気持ちのほうが勝っていたのである。


更に一人も

「こいつの夢の中に何度も出でくる岩に

そっくりなんですよ。

それに、はなちゃんは、

岩手出身ですから訛りの通訳もお願いできますよ」

と、パソコンの画面を指差しながら

福ちゃんに一緒にお願いしてくれた。


そんな二人の勢いに負けたのか、

福ちゃんから同行の許可が出た時には

思わず一人と抱き合って喜んだ。

やったー!やっとあの岩に逢える。


第二話・・遠野へ

翌週、

私達三人は東京発の東北新幹線に乗り込み、

遠野へ向かった。


東北新幹線の新花巻駅で下車をし、

柳田國男氏はここから馬車で遠野へ向かったが、

今は馬車ではなく

東北本線が釜石まで開通しているので、

私達は釜石線で向かう事にした。


この釜石線は、

花巻出身の宮沢賢治の童話

「銀河鉄道の夜」のモデルとも言われていて、

賢治の作中にはエスペラント語がよく登場するが、

そのことに因んで、

全二十四駅にエスペラント語の愛称が付けられている。


 テクシーロ(機織り機)綾織

 フォルクローロ(民話)遠野

 カッパーオ(カッパ)青笹

 などなど。


何処の国のものでもない言葉が、

イーハトーブと賢治が表現した岩手の景色と重なり、

現実の世界から、不思議の国へと

私達を誘なっていてくれているように感じた。


「福山チーフ。今回の取材に同行させていただきありがとうございます。」

私は電車の中で起立して福ちゃんに改めてお礼を述べた。

「いや〜こちらこそよろしくお願いしますよ。

さっきから、周りの人達が話す言葉がわからなくて、

どうしたものかと思っていたんだよ。

岩手出身のはなちゃんが一緒で、心強いよ。」


確かに電車の車内で

大声で話しているご婦人達の会話は、

都会から来た福ちゃんや一人には

なかなか難しい言葉に感じるのかもしれないと思った。


「でさ、なんでそんなに遠野に来たかったの?

斎田からはなんとなくは聞いているけど、

続石の夢を何度も見たってほんとなのかい?」

ちらりと一人の顔を見たら、

俺は知らないとばかりにそっぽを向いている


「そうなのよ。けれど、ここしばらくはあるところで止まったままで、

一人に相談したら、

先ずはその石が本当に実在してるかどうかを

調べてみることから始めたらいいじゃないのかと

アドバイスをくれたんだけど、

どうやって調べたらよいかわからないままだったの。

そこに福ちゃんのあの画像が目に飛び込んで来て、

私は神様のお導きだと思って…

無理なお願いをきいてくれて

本当にありがとうございます。

通訳もがんばります。

よろしくお願いします。

感謝しています。」


福ちゃんは、不思議な話もあるものだと言いながら、

夢が何を伝えようといるのかについて、

一緒に考えてくれると言ってくれた。


念願の遠野行きが叶ったにも関わらず、

何をどうしたらよいか、わからないのが本音で

福ちゃんの言葉に正直救われた思いがした。


福ちゃんは社の中でも格段に知識が豊富で

「人間百科事典」と言う異名の持ち主で、

頼れる兄貴のような存在だったからである。


その福ちゃんが実は大学の頃から

「民話の里・遠野」に強い関心を抱いていて、

今回「遠野物語百年」記念の

パンフレットの担当に決まった時には

とても嬉しかったと話してくれた。


一方一人は、

曽祖父が遠野の出身で、

幼いころに「早池峰の神風が吹く郷」

と言いながら、

よく故郷遠野郷の話を聞かせてくれたことを教えてくれた。


「え!それじゃ私達三人がこうして遠野に向かうって事は、

何か大きな意味があるのかも」

と言う私の言葉に

「はじまったよ!また、はなちゃんの不思議ちゃんが!」と、

一人が茶化しはじめた。


「とにかく、こうして遠野に向かっているわけだから、

良い仕事をしたいと思うので、

二人とも協力よろしくお願いします」

と、福ちゃんがぺこりと頭を下げた。

つられて、私と一人もぺこりとお辞儀をした。


それぞれの想いを胸に、

列車はガタゴト揺れながら

「フォルクローロ遠野」へとたどり着いた。


駅の改札を出て一番に私達を迎えてくれたのは、

何処かで干草を燃やしている懐かしい香りだった。

観光シーズンの少し前、それも平日の夕方である。

人影もまばらな駅を出ですぐに目に飛び込んできたのは、

三匹のカッパの像だった。

横にある交番までもがカッパの形をしている。

ある人が、遠野は人間の人口よりも

カッパの方が多いと言っていたが、

本当かもしれない。

町を挙げて民話の郷のイメージを大切にしているのが、

この駅前広場を見ただけで充分受け取れる気がした。


福ちゃんは早速、

駅の脇にある観光協会へ挨拶をしに向かった。

一人はカッパの像の写真を写す事に夢中になっている。


私はあまりの寒さに、薄着で来た事を後悔しながら、

急いでカーディガンを羽織った。

観光協会に挨拶を済ませた福ちゃんが戻ると、

タクシーに乗り込み宿を目指した。


タクシーの運転手が言うには、

今年はいつもより春の訪れが遅く、

つい先日も雪が降ったそうだ。

東京は既に桜の季節は終わろうとしているのに、

遠野の桜はやっと蕾が色づきはじめたばかりだった。


宿はちょうど駅の裏側の通りにあり、

座敷童が出る事で有名な「民宿パハヤチニカ」

パハヤチニカとはアイヌ語で早池峰と云う意味らしい。


普段なら予約でいっぱいのはずなのに、

私達が宿泊する三日間は、すんなりと予約が取れたと、

福ちゃんが驚いていた。

シャッターが閉まっている店が目立ちはするが、

マンホールの蓋や、

歩道にある馬の背もたれが付いたベンチなど、

町のあちこちに遠野物語の雰囲気がちりばめられていて、

どこか暖かく感じる。


乳母車を押しながら老女がゆっくりと歩いている。

誰も早足で先を急ぐ者はいない、

この郷の人達はゆったりとした時間の中を

ゆっくりと呼吸しながら過ごしているように感じた。


都会で暮らし始めてから、

毎日忙しく時間に追われて過ごしている私にとって、

忘れていた穏やかな時間が目の前に広がっていた。


第三話・・座敷わらし①

民宿パハヤチニカの玄関の引き戸を開けると、

祖母の家を訪ねた時と同じ、

懐かしい囲炉裏の匂いがした。

そして古民家特有の

角の辺りの独特な暗闇が、

祖母の家の暗闇に潜む、

もののけたちの気配に似ていて、

幼いころ訳もなく恐怖にかられて、

泣き出した事を思い出していた。


この宿は「座敷わらしが住む宿」として有名で、

夜中に小さな子供の笑い声や、

廊下を走り周る音が聞こえると言う。


そしてその姿を見たものは

とてつもない幸せが来ると云えられている。


座敷わらしは、遠野物語を代表する昔話であるが、

その始まりは

飢餓や流行り病で命を落とした幼い子供達がいたと云う、

悲しい歴史の中にあり、

その幼い子供達の御霊を慰める意味もある、

と聞いたことがある。


宿の御主人の話によると、

座敷わらしが現れる部屋は、

既に三年先まで予約でいっぱいとの事で、

残念ながら私達は別の部屋に案内された。


山側に面した二階の部屋は、

福ちゃんと一人の部屋と私の部屋が

襖で仕切られているだけの簡素な造りであったが、

一応、鍵らしきものの代わりに、

釘が梁に差し込まれていた。

 

欄間から隣の灯が漏れてくる。

座敷わらしが現れる宿と聞いてか、

なんとも言えない湿り気のある不思議な空気感が

宿全体に流れていて、

一人部屋は寂しいと感じていたから、

何かあったら隣に、

福ちゃんと一人が居ると思えるこの部屋の造りは、

むしろ有難いと思った。


高校を卒業してからすぐに上京したせいもあり、

同じ県内でも遠野は、

私の田舎である県南地域からは遠く、

土地感はないに等しい。


それでも幼い頃、祖母の家に泊まりに行くと

「むがぁすむがぁす遠野ずどごさあったずもな」

と祖母が聞かせたくれた、

オシラサマや座敷わらし、

河童などの昔話しが大好きだった。

空想好きな私は、

祖母が話す物語の中の住人達が、

手を伸ばせばすぐ其処にいてくれて、

座敷わらしと空を飛んだり、

カッパと鬼ごっこしたり、

オシラ様とダンスしたりしながら

眠りにつくのが好きだった。


だからなのか、

いつか遠野に住むと云う、

不思議な世界の住人達を訪ねてみたい、

と思っていた。


その憧れの土地に、

今こうして来ることが出来た事が

夢のようだと感じながら、

窓の外の景色を眺めていた。


「夕飯の準備が整いました。下まで降りてきてけさい」

と、階下から声がした。

 

階段を降りて行くと

醤油と味噌と出汁が織りなす香りが鼻の奥に届き、

無性にお腹が空いてきた。

この宿では、一階の広間で

泊まり客全員が囲炉裏端で夕食をするのが決まりらしい。

私達の他にも二、三組の客が既にお膳の前に座っていた。

囲炉裏には暖かな炎がみえる。

それを囲んで車座になっていただく夕食は、

盆や正月に祖母の家に一族が集まり、

賑やかに食事をしていた記憶が蘇えって来るようだった。


宿の名物は、ひっつみにどべっこ。

ひっつみは、地方により呼び名も違うが、

すいとんのことである。

どべっこは、どぶろくのことで、

特区が許可されてから遠野の郷の名物になっている。


「感謝しています。

みなさん本日はようこそ当館にお泊まり頂きまして、

まごどにありがとうございます。

私はこの宿の主人の佐藤基彦と言います。

みなさんからはモトさんと呼ばれています。

袖すり合うも多少の縁、

皆さんもお気軽にモトさんと呼んでください。

よろしくお願いいたします。

みなさんの前にありますお食事は、

土地の物を中心に心を込めて作りました、

どうぞお召し上がりください。


ここで一つみなさんにお願いがあります。

お食事をいただく前に、

当館の名前を頂戴している早池峰の神様に

旅の無事と感謝を申し上げてから

お召し上がりいただきたいと思います。

ありがとうございます。

いただきます。」


なんとも暖かな御主人の挨拶で夕食の時間が始まった。

「おい、なんか民宿っていうよりも、

田舎に帰って来たみたいだな」

 一人はあまったるい香りのする

どべっこが気に入ったらしく

盃を片手に福ちゃんに話しかけている。


「うん、僕もそう思ったよ、なんかいいな」

福ちゃんは、お酒はあまり得意ではないようで、

山菜料理が気に入ったようだ。


二人とも東京生まれの東京育ち、珍しく思うのも頷ける。

今は個食の時代と言われているが、

やはり食事は大勢でいただくのが

絶対に美味しいと私は思う。

美味しいそうな湯気が、あちこちの茶碗から溢れていて、

山菜や川魚、それに美味しい地酒。会話に花が咲き、

一人はどべっこのおかわりを、

福ちゃんは宿の御主人から

山菜の種類や調理の仕方を聞いていた。


けれど私はさっきからずっと誰も座らないままの、

おままごとのような、小さなお膳が一つあるのが気になっていた。

そんな私の視線を察してか

「座敷わらし様へのお膳でがす」

と宿の御主人のモトさんが教えてくれた。

「おらだずの目には見えなくても、

毎日ちゃんといただいてくれています。

少しずつ量が減っていますから」


なんとも不思議な話ではあるが、

この宿では毎日夕食時に、

宿に住む座敷わらし様に

感謝の気持ちを込めて御膳を整えるとの事だった。


しかも不思議なことに、

誰も座っていないはずの料理が

何かしら少しずつ減っていると言う。


モトさんの話に一人が聞き返している。

「今夜もそうなりますか?」

「はい!きっと。

でも今まで誰も食事をしている姿を見た人はいませんがね」

そう言いながら意味深な笑みを口元に浮かべた。


一人は宿の御主人のモトさんの話に、

よほど興味が湧いたのか、

福ちゃんに遠野に連れて来てもらった事を

仕切りに感謝していた。


福ちゃんも、食前酒代わりのどべっこが効いたのか、

頬がほんのり色付いていた。


そんな二人のやり取りを見ていて、

ふとさっきの小さな御膳を何気なく見てみると・・・。

小さな御膳の周りには、

緑色の靄のような物が漂っていて

さらに、

その靄の中に人影らしきものが見えてきたから驚いた。


その人影らしきものの大きな目が、

こちらをジーっとみているではないか、

私はますます目が離せなくなり、

なんと目があってしまった!


大声を出しそうになるのを、

必死で口を抑えて我慢するのがやっとで…

 …これはなに?いったいどうしたの?

おちつけ!

はなゑ!おちつくんだ!

心臓の鼓動が早まり、

私の周りだけ時間が止まっているように感じた。


靄が少しずつ晴れてくると、

その姿がよりハッキリと見えてきて、

小さな緑色のカッパが小さな御膳の前に座っていた。

そして小さなカッパは、

口らしきところに長い指をあて、

私の方を向きながら

(ナイショダヨ)と言っているようだった。


「どうしたのはなちゃん、気分でも悪いの?」

福ちゃんが口に手を当てたまま一点を見つめ、

身動きひとつしない私を見て

心配そうに声をかけてきた。


「あそこ…」

 そう言いながら、小さな御膳を指差した。


「御膳がどうかしたの?」

 福ちゃんは不思議そうな顔をしている


「見えないの?」

「何が?」

あんなにはっきりと見えるのに…

どうやら私にだけ見えているらしい。


大きな目、頭には皿ではなくキラキラ輝く鏡を載せている。

緑色のウエットスーツのようなものを身に着けている、

とにかく全てが緑色で統一されている。

「御膳の前にね、座敷わらしじゃなくて、カッパが座っているの」
 

第四話‥座敷わらし②

 福ちゃんははじめのうちは信じてくれなかったが、

私があまりにも細かくカッパの様子を説明するものだから、

 次第に本当のことだと信じてくれ、

隣の一人にもカッパの話をし始めている。

一人はまたはなちゃんの不思議ちゃんが始まったと茶化し始めた。


 すると私たち三人のやり取りを見ていた、

宿の御主人のモトさんが

「何かありましたか?」と声を掛けてきた。


 私がなんと説明したらよいか迷っていると

「さてはお客さん!見えましたね」

とサラリと言うものだから正直驚いた。


 これには福ちゃんもそして、一人までが驚いて

モトさんの次の言葉を待った。

「私には見えませんがね、

家の小一になる娘のマキが時々、

全身が緑色のカッパのような姿の男の子が

御膳の前に座っていると言うんですよ

娘が言うにはカッパの名前はタツヤくんと言うらしく、

カッパのたっちゃんと呼び

時々一緒に遊んでいるらしいです。


私も最初のうちは作り話だと思っていたんですがね、

その後、二、三人のお客様が

見た!見た!と言うものですから、

今では座敷カッパのたっちゃんと

名前を付けて信じることにしました。

 そうですか!たっちゃんに逢えたんですね!

お客さん方はきっと幸せになれますよ。

いがった!いがった!」

 そう言いながら宿の御主人は

頷きながら厨房へ戻って行った。


 たっちゃんは相変わらず御膳の前に座り、

器用に箸を使いご馳走を食べている。

 宿のご主人の話しを聞いた後は、

さっきまでのパニクっていた私とは違い、

かなり落ち着いた気持ちで現実を受け入れはじめていた。


 けれど私にはハッキリ見えているのに、

どうして福ちゃんや一人には見えないんだろう?


 その時だった、たっちゃんと目が合い、

たっちゃんの口が何か言ったような気がした。

「・・ゑ」

 え?なに?なんて言ったの?

と聞き返すとこれがテレパシーと言うものなのだろうか、

「は・な・ゑ」

 たっちゃんの声が耳ではなく心の中に響いてきて、

私の名前をはっきり伝えてきたから驚いた!


 目ばかりか耳までおかしくなったのかと考えていると。

「チガウヨ・ハ・ナ・エ・ノココロガキレイダカラダヨ」と

 覚えたての日本語をたどたどしく話す、

外人のような言葉が響いてきたのである。


 福ちゃんにも一人にも、

たっちゃんの言葉は聞こえていないようだった。

「ボクハ・ムカシ・コノイエニウマレテネ・チイサイトキニシンダンダヨ」

 えっ!死んだ?確かにそう聞こえた。

 たっちゃんの話はつづく。


「キガガ・コノサトヲオソッテネ・タクサンノコドモタチガシンダンダヨ」

 淡々としかも、たどたどしい言葉の話し方のせいなのか、

悲惨な内容のはずなのに、

悲しみが薄れて聞こえたのがせめてもの救いだった。

そして、以前聞いた座敷わらしの始まりについての言い伝えは、

本当だったんだと思った。


「コノサトノオクニハネ・ハヤチネノカミサマガイテ・ボクタチヲ・マモッテクレテイルンダヨ」

 早池峰って聞こえたけど、

早池峰の神様って

遠野の守護神の早池峰山の神様のことなのだろうか?

 私は心の中でたっちゃんに聞いてみた。

 そして、たっちゃんの返事が心に響いて来るのを私は待っていた。

「コンヤハ・ハ・ナ・エ・ガボクヲミツケテクレテ・ウレシカッタ」

 私の問いに応えないまま、

大きな瞳を瞬きさせながら、

たっちゃんの姿はスーッと薄くなり次第に消えてしまった。


 たっちゃんが消えてから、

私はしばらく呆然としていたが気を取り直して、

目のまえで起きた現実を今度は落ち着いて、

もう一度考えて見ることにした。


 突然現れて、

煙のように消えてしまった座敷カッパのたっちゃん。

 福ちゃんにも、一人にも

周りにいる誰にも見えないのに、

なぜ私にだけ姿を見せてくれたのだろうか?


 更にどうして私の名前を知っていたのだろうか?

 謎は深まるばかりだけど、

なぜか私には

たっちゃんにまた直ぐに会えそうな気がしていた。

 たっちゃんが器用に箸を使い食べていた茶碗からは、

確かにご飯の量が少しだけ減っていた。


 夕飯の後は、囲炉裏を囲んで語り部さんによる遠野物語を、

宿の御主人が取材に訪れた私達のために、

特別に企画してくださった。


「むがすむがすあったずもな」

と言う独特な言いまわしで始まり、

「どんどはれ」

と言いう言葉で結ばれる昔話。


 特にどんとはれについては以前、

NHKのドラマの題名にもなり、

一人が、ドーンと晴れるの意味だと勘違いしていて、

おわりですよ。おしまいですよ。の意味だと教えたことがあった。


 今夜のお話は、オシラサマ。

美しい馬と娘さんの悲しい恋のお話で、映画になったこともある。

「まだございね」と言う語り部さんの言葉に見送られて、

和やかな会がお開きになり、お腹も心も温かなものでいっぱいになった。


 初めての遠野の夜は、

座敷カッパのたっちゃんとの出逢いはかなりの衝撃であったけれど、

ゆっくりとした時間が流れるこの郷の中では、

不思議と違和感がないように思えた。

 明日からなにやら始まりそうな予感と、

懐かしい香のする部屋の中で眠りについた。


第五話・・・夢の先・・・

「はなゑ・・・はなゑ・・・」

 光の輪の中の人影が私の名前を呼ぶ。

 私は、どうして私の名前を呼ぶのかをその声の主に尋ねた。

「もうすぐ・・・わかります」


 はっとして目が覚めた。

 カーテンの隙間から眩いばかりの朝日が部屋全体に広がっていて、

あの夢の続きを見たのだと、

起き抜けの、ぼんやりとした思考の中でも、

そのことだけははっきりと覚えていた。


「もうすぐわかるって・・・言ったよね」

 光の輪の中の人が言った言葉を、私は胸の中で何度も呟いた。

 今まで何度も繰り返し見てきた夢の続きは、

必ず手招きする場所で終わりその続きを見せてはくれなかった。


 夢は潜在意識の現れだと誰かが言っていたが、

私には全く見当もつかない夢で、

何を一体伝えようとしているのか全く分からないままだった。

 けれどついに夢の続きが再び始まったのである。

「やった−!!!」

 これで、やっと夢の謎解きの足がかりが出来た!

 やはり遠野に来たことは正解だったのだと思った。


「はなちゃんおはよう。よく眠れたかい?」と朝食会場で福ちゃんが声をかけてきた。

 うんと返事をすると福ちゃんが心配顔で

「もしかしてはなちゃんが夜中に消えるんじゃないかって心配していたんだよ」

 と話すものだから私は足をバタつかせて

「大丈夫!ほらね、ちゃんと足がついてるでしょう!」と話し、

福ちゃんと顔を見合わせて笑った。


 福ちゃんなりに昨日の私の様子を見て、心配してくれていたのだと思った。

 なので、昨夜の座敷カッパのたっちゃんから教えて貰った、

飢餓で亡くなった子供達を、早池峰の神様が守ってくれている話を福ちゃんに伝え、

今日周るコースに、早池峰神社を入れて貰えないかとお願いしてみた。


 福ちゃんは頷きながら話を聞いてくれて

「そうか、僕たちがこの宿に泊まったのも何かの縁なのかも知れないね。

カッパのたっちゃんが、はなちゃんにそんな話をしたと言うことは、

僕達にもちゃんと挨拶しに来いと言うことだろう。

分かったよ、今日は土淵の辺りを周る予定だったから行って見よう。

遠野の郷の守護神の早池峰の神様にちゃんと挨拶しないとね」

 そう言いながらウインクしてみせた。


「これからも何かあったら遠慮せずに何でも言ってくれよ」

 福ちゃんはやはり頼れる兄貴だと思った。

けれど今朝の夢の話はなぜか、まだ話してはいけないような気がしていた。


「よー!巫女様!おはよう!」

 この大きな声は一人。

一人は身長も190センチ近くあり、かなりの高身長だけど声の大きさもでかい。

 まるで神社の山門にいる仁王様のようだといつも思う。


「何よ!朝から大きな声を出して、泊まっているのは私たちだけじゃないのよ」

 昨夜は遅くまで語り部さんの会があり、

他の宿泊の方達の姿はまだ朝食会場にはなく、一人の声だけが響いている。


「何だよ人が心配してやってんのに」今度は小さな声で話している。

 表現は違うけれど二人の優しさが嬉しかった。

「ごめん、ありがとうね」


 どういうわけか、一人の言葉にはいちいち反発したくなる。

 そして言い返した後に必ず何かが心に引っかかっている。

 こちらがもう少し素直になろうとすると、今朝のように茶化される。

 改めて考えたことはなかったけど、これって何なんだろう?


 宿自慢の竈で炊いたご飯は格別に美味しかった。

 福ちゃんと一人、そして私までもが揃ってご飯のおかわりをしたものだから、

宿の御主人様のモトさんが、遠野の米と水と炭の素晴らしさを説明してくれた。


 何代にも渡る農家の人々の熱い想いこの郷を支えていると思った。

「今日はお天気も良いですし、

遠野の郷の神様達も嬉しがっているでしょう。

気をつけてお出かけください」

 宿の外にはレンタカーが到着していて、

一人が運転し、福ちゃんが助手席に、後部座席に私が座りモトさんが見送ってくれた。


第六話・・オシラサマ・・

 遠野物語百周年と書かれた幟が至る所に立っている。

 市を挙げての、一大プロジェクトの意気込みを感じながら

 市役所の観光課へ挨拶をすませ、

 福ちゃんが私達に差し出したのは、カッパの捕獲許可書。


 シリアルナンバー入りで1年ごとの更新が必要らしい。


 その裏には次のようなカッパ捕獲7ヶ条が書き込まれてあった。


 1 カッパは生捕りにし、傷つけないで捕まえること


 2  頭の皿は傷つけず、皿の中の水はこぼさないで捕まえること


 3  捕獲場所はかっぱ渕に限ること


 4 捕まえるカッパは、真赤な顔大きな口であること


 5 金具を使った道具でカッパを捕まえない事


 6 餌は新鮮な野菜を使って捕まえること


 7 捕まえた時は、観光協会の承認を得る事   

 以上 (参考資料 遠野観光協会 カッパ捕獲許可証)


 とあった。


 かなり細かく示されているが、

 どうやら昨夜逢った、座敷カッパのたっちゃんは

 該当しないことがわかり、ほっと胸を撫で下ろした。


 福ちゃんと一人は、

 カッパ捕獲書の注意書きの大真面目さが

良いと大笑いしていた。


 市役所から国道340号線を、

 北へ10分ほど車を走らせた先にある茅葺き屋根の建物が、

 一番目の取材地の伝承園である。


 この伝承園の先には

・・マヨイガ・・の山と伝えられている自見山があり、

 柳田國男氏に遠野の伝説を伝えた、佐々木喜善の生家も近い。


 土淵地区と呼ばれ、遠野物語の主役たちの舞台があちこちに広がっている。

 大きな茅葺き屋根は、南部曲がり屋といい、

 馬を家族同様に大切にしてきた証に、人馬が同居できる造りになっている。


 私の母方の祖母の家は、改築するまでは大きな茅葺き屋根で、

 真夏の熱い時期でも中はひんやりとしていてとても涼しかったが、

 反対に冬は隙間風だらけで、ひどく寒かったのを覚えている。


 また躾に厳しかった祖母は、

 敷居を踏みつけて入ってはいけないと厳しく躾けられた。

 伝承園の茅葺き屋根の建物は、

 そんな懐かしい祖母の家での一コマを思い出させてくれた。


「今日はよぐいらっしゃいました。履き物を脱いであがれんせ」

 係の婦人が私達を建物の中に誘い、

 建物の奥にある・・御蚕神堂・・オシラ堂・・の順番で案内してくれた。

 ふと見た名札に、斎田みちよとあった。

 あれ?一人と同じ苗字だと思いながら、

 あえて声はかけなかったが、もしかして一人の親戚?…


 伝承園の内部は、暗く、

 ぎしぎしと軋む長い廊下の先に、

 一段高くなっている部屋があり、

 異様な気配を感じさせる空気感が廊下にまで溢れていた。


 一歩その部屋に入るなり私と福ちゃんと一人は、

 その圧倒的な雰囲気に話す言葉を無くしてしまった。


 部屋の真ん中に桑の木が一本立っている。

 その周りの壁一面には、

 色とりどりの布を巻き付けられた対の木の人形が、

 一方には馬の頭、もう一方は人の頭の形をしていて、

 天井まで隙間がないほどびっしりと並べられていた。


 係の婦人の話では、約千体ほどがご鎮座しているとのこと。

 オシラ堂の中では、一人のカメラのシャッターの音だけが響いていた。

 私は昨夜宿で、語り部さんが話してくれた

・・オシラサマ・・の話を思い出していた。


「あるところに、貧しい夫婦と娘が住んでいました。

 その家には一頭の馬が飼われていて、

 いつしかその馬と娘は夫婦となりました。


 それを知った父親は、

 裏山の桑の木に馬を吊るし皮を剥ぎ殺そうとしました。


 娘は必死で父親に頼みましたが、

 やめてくれずに、

 馬は皮を半分剥がれたところで死んでしまいました。


 そしてもう少しで全て剥ぎ終わるという時、

 泣いている娘の元に剥いだ馬の皮が覆いかぶさり、

 娘をすっぽり包み込むと、そのまま天に登っていきました。


 悲しみに暮れる両親の元に娘が夢枕に立ち、

「私の親不孝を許してください。私は悪い星の下に生まれ、

 孝行せずに天に来てしまいました。

 来年の三月十四日の朝、

 土間の臼の中に馬の頭の形をした虫がいますから、

 桑の葉を食べさせ、繭を取り糸をとってください。」

 娘は糸の取り方を両親に伝え、機織の仕方も教えました。

 両親は出来た織物を売り生活の糧といたしました。

 そして、馬を吊るした

 桑の木に娘の顔と馬の頭を掘り祀ったのが

 ・・オシラサマの始まりです。

 オシラサマは養蚕の神様・農業の神・目の神様・

 女性の病の神様・馬の神様・

 祀る家の吉凶をお知らせしてくれる神様として

 信仰されるようになりました。

 (参考資料 鈴木サツ自選50話遠野むかしばなし)


「世界中どこの国をみても、馬と人が真剣に愛し合う話しって、

 そんなにあるもんじゃないよ。遠野の神様って・・・」

 福ちゃんが独り言のように言った。


 人間百科事典と異名を持つ福ちゃんが驚くのだから、

 やはりこの土地は特別なのだという思いが益々強くなっていく。


 私は以前に取材で訪ねた牧場で

 初めて馬を間近でみたが、

 お世話をする方に頬擦りして甘える

 馬の優しい瞳が忘れられない。


 きっと馬に恋した娘さんも、そんな馬の優しさに惹かれたのかも知れない。

「願い事をこの布さ書いで、オシラサマさ着せでくださいね」

 案内の婦人が私達を促す。

「俺、嫁さんが見つかりますようにって書こうかな」

 カメラを構えながら一人が言った。

 私の心のどこかがなぜかチクリと痛んだ。

 福ちゃんは既に・・大願成就・・と布いっばいに書いている。

 私は・・心願成就・・と書いた。


 伝承園の入り口には

 遠野の郷土料理がいただける食事処がある。

 食堂の中は右側が囲炉裏を囲んでの椅子席、

 中央にレジがあり、左側は小上がりの座敷席となっている。

 私達は小上がりの座敷席を選んだ。


 さっそく名物のけいらんのセットをいただく事にした。

 食事処の説明書きによると、

 鶏卵のような形をしていることから

 その名が付いたと言われていて、

 砂糖が貴重だった時代から

 おもてなし料理として振舞われた、

 今も結婚式などのお祝い事には欠かせないらしい。


 作り方は至って簡単で、餅米の粉を熱湯で煉り、

 手でよくこね、こし餡を包んで

 卵くらいの大きさに丸めお湯で茹でる。

 食べる時は茹で汁ごといただく。


「かわいい・・・」

 あまりの可愛らしさについ声が出てしまった。

 木製のお椀の中に、

 可愛い雪うさぎが二つ並んでいるように見えた。


「あちっ!」と一人が声をあげた。

「少し落ち着いて食べなさいよ」

「うるさいな!どっから食べていいかわかんないから、

 一口で食べたんだよ!文句あっか!」

 確かに私もおなじような思いで、

 お椀の中を眺めていたから、一人の気持ちがよく分かった。

「ごめん…」またいつもの癖が出てしまった。

 なぜ一人に対してはいつもこうなるのか….


「さっきの伝承園で案内してくれた係の方の名前が

 一人と同じ斎田だったぞ!」

 と福ちゃんが言った。

「確か、斎田みちよさん…だったよね。

 もしかして一人の親戚なのかと思ったよ」

 と私も続けた。

「爺さんが遠野出身だからありうるかもな。

 でも昔のことだからわからないな?」

 と一人が返事をした。


 福ちゃんが座敷の奥を、

 さっきから何度も見返しているのに気がついた。

 視線の先には、

 さっき聞いたばかりのオシラサマの話しに出てきそうな、

 美しい娘さんが座っていた。


 肌の色が透けるように白く、

 腰までの長い髪がキラキラと輝いていて、

 木綿の着物がよく似合っている。

 馬も恋してしまいそうなほど美しい女性だと思い、

 更に美しい所作でお茶を飲んでいたものだから、

 失礼とは思いながらしばし見惚れてしまった。


「福ちゃん…あの女性…」

 美しい人はそこにいるだけで、

 周りの空気までもが凛とする。

 まるで絵画のような美しさだと思った。

「僕も驚いたんだよ。

 まるで物語の中から現れたような女性だろう」

 そう言う福ちゃんの茶碗からは湯気が消えていた。

 今度は同じく遠野名物の…やきもち…を食べ始めている一人にも、

 綺麗な女性ねと問いかけると

「二人とも何言ってんだよ」

 と、全く興味がないような答えが返ってきた。

 そんな一人の態度に何故かほっとしながら

「オシラサマの物語の主人公みたいでしょ?」

 と、再度問いかけると

「だから!オシラサマかなんか知らないけど!

 俺達以外に、この食堂には客なんか誰もいないよ!」

 一人の言葉に、私と福ちゃんは見つめあい驚いた。


「うそ…座敷の奥に座ってお茶を飲んでいる

 美しい女性がいるじゃない」

 と言いながら小さく手でその場所を指差しながら伝えた。

「一人には見えないのかい?」

 と、福ちゃんが言うものだから、一人はムッとしながら

「あー!やだやだ!二人とも不思議病にかかっちまった〜」

 と病人扱いされてしまった。


 すると私の背中をちょんちょんとつつくものがある。

 ふと振り返ると、そこには

 昨夜泊まった民宿で衝撃的な出逢いをした、

 座敷カッパのたっちゃんが、大きな瞳をくりくりさせながら、

 ニッコリ微笑んでいた。


「マリサンヲミツケテクレタンダネ。

 ヤッパリハナエハエライネ。サアボクガアンナイスルヨ。

 イッショニヒダリマワリノマツリヲシヨウ」

「あっ!たっちゃん!突然現れるから驚くじゃない!

 あの美しい女性はマリさんとおっしゃるのね。

 美しい方ね」


 たっちゃんは大きなひとみをクリクリさせながら

「ヒダリマワリノマツリ」

 と、辿々しい日本語を話す外人さんの様な言葉で話しかけてきた。


「え?ひだりまわり?」

 私はたっちゃんに聞き返した。

「ソウ、ヒダリマワリダヨ。ハナエ」

 もっとくわしくひだりまわりの話を聞きかえそうとしたその時

「はなちゃん!」

 振り返ると呆気にとられて目をパチクリしたままの福ちゃんが立っていた。


「こっこっこれが、

 昨夜はなちゃんが話していた座敷カッパのタツヤくんかい?」

 どうやら今日は福ちゃんにもたっちゃんが見えるらしい。


「そう!たっちゃんよ、よろしくね」

 まるで、人間の友達を紹介するように福ちゃんに

 たっちゃんを紹介している自分が可笑しかった。


「はじめまして。かな?

 僕は、はなちゃんの友人で福山といいます」

 そういいながらたっちゃんと握手している。


 二人のやりとりを見ていたら、心の中にたっちゃんの声が響いてきた。

「マタココロノキレイナヒトガフエタネ、ヒダリマワリハソウイウコトダヨ」


 さっきまで私達を病人扱いしていた一人は、

 一部始終を見ていて、そこに誰かがいることはわかっているようだが、

 俺には関係ないことだと言いたげに、

 カメラを磨きはじめている。


 福ちゃんは昨夜の座敷カッパの事や。

 マリさんと名乗る美しい女性について、

 しきりにたっちゃんに質問しているが、

 当のたっちゃんは指で形を作ったり、

 くるりと一回転してみせたり、

 さすがの人間百貨辞典にも理解できない答えばかりが返ってきて困り果てている。


「あれ?・・・・」

 カメラを磨いていた一人が、

 私達にカメラを向けながら不思議そうにつぶやいた。


「さっきはなちゃんが、俺に言っていた綺麗な女性って、

 あそこに座っている髪が長くて着物を着ている人かい?」

「えっ!一人にも見えるの!」

 昨日は私一人だけが逢えた座敷カッパのたっちゃんが、

 今日になり福ちゃんにも見えて、

 更に一人までオシラサマに登場するような、

 あの美しい女性が見えると言い出したのものだから、正直驚いた。


 そして遠野の郷には、不思議な力が確かに存在していると言う思いが、益々強くなって来た。

「あー!でもな。カメラのレンズを通してなんだよ。

 カメラから目を離すとほら!見えなくなるんだよ」

 一人はそういいながら美しい人を何度も見つめていた。

 私はその様子を見て、心の何処かがチクリと痛んだ。


「たっちゃんが教えてくれたんだけど、

 マリさんと言う名前で、この伝承園に住んで居てね、今も馬神様ととっても仲良しらしいの」

 天に登った馬と娘さんは、

 今では、この郷の守り神となり、静かに時代を見つめているのかもしれない。

 永遠の愛。そんな言葉が浮かんだ。


「あー!!こいつだな!イタズラカッパは!」

 一人が今度はたっちゃんを見つけたらしい。

 たっちゃんはイタズラカッパと呼ばれてムッとした表情をしていた。


 私はそんな二人を見ていて、どこかしら似ていると思った。

「ところでたっちゃん、左回りって何なんだい?」

 福ちゃんもたっちゃんに左回りをしようと言われたらしく、

 たっちゃんの言葉を待っている。


「ヒラクコト」

 いったい何が開くことなんだろう?まったく見当がつかない

「イマニワカルヨ・モウスグネ・キット・・・」

 そう言うと同時にたっちゃんの姿はスーっと薄くなり消えてしまった。

 同時に座敷の奥に座っていた美しいマリさんの姿もやはり消えていた。


 これで三人が座敷カッパのたっちゃんの姿が見えるようになり、

 と言っても一人はカメラのレンズ越しだけど。

 やっと私だけ不思議ちゃん扱いを受けなくて済むと思った。


 そしてこの遠野の不思議な力は

 どうやら福ちゃんと一人にまで影響し始めたらしい。

 私達は伝承園の神々さまにお礼をのべ、

 ここから3分ほどのかっぱ淵に向かうことにした。


第七話・・・かっぱ淵①・・

カッパ淵は、常堅寺の裏手にある小川の淵を言い、

 その昔カッパが住んでいて

 人々を驚かし悪戯をしたと伝えられている。

 常堅寺はカッパに縁のある寺で、

 境内の左手にある十王堂の前には、

 頭が円形に窪んでいるカッパ狛犬が鎮座している。


 昔、寺が火事になった時、

 小川に住んでいるカッパが火消しをしたことから

 祀られるようになったとのこと。

 人間もそうだが、

 良いカッパもいれば、悪いかっぱもいる。

 遠野物語の中には、

 そのどちらも民話として伝わっているわけで、

 実際に私達が関わったカッパのたっちゃんは、

 良いカッパであることを私は願った。


 常堅寺の中には

 体の痛いところを撫でると痛みが取れたり、

 頭が良くなったりすると伝えられている

 オビンズルさまが祀ってある。


 その事を教えてくれた一人に「頭を撫でてきたの?」

 と聞き返したものだから、

 一人を怒らせてしまった・・・。


 なぜかいつも

 怒らせるようなことを言ってしまうのだろう

 ・・・ごめんなさい。

 と心の中で呟いた。


 常堅寺の裏は人影も少なく、

 木々の間から差し込む光と、

 どこからか時折吹いてくる湿った風と、

 サラサラと流れる小川のせせらぎ、

 仄暗い茂みの中には

 何かしらの気配を感じてしまう。


 小さな橋を渡り小川を眺めながら歩くと、

 右手に小さな祠があり

 中にはたくさんのお供物とカッパの像、

 そして一枚の男性の写真が掛けてあった。


「この人が有名なカッパおじさんかな?」

 福ちゃんが言った。

「有名な人なの?」

「そのようだね。

 確かカッパを捕まえたことがあるらしいと聞いたよ」

「へーそうなのね!」

「このおじさんが捕まえた時の事を参考にして、

 さっき見せた

 河童捕獲許可書の注意書きが作られたらしいよ」

 と言いながら、

 福ちゃんが自慢げに河童許可書を私に見せてくれた。


「福ちゃん!もしかして本当にカッパを捕まえるつもりだったの」

「当たり前だろう!せっかく遠野に来たんだからさ。

 でもさっき、座敷カッパのたっちゃんに会ってしまったから

 やめにしたよ。友達は捕まえられないだろう」

 そう言いながら福ちゃんが笑った。


「しっかし、河童捕獲許可書といい、

 このおじさんの写真といい洒落が効いているよな」

 お堂の中を撮影しながら一人が言った。


「そうだね、なかなか面白いアイディアだよね」

 福ちゃんが言った。

 私はさっきの事が心のどこかでモヤモヤしていて、

 一人の問いに返事ができないでいた。


「はなちゃん!たいへんだ!」

 祠の反対側にある茂みの中にある立て看板を見ながら、

 一人が手招きしている。急ぎ駆け寄ると

「美人はカッパに引き込まれる恐れがあります。

 ご注意下さいだって!」

 と一人が笑いながら読み上げた。


 ・・・あれ?怒ってないみたい・・・

 なんだか嬉しくなり、

 背中を丸めてきゃーといいながら逃げるふりをすると、

 一人も福ちゃんもそれを見て笑っている。


「さっきはごめんなさい」と一人に謝った。

「えっ!なんのこと」

 そういう一人の笑顔がとても眩しく感じられて、

 胸の奥の方が

 ぽっかりとあたたかくなるのがわかった。


「カッパおじさんは本当に、

 本物のカッパを捕まえたのかな?」

 福ちゃんが問いかけてきた。


 私は、昨夜出逢った座敷カッパのたっちゃんは、

 赤いカッパではなく、さらに民宿に住んでいるのだから、

 捕獲証明書の規定外だし、

 その前にあんなにかわいいたっちゃんを、

 捕まえるなんてできるわけがない


 ・・・そう考えていると突然!


「いますよ」とムッとした表情で、

 私達三人に話しかけてきた男性がいた。


 麦わら帽子をかぶり、

 歳の頃は四十代から五十代くらいで、

 名前は、内ヶ崎だと名乗った。


 私達が東京から、

 遠野物語百周年の取材で来ている事を

 福ちゃんが説明すると、

 自分はこのカッパ淵の祠の中にある

 写真の男性の孫にあたり、

 おじいさん、つまりはカッパおじさんが生前に、

 孫である自分に、

 話してくれた話を聞かせてくれるという事になった。

 私達はカッパ淵にあるベンチに腰掛けて、

 内ヶ崎さんの話を伺った。


第八話・・かっぱ淵②

「ある月の美しい晩に、

祖父が町まで買い物に行き、

すっかり遅くなったと馬車を走らせていると、

ちょうど常堅寺の裏の辺りの空に、

銀色の皿のような物がぽっかりと浮かんでいて、

なんだろうと見ていると、

皿のような物の中から何かが川に落ちるのが見えた。

こりゃ大変!と

急いで駆けつけ馬車を降り小川の淵を見てみると、

全身が緑色で人間によく似た姿をして、

目がやけに大きな生き物が小川を流れてくるのが見えた。

慌てて川から引き上げると、

どうやら怪我をしているようで苦しそうに唸っている。

祖父は持っていた手ぬぐいで

傷口をしばって手当をしてやり

自宅に連れて帰ったそうです。

それから三日三晩

祖母と交代で看病したのだそうです。

三日目の夜に、

全身が緑色で人間そっくりな生き物は目を覚まし、

祖父と祖母にこう話したそうです。

・・・ありがとうございます。

私はこの星から遥かに遠い

カッパーキューリ星からやってきたオーと言います。

助けていただいたお礼に、

未来永劫この家の幸せを約束します。・・・


そう言い残して、

迎えにきた、皿のような物に乗って帰って行ったそうです。

今となっては当の祖父母もこの世にいないので、

作り話なのかそうでないのかは、わからないのですがね」

内ヶ崎さんはそう話してくれた。


例えばどこか別の土地で、

この話を聞いたとすると、

作り話だと思うことが多いように思うけれど、

遠野でそれもカッパ淵で聞く話は本当の話のような気がした。


「凄い話ですね。教えて頂いてありがとうございます。

ところで内ヶ崎さんは

その緑色の生き物はカッパだと思いますか?」

と福ちゃんが訪ねた。


「はい、そう思います。

カッパーキューリ星のオーと名乗ったのを

カッパとキューリに聞こえたのだと思います。

だからカッパは、きゅうりが好物だと思ったんだと思います。

笑っちゃいますよね。

祖父は人を笑わせるのが得意でしたから、

作り話だって言われればそれまでなんですがね。」


内ヶ崎さんはきっと

お祖父様の事が大好きだったのだろう。

作り話だと言いながら

何処か心の奥の方でこの話を信じているように感じた。


「作り話にしては洒落が効いています。

そしてこの場所で聞く話ですから、

本当の話だと私は感じましたよ」

福ちゃんも内ヶ崎さんのお祖父様に対する気持ちを感じたのだろう

内ヶ崎さんは福ちゃんに笑顔を返した。

「ありがとうございます。

みなさんのつくられた百年記念のパンフレットも

必ずこの場所に置かせていただきますので、

是非完成したらまたおいでください。」

そう言いながら、

内ヶ崎さんは自転車に乗り橋を渡り風のように去って行った。


「カッパって・・・もしかして宇宙人のことかもしれないね」

福ちゃんが独り言のように言った。

「私も内ヶ崎さんの話を聞いていて、そうじゃないのかと思ったわ」

ここは民話のふるさと遠野、

たとえ内ヶ崎さんのお祖父様の作り話だったとしても

その方が絶対夢があると思った。


「そうだよな。皿のようなとか、

カッパーキューリ星とか。

緑色した人間の姿をしているとかだぜ」と一人がいう。


私は心の中で、

一人と福ちゃんの顔を緑色にして目を大きくしてみた。

すると驚いたことに、

座敷カッパのたっちゃんに二人ともよく似ている。

昨夜私が感じた感覚は、

まんざらでもないと思えた。

吹き出しそうになるのを我慢しながら、

このことは内緒にしておくことにしよう。


一人と福ちゃんはカッパ=宇宙人説で大いに盛り上がっている。

宇宙人そっくりな二人が宇宙人の話をしている。

私は二人に気づかれないように

下を向いたまま笑いを堪えた。


昔話と宇宙人。

過去と現在が一緒に同居している不思議な町・・遠野・・

やはりこの郷は何かが違う。

そう感じた。


福ちゃんと一人はカッパ淵の裏にある、

安倍邸跡を見てくるというので、

私はカッパ淵のベンチに腰掛けて二人を待つことにした。

カッパ淵を流れる小川の水量は、

間も無く始まる田植えのためか幾分多いように感じられた。

・・・ハ・ナ・エ・・・

この辿々しい話し方は

座敷カッパのたっちゃんだとすぐにわかった。

さっき伝承園で煙のように姿が見えなくなってから、

きっとまたすぐに会えると思っていた。

特にここはカッパ淵・・

心の何処かでたっちゃんが現れるのを、

心待ちにしている私がいたのも確かなことである。

「たっちゃん!さっきは急に消えちゃって

今まで何処に隠れていたの?」

・・・ハ・ナ・エ・ノソバニ・イツモイルヨ・・

たっちゃんが大きな瞳で私を見つめ返している。

「いつも?」

・・ソウ・スグソバニ・ソバニイツモイルヨ・・

「だから私が何処にいるかすぐにわかるの?」

・・ハ・ナ・エ・ボクタチノナカマダカラ・・

たっちゃんはそう言いながら、

誰かに返事をするみたいに、2回ほど小さく頷いた。

「仲間?私が?」

いったいどういう意味なんだろう?

さっきは一人と福ちゃんを、

カッパにそっくりだと思いこっそり笑っていたのに・・

私がたっちゃんの仲間ということは、

私もカッパだということなのだろうか?

えー!!!!

・・ハヤチネノカミサマノナカマダヨ・・・

「・・・・・・・・」

え?私が早池峰の神様の仲間?

いったいどういうこと・・・

たっちゃんの話は、あまりにも唐突すぎて、

私の頭は益々混乱していくばかり。

・・ハ・ナ・エ・オモイダシテ・・・

たっちゃんはそう言いながら、

悲しそうな顔をして、再び煙のようにその姿は、

スーッと薄くなりやがて見えなくなってしまった。


いったい何を思い出せというのだろうか?

私はたっちゃんが消えた後、

サラサラと流れるカッパ淵の川の流れを見つめていた。


「おーい!次行くぞー!」

一人の声で我にかえり、慌てて二人の後を追いかけた。

背中からカッパ淵の湿った風が静かに私達を見送った。

第九話・・・早池峰神社・・・



カッパ淵から県道160号線を、40分ほど山道を走った先に、早池峰神社がある。


途中、神遣神社にて山に入る挨拶と、

これからの取材の成功を三山の神々に祈った。


この神社にはこんな伝説が残されている。


ある時、母神様が三人の娘を連れて、

この神社にお泊まりになった時、

母神様に大神様がこう申された。

「遠野には、早池峰山、六角牛山、石上山という三つの山があるから、

娘たちにそれぞれの山を守ってほしい」

そしてさらに

「早池峰山が一番高く景色も良い山だから、

霊華の授かった娘に守らせてほしい」


次の朝、母神様は娘たちに

夢の御告げを知らせその晩眠りについた。


夜中、末娘が長女の胸の上に霊華が授かっているのを見て

横取りしてしまった。

次の朝、母神様は娘たちを見て、

末の娘に霊華が授かっているのを見て、

末娘に早池峰山を、次女に六角牛山を、

長女に石上山をそれぞれ守らせることに決めた。

長女の名前はオロク。

次女の名前はオイシ。

末娘の名前はオハヤと言った。

遠野の女たちは、

その妬みを畏れて今もこの山では遊ばない。」(参考資料 鈴木サツ昔話集 )


神遣神社は、よほど気をつけて行かないと

見逃してしまいそうなほど、

周りの景色に溶け込んでいて、

神社というよりも小さなバス停のような不思議な造りで、

山に棲むモノノケたちが、

早池峰神社にお参りに来るバス停のように感じられた。


道路の脇に滑り止めの砂を入れておく小屋が見えるが、

それがかろうじて目印になるくらいで、

木々の勢いが増す時期は、

よほど注意していないと見つけるのが大変なのではないかと思った。


「この真っ直ぐな道は天国まで続きそうだね」

福ちゃんが神社前の道を見つめながら言った。

「さっきバス停があったから、ここまでバスが登って来るみたいだね」

一人が来た道を振り返りながら言った。


一人の言葉に、私が感じたモノノケのバス停という考えも、

まんざら嘘ではないような気がして嬉しかった。


「天国へのバス停・・カミワカレ・・遠野らしくて良いかもね」

私の言葉に福ちゃんが

「僕はまだやりたいことがいっぱいあるから連れて行かないでくれぇ」

と言いながら一人にしがみついている

「はっはっはっ!ではその願い叶えてやろう」

一人が腰に手を当てて、

まるで天国の門番気取りで、福ちゃんの頭を撫でている

「二人とも、漫才はそのくらいにして、さあ!次行くわよ」

車に戻ろうとすると、目の前を、1台の路線バスが通り過ぎて行った。


早池峰山は標高1917メートル、

北上山地の最高峰で権現信仰の霊山である。


1300メートル付近は、

氷河時代を耐え抜いた高山植物の宝庫で

早池峰高山植物帯として特別記念物に指定されていて

ハヤチネウスユキソウが有名である。


早池峰山は前方にそびえる薬師岳の影となり

その全容を里から拝むことはできない。


「優しいけど険しい形だよね」

福ちゃんがフロントガラス越しの早池峰山を見つめている。

「早池峰山って、へ、の形に似ているわよね」

わかりやすく、山の形を表現するには、

ひらがなの、への形がぴったりだと私は思った。

「はなちゃん、もう少し美しい表現にしてくれないかな」

元山岳部で山を愛する一人が言う。

「じゃあ一人はどんな形がぴったりだと思うの?」

「へ」

その答えに三人とも爆笑してしまった。


目の前には、先ほどからの私達のやりとりを、へ、とも思わずに

流れるような曲線が美しい

早池峰山の尾根が見えていた。


「この川を渡った、あの杜の中が遠野の早池峰神社みたいだね」

福ちゃんが指差した先には、

鬱蒼とした杜が見えるばかりで、

早池峰山もそうだが全体を見ることは難しいそうだ。


どうやら早池峰の神様は、

よほど恥ずかしがりやなのかもしれない。

座敷カッパのたっちゃんが、

自分達を、早池峰の神様が優しく見守ってくれていると

教えてくれたこと思い出して、

きっととても美しく控えめな女神様なのだと思った。


神社脇には廃校になった旧大出小中学校がある。

ここには座敷わらしが住んでいて、

特別に部屋も用意されている。


近日中に、ふるさと学校として公開されるそうだが、

係の方にお許しをいただき、

神社と学校の間の道に車を停めさせていただいた。


階段を登ると早池峰神社と書かれた山門があり、

その脇にお不動様が祀ってあった。


夫婦のイチイの木の下から山水が流れている。

山門をくぐり杉木立の中をしばらく歩くと

早池峰神社のオヤシロが見えてきた。


ちなみに遠野の早池峰神社と

大迫の早池峯神社の違いは漢字の峰と峯で区別してある。

古からの決まり事のようであり、謂れはわからない。


お社の前は周りの杉木立の影響だろうか、

そこだけまるで、スポットライトを浴びているように明るい。


さっきのバスでやってきた神々が、

そこかしこで宴会でもしていそうな明るい気が漂っている。


しかし時折神殿の方から吹いてくるひんやりとした空気が、

ここが神社で御神域であることを気づかせてくれた。


山の形には険しさと、優しさが同居しているような

独特な雰囲気があるが、

やはりこの神社全体も同じなのだと思った。


「はなちゃん。早池峰神社は東西南北の登山口にそれぞれあって、

つまりそれぞれの郷の入り口にあるらしいから、

四つの神社があるらしいんだ。

元は円仁さんの開いた妙泉寺というお寺だったそうだよ」

福ちゃんがガイドブックを見ながら教えてくれた。


西の登山口・・大迫・・元池上院妙泉寺の早池峰神社

東の登山口・・江繁・・元新山堂の早池峰神社

北の登山口・・門馬・・元新山権現の早池峰神社

南の登山口・・上附馬牛・・元持福院妙泉寺の早池峰神社

更に山頂には奥宮が祀られている。


「どうしてそんなにいっぱい神社があるのかしら?」

私が福ちゃんに問いかけると、

しばらく考えた後

「それだけ大切にされてきた山なんじゃないかな。

資料によると、

古くから早池峰山は神々が宿る霊峰と捉えられていて、

死後魂がこの山に登ると信じられていたらしいよ。

それから古代から山岳信仰の聖地で、

男子は成人に達すると

七日間身を清め白衣に白袴を着けて早池峰登山に出かけ、

ようやく一人前と認められるらしい。

女達は早池峰神社の夏祭り迎えるまでは、

早池峰の神様に素顔を見せるのは畏れ多いと、

農作業するときは布で顔を覆って

野良に出かけたと書かれているよ」


目に見える世界と、そうでない世界、

その存在の有無は別として、

両方の世界でそれぞれに

大切な役目を果たしてきたであろう早池峰山。

古の人々は、

その重要性を深く理解して、

各登山口に神社を置き守護してきた。


福ちゃんの言葉を聞きながらなぜか、

私の心にそんな言葉が浮かんできた。


「ところで福ちゃん、

遠野の三山にはそれぞれ同じ神様が祀られているの?」

「いやそれぞれ別みたいだよ。

早池峰山の御祭神は瀬織津姫命。

六角牛山の御祭神は速秋津姫命。

石上山の御祭神は速佐須良姫命。

と書かれているよ」

「ちょっと待って!

私その神様達の名前をどこかで聞いたことがある

・・・・確かどこかで・・・」


しばらく考えて

「わかった!思い出した!」

私の母、松恵美は、

祖母の影響か神仏をとても大切にしていて、

毎朝仏壇に般若心経を、神棚では大祓祝詞を唱えていた。


母の説明によると、大祓祝詞は、

これを唱えれば全ての罪穢れが祓われるという。


私は、有り難い祝詞で、

難しい言い回しと長い文章に、

どうしても馴染めないままでいたが、

祖母や母が「オガミサマ」と言って大切にしていたので、

いつしか私も隣で聞きながら覚えてしまっていたようだ。


その大祓祝詞の中に、

この三人の姫神様は確か登場していた。


そのことを福ちゃんに伝えたら

「わかった!調べてみるよ」と返事をくれた。


門前の小僧のなんとかで、

母が毎日唱えている祝詞を

いつの間にか私も覚えてしまっていたらしい、

そのことに驚きながら、

信心深かった祖母と母に心の中で手を合わせた。


東北の夕暮れは予想以上に早く。

山びとに遭っては大変だと早池峰神社を後にした。


だんだん遠くなっていく早池峰山。

またいつか訪れる日を思いながら、

私はカッパ淵での、

座敷カッパのたっちゃんの言葉が、

どうしても気になっていた。


・・・ナカマダカラ・・・


今まで見えなかったものが見えたり、

聞こえるはずのない声が聞こえたり、

遠野に来てから体験した

さまざまなことを思い出しながら、

たっちゃんが言ったことと、

何か関係があるのだろうか?


続石の夢の始まりは、

一人から借りたあのトヨの占いの書だった。

私はとにかく初めから、整理して考えなくてはいけない!

とその時強く思ったのだった。


そしてこんなこともあろうかと

トヨの占いの書を持参していたことを思い出した。


自分の考えに迷いや悩みがある時に、

目を閉じてページを開くと

そこには、

まるで私の心を見透かすような言葉達が書かれているからだった。


私はバックから本を取り出し、

目を閉じてページを開いてみた。


そこには

・・・為すこと全て楽しみましょう・・・


解説には・・怖がらないで感じたまま、

全てお任せしてみましょう・・・とあった。


そうか、悩んでみたところで

簡単に答えは出てきそうにないし、

全てお任せが一番ということか・・。


だとしたら私は、

たっちゃんが教えてくれたように、

ハヤチネノカミサマの仲間だと云うなら、

むしろ、その証を見せてほしいと願うことにして、

次第に遠くなる早池峰山に向かい、手を合わせた。

「どうかハヤチネノカミサマ、私を導いてください。お願いします。」


「銀河の中を進んでいるみたいだね」

窓の外の景色を見て福ちゃんが言った。


宿のある市街地までは

一面田んぼが広がっている。

田植え間近の田圃にはたっぷりと水が蓄えられていて、

辺り一面湖のように見える。


「それじゃあ俺は銀河鉄道の機関士かな?」

一人が弾んだ声で答えた。

「では機関士様。安全運転でお願いします」


気になることは沢山あるけれど、

占いの言葉のように全てを楽しみに変える。

そう考えることも大切なことだと思った。


「次は民宿パハヤチニカ。パハヤチニカでございます。

皆様お降りの際はお忘れ物にご注意くださいませ、

本日は誠にありがとうございます。」


福ちゃんも一人も、

心の中には沢山の悩みを抱えていると思う、

けれどいつも楽しい雰囲気を忘れない。


窓の外には銀河のような景色が広がっていて、

街の灯りがまるで、

銀河ステーションのように私たちを迎えてくれた。


その日の夕食時には、

座敷かっぱのたっちゃんの姿はなく、

あのかっぱ淵で見た、

たっちゃんの悲しそうな表情が、

心に引っかかったままだったから、

現れてくれることを願っていた。


一人もどうやら同じ気持ちのようで、

たっちゃんに会いたいと、

仕切りに何度もカメラを構えてその姿を探していた。


けれどたっちゃんは

遂に現れなかった。

明日はいよいよ・・千葉家・・

そして続石の辺りを取材するという。


やっとあの石に逢える、

そう思っただけで

私はなかなか眠りにつくことができなかった。



誰かが歌っている。一人、二人の声じゃない。

大勢の人が歌っている。

それもかなりの大きな声で、いったい誰?

アー


オー


ウー


エー


イー


大きな石の周りを大勢の人々が等間隔に並び、

円を描くように座っている。

二重、三重の大きな和だ!

声を整え、

体を左右へ大きく振りながら、

時に高く、時に低く。



アーカー


アーマー


単純な言葉の連続ではあるが、何処か酷く懐かしい。


モートハモトヘ


ハジーマリハ


ハジーマリへ


ヒラクウタ


ツヅクウタ


アー


オー


どうやら繰り返し、繰り返し、

この歌は時を超えて歌われているらしい。

まるで神の出現を待っているように、

そう何かの儀式のように。


私はその様子を大きな石を正面として、

左側の一番後ろの高い位置から見守っていた。


大きな石の前には光に包まれている光輝く女性が居て、

まず初めにその女性が歌い、

それを円を描くように座っている

大勢の人々がこだまのように追いかけ、

次第に歌声は大きくなっていく。


そしてまるでその声に応えるかのように、

どこからか光の粒子たちが集まり、

光り輝く女性の周りで歌声に合わせて

ダンスをしているようにリズミカルな動きをしている。


車座に座っているひとりひとりの腰には、

一本の赤い糸があり、

その糸を隣り合わせたもの達がお互いに結び合い、

光り輝く女性を取り囲むように全員がつながっていた。


・・・キズナ・・・


と誰かが私の耳元で囁く、

その赤い糸はそう呼ばれているらしい。


人々の着ている服装から、

古代の日本なのかもしれないと思いながら、

振り向いた光り輝く女性の顔を見て私は驚いた、

私にそっくりな女性がそこにいたのである。


教科書に古代の女性たちの服装が掲載されているが、

目の前いる私にそっくりな女性の服装は、

まさに教科書どおりで、

生成りの直線断ちの衣装を身に纏っていた。


更にその衣装の周りにはスパンコールのように

光の粒子が纏わり付き、

更には私にそっくりな女性は、

光の粒子を独特の声で操っているのがわかった。


アー


と言う声の時は光の粒子たちは左に周り。


カー


という声の時は螺旋を描く。


ハッとして目が覚めた。


しばらく呆然としながら、

夢だと理解するまでに少し時間が必要だった。


今のはなに?


私がいた。

確かに私そっくりな女性がいた。


そして、やけに懐かしい歌だった。


さらに私の頬が濡れていることに気が付いた。

何故泣くのだろう

そして私は、無性に夢の中に帰りたいと思った。


カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。

今日も遠野の郷の神々たちは私たちを

歓迎してくれていると思った。


第十話・・・千葉家・・・三日目

 朝食の後福ちゃんが、

 今日の取材先の続石について、

 宿の御主人のモトさんから、

 折角だから、

 山道を登るコースを勧められたと教えられた。


 山道という言葉に

 一番に反応したのは一人だった。


 モトさんの話では、

 続石へ向かうには

 鳥居を潜り、険しい大岩だらけの修験者が歩いた道と、

 なだらかなハイキングコースの二つがあるという。


 山道を苦労して登ってこその感動があると言うことで

 モトさんは修験コースを進めてくれたらしい。


 いずれのコースにも

 熊よけの鈴や笛が必要とのことだった。

 今年は例年になく熊の目撃情報が多いらしく、

 今日はその買い物をして、

 明日、万全の構えで出かけてはどうかと

 福ちゃんからの提案だった。


「そうしよう!」一人が即答している。

「そうしましょう!モトさんが言う感動を私も味わってみたい」

 福ちゃんがほっとしたような顔をこちらに向けている。

 私がどれだけ、続石との対面を楽しみにしているかをわかっているから、

 私の返事が気になっていたのだろう。

 その心遣いが嬉しかった。


「はなちゃんありがとう。それじゃそう決めるよ。

 その代わりランチは

 宿の御主人モトさんのお勧めの

 遠野名物ジンギスカンを僕がご馳走するよ」

 私と一人は両手を上げて

 万歳!万歳!万歳!よっしゃー!!!と声を張り上げ喜んだ。


 私は今朝の夢のこともあり、

 今日の続石行きが延期になり

 なぜか安心している気持ちと、

 今すぐにでも逢いたいと言う気持ちが入り混じり

 複雑な気持ちになっていた。


 国道396号線を盛岡方面へ向かい

 車で十分ほど走ると

 小高い丘の上に

 大きな茅葺き屋根の曲がり屋が立っている。

 国指定、重要文化財・・千葉家・・である。


「曲がり屋というのは、L字型の家のことで、

 人間の住む母家と馬小屋を直角に連結した農家を言う。

 屋根は萱で葺き、周りは土壁で塗りつぶし、

 柱や貫だけを露出させる。

 遠くから眺めると

 自然の風景に溶け込んで

 小さな山や丘に見えたと伝えられている。

 約八百坪の敷地の中に、

 曲がり屋を中心に

 土蔵、納屋、社があり、

 かつては作男十五人、馬二十頭を有していた。

 言い伝えによれば、

 飢餓の時や農閑期のために

 現在でいう失業対策として建てられ、

 完成まで十年間、

 村の子供も老人も人夫として作業に携わり、

 その糧を得た。」(参考資料 遠野市観光協会パンフレット)


 福ちゃんが、昨日観光課でいただいた

 千葉家のパンフレットを片手に説明してくれた。


 岩手は藩政時代、

 南部藩と伊達藩の二つ藩に分かれていたが、

 特にこの南部藩においての飢餓の歴史は

 壮絶を極めたと以前に本で読んだことがある。


 この遠野の郷も宝暦(1755年)から三年続いた大凶作で

 人口の四分に一が餓死したという。


「一つの哲学だよな」

 福ちゃんがガイドブックを見つめながら呟いた。


「南部曲がり屋は、深雪から馬を守るために

 家族の一員として世話をするための造りになっているし、

 それと小作人以外の村人たちを餓死させないために、

 仕事を与えたのだろう。

 僕は千葉家の当時の当主を尊敬するよ。

 自分達の事しか考えない

 今の政治家たちをこの当主に再教育してもらいたいね。」

 珍しく感情を表に出す福ちゃんに私は驚いた。

「今の世の中にこそ、

 この千葉家の当時の当主みたいな人に

 生きていてもらいたかったよ」

 私も強く頷いた。


 小さな村の一人の地主が、

 自分の土地を守るために行った事業は、

 当時の遠野に郷の人たちを

 どれだけ笑顔にしたのかは、

 想像に容易い。


 千葉家は現在も住居として実際に使用されており

 立ち入り禁止区域もある。

 だからだろうか

 建物が今でも生きているように感じた。


 母家の脇には蔵があり、

 更にその脇の坂道を登ると

 お稲荷様を祀り小さなお社があった。

 家人の幸せと

 村人の幸せを毎朝祈っていたのだろうか。


 私の祖母の家の裏には

 弘法大師様所縁のお社があり、

 祖母は毎朝欠かさずに祈りと清掃を忘れなかった。


 そんな祖母や母の背中を見ていたせいか

 自然に神仏を大切にする気持ちが

 私に宿っていたのだろう、

 神社仏閣の前を通る時には、

 一礼するのが習慣づいている。


「なんだ!また巫女様をやっているのか」

 お社の前でお辞儀をしている私を見て

 一人が言った。


 一人とあちこち取材に出かけた時、

 私が神社の前で、いちいちお辞儀をするものだから、

 それを見てからと言うもの、

 私を巫女様と呼ぶようになっていた。

 実はそう呼ばれるのはけっこう気に入っている。


「いいじゃない、神仏を大切にすることは良いことよ」

「誰も悪いとは言ってないよ。

 俺はそうやって、自然や神仏を大事にするはなちゃんが、

 偉いなぁって思っただけだよ」

 一人が私の横に並びお社を見つめながらそう言った。

「あっ・・ありがとう」

 良かれと思っていることを褒められて嬉しかった。

「あれ、今日はやけに素直じゃないか、

 いつもそうやって素直だと俺は嬉しんだけどな」

 なんだかこそばゆくて、

 素直に一人の顔が見られなかった。

 目を合わせないまま私はお社に向かい手を合わせた。

 一人も並んで手を合わせた。


 お祈りが終わり目を開けると、

 一人が驚いたような顔で私を見ている。

「どうかしたの?」

「いや、なんでもない」

 一人はそう言ったっきり

 さっさと早足で坂を降りて行ってしまった。

 ・・・なんだ?へんなやつ・・・


 千葉家は高台の城壁のような石垣の上に建っている為に、

 見晴らしもよく見える景色も美しい。


 都会で暮らしていると滅多に感じることのない、

 風が木々や草花の間を通り抜ける音や、

 雲がいろいろの形に姿を変えながら流れる様や土の匂い。

 陽だまりの温かささえ都会とは違うように感じる。


 久々に感じる懐かしい感覚に、

 小さい頃暗くなるまで、

 草はらで遊んでいたことを思い出していた。


 一人は既に車に戻り運転席に座っている。

 さっきの突然の態度が気になって

 理由を聴こうとしたけれど、

 一人の背中がそれを拒否していた。


 千葉家から車を市街地に向けて走らせると、

 美しい景色がフロントガラスいっぱいに広がり、

 私は後ろの座席から前のめりになりながら見つめていた。


 そこには、

 太陽の光がやさしく輝き、

 ちょうどすり鉢の底のような町全体を、

 薄い絹布が包み込んだような幻想的な景色が広がっていた。


 この里が・・民話の郷・・と云われるのは

 この景色が一つの所以ではないかと思った。


 本当に龍が悠々と上空を飛んでいても

 おかしくないと感じたからだった。


「なんだか仙人になったような気分になる景色だね」

 どうやら福ちゃんも、この景色に魅了されているようだ。

「福ちゃんの仙人姿・・・良いかも」

 笑いながら私が言う。

 いつもなら間髪入れずに茶化す一人は

 さっきから前を向いたままなのが気にかかった。


「遠野の郷はその昔、湖の底だったと伝えられていてね、

 遠野・とおのの語源はアイヌ語で・・トオヌップ・・

 湖のある丘原という言葉に由来するらしいよ」

 福ちゃんが遥か彼方に見える、

 山の稜線を指でなぞりながら教えてくれた。


 私は遠野という言葉になぜか

 ノスタルジーを感じてしまう。

 わけはわからないのだが、

 心の底の遠いところにあるもの。

 既に忘れていた想い、

 いつか来た場所、

 またいつかくる場所、

 そして思い出に出会う場所。

 もし遠野の郷を守護している何かに問える時が来たら、

 遠野という場所の意味を聞いてみたいと思った。


 それにしても気にかかるのは一人の事だった。

 千葉家の神社の前から突然に走り出したかと思うと、

 そのまま運転席に座り黙り込んだままなのだから。

 いつもなら、

 私や福ちゃんの揚げ足取りをして茶化すのが

 彼のお決まりのコースなのに、

 いったいどうしたというのだろうか?

「一人、どうかしたの、お腹の具合でも悪いの?」

「違う」

「わかった!お腹がすいたんでしょ!」

 わざと茶化すように言ってみた。

「違う!」

 今度はさっきより強い口調で返事が返って来た。

 いつもの一人と違う険しい顔がバックミラーに映っている。

 いったい何があったのだろうか?

「なによ!人が心配しているのに

 急に大声出して、びっくりするじゃない」

「ごめん」

 今度は素直に謝るものだから、

 ますます一人の気持ちが解らない。

「慣れない道をレンタカーで運転しているから

 一人も疲れたんだろう。

 あの信号機のある交差点を左に曲がってくれないか、

 道の駅・・風の丘・・で一休みしよう。」

 福ちゃんの一言が車内の雰囲気を変えてくれ、

 私は心の中でありがとうと呟いた。


 国道396号線から、

 国道283号線へと左折した道は、

 猿ヶ石川と並行して走る道で流れる景色も美しい。


「この辺りは・・綾織・・という地名がついていてね、

 天女が織った曼荼羅が名前の由来らしいよ。

 その曼荼羅が納められているのが光明寺という寺でね、

 実際幾何学模様に、

 つまり綾に織られた布が伝えられているらしいよ」

 福ちゃんが教えてくれた。


「遠野に来て今日で三日目だけど、

 本当にそこかしこに・・遠野物語・・の世界が

 今も実在しているのには驚くばかりよね。

 天女が織った布が今も残っているって・・・・。」

「そうだよね。僕も実際に遠野に来てから時間が、

 いや次元が違う世界に迷い込んでいるんじゃないかって

 思うことが続いていて本当に驚いているんだよ。 

 遠野物語は今の生きている。

 本当にそう感じなくてはいけないような気がするんだ」

「わかる!そうだよね!

 初めて遠野の駅に降りた時から、

 なんだか不思議な感覚があったんだけど、次元が違う・・・

 確かに!そう思うよ。

 だとしたらこの郷に暮らす人々は、

 不思議な国の住人ってことになるのかもね」

 さっきまでの気まずい雰囲気は、

 遠野の郷の不思議な時間の話題のおかげで、

 すっかりと変わってくれた。


 遠野には不思議な時間が流れている。

 本当にそう思った。


「あの大きな風車が見えるだろう。

 あそこが道の駅遠野風の丘だよ、

 遠野は別名風の町と呼ばれていてね、

 あの風車は風力発電に使うらしいよ。」


 小高い丘の上に

 風車が1台勢いよく回っているのが見える。

 福ちゃんがその風車を指差しながら教えてくれた。

 平日と言うのに観光バスや、

 沢山の車で駐車場は溢れていた。

 遠野の町の名物や特産品、新鮮な野菜、地ビールまでもが

 ここで総て揃い、

 更にレストランまで併設されていて

 遠野の名物がいただけるとあっては

 遠方からやってくる観光客にとっては、

 ありがたい場所だと思った。

 レストラン前では、

 ・・遠野物語百年フォトコンテスト・・が催されており、

 どの写真も美しい遠野の景色が納められている。


 私はその中の一枚の写真に、

 目が釘付けになってしまった。

 お祭りの衣装に身を包んで

 輝くような笑顔の女性の姿が美しい。

「綺麗・・・」

 とほぼ独り言のように言ったつもりだった。


「はなちゃんの方が綺麗だよ」

 いつの間にか一人が私の隣に居て、

 らしくない言葉をいうものだから、

 言い返えしてやろうと一人の顔を見たら

 いつになく真面目な顔をしてこちらを見ている。


「どうしたの・・・らしくないじゃん・・」

 そう切り返すのがやっとだった。

 一人は何か言いたげな顔を一瞬見せた後、

 そのまま外へ出て行ってしまった。

 ・・・へんなやつ・・・


 その時、福ちゃんが明日のために

 熊よけの鈴と笛を買いもどってきた。

「一人を見なかったかい?」

「さっきまでここに居たんだけど、駐車場の方へ出て行ったわよ」

 会社へのお土産を何にしたらいいか相談したかったらしい。

 私も福ちゃんと一緒に一人を探しに外に出た。


 一人は風の丘のシンボルである、

 風車の前に立ったまま身動きせずに、

 風車の羽が勢いよく音を出しながら回るのを見つめていた。


 福ちゃんと私は目で合図しあい

 静かにその場を立ち去った。


 一人が会社でも

 気分転換と言いながら

 屋上で風に吹かれているのを知っていたからである。

 福ちゃんは再び、

 土産物選びに建物の中に戻り、

 私は風車の近くのベンチに座り、

 一人の気持ちが落ち着くのを待つことにした。


 突然に怒り始めたり、

 優しくなったり、いつもの一人らしくなかった。

 いったい何があったのだろうか。

 一人は相変わらず勢いよく回る

 羽を見上げたまま身動きひとつしない。


 確かこの道の先には

 宮沢賢治の風の又三郎の舞台となった

 種山高原があったはず、

 一人の今までのイメージは仁王様だったけれど、

 今の一人の背中を見ていると風の又三郎と重なって見える。

 ・・・今度から又三郎って呼ぼうかしら・・・

 我ながらぴったりのイメージができたと思った。

「なに、ニヤニヤしているんだよ」

 といつの間にか目の前に一人が立っていたものだから

「マタ・・・別に・・」

 危うく又三郎!と言いそうになり焦った。


「気持ちは落ち着いたの?

 さっきまでいつもの一人らしくなかったから

 福ちゃんと心配していたのよ」

 心の内側を探ることは失礼なことだとわかってはいるけれど、

 千葉家で見せたあの表情がどうしても気になってしかたがなかった。


 少しの沈黙の後、

 一人は私と目を合わさずに、

 何かを探すように宙を見つめながら、

「さっき・・

 はなちゃんが消えちゃうんじゃないかって・・・・

 それで急に怖くなったんだ」

「え!私が・・・・いつ・・・」

 相変わらず一人は私と目を合わせない。

「さっき千葉家の神社を一緒にお参りしただろう、あの時だよ。

 俺の隣にいたはなちゃんが、

 古代の女性が来ているような白い衣装を着て、

 頭には金色に輝く王冠を着けて俺の隣に立っていたんだ。

 凄く綺麗だった・・・・」

 一言一言、まるで噛みしめるように一人が話した。


 昨夜の夢で見た私の姿を

 一人がすっかり同じに話したので、

 正直私は驚いた。


 不思議な夢の話を一人に聞いてもらおうと思い

「実は・・・・」と言いかけた時、

 買い物から福ちゃんが戻ってきて

「おーい!昼飯にしようぜ」

「おっ!いいね〜お腹ぺこぺこだよ」

 と答える一人を見て、

 すっかりいつもの一人に戻っているのを確認したのか、

 福ちゃんも安心したようだ。

 又三郎・・・じゃなくて

 一人はジンギスカンの歌を歌いながら車へ走っていった。

 私たちもその後ろを追いかけた。


第十一話・・早池峰構造体・・

風の丘から車で十分ほどのところにある

ジンギスカン専門店・・エンドウ・・


ここは宿の御主人のモトさんが

遠野に来たからには是非!と

推薦してくれたお店である。


駐車場に車を停めて、車のドアを開けた瞬間に

ジンギスカンの肉の焼ける匂いが辺り一面に漂っていた。


ジンギスカンは遠野の名物になっていて、

自宅でも気軽に楽しめるようにと、

ブリキのバケツを改良した

コンロとジンギスカン専用の鍋がセットになったものが、

近くのホームセンターで販売されている。


平日だと言うのに店内は混雑していて、

幸いモトさんが、

あらかじめ予約を入れておいてくれたおかげで、

直ぐに席に着くことができた。


運ばれてきた肉を、私がロースターに乗せ、

焼けた!と思った瞬間に消えていく。

一人はよほどお腹が空いていたのだろう、

驚くようなスピードで、

あっと言う間に二人前のジンギスカンを平らげてしまった。


美味しい食事は、

自然と人を笑顔に変え幸せにしてくれる。


そんな幸せな気持ちに気が緩んだのか

今回の旅で感じた想いを福ちゃんに聞いてみたくなった。


「福ちゃん一つ聞いてもいいかな?」

「なんだいはなちゃん、改まって」

「遠野物語って今も生きているような気がするの」

「生きている?それはどう言う意味なの?」

「う〜ん。どう表現したらいいか迷っているんだけど、

物語の世界が今も同時進行しているような・・・・。

そんな気持ちがするの」

箸を置いて福ちゃんは、

いつものように頬を手に当て考える様な仕草をした。

「すんごく抽象的な話になるかもしれないけど、

伝説と俗に言われていることが、

ちゃんと足音を鳴らして聞こえてくる。

そんな感覚は実は僕もあるよ。

例えばさっきの光明寺の布もそうだったけど、

なんでもない鳥居だったり、

沼や川にまつわる伝説なんかにもね」

思い切って聞いてよかったと私は思った。


するとほぼ三人前のジンギスカンを

ひとりで平らげた一人が、

「山だよ」

と突然ポツリと呟いた。

「え・・・?山、それってどういう意味」

福ちゃんが聞き返した。

テーブルにはデザートのイチゴが運ばれてきて、

福ちゃんがホットコーヒーを三人分注文している。

「俺たちは列車で来たから気がつかなかったけど、

さっき千葉家の帰りに

遠野の郷全体を見下ろした時に感じたんだよ。

この土地は人間の住処ではなく、

神々の集落だってね。

俺は気功なんて知識はないけど、

よく気が見える奴らが言うだろう。

ここは良い気があるとかないとか、

気が全く違う場所だとか。

パワースポットだとか。

なんも感じない俺が

ここは俺たちの住む世界と、

別な気が流れている場所だって感じたんだよ」

思いがけない一人の言葉に

私も福ちゃんも驚いた。

まさか一人がこんなことを言うなんて・・・

「そうか・・・一人がそう感じたなんて

ちょっと意外だけど、

やっぱり遠野出身のお爺さんの血が、

教えたのかもしれないな」

と福ちゃんが言った。

「俺自身が一番驚いているんだけど、

どう表現して良いか、言葉が見つからないんだけど、

山に護られ川に清められ、

昔から人の往来は多かったらしいけど、

外からやってきた人の気まで浄めてしまう、

そんな場所の様な気がするんだよ」

私と福ちゃんは、

一人の言葉にしばらく黙ったままだったが、

ほぼ二人同時に

「一人!すごいよ」と感嘆の声を上げた。


「神々の集落!うん!うん!

まさにそんな感じだよね。

一人!!!すごいよ!

あの夢に誘われて遠野に来た私だけど、

たった三日しか経ってないんだけど、

宿の御主人や係のご婦人まで

みんなすんごく優しいよね。

さっき福ちゃんが遠野は湖の底って教えてくれたんだけど、

それって人間としての底の部分を言っている様な気がして、

この里の人々は

昔からそれを大切に守り抜いているような、

そんな気がしたもの」

「うん!はなちゃんの言う通りだよね。

みんなものすごく優しくて、あったかいんだ、

昔からの心を大切にしているのと、

それにプラスして、

新しい街並みも

不思議と違和感なく良い具合に混ざり合っていて、

本当に魅力的な町だよね」

店内のあちこちに染みついているジンギスカンの匂いの様に、

私たちの心の中にも遠野の郷の暖かさがじんわりと沁みてきた。


「山か・・・・そうか!そうだよな。

山で思い出したんだけど、

僕の友人で地質に詳しい松澤っていう奴がいてね。

この岩手の地質はかなり特別らしいよ」

「えっ!そうなんだ。でもさ、

山から地質の話にいきなり変わるあたり!

さすが福ちゃんだよね」

「俺も福山らしいなと思ったよ」

この切り返しの速さが福ちゃんの冷静な仕事ぶりを物語っている。

「北上山地は日本列島が出来る前は

大きな島だったらしいよ」

「え!それって北上山地は日本列島より古いってことなの?」

「つまりそういうことなんだけど、

はなちゃん、少し落ち着いて聞いてくれないか」

私はデザートのイチゴ用のフォークを

振り回していたことに気がついて、

慌てて皿に戻した。

「ごめんなさい、続けてください」

福ちゃんは笑いながら

うんと頷き続きを話し始めた。


「宮沢賢治が愛した緑色の石があってね、

名前を蛇紋岩と言うんだ。

蛇紋岩は変わった誕生の仕方をするらしく、

地球の地殻の下部や、

更に下のマントルと言われる部分の

上の方にあるカンラン岩が、

地殻変動で水と反応してできるらしいんだ。

つまり、

決して地表に現れる事のない石が

岩手の中央部で

巨大な早池峰山になっている!

これだけでもすごい話だろう」


「へー!早池峰山って

蛇紋岩でできた山なのかい!

そりぁすげぇな。

俺たちも山に登るときは

地質について一応は調べるけど、

そうか・・・早池峰山の地質か・・・」


福ちゃんはバックの中からメモ紙を取り出して、

三層に分けた山の絵を描いた。


「石の話はまだ続きがあるんだよ。

この早池峰山系の地質はね、

蛇紋岩の下に、

浅い海で珊瑚や貝が積もってできた、

石灰岩のマグマが熱を加えて出来た大理石と、

更に薬師岳から南に広がる巨大な岩の連なりは、

燃えたぎるマグマが、地下深くでゆっくり固まり、

侵食により地表に顔を出した花崗岩でできているんだよ。

早池峰山周辺では、

花崗岩、大理石、そして蛇紋岩の三つが

東西に伸びて分布しているんだ。

もう一つ加えると

元々石灰岩は日本周辺で造られた岩石ではなく、

はるか南の海からやってきたものだそうだよ。

どうだい!すごいだろう!でもまだまだ序の口だよ」


「まさに地質のミステリーみたいね!

いったいどのくらいの時間を

岩手の地質は旅をしてきたのかしら。

すごいところで私って生まれていたのね。」

「そうだよ、はなちゃん!

ここの地質は本当にすごいんだよ。

僕も松澤に聞いた時はとにかく驚いて!

いつか訪ねてみたいと思っていたんだ。

それでさ、盛岡から早池峰山を挟んで

釜石に抜ける帯状のものを想像してくれるかい?

それを地質学的には早池峰構造体と呼ぶらしいんだ。

更にその帯状のものを真ん中にして、

北上山地は北部と南部に分かれていて、

全く別物の地質構造からできているらしいんだ」


福ちゃんはコーヒーのおかわりを注文した。

「つまり、サンドウイッチみたいになっているのね。」

私にもコーヒーのおかわりを勧めてくれたが要らないと手で合図した。

「おっ!はなちゃんいい表現だね。

確かにそう考えるとわかりやすいね。

ライ麦パンの北部と

普通の食パンの南部の間に

ハムがはさんである。そう考えてくれるかい」

一人もコーヒーのおかわりをお願いしていた。


「そのハムの部分がいわゆる早池峰構造体で、

宮沢賢治のお気に入りの蛇紋岩でできているらしいよ」

「でもどうしてそれが

遥か彼方の南の島から来たってわかったんだい?

違う場所って可能性もあるんじゃないのか?」

一人が切り返している


「おっ!こりゃまたいい質問がきたね。」

そう言いながら福ちゃんはテーブルを軽く叩いた。


「ライ麦パンの北部は

今から二億年まえにアジア大陸の海洋プレートが、

大陸プレートの下に沈み込む形で産声を上げたんだ。

普通のパンの南部は

遥か五億年目に、

オーストラリア周辺のゴンドワナと言う超大陸の

北の部分の浅い海に位置していたんだ。

やがて地殻変動が起きて、

およそ一億数万年前に南北がアジア大陸近くで合体、

その後2000万年から1500万年位前に大陸から分離して

・・北上島・・となり、

やがて出来たばかりの日本列島に吸収され

隆起して北上山地になった。」


「なるほどね、つまり南の大陸から分離したものが島になったってことか」

「そう言うこと」

「因みに普通の食パンの南部は、

列島に紛れ込んだ異物の様な存在で、

他に比べて年代が異様に古く、地質学的にも世界から注目されているらしいよ」

「そうすると、

南部と北部が合体した時の歪みが、

早池峰構造体の蛇紋岩を表面に出す働きをしたのかい?」


「それに関してはいろんな説があるみたいだけど、

僕たち素人が考えても、一人の考えが妥当だと僕も思うよ」


「岩手って凄い土地だったって

福ちゃんの説明でよくわかったわ。ありがとうね」

「はなちゃんの故郷は

確か普通の食パンの県南地区だったよね。

遥か南半球から旅をしてきた部分だね。

その頃の地球はどんなだったんだろうね。」

「福ちゃん、私ね、

岩手出身って言うと上京したばかりの頃

よくクラスメートにばかにされていたの。

電気って知ってる?だとか、

川の水で洗濯しているんでしょ、とか・・・。

そいつらに、今の話を聞かせてやりたい!

岩手ってすげーんだぞ!!!って」

私があんまり大きな声で言うものだから、

一人も福ちゃんの落ち着けと手を上下させている

私は慌てて口を押さえた。


「おっ!明日は雨かもしれないな・・・

雲が西に流れていく」

と窓の外をみながら一人が言った。


「え!やめてよ〜明日はやっと

あの岩に逢えるって喜んでいたのに・・・」

不味いことを口走ってしまったと

一人がバツの悪そうな顔をしている。


一人は山岳部出身で気候の予測を得意としていた。

・・・お願い明日は晴れてください・・・と

もしかして側にいてくれるかもしれない

座敷カッパのたっちゃんに心の中でお願いする私がいた。


すっかりお腹もいっぱいになり、

気前よくご馳走してくれた福ちゃんに一人と二人整列して

「福山隊長!ご馳走様であります」と敬礼をした。


その姿に福ちゃんがやめてくれ〜と逃げたので、

その後ろを一人が追いかけ、

まるで二人で鬼ごっこをしているようだ。


会社のディスクでは、

常にクールで難しいそうな顔ばかりしている福ちゃんが、

この遠野の郷に来てからはまるで別人のようになっている。


これも遠野の郷の不思議な力のおかげなのだろうか。

私は、すっかり三人で周る遠野の町が大好きになり、

あと数日この郷にいられたらいいなと思った。


食事の後の鬼ごっこで大笑いした後、

私たち一行は車に戻り、松崎地区へ向かうことにした。


窓を開けると優しい風が頬を撫でた。


「これから周る松崎地区は

特に石碑が多いから見落とさないようにね。」

そう言いながら、

福ちゃんがさっき道の駅でいただいた遠野マップを渡してくれた。


・・・清心尼公の碑・・・


・・・阿曽沼公歴代碑・・・


・・・飢餓の碑・・・


・・・妻神の碑・・・


遠野マップを見ただけでもこれだけある。

「本当に石碑が多いのね。

遠野物語を書いた柳田國男氏も確か冒頭で・・

路傍に石塔の多きこと諸国その比に知らず・・

と描いていたくらいだからね。

でもどうしてこんなに石碑が多いのかしら?」


「石碑の多くは魔除けの働きをしていたようだよ。

だからほら昨日も

昔村だった所の境に

たくさん並んでいただろう。

それと山伏たちが

登山の祈念に奉納したらしいよ」

私の田舎にもそういえば沢山の石碑が立っている。

あれは昔の村の区切りだったりするのか・・


いつか時間がある時に

調べてみるのも楽しいかもしれないと思った。

第十二話・・・諏訪神社・・・清心尼公碑・・・

283号線を風の丘方面に向かい橋を渡り

サイクリングコースの少し向こうに、

周りの景色に溶け込むように

小さな木の看板が立っている。


それが松崎地区への案内板だと気がついたのは

通り過ぎた後だった。

急ぎUターンして左に曲がると道幅は急に狭くなり、

のどかな田園風景が広がりはじめ、

程なく、左側に諏訪神社と清心尼公の墓(碑)の

案内板が立っている。

「うわっ!この坂を登るのかい」

と一人があまりの急勾配の坂道をみて声をあげた。


神社までの坂道は距離にしたら、短い道のりではあるが

下から見上げると、かなりの急勾配で、

さすがの名ドライバーの一人を驚かせていた。

「大丈夫!一人の運転技術なら大丈夫だよ!

さあ頑張ってみよう!」

福ちゃんの言葉に合わせて私も一人に声援を送った。

「一人!頑張って〜」

「よ〜し!頑張りますか!我は神なり愛と光なり!」

そう掛け声を上げながら

車のエンジン音が一瞬高唸り、

急勾配をやっとのことで登ることができた。


登った先には民家があり、

ちょうど外にいた家の方にお許しをいただき、

お庭に車を停めさせていただく事ができた。


車を停めた場所からすぐの場所に、

1メートル程の幅と、奥行き20センチくらいの

狭い階段が30段ほどあり、

登った先に鬱蒼とした杉木立に囲まれた鎮守の杜があった。

諏訪神社である。


「小さな神社だけどどこか威厳のあるお社ね」

「そうだね、まさかこんな場所にあるなんて

ちょっと意外な感じを受けるね、

鎌倉時代遠野を治めていた

阿曽沼家の守護神として祀ったのが始まりらしいよ。

当時の当主が承久三年(1221年)に起きた、

承久の変に出陣した時に諏訪湖畔で

一夜の宿を取った時に

諏訪大神からお告げがあり、

蛇妖を退治して神剣を賜り、

横田城の南に御堂を建てて祀ったのが始まりらいね。」


「諏訪神社って今の長野県のことよね。

そんな遠くまで戦に出かけていたなんて凄いね」


「実はその神剣には

紛失すると不吉なことが起こる

と言う言い伝えがあったそうなんだけど、

横田城に遠野からお城を移築するときに

神剣が紛失して、猿ヶ石川が赤く濁ったらしいんだよ。

重臣たちは移築に大反対したらしいけど、

当時はお殿様が決めたことに反対はできないから

結局移築は強行され、

結局阿曽沼家は滅亡したらしいんだ、

切ない話だよね」


神社の敷地内は

今でも綺麗に清掃されていて、

春の草花の澄んだ香りが境内に溢れていて、

とても清々しい。


「重臣たちが大反対したのに

お殿様はどうして移築を強行なさったのかしらね」

「それは、この猿ヶ石川が結構な暴れ川だったらしいから、

それが一番の理由らしいよ」

「暴れ川?」

「うん、今は護岸工事をするのが当たり前で、

堤防を築いたり、セメントで岸を補強したりするだろう、

昔は大水が出るたびに

大きな被害が出るのが当たり前みたいだったから、

お殿様も民のことを思って決行したんだと思うよ」


眼下を流れる猿ヶ石川を見下ろしながら、

今より言い伝えの力が強い時代に、

あえて言い伝えに逆らった

当時のお殿様の決断する想いを考えると

胸が苦しくなるような気持ちになった。

階段を降り、

左へ向かうと田んぼの中の小道の先に、

清心尼公の墓がある。


一人が私と福ちゃんが着くより先に

墓の前で撮影をしていた。

「はなちゃん、この清心尼公って女性は

江戸時代お殿様だったみたいだぜ」

「えっ!そうなの、江戸時代に・・・まさか・・・だって

江戸時代ってめちゃくちゃ封建的な時代じゃないの!ウソみたい・・・」

と驚く私に、遅れてきた福ちゃんが

「本当の話なんだよ。

清心尼というのは本名じゃないんだ。

本名は子子と言う名前だったみたいだね。

子子は八戸南部領第19代直栄と盛岡南部領主の娘千代子との間に生まれた

今でいうサラブレッド的な女性だったみたいだよ

父親の直栄がなくなった後に、

歳の離れた直栄の弟直政と結婚して男の子が生まれたんだけど、

夫、息子と続けて病死してしまったんだ」

「えっ!つまり八戸領のお殿様がいなくなったってことなの?」

「いや、そこなんだけど、盛岡南部領利直公、

つまりは子子のおじさんに当たる人物が、

近臣の毛馬内左近と再婚させようとしたらしいのだけど、

子子は髪を下ろして再婚はしませんと断ったそうだ。」

「すごい女性だったのね、

あの時代に自分の意志をしっかり伝えたのだものね。」

「だろ!僕もすごい女性がいたものだと思ったよ。

でね、怒った南部の利家公は

・・・しからば女の身を持って采配してみよ・・

と八戸城を任せたのだそうだよ」

「うわ〜やった!ついに女領主の誕生ね。

あれ?八戸?遠野は?遠野にはどうやって来ることになったの?」

「そこなんだよね、

その後一族の新田政広の子直義(後に直栄と改名)

を養子に迎えて二十二代目の領主としたんだ、

そしたら宗家の盛岡南部は

遠野へ移封を申し渡したので、

それから遠野を治めるようになったらしいよ。

そして明治維新まで遠野のお殿様として納めたそうだよ」


「そういう経緯だったんだ、

でもなんで八戸から遠野なんて遠くに移動させたのかしら?」

「八戸は昔から大きな港があるから

結構羽振りの良く治安のよい土地だったみたいだね。

それが遠野へ移封ということはつまり

意地悪されたってことだよ。

当時の遠野は、

前の当主の阿曽沼氏が地位を失ってから、

風紀が乱れに乱れて、

更に伊達藩と南部藩の領地争いなんかもあって

大変な状況だったらしいよ。

それを女領主がどう采配するか!

南部の殿様としては高みの見物をするはずだったんだけど、

そこはサラブレッドの子子様!

男まさりの政治力を発揮して、

乱れた遠野の町を見事に再建したそうだよ。

そうそう、盛岡南部の殿様の利家公は、

子子たち一行が遠野に移封される時に、

直家を人質として盛岡に留め置いたんだよ。」


「なんかさ話を聞いてたら、

無茶苦茶あったまに来る話じゃない!

その南部の殿様の利直だっけ、

権力を傘にして、ほんとやな奴!

それにしても子子様は偉いね!尊敬しちゃう」


「でさ、子子様はどんな政治をしたんだい。

俺としてはそっちの方が興味があるんだけど」

一通りの撮影が終わったようで一人が声をかけてきた。


「そこなんだけどね、

子子様は女性の不品行を厳しく取り締まったみたいだよ。

男女の不貞の原因は女性側にあると考えて、

女性が身を固く守れとおふれを出し、

御殿の役目も女性に当たらせて、

罪を犯した者を磔刑にするくらい厳しかったらしい。

それで、初めのうちは女のそれも尼様のお殿様だから

みんな油断していたらしいのだけど、

その厳しさに恐れ入りましたとなり、

それから遠野の女性たちの貞操が硬くなったのは

子子様改め、清心尼公様の治世が始まりとされているそうだよ」


「磔・・・か・・・そりゃすげ〜厳しいな。

みんな恐れ入りましたってなるよな」

「でも厳しいだけじゃなかったんだ。

ヘラ持ち制をしいて、

妻は夫の仕事に口を出さない代わりに、

夫も妻の家事に一切口を出さないことを徹底させたんだ。

これは当時としてはとても画期的なことで、

女性の権利を男たちに認めさせたってことになるんだ。

更に芸能や、南部囃子を組織化して振興させたらしいよ。

清心尼公と言う名前は、

実は家臣や領民が名付けたもので

・・清い心と公正な方・・

という尊敬の念を表した呼び名だったらしい。」


「素晴らしいお殿様だったのね。

あの時代に女性の権利を守るような法律を作ったんだものね。

同じ女性として尊敬するわ」


墓の背後には正保元年(1644年)六月四日、

五十九歳と記されてあった。

波乱に満ちた人生を歩いた

彼女の人生を思いながら静かに手を合わせた。

「はなちゃん、遠野って本当に知れば知るほど深いところなんだね。

それから岩手ってさ、

こうして実際に来てみるまで

こんなに興味深い土地だなんて思っても見なかったよ。」

福ちゃんにそう言われて、正直嬉しかった。


「福ちゃんありがとう。

私もどっちかと言うと岩手出身って言うのが恥ずかしい感じがしていたの、

だから出身はどちらですか?と聞かれると、

北の方です。なんて変にぼやかしてみたりしてね。

でも、今日から胸はって岩手出身です!って言うようにするわ!」

それがいいよ!と言うように

福ちゃんが頷きながら微笑んだ。



・・・太郎渕・・・


公衆トイレの脇の駐車場に車を停めて私たちは歩き出した。

ここは太郎というカッパが棲んていた渕で、

この川で洗濯や水仕事をする女性に悪さを仕掛けたり、

馬を川に引き摺り込んだりしたと伝えられている


「そういえば、今日はまだ、

座敷カッパのたっちゃんが登場していないな」

カッパといえばたっちゃん。

どうやら福ちゃんも私と同じことを考えていたようだ。


昨日カッパ淵で・・ハ・ナ・エ・オモイダシテ・・と言ったきり、

煙のように消えてしまい、

それっきり今日は姿も気配すら感じられずにいたので、

何かが足りないようなそんな気持ちになっていた。


「俺なんか、夕べっからカメラを構えて待っているのに。

なんだよあいつ・・・」

まるで友達のように、一人まで座敷カッパのたっちゃんの登場を、

心待ちにしているのがなんだかおかしくて、

クスッと笑ってしまった。


カッパは一応妖怪の部類に入るのだろうけれど、

そんな恐ろしさは全く無く、

むしろたっちゃんの人懐こさと、可愛らしさに、

すっかりファンになってしまったようだ。


「おい!ヨモギがあるぞ」

一人が道端にある柔らかそうな緑色の草を指差して言った。

「一人よくわかったね!」

「じいちゃんに教えてもらったんだ。

これの若芽を摘んで、

婆ちゃんに草餅を作ってもらった記憶があるから覚えていたんだ」

「美味しかったでしょう。

作りたては特別に美味しいからね」


「はなちゃん、確か昨日、

風の丘で購入した昔話の本の中に

ヨモギに関する昔話があった気がする」

そう言いながら福ちゃんが

バッグの中から一冊の本を渡してくれた。


「全部、遠野の言葉で書かれているから、

なかなか難しかったよ。

よかったら読んでくれないかな」

「独特の言い回しがあるから、

それから意味も難しかったりするものね。

承知しました。」

私たちは車に戻り、福ちゃんが購入した本の一説の読み聞かせを始めた。



・・龍神のお告げ・・



今は昔のお話です。

ある魚釣りが大好きな男が

毎日海に面した岩に登り、釣りをしておりました。

しかし腕前が悪く一匹も釣れません。

そのため、暮らしも苦しくけれども人の者を盗むわけでもなく、

ごまかすこともせず、たいそうな正直者でした。


ある時、釣りをしていると龍神様が現れて、

「おい、おい、お前にいいものを授けよう、

これで生活を立てなさい」と言いながら甕を渡した。

「この中に入っている水は薬だから、

どこか痛い人が来たら、これをつけて治してやりなさい。

とてもよく効きます。

手、足どこでも大丈夫。痛みがとれます」


男は持ち帰りましたが、

蓋をしてしまい込んでしまいました。


しばらくして、

近所の人が手が痛くて仕方がないと言うので

「どれどれ私が治してあげましょう」

するとどうでしょう。

痛みが取れて本当に治ってしまいました。


噂はあっという間に広がり、

たくさんの人たちを男は治してあげました。

もちろんお金も沢山もらえるようになりました。


その男の女房がある時

「うちの旦那は、

いったいどんなものを付けて治しているんだろうか?」

と不思議に思い、甕の蓋を外して中を覗いてみると、

中には美しい娘が入っておりました。


女房の怒りに任せて

庭の井戸端で甕を割って粉々に壊してしまいました。


男は「大変なことになってしまった、

どうしたらいいのだろう」と思い海に行き

「龍神様。龍神様。」

と叫んだところ龍神様が現れたので

「私の女房が龍神様から頂いた甕を井戸端で割ってしまいました。

もう人助けをすることができなくなりました」

すると龍神様は

「では、井戸端に行ってみなさい。

不思議な草が生えていますから、

今度はそれで皆さんを治してあげなさい。

それはヨモギといい、乾燥させて粉にして、

痛いところに付けて火をつけなさい」と教えてくれました。


家に帰り井戸端を見ると、

本当にヨモギが生えていて、

男は早速もぐさを作り、

みんなを治してあげました。


それが現在のお灸の始まりで、

龍神のお告げなのだそうです。

どんどはれ(おしまい)   (参考資料 鈴木サツ自選50話遠野むかしばなし)


「そうかお灸ってそうやって始まったものなんだね」

福ちゃんが感慨深そうに言った。


「昔話ってさ、人生の教科書みたいだよな。

人間がちゃんと人として生きていく上での教科書・・ちょっとキザだったかな」

「そんなことないよ。一人ってさ、時々いいこと言うよね。」

「なんだよ、馬鹿にしてるのかよ」

「違うよ!ほめているのよ」

どう言うわけか一人とはすぐに喧嘩腰になってしまう・・・


「まあまあ、二人の仲がいいのはわかったから、

リクリエーションは終わりにして、さあ次に向かうよ」


福ちゃんがそう言いながら、

鼻息の荒くなった私たちの仲裁に入ってくれた。


(昨日の風の丘の時は、

一人がすんごくいいやつだと思えたのに

何よ!フン!いやな奴!・・)


(なんだよ、俺だってたまには決まるセリフを言ったっていいじゃないか

・なんだよあいつ・・・まったくよ〜!!)



・・・サムトの婆・・・



もやもやした気持ちのまま

・・サムトの婆の石碑の見える場所へ移動した。


風が尋常でない強さだったことから、

私たちは車の中から碑を眺めることにした。


「しっかし、さすがに風が強いね」

福ちゃんは事前に調べてきたようで

サムトの婆と風の関係をよく理解しているようだった。


「さすが福ちゃんね、

誰かさんとは大違い!下調べをちゃんとしているのね」

嫌味たっぷりに、一人の方をチラリと見ると

バックミラー越しにジロリと睨み返された。


「誰が下調べしてないって!

嫌みたらしい奴だな」

「だってそうじゃない、

人がせっかくいい話をするねって誉めたのに、

怒り出したりして・・」


千葉家の時以来、なぜか一人を変に意識してしまい、

本当は仲良くしたいはずなのに、

口から出る言葉は

真反対のことだけなのは自分でもよくわかっていた。

どうした、はなゑ!しっかりしろ、はなゑ

「はなちゃん、実はね、

サムトの婆の話やいろんな昔話を集めてくれたのは斎田なんだよ。

だから許してやんなよ」

「えっ!そうだったの・・・ごめんなさい」

「いや、いいよ。俺の方こそごめん」

一人が後ろの座席に座る私の方見て、ペコリと頭を下げた。

「はい!仲なおり。

これでおしまいにしてくれよ。

二人が喧嘩し始めるとなんだか気まずくていけないよ。

たった三人しかいないんだからさ、よろしくお願いします」

「福ちゃん・・・ごめんなさい」

「はなちゃん、頼むよ。」

私はペコリと頭を下げた。


「ところで、外はサムトの婆日和の強風なんだけど、

このロケーションで、

サムトの婆の話をはなちゃんに読んでもらおうかな」

そう言いながら福ちゃんが

再びバックの中から遠野の昔話の本を取り出し、

私に渡してくれた。


・・・黄昏に女や子供が外に出ていると

神隠しに会うことは他の国々でも同じ。

松崎村の寒戸サムトという所で、

サチコという名の若い娘が

梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま

行方しれずとなり、

三十年経ったある日、

親戚一同が集まっていた所へ、

極めて老いさらばえて

娘は帰ってきた。

どうやって帰ってきたのかと聞いたところ、

皆に会いたいと思ったら帰って来れたと答えた。

そしてまた行かねばならないと、

影も形もなく行き失せてしまった。

その日は風がたいそう強く、

今でも風の強い日は

「サムトの婆が帰ってきそうだ」と村人は言う。 

(参考資料 鈴木サツ自選50話遠野むかしばなし)・・


「あっ・・・・」

社外に出て望遠で石碑を撮影していた一人が

突然大きな声を出した。

「もしかして、サムトの婆さんが居たの?

一人がカメラを構えると見えないものが見える人に変身しちゃうからね」

座敷カッパのたっちゃんや、

オシラ様のマリさんを見つけた一人だから、

さもありなんと思い声をかけてみた。

「えへへ。だといいのにね。何にもいませんでした。」

そう言いながら舌を出している。

「もう!一人ったら!」

三人で笑いながら次の目的地へ向かった。


第十三話・・・天狗・・・

「この辺りは遠野物語の中でも、

一番悲惨な物語が多い場所なんだよ、

城跡に、神隠し、飢饉に、天狗・・・

聞いただけでなんとなく暗い気持ちになりそうだろ」


地図上では淡々と顕されている場所が急に、

嗚咽や嘆きの声が聞こえてきそうな気がして、

私は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。


「その昔この天が森は、

天狗森と呼ばれていたんだよ。

遠野物語の中でも・・天狗が多くいることは昔より人の知るとこなり・・

と書いてあるようにね。」

福ちゃんが横田城跡の少し先の方の

小さな山を指差しながら言った。


東京から遠野へ向かう新幹線の中で

福ちゃんが貸してくれた、柳田國男著・遠野物語。 

確か中学の頃に図書館から借りて読んだ記憶があり、

パラパラとめくった先で、すぐに目がついたのは天狗の話だった。


・・・力自慢の男が大男と相撲を取ったが

負けてしまい気を失った。

秋に村の人達と早池峰山に出かけたが、

帰ろうとしたところこの男の姿が見えず、

みんなで探したところ深き谷の奥に、

手も足も一つ一つ抜き取られて死んでいた。・・・


「うわ!遠野物語って、

なかなかグロテスクな内容だったって、思い出しちゃった。

学校の図書館から借りてきて読んでは見たものの、

山姥や猿の経立。

死者が蘇る話や、狐の話。神隠しにかっぱに天狗。

遠い国のお話じゃなくて、同じ県内の話の話だから、

自分にも同じことが起こるんじゃないか!

そう思ったら、ものすごーく怖くなって、

慌てて本を図書館に返したのを覚えているわ。

私は婆ちゃんから聞いた昔話の方が好きだって思ったもの」


「そうだよね。かなり怖い話もあるよね。

だから、金土しげらないさんの、妖怪の世界とリンクしたのだろうな」

「特に今読んだ天狗の話はすんごく怖くて、恐ろしかったから、

天狗は怖い!ってインプットされているもの」

「僕もそう思っていたんだけど、

昨日買った昔話の本の中に優しい天狗を見つけたんだよ」

「優しい天狗?」

「この話だよ、読んでごらん」

そう言いながら昔話の本を手渡された。


「え?福ちゃん遠野弁が読めたの?」

「はなちゃんみたいに上手に読めないけど、

昨夜一人と二人で随分練習したんだよ。

でも、(入って)・・へって、の発音が難しくてね。」


私は二人が私の読む原文と、訳文を静かに真剣に聞いていたのが理解できた。

そして、大の男二人が本を間に挟んで

発音練習をしている様子を想像して微笑ましく思った。

「へって(入って)は入るとか、

入っている状態を表していて、

へにアクセントをつけると言いやすいかも

そう私が説明した途端、

福ちゃんと一人が発音練習を始めたのだが、

なかなか難しいらしく、

どこか変だと思ったけれど、二人には内緒にしておこう

「なんかフランス語みたいに聞こえないか?」

「それ頷ける話だよ。

会社の研修旅行で、フランスに行った時に通訳の女性から、

東北出身の方はいませんかと問われてね、

濱田ディレクターが宮城出身でね、手を上げたんだ。

そしたらガイドさんから訛って(新聞くれ)と言ってくださいと言われてね。

濱田ディレクターが、恥ずかしそうに言ったら、

本当にばっちりS'il vous plaitの発音に聞こえたから驚いたよ。

その時東北の言葉とフランス語の発音は似ているって思ったんだよ」


「え!そうなの・・地層の次はフランス語!

ますます岩手を自慢したくなるわね。ムッシュ!」

車内は笑い声に包まれた。


「天狗さんの話だったわよね。どれどれ・・・。」

福ちゃんが渡してくれた本の中の天狗は

ちっともグロテスクではなく、恐ろしい天狗ではなかった。

泊めてくれたお礼に五葉山にしかない木の葉をくれたり、

お金を渡したり、遂には自分の着ていた着物を

お礼に形見に置いて行った話などが掲載されていた。

「怖い天狗のイメージが変わっただろう」

私は静かに頷いた。


「川がいい感じに蛇行しているだろう」

福ちゃんが窓の外を指差した。

先程、諏訪神社から眺めた猿ヶ石川が、

目の前で大きくUの字に迂回しているのが見えた。


「本当!雄大な感じがしていい感じね」

「水は8の字、つまり無限マークを描いて流れているらしいよ。

そしてそれが一番自然で、エネルギーの宿る形なのだそうだよ。

だから蛇行して流れている川にはエネルギーが宿るらしいね」

「ということはこの猿ヶ石川はエネルギーの塊ってことになるの?」

「今は護岸工事があちこちで施されているから、

正直わからないけれど、

昔のありのままの川だったら

確かにエネルギーのある川だったんだろうね」

「鎌倉時代のお殿様はもしかして、

この川のエネルギーに負けたのかもしれないわね」

「そうかもしれないね。」

「ところで福ちゃんは川で泳いだことってあるの?」

「えっ!あるわけないだろう。はなちゃんはあるのかい?」

「うん、あるわよ」

「小学校に入学するかしないかの頃だったけど、

父方の祖母の家の近くに、

今はダム建設で無くなってしまったけど、

鮎がいるほどの綺麗な水が流れる川があってね、

中を覗き込むと水草がゆらゆらしていて、とっても綺麗だったの」

「へ〜そんなに綺麗な川があったんだね」

「俺もはっきりしたことは覚えていないけど、泳いだことはあるよ」

運転しながら一人が言った。

「遠野の爺さんが生きていた頃だったよ、

川に泳ぎに連れて行ってもらった記憶があるよ。

その時岩場で足を擦りむいて、

従兄弟が血止め草を傷口に貼り付けたのを覚えているよ。」

「えっ!血止め草、懐かしい〜」

「確か小さな緑色した葉っぱで、

周りがプリーツみたいにひらひらしたやつをさ、

傷口いっぱいに貼り付けられて、

思わずきったね〜ことするなって

従兄弟に怒鳴ったのを覚えているよ。」

「ハハハ!都会育ちのおぼっちゃまには、わからないことだらけだよね。」

「はなちゃん、笑うなよ。

俺としては、とにかく毎日がそんなこんなの遠野での夏休みでさ。でも楽しかったなぁ〜」

「二人のやり取りを聞いていたら、僕も川で泳いでみたかったと思うよ。

いいなぁ〜楽しかっんだろうなぁ〜」

「よかったらご案内いたしますよ」

そう言いながら一人が、

猿ヶ石川の方向へハンドルを切る真似をしたので、

福ちゃんが慌ててハンドルを押さえ

「今日はやめておくよ」

と言った顔が、あまりに真剣そのものだったので車内は笑い声で溢れた。



・・・飢饉の碑・・・


横田城を過ぎ、危うく見過ごしてしまいそうなほど

ひっそりと道端に建つ石碑がある。

宝暦5年(1755年)遠野領最大の大凶作で

餓死して人々の供養塔が建っている。

無言のまま3人で手を合わせた。


・・・松崎観音・・・


「さすがに飢餓の碑は気が重く感じられたね。

だからかな、遠野の郷には七つの観音様が祀られているんだよ。

慈覚大師円仁の作とされていて、

一本の桂の木から七体の観音様を刻み、

それぞれ七つのお寺に安置されているんだ。

一昼夜に七つの観音様を巡れば、

願いが叶うと言い伝えられていたそうだよ」


第一番  山谷観音  十一面観音像  大慈寺長福寺

第二番  松崎観音  十一面観音像  麦沢山松崎寺

第三番  平倉観音  十一面観音像  谷行山細山寺

第四番  鞍迫観音  十一面観音像  鞍迫山福滝寺

第五番  宮守観音  千手観音像   月見山平沢寺

第六番  栃内観音  馬頭観音像   大月山栃内寺

第七番  笹谷観音  勢至観音像   附馬牛山長洞寺


ガイドブックと共に添えられている地図を見たけれど、

車のない時代に、自分の足だけを頼りに、

どうやって巡っていたのだろう、

叶えたい願いの重さを思うと、私は言葉を無くしてしまった。


「この松崎地区は福ちゃんが言うように、

確かに気が重い場所が多いわね。

人の想念の深さが染み込んでいるような気がして、

なんだか胸が苦しくなってくるね」

「でもね、昔から負のエネルギーとおんなじくらい

正のエネルギーがあるって言うだろう。

これはもしかして

今の俺たちに何かを教えようとしている場所のような気がするよ」

福ちゃんが謎めいた事を言う時は必ず、

次の取材場所についても同じようなことがあるという意味だと、

経験から感じ取っていた。



・・・母也明神・・・


「次は母也明神に向かうよ。

道の状態が悪いらしいから車から眺めるだけにしよう」

確かに草がかなりの勢いで道を塞いでいて、

先の方に神社らしき屋根が見えるだけであった。


それでも一人は、撮影するために、

草むらをかき分けて進んでいった。

私と福ちゃんはその背中を見送り、

車の中で待つことにした。

「はなちゃん、この物語を読んでくれるかな?」

福ちゃんからリクエストがあったので読み始めたのが、

内容は、今まさに一人が撮影に向かった母也明神のお話だった。


 「今は昔のお話です。

松崎に目に見えない巫女の婆さんが住んでいました。

綾織の宮野目から来たと伝え聞くが定かではない。

その巫女婆様に一人娘がおりました。

それは美しい娘で、年頃になり婿様を迎えたのですが、

巫女婆様は娘を取られたと思い婿様に辛く当たりました。

そんなある日、

松崎の登戸の川の留がどんな事をしても水量が増し流されてしまい、

田んぼに水を引くことさえ出来ないと困った村人たちは、

巫女婆様に伺いを立ててくれるようお願いしました。

巫女婆様は

「良いことがある、

誰かが人柱に立てればこの堰は止まる」

と答えました。

「どうしよう、誰を立てようか」

と村人が困っていると巫女婆様は

「明日の朝早く、まだ夜も明けないうちに白装束で

白馬に乗った男が通るから、

その男を捕まえて川へ入れなさい」

と答えて婿様に

「お前が人柱に決まった」

と話しました。婿様は

「神様のお告げなら俺は退くわけにはいかない、では参ります」

と朝三時ごろ、白馬に乗り白装束で家を出ました。

そして婿様が川へ入ろうとした時

「お待ちください」

と言いながら白馬に乗った人が近づいて来ました。

「どんな人柱だって、一人では出来ないはずです。夫婦で行きます」

それは巫女婆様の娘さんでした。

そして二人で川へ入って行きました。

するとその晩大洪水が起き、

何もかもが流されてしまい、

水が弾いた後、猿が石川から水を引く根っこの部分に

大きな石が埋まっているのを村人が見つけ、

そこは人柱になった二人の霊がある場所と伝えられています。


二人が死んだ後巫女婆様は

「婿だけ殺すつもりが、私の考えが間違っていました。

許してください」

と言い、後を追って死んだそうです。

その巫女婆様を祀ったのが母也明神です。

 (参考資料 鈴木サツ昔話集続遠野むかしばなし)


読み終わった後、福ちゃんと二人して黙り混んでしまった。

「人柱か・・・・神様の怒りを鎮めるために、人柱を立てた話は

あちこちで伝えられているけど、

自然の脅威の前では、

人間の力なんて本当にちっぽけなものだと、

こう言う話を聞く度に思うよ。」

福ちゃんが腕組みしながら言った。


その時ちょうど一人が車に戻って来た。

「いや〜草の勢いがすごくてなかなか大変な場所だったよ」

そう言いながら、洋服にしがみついている、

草や葉っぱをむりしとっては窓の外に出している。

「この場所ね、人柱のお話があった場所みたいよ」

と私が伝えると

「やっぱりそうか、

爽やかな場所じゃないことはなんとなくわかったよ、

どよ〜んとした、空気感だったからね」

と一人も長年の経験で何かを感じていたようだった。


「で、どんな物語だったの?」と一人が言うので、

母也明神の昔話を簡単にまとめて伝えると、

「そうか、いろいろ考えさせられるお話だよな。

でももしかしてこんな話は、

現代でもあるんじゃないのかな?

神様を盾にして、

嘘のお告げをすればその巫女婆様のように簡単に人を騙せるからね。

絶対あってはいけないことだよね。

俺は神様っていうのはこの大自然のことだといつも感じているから、

巫女婆様みたいな霊能者が言ったことは信じないけどね」

誰よりも山と自然を愛する一人らしい言葉だと思った。


「つまりこのお話の教えは、

嘘をつくな。妬むな。ってことかしら」

「そう、それと神を語るな、知ったかぶりをするな。

その禁を犯したものは、

自らを自らで罰するようになる。」

福ちゃんが大きく頷きながら言った。


「昔話って、

人が人として暮らしていくための

大切な教えが含まれていたのね。」

福ちゃんも一人もそして私も

遥かな早池峰山を見つめながら静かに頷き合った。


母也明神を過ぎた後、

道は大きく左に曲がり駒木橋を渡った瞬間

大きく深呼吸している私がいた。

大きな重たい荷物を下ろしたような気持ちになっていた


第十四話・・・妻の神の石碑・・

昨日早池峰山へ向かった、

県道160号線を走っていると、

ひときわ立派な六峰山と刻まれた石碑を中心に、

沢山の石碑が並んでいる場所がある。


これが妻の神の石碑である。

昔は奥山に寺院があり、

道端には経塚や地獄山があり、

子供の霊を祀った賽の河原に祈りを込めて登り、

供養する習慣があったと伝えられている。


私達は石碑の脇に車を止めた。


「あ〜!!!やっとまともな呼吸ができた。」

福ちゃんがそう言いながら背伸びをし、

大きな深呼吸を2,3回している


「実は俺もそうなんだよ」

一人も福ちゃんと一緒に深呼吸している。


「諏訪神社から母也明神の道は

なんだか気が重い感じがして・・

重い題材の物語のある道だったよね。

祈りの道。

そんな感じがしたよね。

私もやっと深呼吸ができた気がする」


妻の神の石を見た時、

あの世からこの世に帰ってきたような

不思議な感覚があったので福ちゃんに

「石碑の意味って確か魔除けだったわよね。」

と、問いかけてみた。


「石碑の意味は実はいろんな意味があってね、

今は明るい照明器具があるから

闇ってあんまり意識したことがないけど、

行燈や松明、ランプで暮らしていた時代は

闇に紛れてやって来る、

悪鬼や邪神から村を守る役目をしていたらしいよ。

それから峠を越えてやって来る、

よそ者の侵入も防いでいたみたいだね。」

と答えてくれた。


すると一人が

「目に見えない境界線、

現代風に言えばバリアーみたいな役目をしていたのかもしれないね。

生きているもの、

死者、人間界と幽冥界の境を現したり、

それを司る神とも言われていたらしいよ」

とカメラを片手に教えてくれた。


福ちゃんと一人の話を感心しながら聞いていると、

私の腰の辺りをツンツンと突くものがある。


もしかして座敷カッパのたっちゃんかな?と思い振り返ると、

其処にはまるで、

海老のように腰が曲がり、

どこの目があるのかわからないほど

顔中シワだらけの老婆が私を見上げていた。


「おめさんがだ、これがらどっちゃあいぎゃんすか」


私には老婆が何を言っているのか直ぐにわかったが、

福ちゃんと一人はキョトンとしている。


「おばあちゃんが、

これからあなたたちは、

何処へ行きますか?だって」

と二人に伝えると、

一人も福ちゃんも、

ようやく理解ができたと言うふうな顔をして、

福ちゃんが老婆に向かい

「はい、でんでら野へ向かいますよ」と伝えた。


老婆は下から福ちゃんの顔を見上げながら

「うんで、おらのごども乗せでってけねがべが」

福ちゃんが私を見る。

「おばあちゃんが一緒に乗せて連れて行ってほしいって」


福ちゃんと一人は、

指でOKマークを作り、さっきと同じように老婆に向かい

「いいですよ。

一緒にいきましょう。

でんでら野の近くにお住まいですか?」

「ほんでがす。もさげねがす。ありがどね」

老婆は嬉しそうに皺だらけの顔で微笑んだ。


「そうです。申し訳ありませんが、

よろしくお願いします。ありがとうございますだって」

私はすっかり通訳気取りで

福ちゃんと一人に伝えた。


東北の夕暮れは早い、

風はさっきより強くなってきた。


老婆を後部座席の私の隣の席に乗せて

私たちはでんでら野へ向かった。


「あすた雨降るな」

老婆が車の窓から西の空を指差して言った。

「明日は雨ですか?」

さっき一人も同じことを言っていたのを思い出しながら

そういえば、

私の母方の祖母も

翌日の天気を当てる名人だった事を思いだした。


生きている時間が長い分

生活の知恵が老人たちには備わっているのだろう。


「うんだ。ほれ西の山が曇ってきたべ」

一人は西という言葉が聞き取れたらしく、

バックミラー越しに驚いた顔をしている。

きっと自分と同じように

天気の話をしているのがわかったからなのだろう。

「むがすっから西が曇れば雨になり、

東が曇れば風がふぐって言ったもんでがす」

と老婆が言った。


「昔から、西が曇れば雨になり、

東が曇れば風が吹くって云われているそうよ」

前の席の二人のために標準語に訳した。


福ちゃんと一人が頷いた。

「おばあちゃん、これからお家に帰るんですか?」

私が聞いた。

「うんだよ。はがげってきたんだ、

登戸の親戚の家さ行って、

草取りの手間取りしてきたんだ」

福ちゃんはまるで解らないと

両手を広げてお手上げポーズをしている。


「仕事が終わってお家に帰るそうよ

、登戸の親戚のお家の草取りを手伝ってきたそうよ」

福ちゃんが指でOKマークを作っている。


「おらの名前はサチコって言います。

あんだぁこのあだりのひとすか?」

と老婆が私に聞いてきたので

「はい、私は黒田はなゑと言います。岩手の生まれですよ。

一昨日から取材で遠野に来ています」

「そうすか、体だけは大事にね。がんばらいよ」

そう言いながら私の手の上に自らの手を乗せ、

皺だらけの顔で優しく微笑む老婆の手は

長い間の過酷な農作業のためだろうか、

節々が厚く大きなあたたかな手だった。


車は福泉寺の脇を通り、

しし踊りの祖として名高い角助の墓の看板の横を通り過ぎた。


しし踊りは350年ほど前に

駒木の角助が、

熊野詣での時に京都の辻でしし踊りを見て、

改良を加えたものと云われている。


またこのしし踊りは、

両手に幕を下げる幕踊り系の代表的なもので、

南部かんながら獅子とも云われている。


更に車は昨日訪ねた伝承園やカッパ淵、

早池峰古道を経て細い道を右に曲がり、

母をおんぶする姿のレリーフがある橋を渡り、

間も無くでんでら野に着くという辺りにさしかかった。


「おらぁこのへんでおります」

と老婆が言った。

「おばぁちゃんがこの辺で降ろしてくださいって」

福ちゃんが周りを見ながら

「おばあちゃんもう暗くなってきましたから、

遠慮しないでお家まで送ってあげますよ」

私もその方がいいと思った。

こんな寂しい場所におばあちゃん一人を置いていけない。

「いがす、すぐそごだがら、こごで降ろしてけらい」

「おばあちゃん。

私も心配だからお家まで送ってあげたいのよ」

「いがす!いがす!ここでいがす!」

さっきまでの穏やかな顔ではなく、

長年生きてきた人間の迫力とでも言うのだろうか、

取り付く島もなかった。


結局老婆の迫力に負け、

仕方なく老婆を車から降ろした。


「おばあちゃん本当にここでいいの」

諦めきれない私は、再度老婆に促した。

老婆は小さく頷き、

小さな体を90度に曲げたまま暗闇に向けて歩き出した。


「おばあちゃん、お家まで送っていこうか?」

暗闇に向けて歩き出した老婆の背中に

そう声をかけると老婆は振り向きながら

「あんだだぢごそ、

はやぐけえらい。

体さきいつけらいよ」

と反対に私たちの体を労ってくれた。

「ありがどね〜」

そう言いながら何度も何度も

振り向きながら手を振る老婆。


私たちは細い道の先にかすかに見える灯り中に

老婆が溶け込んでいくまでその背中を見送った。


車に戻ろうとすると突然、

立っていられないほどの突風が吹き抜け、

老婆が歩き出した方向へ通り過ぎて行った。


第十五話・・・民宿パハヤチニカ・・・

「相談があるんだけど」

でんでら野で不思議な老婆を降ろしてから、

私たちは民宿パハヤチニカに戻っていた。


玄関を開けるとすぐに、

美味しそうな醤油汁の匂いがしていた。

どうやら夕飯の支度ができているようで、

宿の御主人が私たちを迎えながら、

すぐに食堂に降りてくるように促した。


私達は慌ただしく夕食の席に着き、

私と一人は既に、飲物をオーダーしていた、

少し遅れて福ちゃんが席についた。


「福山どうした、何か問題でも起きたのか?」

一人が言い。私も福ちゃんを見た。

何か言いたげな顔の福ちゃんがそこに居た。

「明日で取材の日程が終わりなんだけど、

明後日まで取材を延期させてもらえないか、

社の方にお願いしてみようかと思うんだ」

私は舛岡部長の顔を思い出していた。


「そうだよな・・確か明日は続石に登る予定だったよな、

天気は雨になりそうだし、

低い山でも、山は山だから、甘く見ないほう良いよ」

大きめの盃に入ったどぶろくを飲みながら、一人が答えた。

「よし!決まった!さっそく舛岡部長に電話してくるよ」

福ちゃんが携帯電話を片手に廊下へ出て行った。


「良いとこだよな、遠野・・いや岩手って」

どぶろくに酔ったのか、

少し頬が赤くなっている一人が、独り言のように言う。

「でしょう。でしょう!でもね、

離れて都会で暮らしてみて初めてわかった気がするの。

疲れた時とか無性に山が見たくなるのには、

正直自分でも驚いたくらいなの。

あとね、水道の水の味が違うの!

都会の水にはない美味しさがあるのよね。

斎田様、岩手をほめていただき誠にありがとうございます。

一人様に県民を代表して御礼申しあげます。」

私は正直うれしかった。

自分のふるさとをほめてもらえたのが

でも、素直にその気持ちを伝えるのは

どこか恥ずかしい気持ちがして

敬礼のポーズをしておどけて見せた。


「山も空も綺麗だし、

何より空気が美味い!俺久しぶりに体全部で深呼吸したよ。

まるで山に登った時みたいな気持ちにさせてくれるよな。

ガキの頃は爺さんが、岩手はいいぞ、岩手はいいぞって何回も言ってたんだけど、

俺にはわからなかったんだ、

でもその気持ちがやっと理解できたように思うよ。

俺も少しは大人になったのかな」

一人はそう言いながら盃の中を見て微笑んだ。


「OKが出たよ」

舛岡部長への電話を終えた福ちゃんが戻ってきた。

「嫌味をたっぷり云われたけどね」

舛岡部長の、口を斜めにしながら、

嫌味たっぷりに話す姿が浮かび、

思いっきりアッカンベーしてやった。

「よかったじゃないか、ところで宿はどうするんだい」

一人が言う。

「さっき廊下で、宿の御主人に近くの宿を紹介してもらおうとお願いしたら、

明日ちょうどキャンセルが入って、

部屋が空くって言うから、お願いしてきたよ」

「えっ!明日もここに泊まれるの!」

と言う私の問いに福ちゃんが頷いた。

「やったー!」

自分でも驚くほどの声が出た。

「はなちゃん、落ちつけよ」

一人が私の上着の裾を引っ張った。


初めは驚くことばかりだったこの宿も、

今では、座敷カッパのたっちゃんと友達になった私達にとって、

他に宿を移すことなんて考えられないことだった。


また宿の御主人をはじめとする、

スタッフの皆さんの心遣いも温かく、

この宿に泊まれることを本当に嬉しく思った。

「いや〜福山さんたち、

明日からもお泊まりいただけるそうで有難うございます。」

宿の御主人のモトさんが膝をついてお辞儀をした。


このころになると、宿の御主人のことを

私たちは親しみを込めて名前で呼び合うようになっていた。

民宿ということもあるのか

お客としてよりも、友人の家に泊まりに来ている

そんな感覚のほうが強くなっていた。


「お世話になります」

私達もその姿に、正座をして一礼した。

「今日は松崎のあたりを周られたんでしたっけ、

何かありましたか?」

モトさんは福ちゃんの前に座り直した。


「蛇行した川が綺麗でした。

石碑がたくさんあって、それぞれに謂れがあり、

見どころ満載でした。

妻の神の石碑のところから、

地元の老婦人を乗せて、でんでら野までご一緒したのですが、

言葉が難しかったですね。」

モトさんは福ちゃんの話しを頷きながら聞いている。


「そうでしたか、言葉が難しかったですか、

何か覚えている言葉はありますか?」

福ちゃんは待ってましたとばかりに、

ポケットからメモ帳を取り出して読み上げた。

「はがげる・・・・ってなんの意味ですか?」

福ちゃんが、はにアクセントを付けて読み上げたのものだから、

モトさんは笑い出してしまった。

「いやぁ〜わかります。わかります。笑ってしまって申し訳ない、

東北の言葉には、独特なイントネーションがあるから

なかなか発音は難しいですよね。

実はこの「はがげる」には悲しい歴史が隠されているんですよ。

どうぞ食事しながら聞いてください」

その言葉を聞いた他の宿泊客も一斉に

会話をやめてモトさんの言葉に耳を傾けた。


「時代は変わりましたが、

この言葉だけは今でも土地の人間は実際に使っていて、

朝仕事に出かける時は墓立ち(ハカダチ).、

夕方仕事が終わり家に帰ることを墓上がり(ハカアガリ)と言います。

この言葉には、でんでら野が深く関わって参ります。


昔々ある殿様が年寄りを邪魔にして、

六十歳になれば小山に墓をこしらえて、

その山に捨てて、見殺しにするようにおふれを出しました。

それでも年寄りたちは、

まだまだ人の役に立つことができるから、

朝その墓から出かけて行き、家の人たちの仕事を手伝い、

夕方になると山へ帰り、死ぬ時を待つ生活をしていました。

一人の親孝行息子の働きで、でんでら野がなくなるまで、

その風習は続いたそうですが、今では言葉だけが残りました。」

モトさんの話が終わると

一斉に拍手が起こり私たちも拍手した。

「モトさんありがとうございます。

これでやっと意味がわかりました。」

福ちゃんがお辞儀をした。


私はモトさんの話を聞きながら、

あのでんでら野で別れた老婆のことを考えていた。

「はなちゃんどうかしたの、また何か見えたのかい?」

一人が私の顔覗き込んでいる。


そういえば今日は一度も座敷カッパのたっちゃんに会っていない。


「あのおばあちゃん、

ちゃんとお家に着いたかなって考えていたの」

あんな寂しい場所に、

いくらおばあちゃんが望んだとはいえ、

置き去りにしてきたようで・・・

私はとても後悔していた。

無理にでもお家まで送って差し上げればよかった。


「今だから話すけど、車にあのおばあちゃん、

ちゃんと乗っていたよな」

一人が急に改まって変なことを言い出した。

「ええ、ちゃんと私の隣に座っていたわよ」

と返事した。

「俺・・・・バックミラーで後ろの席を何回も見たんだけど・・・

声は聞こえるんだよ、

でも・・・鏡の中におばあちゃんの姿が映っていなかったんだよ」

「え!・・・・・それって・・・・・どう言うこと!

だって私の隣に、おばあちゃんはちゃんと座っていたし、

話もしたし、手も握りあったのよ・・・・」

「俺も最初は驚いたよ、

でも鏡には映らなくても、肉眼でしっかり姿は見えているし、

一体これはどう言うことなんだって考えたけど、答えなんか出てこなかったよ」

あまりのことに、一人と二人黙り込んでしまった。


しばらくして私達の話を聞いていた福ちゃんが

「僕たちはもしかして、

伝説のサムトの婆様に逢ったんじゃないか」

といつもは冷静な福ちゃんが少し興奮気味に言った。


福ちゃんの言葉を聞いた私と一人は、

口をあんぐりしたまま声が出ない。

物語の中の人物にまさか!まさか!またまた逢えるなんて!

座敷カッパのたっちゃんに、

伝承園ではマリさんに逢い、

そしてサムトの婆・・・出来過ぎじゃないの!


「モトさん、確か寒戸と言う地名は存在していなかったんですよね、

柳田先生が聞き間違えたのではないかと言われていますよね」

福ちゃんの問いに

「はい、そのとおりです。なんかありましたか?」

今まで数人しか見たことのない

座敷カッパのたっちゃんを見つけた私たちに

モトさんは、

また何か不思議な事を見つけたのではないかと思っているようだ。


「先程もお話しましたが、

妻の神の石碑から地元の老婦人を乗せて、

降ろした場所がでんでら野近くの、

野原でとても寂しい場所だったんです。

ここで良いのかと、何度も確認したのですが、

なんだかとても申し訳ないことをしたように感じていて・・・

そしたら運転をしていた斎田が、

乗せているはずのおばあちゃんが、

どうやら鏡に映らなかったと話すもんですから、

それで今三人で、もしかしてあのおばあちゃんは

サムトの婆様だったんじゃないかって、話していたところです。

確か登戸の親戚の家の草刈りの手伝いをしてきたと話していました。

名前はサチコさんと言いました。」

モトさんは頷きながら福ちゃんの話を聞いている。

「あっ・・でもちゃんと足もありましたし、

手もとても温かかったんです。

あのかわいらしいおばあちゃまが・・・そんなことって・・・」

たまりかねて私はおもわず言い放った。

すると、そんな私の気持ちを落ち着けるようにモトさんが

「ないこともないと思います。

言い伝えでは確かにサムトの婆のモデルと伝えられているのは

登戸のサチコさんと言う名前の女性ですから。

それとあの辺りは昔から

死者の霊が通る場所として有名な場所ですからね。

しっかし福山さんたちは良い体験なさってますね。

今流行りの言い方をすればディープ遠野ですかね」

そう言いながらモトさんは笑った。


「いやぁ〜やはりそうでしたか、

また私達は伝説の人物に会えたんですね。

遠野って本当に不思議なところですよね」

福ちゃんが言う。


「一つ一つ深く謂れを調べてみると、

びっくりするような事実が浮かび上がってきたりしてね。

私もあちこちを調べて周っているところなんです。」

宿のご主人のモトさんは言った。


福ちゃんは明日の天気が気になるようで、

もし雨の場合、どこかおすすめの場所はないかと

モトさんに聞いている。


私としてはどうしても合点がいかない話だったが

あのかわいらしい、しわだらけのおばあちゃまの

何とも言えない掌の感触を思い出していた。

もし本当にあのおばあちゃまがサムトの婆だとして

既にこの世にいない人が

あんなにはっきりとした姿で・・・

そんなことがあるんだ・・・

そうか、ここは遠野だったのだと

あらためて遠野の郷の不思議を感じていた。

そして今夜も、座敷カッパのたっちゃんの姿のない

小さなお膳を見つめていた。

・・・あれ?気のせいかしら・・

たっちゃんの笑い声が聞こえたような・・・・


「はなちゃん、福山が話があるって」

一人が集まれと言うように手招きしている

「はなちゃん、明日はやっぱり雨のようだね。

モトさんもさっき天気予報で確認してくれたのだけど、

それで、明日続石に向かう予定だったけど、

雨の時はやめた方がいいらしいんだ、

それで、はなちゃんにお願いがあるんだけど、

明日の予定を変更していいかな」

昨日に引き続く日程の変更に福ちゃんは、

私が誰よりも、続石に逢うことを心待ちにしているのを、

気遣ってくれたのだろう。

福ちゃんの気遣いが嬉しかった。


「風が強くて冷え込んできたから、

雪になる可能性もあるらしいよ」

雪?確かに足元が冷え込んできた。

どこからか冷たい空気が流れ込んでくる。

室内は暖房があり温かいが、

外はかなりの寒さなのがわかる


「山は甘く見ない方がいいよ。

小さな山でも山は山だからね」

一人の一言で、明日は市内をメインに、取材することが決まった。


明日もあの岩に逢えないのかと思ったら、

ふっと気持ちが緩んだのか急に眠気が差してきた。

夕飯の時間が終わると

湯殿を借りて部屋に戻り、

眠りに着くまでの間、遠野に来てからの事を考えていた。


座敷カッパのたっちゃん、

オシラサマノのマリさん。

千葉家の哲学に、

地層の話。

女性のお殿様にたくさんの石碑。

そしてサムトの婆様のサチコさん。

短い間だったけど遠野という場所に来てから

驚くような出来事が連続して起きている。

そして今までの考えでは理解できないような変化に

ちゃんとついて行っている私達。

続石との対面の時は一体どうなってしまうのだろう。

とにかくポジティブな気持ちだけは忘れないようにしよう。


・・・あいしてます。ついてる。うれしい。たのしい。

感謝しています。しあわせ。ありがとう。ゆるします。・・・

こんな時は母さんが教えてくれた、

おまじないを唱えながら眠りにつこうと思い、

私は小声で唱え始めた。


すると・・・・

「ハ・ナ・エ」

この辿々しい話声は

座敷カッパのたっちゃんだとすぐにわかった。

「たっちゃん?」

そう言いながら、声のする方へ振り向くと、

最初のうちは霧がかかったように、

はっきりと見えなかったたっちゃんの姿が、

やがてはっきりと見えてきた。


「ハ・ナ・エ・モウスコシ・ココニイテクレルンダネ」

そこにはいつもの笑顔がかわいい、

たっちゃんが立っていた。

「たっちゃん、

なぜ私たちの滞在が長引いたのを知っているの?」

「ハ・ナ・エ・ニハ・ミエナカッタカモシレナイケレド・

ボク・ミンナノハナシヲ・キイテイタンダヨ」

やはりそうだったのか、

夕食時に聞こえたたっちゃんの笑い声は、

私の勘違いではなかったのだ。

「どうして隠れていたの、

私も福ちゃんも斎田くんも、

みんなしてたっちゃんを待っていたのに」

たっちゃんは下を向いたまま、

私と目を合わせることを拒んでいるようだ。


「ハ・ナ・エ・二・ツタエナキャイケナイコトガアルンダ」

そう言った途端に、

さっきまでの小さなかわいい男の子だったたっちゃん背は

スルスルと伸びて、顔も青年のように変化していくではないか、

夢でも見ているような、

たっちゃんのあまりの変化に、私が驚いていると

「ボクタチヲ、イツモマモッテクレテイル、

ハヤチネノカミサマガ、ハ・ナ・エ・二アイタガッテイルヨ」


相変わらずたっちゃんは、

下を向いたまま聞き取れるか、

取れないかくらいの小さな声で話している。

「早池峰の神様が私に会いたがっているの?なぜ?」

たっちゃんが小さくうなずいた。


たっちゃんの言葉を聞いて、

私は昨日見た早池峰山を思い出していた。

美しい山だったけれど、

近づくほどにその全容は見れなくなる不思議な山で、

まるで雲をつかむような

不思議な遠野の里みたいだなあと思った。


福ちゃんの説明によると地質学的にも東北で一番古く、

岩手山、姫神山と共に

旧南部藩を護衛する重鎮で早池峰権現を奉る山とのこと。


早池峰の由来はハヤチ(疾風)が吹く山とも、

山頂に池水が湧き涸れが早いので

(早池の峰)と名がついたと教えてくれた。


あの不思議な夢から始まった遠野への旅、

遠野を訪ねてから巡り合う不思議な出来事、

あのトヨの本が導いてくれた続石への道。

歴史や謂れの多い山の神様がなぜ、

私に逢いたいのだろうか?

いつもと違うたっちゃんの様子も気になる。


あの初めて遠野物語を読んだ時のような恐怖と、

見えない世界の不思議な何かが動き出しているような感覚に、

私は、得体の知れない恐怖を背中に感じていた。


「たっちゃん・・・私なんだか怖い・・・・」

「ダイジョウブ・ボクガソバニイルヨ」

そう言うたっちゃんの姿は、

いつもの可愛らしい、元の小さなかわいい男の子の姿に戻っていた。

その笑顔に背中を押されたように私は小さく頷いた。


第十六話・・・守護神・・・

きっと一瞬って、こう言うことを言うのだろう。

それともこれは夢の中なのだろうか、

どうやってさっきまで居た民宿の部屋を抜け出したのか、

どうやってこの場所に来たのか全くわからない、

そんなことよりも、ここはいったいどこなのだろう・・


気がついたらここにいた。と、やけに冷静に考えている私がいる。


目が霞んで焦点が合わない、

けれど頭は変に冴えている。

どうやら私はものすごく上等で

フカフカの布が敷かれた台の上に横たわっているようだ。


目の前には白光に輝く

銀色の天井だけがぼんやりと見えている。

次第に目が慣れてきて周りを見回してみたが、

辺り一面銀色に光る壁ばかりで、

天井や壁、床に至るまで

蛍光灯のような照明器具は見当たらないのに、

とても優しいあかりに包まれた

部屋のほぼ真ん中に横たわっている。

「おかえりなさい。はなゑ」

瞬きする間に現れた

二人の人間らしき人が、

私が横たわる台の横に立っていた。


体全体が緑色で目が大きく、

口らしいものはついているが、

どうしたわけか口は動いていないのに、

私の心にその言葉ははっきりと響いてきた。

・・・テレパシー・・・?

きっとそうだと思いながら、

やけに冷静な自分が不思議で、

こういう場合慌てて

パニック状態に陥るのが普通だと思うだが、

恐怖や逃げ出そうなんて考えが全く浮かばずに、

むしろ長い旅を終え、

自室に戻ったような安堵感さえ感じている。


その証にさっきお帰りと言われた時に、

ただいまと言いそうになったくらいだったから・・・。


それにしてもこの人間そっくりな人達に、

以前どこかで逢ったことがあるような気がしてならない。

「はなゑ、起きてください」

緑色した人達が、手で起き上がるように合図している。

私は静かに起き上がった。

「ついて来てください、案内します。」

心に言葉が響いてきて私は従った。


・・あ〜そうだ!

確かたっちゃんがハヤチネの神様が私に逢いたいと言っていて

案内すると言ってその後・・・

あれ?ところで、たっちゃんは何処に行ったのかしら・・・


「あの〜ここはどこですか?」

前を行く緑色の人達に話しかけてみたが、

ちらりとこちらを振り向いただけで何も答えてくれない、

・・それにしても不思議な場所。

窓もないし、銀色に光る長い廊下がどこまでも続いているだけ・・・

たっちゃん!どこにいるの?・・・


よく見ると、

前を歩く二人の足が全く動いていないことに気がついた。

動く歩道の上に乗っているようである。

その動きを不思議と思いながら

後ろを付いていくと、私の手を不意にしっかりと握る者がいた。


「あっ!たっちゃん、

今までどこにいたの、ここはどこなの?

私いつの間にここに来たの、まるでわからないのよ・・・」

聞きたいことは山ほどあるのに、

たっちゃんは(黙って)と指を口に当てたまま、

前を行く人達に続くように私を促すばかりで、

初めはいつものかわいい男の子の姿で現れたのに、

あっという間に前を行く、緑色の人たちと同じように背が高く、

顔つきも成人男性のように変化している。

「たっちゃん・・・」

私はそう声をかけるのが精一杯だった。


それでもたっちゃんは(黙って)のポーズを繰り返すだけで、

何も答えてくれない。

大人になったたっちゃんに、エスコートされながら、

白く輝く廊下を歩いていくと、

いつの間にか、私にも変化がはじまっていて、

いつかの夢で見た、

私そっくりな人が着ていた白い衣装を身に纏い、

頭には光り輝くティアラを着いていた。

「たっちゃん・・・これは・・・」

たっちゃんは、優しく微笑むばかりで

相変わらず何も答えてくれない。


次の瞬間。私の心の中に今まで聞いたことのないくらいの、

深く優しく響く声が聞こえてきた。

「私たちには時間も空間もありません」

その声がどこから聞こえてくるのかわからない、

辺り一面銀色に光る壁ばかり

「私たちは時間と時間の狭間を歩いて移動しているのです。

地球の時間で千年ほどかけないと移動できない距離も

(そこにいく!)と思っただけで移動できます。」


優しく響く声のせいなのだろうか、

私は遠野の郷を福ちゃんと一人と共に周り、

この郷は神々の集落と一人が言っていたのを思い出していた。


現代と昔が交差しているような

不思議な時間が流れている感覚が色濃く残る、

それは現代を生きる私たち人間が生きている時間と、

まさに神々が生きている時間の流れが、

この遠野の郷には

今も確かにあるように感じてならないからだった。

どこからか響く声の中で私は強くそう感じていた。


私たちの前を行く二人の緑色の人たちが、

大きな鳥居の形をした扉の目の両側に立ち

「はなゑ、祈りの言葉を」

と私に向かい言い、

その言葉に促されながら私は両手を広げて、

祈りのポーズを取り

「四神の神様、天の神様、地の神様、森羅万象全てに感謝いたします。

我、本来の光を放つ成り」

と三回唱えていた。


それと同時に私の中で眠っていた何かが、

静かに背伸びして目覚めたような気がした。


「はなゑ!よく覚えていましたね。

私たちが与えた言葉です。さあ!中へお入りなさい。待っていましたよ」

あの深く優しい声が私の心に響いてきた。


扉の両側に立っていた緑色の人達が、

門を静かに開け、私達を導いてくれた。


その時緑色の人達の顔を始めて間近で見たが、

福ちゃんと一人にそっくりだった。


扉が開いた途端、

今まで嗅いだことのないほどの、とてもいい香りが私を迎えてくれた。


そして私の目の前には、

今まで見たこともないほどの大きな木が一本、

キラキラとエメラルド色に輝いていて、

天の先の方まで伸びていて、先は見えない。

枝葉も白銀に輝き、

眩しすぎてどこまで伸びているのかわからない。

更に樹皮は一枚一枚が大きな鱗のようで、

エメラルド色に輝きながら、

規則正しく呼吸をしているように動いているのがわかった。

そして、どうやら深く優しく私の心の中に響いてくる声は、

この大きな木から響いてくるのだとわかった。

辺りの空気はとても澄んでいて、

私が一呼吸するたびに体の中にあったマイナスな感情が清められて行くようで、

私はとても安心したきもちになれた。


「はなゑ、ハヤチネの神様だよ」

私をエスコートしてくれている、

大人の姿になったたっちゃんが、大きな瞳でこちらを見ている。

辿々しい物言いは消え、

声までも深いテノールの大人の男性の声にかわっていた。


「たっちゃん。この美しい木がハヤチネの神様なのね」

たっちゃんは静かに頷き、

大きな木に向かい片膝を着いて一礼した。


私もたっちゃんに続いてお辞儀をしようと思ったら、

体が勝手にバレリーナがするように両手を優雅に広げ、

右手を前にして一礼していました。

・・・私どうしてこんなお辞儀を知っていたのかしら?・・・


「はなゑ。頭で考えないで、

全てを任せましょう。貴方は魂の故郷に帰ってきたのですから」

私の前には、

ハヤチネの神様から一本の白い糸のようなものが

上からスルスルと降りてきて、

優しく私の頬を撫でてくれた。

それと同時に私の心の中に

私そっくりなもう一人の私がいることに気が付いた

・・あなたはだれ?・・

問いかけてみた

・・私はあなた・・・

もう一人の私はそう答えた。

それと同時に

魂の故郷、その言葉が心の中に響いて、

忘れていた何かが私の頭の中でこだましていた。

涙と共に。


そして、私はなぜかあのトヨ占いの書の序文を思い出していた。


・・自分を変えたい

悩みから解放されたい、

しあわせな最高の人生にしたい、

誰もが抱くそんな思いをたちまち解決したい

そしてこの先も

目のまえの出来事にいちいち動揺しなくなり

自分の思い通りの道を突き進むことができます。

経済的なゆとりを手に入れ

最高の仲間に囲まれながら

好きな仕事

楽しい趣味で満たされた人生を

最後の最後まで

笑いながら生き抜くことができます。


誰と居ても、何処にいてもどうしようもない

孤独感を感じていた私。

満たされないままの心はどうしたらよいものなのか・・・

その答えのヒントを今、いただけたような、

そんな気持ちになっていた。


魂の故郷、トーノ、ハヤチネ。

私は大きなため息を一ついて、

どうしようもない孤独感という大きな荷物を

やっと降ろすことができる、

そんな魂の故郷に帰って来たのだと強く思った。


「貴方の中のもう一人の貴方に気がついたのですね」

ハヤチネの神様から伸びて来た白い糸は、

私の掌にスーッと降りてきて、

同時に白い糸にほのかな灯りが灯ると

私の心の中に言葉が響いてくる。

その白い糸に向かい私は問いかけてみた。


「はい。一人だと思っていたのは私だけで、

実はもう一人の私が私の中に存在していたのですね。」

「そうです。いつもそれを忘れないでください。

そしてもう一つ大切なことは

貴方が本当に行うべきこと。

お役目を思い出すことです。」


「はい。ありがとうございます。

今の私ではまだ思いだせませんが、思い出してみます。」


私の体はまるで、日向ぼっこでもしているかのように

ぽかぽかと温かく感じ、とても気持ちが良かった。

今まで気づかなかった

私の中にあるもう一人の私に気づくということは、

なんて気持ちが晴れやかになるのだろうか


「貴方に見せたいものがあります」

すると別の方から白くほのかに光る

枝の先がある一点を指し示していた。

そこには大きな石碑が立っていた。

私は以前テレビでトヨ文明の特集があり、

そこに出ていた広場のような所に立っていた

トヨのカレンダーにそっくりだと思った。


よく見るとたくさんの年号らしき数字が白く着色されている。

けれど2010年より先は赤い色で着色されており、

2031年より先の数字が刻まれていなかった。


私はハヤチネの神様の手を握りながら心の中で話しかけてみた。

(ハヤチネの神様教えてください。これはカレンダーですか?)

するとかなりの上の方からキラキラ輝く水滴のような光が私の手に届き、

それと同時にハヤチネの神様の言葉が響いて来た。

「そうです。それは地球のカレンダーです」

するとまた違う方角から一本の枝がスルスルと伸びて来て、

私の頬を優しく撫でてくれた。

気がつくと私はハヤチネの神様をしっかりと握りしめていて、

ふいに違和感を感じ、恐る恐るひらいた掌の中には

藍色に輝く丸い球が輝いていた。

「祭りを、本当のまつりを大切に行いなさい」


気がつくと私は民宿の部屋の布団に横たわっていた。

窓の外はそろそろ夜明けが近いのか、

少し明るくなって来たように感じた。

「夢だったのか・・・・」

それにしてもあまりにもリアルすぎる夢に戸惑いながら、

程よい疲れもあり再び眠りについた。


雨の音がする

やはり予報はあたったのかと思いながら

ぼんやりと天井を見つめていた。

(・・・・・!)

私は布団から飛び起き

ハヤチネの神様から頂いた藍色の珠を探した。

・・ない!ない!ない!

ハヤチネの神様が確かに渡してくれたのに・・・

あれは夢だったのだろうか・・・

確かにこの掌で感じた珠の重さを思い出しながら、

諦めきれない私は部屋中を探したけれど、

いくら探しても藍色の珠は見つけられなかった。

・・夢だったのかな・・・


朝食を取るために一階に降りて行くと

福ちゃんと一人は既に席についていた。

階段を降りる時、昨日かなり歩き回ったはずなのに

足がとても軽く感じて不思議だなぁと思っていた。

「おはよう、はなちゃんお先していたよ」

福ちゃんが言った。

「遅くなってすみません」

「今日はいちだんと足どりが軽やかだね、

なんかいいことでもあったのかい」

「ありがとうございます。

やっぱりわかりますか?朝起きたら足がとっても軽く感じて驚いていたところです」

「お肌もとってもツヤツヤして綺麗だよ」

「うわ!ほんと!ありがとうございます」

「いい夢でもみたのかな?」

福ちゃんが親指を立てながら言った。

「はい!とってもいい夢でした」

「どんな夢だったの?」

「な・い・しょ・です。」

と笑って答えた。


元来布団が変わると寝不足気味になるのがいつものパターンなのに、

どうしたわけか今朝は嘘のように体が軽い、

やはり昨夜の夢のせいなのだろうか?

「ほら!よそ見しないでさっさと食え」

一人がいきなりぶっきらぼうに言う。

昨日は風の丘で私の方が綺麗だと言ってくれたのに・・へんな奴。


私は朝食をいただきながら、

福ちゃんと一人に夢の話をしようかどうか悩んでいた。

「なにブツブツ独り言を言っているんだよ」

考えがまとまらない時、

独り言を言う癖があるらしく、よく一人から注意される。

一人はコーヒーを飲みながら、

「夢の続きでも見たのかい」

「えっ・・・・」

まるで心の中を見透かされているようで、驚いて一人を見返した。

「はなちゃんの考えていることぐらいわかるよ。

今は続石のことで頭の中がいっぱいなんだろう。

そのはなちゃんが、朝から独り言を言うってことは、昨夜の夢が原因としか考えられないだろう」

「・・・・・・」

私は黙ったまま一人を見つめていた。

「どうだい、いい男だろう?」

「はいはいそうですね、その通りですね・・・」

私が悩んでいると一人はいつも笑い話に変えてくれる。

「実は・・・昨日・・・大きな不思議な木と出会って・・・

ハヤチネの神様で・・・自分の役目に気がつくことって・・・」

あまりにも壮大な夢の世界を

どう話していいかわからないまま言葉ばかりが先に立っている私は、

自分でさえ意味不明な内容を、

一人は一生懸命聞いてくれて理解しようとしてくれていた。

「岩の次は木かい?はなちゃん少し落ち着いて説明してくれないかな?」

「ごめんなさい、そうだよね、ごめんね。まだ話がまとまらないままだものね。」

「まずは食事を済ませてからだよ」

一人がご飯を食べる真似をしながら言っている。

相変わらず竈で炊いたご飯は美味しかった。


食後のコーヒーをいただきながら、

改めて一人と福ちゃんに今度はちゃんと二人にわかるように、

話を順序立ててまとめ不思議な夢の話を聞いてもらった。


遠野に来てから、実は夢の続きは始まっていたこと。

(もうすぐわかります)の言葉から始まり、

不思議な歌に、

私そっくりな白い衣装の女性、

昨夜のUFO?の様子に、

たっちゃんが大人になっていたこと、

福ちゃんと一人に良く似た全身緑色の人、

そしてハヤチネの神様。

大きな呼吸している木。

その大きな木のハヤチネの神様からのイメージの中にあった、

自分の役目に気がつくこと、

思い出すこと、

正しい祭りを行いなさい。

まるで何処かのSF映画か物語の中のような話の内容に、

話している私自身が戸惑ったていたが、

それでも福ちゃんは頬杖をつきながら、

一人は腕組みをしたまま静かに頷きながら、

最後まで聞いてくれた。


「すべては(もうすぐわかります)に結びついていくんじゃないかな」

福ちゃんが言った。

「俺たちそっくりな緑色の人っていうのも気になるよな」

一人が言った。

「あと二日この遠野に滞在できるわけだから、

きっとハヤチネの神様が俺たちを見守っていてくださるよ」

遠野に来てから、

すっかり目に見えない世界の存在を認めるようになった福ちゃんに驚きながら、

これも遠野の郷の大きな力なのだろうかと考えていた。


「はなちゃん、なにびっくりした顔をしているの。行くわよ!謎探しに」

「・・・・・」

スキップしながら・・あのスマートさが売りの福ちゃんがスキップしながら、

それもオネエ言葉を使いながら歩いていく

「ハヤチネの神様、どうかおどかしっこなしでお手柔らかに導いてくださいまし」

つられて一人も両手で祈るようなポーズをしながら天を仰いでいる。

そんな二人にいつの間にか私も大笑いしていた。


第十七話・・・遠野博物館・昔話村・・・四日目

 雨の降る遠野の郷は

なんとも言えない風情があると思う。

街中を歩いている人の姿は少ないが

雨に洗われて全ての色がとても鮮やかに見える。

雲がすぐにでも手の届きそうなほど低く垂れ込め、

天と地の境界線がはっきりしない。

やっと色づいたばかりの桜の蕾が

寒そうにうなだれている。


私達は今年、リニューアルオープンしたばかりの

遠野博物館へ向かった。

市営の有料駐車場に車を停め、

坂道の先に南部神社を臨みながら館内へ、

一階には第一から第三までの展示室があり

「遠野物語の世界」

「遠野・人・風土・文化」

「企画展示室」

のテーマごとに分けられて展示されている。


特に第二展示室は、

町、里、山の三つにテーマが分けられ、

遠野の郷に吹く風が、

身近に感じられるような展示の仕方に驚いた。


福ちゃんは一階のライブラリーサロンで

取材した事柄のまとめをしたいというので、

私と一人の二人だけで

二階のマルチシアターで

遠野物語のアニメーションを見ることにした。


まるで異空間に登って行くような

暗い螺旋階段を登って行くと、

壁一面に三面の大きなスクリーンが横に長く伸びていて、

その前に、スクリーンを囲むように、椅子が並べられている。

雨のせいか他の客の姿は私たち以外誰もいなかった。


私と一人は、スクリーンのほぼ中央の席の一番後ろに並んで座った。

・・きつねの恩返し・・が上映されていた。

おじいさんに助けられた狐が

文字通りその恩を返す話である。


「はなちゃん・・・」

一人が困ったような顔をしている

「なに?どうかしたの?」

「俺、なにを話しているのかぜんぜんわかんないよ」

どうやら遠野の言葉が理解できないらしい

「昨日、福ちゃんと昔話の本を訳したでしょう」

「いや、文字で見るのと、

こうやって実際聞くのとではぜんぜん違うよ」

「そっか〜発音もなかなか難しいものね」

「はなちゃんの家族も、こんなふうに話すのかい?」

一人がスクリーンを見つめたまま言った。

「ちょっと言い回しは所々違うけど、

大体こんな感じかな・・なんで?」

一人は相変わらずスクリーンを見つめながら

「通じないと困るなと思って」

「・・・・・・?」

なぜ一人が私の家族と会話する必要があるのだろうか?

「そうか、福ちゃんと今度は仕事抜きで訪ねるつもりね!

大丈夫!私が通訳してあげるから」

「そうじゃなくて、

俺がはなちゃんを嫁にくださいって言った時、

返事が判らないと困るだろう」

「・・・・・・」

突然だった。

頭の中が真っ白になり、

一人の言った言葉の意味を何度も考えていた。

・・・これって・・・

もしかして・・・プロポーズ?なの?・・・

スクリーンが滲んで見える。

私が黙り込んだのを察してか

「はなちゃん」

一人が心配そうに私の顔を覗き込んできた。


私は気づかれないように横を向いたまま涙を拭き

「ごめん。目にゴミが入ったみたい」

と本心を探られないように誤魔化した。

本当はさっきの言葉の意味を一人に聞いてみたいけど、

私の思い違いだったら恥ずかしいし・・・

「大丈夫。

一人がさ、急に冗談言うから焦るじゃない」

と言うのがやっとだった。

本心では飛び上がって喜びたいくらいの気持ちなのに・・・

も~私のバカバカ!!!

と自問自答をしていると

「冗談なんかじゃない!」

そう言い放った途端、一人は席を立ち部屋を出て行ってしまった。


「えっ・・・・・」

あまりの突然の出来事に、ただスクリーンを見つめる私がいた。

スクリーンには馬に化けた狐が、

重い荷物を背負い峠道で、

力つき倒れる場面が映し出されていた。

いつも近くに居すぎて気づかなかった・・・

一人のことが好きだという気持ちに

初めて気がついてしまい、正直戸惑ってしまった。

それよりも、今は、

せっかくの一人の気持ちを

不用意な言葉で傷つけてしまったことの方が、

悔やまれてしょうがない。

・・・私ってどうしてこうなんだろう・・・

なんで素直になれないんだろう・・・


今の私には暗い室内がありがたかった。

後から、後から涙が溢れてくる。

スクリーンの物語もちょうど終わりを告げていて画面いっぱいに、

どんどはれの文字が映し出されていた。


どのくらいの時間が過ぎたのだろうか

全身の力が抜け動けないまま、

場内は上映が終わり薄暗い灯りが灯っていた。


私はなにも映し出されていない

大きなスクリーンをただ見つめていた。


・・・一人・・・


そうだ!私は一人のことを傷つけてしまったんだ!

どうしよう・・・

私はいても立ってもいられなくなり

慌てて階段を降りていった。


「あんまり遅いから、迎えに行こうと思っていたところだったよ」

福ちゃんが螺旋階段の前に立っていた。


「ごめん!ごめん!疲れが出たのかな

眠くなっちゃって、ところで一人は?」

私は努めて明るく答えた。

「さっきいきなり二階から降りてきて、

昔話村に行くと言って外へ出ていってしまったよ。

何かあったのかい?」

福ちゃんの優しい言葉に、

涙が溢れそうになるのを必死で抑えながら

「ううん、なんでもないの、心配かけてごめんなさい」

私は福ちゃんの顔をまともに見ることが出来ずに、

下を向いたまま答えた。

「とにかく昔話村に行ってみよう」

私の気持ちを察してか、

福ちゃんもあえて聞き返すことをしないでくれている、

福ちゃんの後ろをついて昔話村へ向かうことにした。

・・一人にちゃんと謝らないと・・・


昔話村は博物館の前の坂を下り、

橋を渡ってすぐのとこらにある。

博物館の傘立てに宿から借りてきた傘が一本差してあった。


一人はこの雨の中を

傘も刺さないで飛び出して行ったのだろうか・・・

一人、ごめんなさい。


昔話村では「遠野物語」の作者である

柳田國男氏の銅像が雨に濡れながら私たちを迎えてくれた。

ここは東京の世田谷にあった

柳田氏のご自宅をそっくりそのまま移築されていて、

更に柳田氏が遠野を訪ねる度に宿泊していた

旧高善旅館(柳翁宿)も移築されている。


遠野昔話資料館、

造り酒屋の蔵を活用した物語蔵、

奥には食事処もあり、

柳田氏が実在していた頃に紛れ込んだような気持ちにさせてくれる。

何処からかひょっこり柳田國男本人が顔を出しそうな

そんな佇まいをしている。


一人は物語蔵の前にある長椅子に腰掛けていた。

私と福ちゃんの姿を見つけたのか

いつものように大きく手を振って迎えてくれた。

「急に出て行くから驚いたじゃないか」

福ちゃんがそう言いながら拳を一人の胸に向けパンチをする真似をしている、

一人はそれを掌で受け止めながら

「いや〜ごめん!ごめん、

映画を見ていたら遠野中の化け物が一斉に出てきそうで、

気持ち悪くなったんだよ」

二人はパンチの応酬をやめずに会話を続けている。


私といえばどうやって一人に謝ればいいのか

そればかりを考えていた。

その心とは裏腹に、

一人の様子がいつもと変わらないことに戸惑いながら、

二人の会話を見守って要るしかなかった。

「おっ!巫女様、化け物にさらわれたかと思ったぞ」

「なっ!なによ!急にいなくなるから、

ものすごく心配したんだからね!」

そう言いながら、私の心の中に潜んでいた塊が

ポロリと音を立てて流れていった。


私はやっぱり一人が好き。

そうか・・・やっぱり好きなんだ・・・

そばにいすぎてわからなかったけど、

本当だ!やっぱり私は一人のことが好きなんだ!


「ごめんごめん」

白い歯を見せて笑う、一人の顔を見つめ返した。

「さて雨も小雨になったし次は愛宕神社の辺りと卯子酉様に向かおうか」

福ちゃんが声を掛けた。


第十八話・・愛宕神社辺り・・

愛宕神社へ向かう車内では、

福ちゃんからそこにまつわる昔話を読んでくれるように頼まれた。


今は昔の話です。

六日町のある人の家に小さなお地蔵様がありました。

ある時六日町で火事があり、

何処からかやってきた子供が火事を消したそうです。

さて、どこの子どもだろうと皆が不思議と思っていると

縁側に小さな子供の足跡がついていて、

足跡を辿っていくと地蔵様へと続いておりました。

それを見た人々はお地蔵様が火を消してくれたと言いました。


またある時は神社が火事にあい、

お寺の和尚様が一生懸命に水を汲んで神社に水をかけ消しました。

次の日村人達が和尚様にお礼を言いに行くと、

「はて?わしは、

昨日は檀家の法事があり出かけておったのじゃが」

と答えました。

村人達は昨日火事を消してくれたのは

いったい誰だろう?と思い神社をよく見ると

地蔵様の小さな足跡が残っていました。

村人たちは

「なんとありがたいお地蔵様でしょう。

皆でお祀りして拝もうではありませんか」

と言い、お地蔵様のいた家にお願いして、

愛宕様にこのお地蔵さまをお祀りすることにしました。

愛宕様は火防の神様で、

六日町の辺りに火事のないように御守りしてくださっているそうです。

どんどはれ       

(参考資料鈴木サツ自選50話遠野むかしばなし)


「愛宕神社と言えば京都が有名だね。

確か七月三十一日に、お詣りすれば千日分のご加護があるらしいよ。

この愛宕様もきっと同じなんじゃないかな」

知識豊富な福ちゃんらしい答えだと感心しながら

「そうなのね、さっすが福ちゃん!

他の土地ならお地蔵様が生きているなんて信じられない話だけど、

遠野だと当たり前に感じるから

本当に不思議な場所なんだって益々思えるね、

それから、

足を煤で真っ黒にしながら人々のために火を消すお地蔵様のお話は、

私の尊敬している方が

この世の中で、人々を導くお地蔵様になぞらえて

地蔵道を提唱しているけど、

このお話を教えてあげたら

すんごく喜ぶだろうなって思ったわ、

すんごくほっこりするいいお話だったね」

「へ〜地蔵道か・・・なるほどなぁ」

福ちゃんが深く頷いている。


「遠野は古くから、

山間部と海岸地方をつなぐ交通の要所だけあって、

昔話の幅が広く感じるね」

運転席の一人が言った。

「いろんな土地の人達が集まる場所だったからかしらね」

と私。

「今ではパソコン一つで世界と簡単に繋がることができるけど、

昔は人の足で文化も運ばれたんだよ」

と福ちゃん。

「すべては人の力で出来上がっていたのね」

と私が言うと

「そうだね」

と言いながら福ちゃんが頷いた。

「それから周りを山で囲まれているから、

昔は大変な思いをして、ここまで辿りついたんじゃないかしら」

「遠野はね地理的に見ても、

北上筋から花巻、遠野への道筋はなだらかな登り道で

北上山系の中でも、最も通行の容易なルートだったみたいだよ。

さっき博物館で地図を見て思ったよ」

「そうなのか!それじゃ海からの道筋はどうだったの」

「三陸海岸に行く道筋には険しい峠道、

例えば仙人峠みたいな険しい道が控えていたけど、

距離を考えた場合

一番便利な道だったみたいだよ。

ただし、かなり困難な道だったみたいだけどね」

「当時の遠野の郷の賑わいは、相当なものだったんじゃないかしら」

という私の問いに

「はなちゃんさすがだね、

それに関しては出馬千頭、入馬千頭。という言葉が残っているそうだよ、

現在で言うならちょうど

経済センターみたいな役割を果たしていたみたいだよ」

福ちゃんの話を頷きながら聞いた。

「つまりこの遠野物語や昔話の持つ豊かさは、

他の地域から隔絶されて生まれたものじゃないって事なんだね」

運転席の一人が言った。

「そう言うことになるね。

もし孤立した地域だったら、

一つの固定した神話は生まれることはあったとしても、

こんなにたくさんの想像力豊かな民話は生まれてこなかったと思うよ」

福ちゃんが答えた。

「それってさ、オシラサマやカッパに現されているように、

人間と神様を同一平面状に置いて、

同じ時空を過ごしているように現したってことかな」

と一人が言った。

「そうだね、神様と語り、動物と人間が結婚する話、

オシラサマの話も素直に受け入れる。

自然を恐れ、敬い、更に自然と一体となる。

凶作や天災に対しても

逆に明るい話で乗り切ってきた、

人間の底力を感じるね」

と福ちゃんが言った。

「その想像力の源になったのは、

多くの人達の経験や周辺の地域との交流で知った物語が

いろんな形で、積み重なったものなんだね。

それを子供が聞いてもわかるような昔話という形にして、

たくさんの戒めや教えを伝えてくれたものが、

一冊の本「遠野物語」として俺たちの目の前に現れたわけだ」

と一人が言った。


福ちゃんが

「・・遠野ってやっぱりすごい場所なんだよな・・・」

と独り言のようにつぶやいた。


車は愛宕神社前の駐車場に着いた。

目の前には愛宕神社の長い階段があり、

階段脇にある細道の先には五百羅漢、

駐車場の前には卯子酉様のお社がある。


「雨も強くなってきたし、もうすぐ夕方で暗くなると厄介だから、

愛宕神社か五百羅漢のどちらかにしよう」

「俺、五百羅漢が見たいな」

一人の言葉で五百羅漢を見ることに決まった。


五百羅漢は、

愛宕神社の脇道をしばらく登った先にあり、

今から二百年ほど前の天明年間(1781〜1789)

三千余名に及ぶ餓死者があった際、

南部家菩提寺の十九世義山和尚が

その惨状を憐れみ、

大小さまざまな自然石に、

読経しつつ五百体の羅漢を刻み、

なき人々の御霊を供養したと伝えられている。


「一人、福ちゃんちょっと待って」

脇道を歩き始めた途端、

目の前に広がる暗い森の中の気配に

遠野に来てから今まで感じたことのない恐怖を感じて、

私の足はピタリと動かなくなってしまった。


「どうしたの」

福ちゃんが心配そうに駆け寄ってきてくれた。

・・・ココハハイッテハイケナイ・・・

誰かがそう教えてくれたような気がした。


「私ここで待っていていいかな」

「うん、そうしな、はなちゃん顔色が真っ青だよ」

福ちゃんの言葉にうんと頷くのが精一杯だった。


「車で休んでいなよ」

そう言いながら一人が

私の脇を抱えて車まで連れて行ってくれた。

「はなちゃんさ、遠野に来てから急に見えないものが見えるようになったりして、

ちょっと疲れたんじゃないのか

あとは俺たちに任せて、ゆっくり休んでいなよ」

一人がそう言いながら頭をポンポンしてくれた。

「うん、そうするわ。ありがとうね」

二人が戻るまで私は車の中で横になることにした。


どうやら眠ってしまったらしい。

車のドアが開く音で目が覚めた。

「はなちゃん、行かなくて正解だったよ。」

福ちゃんが言い、一人が頷いている。

「石に刻まれた羅漢様の顔がとにかく凄まじかったよ。

叫んだり、泣いたり、怒ったり、笑っているのもあったんだけど、

とにかく作りものじゃない迫力というか、

実際に生きているように感じて、

石に宿る情念見たいなものを俺たちでさえ感じたくらいだから、

はなちゃんが見たら倒れるかもしれないなって

一人と話していたんだ」


「石と風と苔が重なって

なんとも言えない時代を感じさせる匂いが充満しててさ、

刻み付けられた人間の裏側の思いが凄い迫力で迫ってきてさ、

まるで見にきた俺たちを見抜いてるみたいだった。」

と一人が言った。


「普通五百羅漢と言えば立体的な像がほとんどなんだけど、

線刻でね。珍しいなと思ったよ。

立体よりも線で刻み込まれている仏様は、

彫り込んだ和尚の念仏が強く刻み込まれているようで怖いくらいだった。

近くを流れる小川の流れがまるで読経しているみたいに聞こえてくるから、

凄まじい執念を感じたよ」

福ちゃんはそう言いながら自分を納得させるように頷いている。


「この五百羅漢だけで写真集が作れそうだったよ。

はなちゃん、写真なら大丈夫だろう、後で見せてあげるよ」

一人が珍しく山以外で熱く語っているのを見て、

この時ばかりは実物を見に行けなかった事を少し後悔した。


「さて、次は目の前の卯子酉様だね」

愛宕様へは階段の下から一礼させていただいたその時、

気のせいだろうか、優しい風を頬に感じた。


第十九話・・・卯子酉様・・・

案内板の横に東屋があり、中で老女が昼寝をしていた。

遠野の郷では人間と神様が

まるでお隣さんのように一緒に生活している。


これまでも普通の民家の脇に、由緒ある神社があったりした。

本来の信仰とはもしかして、こうして生活の中にいつも神仏がいて、

共に生きる事なのかもしれない。

「はなちゃん見てごらん」

福ちゃんが指差した先には、

大きな木がまるで地面から両手を広げているような、

不思議な形をしてそびえたっていた。


しめ縄に紙垂がある事で(御神木)だということがわかる。

更に二つに分かれた幹の部分に小さな祠が祀られていた。

「ヒバの木だね。そしてこれが桂の木。こっちはイチイだね」

一人が一本一本の樹を指差しながら教えてくれた。


ヒバの木は一番太く大きい、

それが地面から1メートルくらいのところで二つに分かれていて、

一方の幹は、隣の桂の木とまるでダンスを踊っているかのように絡み合い、

もう一方の幹はイチイ木と絡み合っている。


イチイの枝は卯子酉様の祠のすぐそばまで伸びていて、

参拝者の手の届く範囲にはほぼ隙間なく、

赤い布が結び付けられている。

卯子酉様は縁結びの神様。


東屋から卯子酉様へ向かう間に朱色の小さな鳥居があり、

愛宕様の里宮が祀られている。

愛宕様を脇に見ながら丁度正面に縁結びの神様、

卯子酉様のお社がある。


言い伝えによると卯子酉様の始まりは、

昔ここに大きな沼があり、

その沼の主が美しい娘に恋をして、

自分の想いを伝えようと、

一匹の白蛇を娘の父親に遣わしたところ、

誤って父親に殺されてしまう。


すると家人たちが次々に病に罹り、

巫女様に伺いを立てていただくと、

神の遣いを殺した祟りだとわかり、

お堂を建てて祀ったのが始まりとされている。


その後も沼の主は娘を嫁に欲しいと何度か言ってきたが、

遂には娘が死んでしまい家人たちは沼の主を不憫に思い

せめて亡骸を沼の辺に埋めたと伝えられる。


主の想いは片思いに終わり、

その思いからかこの地には片葉の葦が生えることとなり、

お堂は娘をもらいに行った

遣いの白蛇を祀り縁結びの神社となった。


願い事をする時は、自分の名前と相手の名前を左手で左字を書き、

左手で結ぶとその願いは叶い、縁が結ばれると言い伝えられている。

今では大沼もその姿はなく、この御神木と祠だけが残った。

(参考資料鈴木サツ自選50話遠野むかしばなし)


「よし!俺は書くぞ!」

一人が張り切っている

祠の前には小さな箱の中に赤い布が入っていて、

100円を払い一枚いただく、サインペンもちゃんと用意されていて

一人は早速しゃがみ込んで言い伝え通り左手で書き始めた。

「あのさ・・・左字ってなんだ?」

「鏡文字の事だよ」

福ちゃんが言った。

「うそだろ・・・難しいな・・・・」

「恋の成就にはそのくらいの苦労は必要だろうってことかな」

福ちゃんはそう言いながら笑っている。

一人はぶつぶつ独り言を言いながら悪戦苦闘していた。

「縁結び以外のお願いはダメなのかな?」

「え・・・・福ちゃんは何をお願いしたいの?」

「決まっているだろう!今回の企画の成功だよ。

はなちゃんは、書かないのかい?」

「ナ・イ・ショ」

私も一枚赤い布をいただき、左字にチャレンジすることにした

「誰の名前を書くの?」

後ろから一人が声を掛けてきた。

「おしえない!」

と言いながら咄嗟に手の中に赤い布を握りしめた。

さっき博物館で感じたままの気持ちを、素直に書くつもりでいたからだった。

一人は何か言いたげであったがくるりと背を向けた。

左手で書く左字はなかなか難しく、

それでもなんとか書き終えて、

私は二人が車に戻ってから結び付けることにした。


一人は遥か上の枝に、

福ちゃんは縁結びではないので右手で結びつけている。

二人が車に戻るのを確認してから、

なるべく人目につかないような枝を見つけて、左手で結びつけ私も車に戻った。

(どうか想いが伝わりますように)

車に戻ると福ちゃんが「まち散策マップ」を見ていた。

「あれ?一人は?」

運転席にいるはずの一人の姿が見えない

「二番」

我が社では番号で行動を表すことになっていて、

一番は食事、二番はトイレを表す。

来客の折など「一番に行ってきます」と告げると先に食事を済ませてきます。

という意味になる。

この場合一人はトイレに行ったという意味になる。


この駐車場は「さわやかトイレ」という名前の公衆トイレになっている。

遠野の観光地のトイレはどんな場所でもとても綺麗で気持ちがいい、

宿の御主人の話では

(遠野の町を好きになってもらいたい)

と言う願いから、郷の女性たちが毎日綺麗に磨いているとのことだった。

「このマップによると町の中にもたくさんの物語があるんだね」

そう言いながら福ちゃんが散策マップを渡してくれた。

「本当ね。街角を曲がるたびに昔話の世界が広がるって素敵ね」

散策マップの中には十九の物語が紹介されていて

どれも実在の建物や神社にまつわるものである。

「ここから一番近いのは、石こ鍛治の話ね」

夜になると石が降ってくることから、

石こ鍛治と呼ばれるようになり、

尻尾が二本分かれている古狐を退治してから止んだという。

「愛宕様の話もあるわね」

「この村兵屋敷の話だね」

貧しかった村兵の先祖が愛宕山に向かう坂道で、

背負って行けという一体の仏像に出逢い、

愛宕山に祀ってからは大金持ちになったという、

またこの家の女房が畑にきゅうりを取りにいき神隠しにあった。

それからこの家ではきゅうりは作らないことになった。

「へ〜そういえば私の田舎でも特定の作物を作らない家ってあるわよ」

「本当にそんな事があるのかい?」

福ちゃんが不思議そうに言った。

「ええ。よく母があそこの家では瓜は植えてはいけないとか、

ナスがダメとか言っていたわよ。

その土地の土の質が合わないのが理由らしいけどね」

「土の質か!それなら話はわかるね」

「そうそう、凄いのを見つけたよ!この十一番の話。ちょっと読んでみて」

福ちゃんが興奮気味に指し示した。

「えっ!よみがえり・・・生き返った話・・ホラーみたいになってきたね。

確か虫の知らせみたいな話もあったわよね」

「そうそう、シルマシだろう」

その時一人が二番から鼻歌を歌いながら戻ってきた。

「二人で何を仲良くみてるんですか〜」

「お帰り。珍しいな鼻歌なんか歌って、いいことでもあったのかい?

この散策マップを見ていたんだよ」

福ちゃんの問いに

「いや別に」と一人が答えた。

「町の中にも沢山の昔話があるのよ」

そう言いながら、私は散策マップを一人に渡した、

すると

「おっ!これお笑いタレントみたいな名前だな、

ウンナンサマだってよ!」

と一人がいつになくはしゃいだ声で言った。


こんなに上機嫌な一人を見たのは初めてのような気がする。

何かいいことでもあったのだろうか

「本当ね、本人たちが知ったら驚くわよね」

ウンナンサマは正式には宇迦御魂神と言い、

水とウナギにまつわる神様で、

かつて境内には湧水があり、

神の遣いの片目のウナギが棲んでいた。

そのためウンナンサマの氏子は鰻を食べないと云われている。

「なになにを食べないって話は、さっき博物館でオシラサマの説明にも書いてあったよ」

福ちゃんがおしえてくれた。

「もしかして、オシラサマを祀ってある家では四つ足は食べないとか?」

「はなちゃん、どうしてわかるの」

「えっ!そうなの」

「厳密には四つ足だけじゃなくて、

獣と鳥も含まれていて、食べる口が曲がるって言われていたらしいよ。

当時は栄養不足が深刻でかなりのありがた迷惑だったみたいだね」

「私の母方の祖母の家がそうだったの、

でも祖母の家は四つ足だけで、

鳥は大丈夫なことにしていたみたいよ

祖母は鶏肉は食べていたから」

「はなちゃんのお婆さまの家にもオシラサマは祀られていたの?」

「その辺は聞いたことはないけど、

そういえば母が昔はお蚕様を飼っていたって話していたわ」

「オシラサマは女性にやさしい神様でね、

祟りはその家の男性に現れたらしいよ、

他家に譲りたいけど神罰が恐ろしくて譲れない、

そんな男たちの困り顔が見えるようだね。」

私の祖母は一昨年九十六歳の天寿を全うした。

遠野に来てからというもの、どうしたわけか祖母のことをよく思い出す。


「二月、三月花盛り

うぐいす鳴いた春の日に

楽しい時も夢のうち

五月、六月実が成れば

枝からふるい落とされて

近所の町へ持ち出され

何升何合量り売り

もとより酸っぱいこのからだ

塩につかってからくなり

紫蘇に染まって赤くなり

七月、八月暑いころ

三日三晩の土用干し

思えば辛い事ばかり

それも世のため人のため

しわがよっても若い気で

小さな君らの仲間入り

運動会にもついていく

ましていくさのその時にゃ

なくてはならないこの私

今日は赤く染まって

愛しいあなたの元へお嫁入り」


祖母が教えてくれた(梅干しの歌)を気がついたら口ずさんでいた。

家事をしながら独特の節回しで楽しそうに歌っていたのを思い出す。

「はなちゃん、それなんの歌?」

助手席に座る福ちゃんがそう言いながら振り向いた。

「梅干しの歌って言うのよ」

「へえ、梅干しの歌か、優しくて良い歌だね」

「でしょう。おばあちゃんが教えてくれた歌なんだけど、

すっかり忘れていたのに遠野にきたら不思議ね、

すらすら歌えたから自分でも驚いちゃった」

「都会に住んでいると、

自分が何処にいるのかわからなくなる時があるよね」

「ええ、確かに」

「遠野というか東北全体の時間の流れが都会とは何処か違って、

ゆったりとしているように感じるよ、

だからなのかな、心の奥のほうにしまい込んでいたものが

ふとした拍子に顔を出すのかもしれないね」

福ちゃんが言った。

「そうかも知れないわね。

遠野には忘れていた記憶まで思い出させてくれる

不思議な力があるのかも知れないわね」

「はなちゃんのおばあちゃまは、魔法を使わなかったのかい?」

「えっ・・・・・なんで?」

福ちゃんの突然の問いに私は驚いた。

「佐々木喜善氏の祖母の姉様も、

魔法に長けていたという話が遠野物語にあったなと思って

まじないで蛇を殺したり、木に止まっている鳥を落としたり、

はなちゃんのおばあちゃまのイメージと重なってね」

「まじないは使わなかったけど、

なんでも知っていて、よくお天気は当てていたわね。

雲の流れ方や日の入りの仕方、そうそう地震で天気予報をしていたわ」

「地震で?」

「そう、五・七の雨に、四つ日照り。六つ八つに九の病」

「へぇ〜凄いね、で意味は?」

「はっきり覚えていないのだけど、

今の時間で五は八時の事、

七は七時、六は六時、

四は十時から前後二時間、

九は十二時を現すらしくて、

その時間に地震が起きると雨になったり日照りが続いたりするらしいの」

「昔の人達の知恵の素晴らしさだね」

「祖母が元気な時は、

どっちかというと口やかましと思っていだけど、

今はいろんな話をもう一度聞きたいと思うことが多くなってきて

・・今更遅いんだけどね」

「居なくなって初めて、その人のいた位置がわかるものだよね」

福ちゃんは大きなため息をついた。

「さて、そろそろ昼飯にしようか」

一人が待ってましたとばかりに車を走らせた。


第二十話・・遠野ふるさと村・・・

散策マップに掲載されていた遠野物語のゆかりの地を後に、

私たちの車は国道340号線を途中左折、

早池峰山へ向かう県道160号線を北上し、

遠野ふるさと村へ向かった。


ここはあちこちに南部曲がり屋が移築されており、

まるで小さな一つの村のようである。

さながら、テーマパークと言ったところだろうか、

私たちはまずはレストランで昼食を取ることにした。


蛇石橋を渡ると、うっそうとした森が広がっており

遊歩道が設けられている。

しばらく歩き、森を抜けると

まるでタイムスリップしたのかと思うような景色が私たちを待っていた。


あたり一面に田んぼが広がり、曲がり屋が点在している。

舗装されていない道、聞こえてくる鳥の鳴き声も嬉しそうに感じる。

私は少し先の小高い丘の上に立っている

一軒の曲がり屋を見た瞬間目が離せなくなってしまった。


祖母の家にそっくりだったからである。

「ばあちゃん」

そうつぶやいて、

私はいつの間にか、曲がり屋に向かい駆け出していた。

もうこの世にいないはずの祖母が

「お〜きたがきたが、まんつ、こごさねまれ」

と引き戸の向こうの少し暗い部屋の中から、

丸い背中が迎えてくれそうな気がしたからだった。


「いらっしゃいませ」

エプロン姿にスカーフを頭に巻いた若い女性が笑顔で立っていた。

「ここは・・・・」

「はい、こびるの家ですよ」

笑顔の女性が答えた。

私はいるはずのない祖母が、何処かに居そうな気がして

こびるの家の中の天井や壁などをくるくると見まわしていた。

こびるとは、農作業の合間に食べるおやつのことである。


内部は高い天井に太い梁、大黒柱が黒光りしている。

土間の部分にテーブルが設けられてあり、

奥は広い座敷になっている、

そして驚くほど明るい、そして祖母の家と同じ懐かしい匂いがした。

長い年月囲炉裏で燻された木材の香りに、

土間の土に沁み込んだ生活の香り、

私はそっと深呼吸してみた。


匂いには忘れていた記憶を思い出させる力が有ると

誰かが言っていたがそれは本当だと思う。

まるで大型のスクリーンを見ているように

小さい頃祖母の家で遊んでいた記憶が鮮明に蘇ってくる。


「はなちゃん!待ってくれよ。食後のマラソンはやめてくれよ」

一人が肩で息をしながら私の直ぐ後ろに立っていた。

「ごめんなさい」

「どうしたんだよ、急に走り出すからビックリするじゃないか」

「おばちゃんの家にそっくりだったの、つい懐かしくなって、本当にごめんなさい」

ちょうど福ちゃんも、こびるの家にたどり着き私は二人に謝った。

「さっき、おばあちゃんの事を話していたから、余計にそう思ったんだろう」

福ちゃんの言葉に私は小さく頷いた。


エプロン姿の店員の女性が、

突然駆け込んできた私たちを驚いてみている。

彼女の胸のネームには「久美・くみちゃん」と書いてあった、

私の祖母の家にそっくりで、

つい懐かしくなり走り出してしまった事を告げると、

安心したような表情を浮かべた。

「お客さん方は、遠くから来たのすか?」

岩手訛りの温かな聞き方に思わずほっこりしながら

「いえ、私は岩手出身ですが男性二人は違います。今日はこちらに取材で伺いました」

そう答えると

「はあい〜何の取材なのす?」とびっくりしたような表情をしている

「遠野物語百年を記念したパンフレット取材をしています。」

エプロン姿の女性は静かに頷いた。

「ご苦労様だね。まんつ、ゆっくりしていがいね」

そう言いながらメニューの書かれた紙を置いて行った。


メニューを見ながら一人が

「はなちゃん、カネナリってなに?」

と聞くので、私もなんなのか悩んでいると

先ほどのエプロン姿の女性が

「焼いた餅に胡桃と甘めのタレが絡んでいる美味しいお団子ですよ」

と教えてくれた。

「失礼ですが、久美さんとおっしゃるのですか?ネームにお名前が書いてあったので」

私は思わず声をかけた。

「はあい〜そうです〜。みなさんには、くみちゃんと呼んでいただいております〜」

「そうですか。私の叔母と同じ名前なのでつい呼び止めてしまいました。すみません」

岩手でそれも遠野で、まさか大好きな叔母の名前と同じ女性出逢うとは、

懐かしさのあまり、つい声をかけてしまった。

「あら?もしかして皆さんが泊まっているのは、パパヤチニカですかね?」

「よくご存知ですね」

と福ちゃんが聞き返している。

「宿主が私の旦那なんですよ。皆さんのことをよく話してますよ。

私はここが終われば自宅のほうにいるので、

顔を出さなくて申し訳なかったです。」

なんと、このふるさと村の食堂で、民宿のご主人の奥様に出会うとは、

宿の主人の人懐こい笑顔が浮かんだ。


共通の知人がいることですっかり場が打ち解け、

一人はカネナリを注文して、

私はコーヒーを、福ちゃんは早池峰山の水を注文した。

しばらくして、注文した品が届き、久美ちゃんは深々とお辞儀をして、厨房の中へ消えていった。


「さっき通り抜けてきた森がマヨイガの森と名前がついていたよ」

パンフレットを見ながら福ちゃんが言う

「マヨイガは確か白見山に有ると伝えられている不思議なお家のことでしょう?」

「そう、つまり、僕たちがいるこの場所が、マヨイガの里って言うことになるのかな」

「それじゃどこかでお茶碗借りていかなきゃね」

「そうだね、でも少しニュアンスが違うみたいだよ。

言い伝えによると、

欲のない妻がマヨイガから椀を一つ贈られて、

斎田家が繁盛すると言う話が本当だよ」

「それじゃ、お椀を借りていってはいけないのね」

「そう言うことだね」

「俺、その話を爺様から聞いたことがあるよ。

だからいつも欲は出すなって言われたよ」

一人の曽祖父は遠野の出身で、同じ斎田の姓。

早池峰の神風の吹く郷と、いつも遠野を懐かしんでいたと聞いた。

「こんなに近くに関係者がいたとは、でもそれが遠野物語の魅力でもあるんだね」

福ちゃんが言った。

「普通の物語だったら架空の人物が主人公だったりするよね。

でも今一人が話したように、実在した人達が大切に語り継いできた物語だから、

現実味を帯びてくるってところかな」

「そう、それ!私も初めて遠野物語を読んだ時、これは本当にあった話だと思えて、

ものすごく怖かったもの」

「そうだよね、もの凄いリアリティだよね、

でももともと、柳田國男氏と佐々木喜善氏の出会いがなかったら、

文学作品として世間に知られることもなかったし、

第一僕たちがこうして取材することもなかったわけで、そう考えると凄い事だろう」

「凄い世界観が広がるわね、この世に偶然はない、か!」

私は深く頷いた。


「俺の爺様が言ったたんだけど、

伊豆神社、神遣神社、早池峰神社、薬師岳、早池峰山が、

ほぼ一直線に並ぶ位置に建っているらしいだ、

更に石上山と六角牛と伊豆神社は三角形を創るように配置されているらしいんだ」

「それって凄い話じゃないか、何か意味がありそうだね」

福ちゃんがいった。

「爺さんの十八番の話で、小さい頃から何回も、何回も聞かされて暗記してしまったよ。

改めて考えたことなんてなかったけど、そんなに凄いことなのかい?」

「自然にあったものを利用したのか、

人工的なのかは別にして、きっと何か大きな意味あると思うよ」

福ちゃんは、遠野の地図を取り出して位置を確認している。

「はなちゃん、確かに遠野三山の御祭神が祝詞の中に登場するって前に言ってたよね」

福ちゃんが地図を見ながら言った。

「それ今言えるかい?」

「はっきりとは覚えていないけど、大体なら言えると思うわ」

福ちゃんはこびるの家の久美さんに、歌を歌っていいかと聞いている。

「他にお客さんもいないし、あんまり大きな声でながったらよがんすよ」

と久美さんが承諾してくださった。

でも祝詞も歌なのか?

二人のやりとりにホンワリとした気分になりながら

私は膝に手を置き静かに唱え始めた。

「速川の瀬に座す、瀬織津姫と云う神。大海原に持出なむ。

比く持出住なば荒潮の潮の八百道の八百道の潮の八百合に坐す。

速開都姫と云う神。持加加吞みてむ。

比く加加呑みてば、氣吹戸に坐す氣吹戸主と云う神。

根国底国に氣吹放ちてむ。比く氣吹放ちてば

根国祖国に坐す、速佐須良姫と云う神、持佐須良ひ失いてむ。

比く佐須良ひ失いては、今日より始めて

罪と云う罪は在らじと。

今日の夕日の降の大祓に

祓給ひ清給ふ事を天つ神、国つ神、八百万神共に、聞こし食せと白す。」

(参考資料 神拝祝詞 神道大祓全集)


一瞬の沈黙の後、驚くような大きな拍手が聞こえてきた。

その先にいたのは久美さん率いる、三人のこびるの家の従業員の皆さんだった

「いやぁ〜お客さんじょうずだごど、おら家のばあちゃんみでだ〜」

一番年配の女性が言った。

「ありがとうございます。私も祖母に習いました。

こんなにたくさん拍手をいただきありがとうございます。」

私はペコリと頭を下げた。

「はなちゃんありがとう、おかげで凄い謎解きができそうだよ」

福ちゃんはなにやらメモを取り始めた。


雨も上がり、こびるの家の女性たちに見送られながら、

ふるさと村一番の大きな肝入りの家を訪ねた。

肝入りとは庄屋さんの事である。

この家には「白雪号」という名前の馬が住んでいて、

さらに座敷わらしも住んでいるという。

「あっ虹だ」

一人がふるさと村の上空に大きなアーチを描いている虹を見つけた。

都会ではあまりお目にかかれない色鮮やかな美しい虹である。

「こんなお話知っているかしら?」

福ちゃんは謎解きに夢中で、どうやら虹どころの話ではないようだ。

私は一人と並んで歩きながら聞いた。

「なに?」

「虹が消えないうちに、虹の出ている場所を見つけて掘り起こすと、宝物が手に入るって話」

「へぇ。知らないな。それで宝物は見つかったかい?」

私は首を横に振った。

「虹を見つける度に、みんなで走り出したんだけど、

ちっとも追いつけないの、反対に虹はどんどん見えなくなって、

やっぱり少し離れたところに見えて、しかも色がさっきより薄いように感じたのを覚えているわ」

「ははは、はなちゃんらしいね。本当に追いかけたんだね」

「うん。どんな宝物かも解らないのにね」

「俺の爺さんがよく(自然に学べ)って教えてくれたんだよ。

ガキの頃はその意味がわからなかったけど、今は自然が俺の先生だと思っているよ。」

一人は空の虹を見ながら言った。

「一人は虹を見てどんな学びをいただくの」

「虹って近くに行けば行くほど姿が見えなくなるだろう、

遠くから見ていた時はこんな鮮やかのに、これって夢に例えられないかな」

「夢?」

「そう、夢を見ている時は目標がはっきりしていて、

みんなそれに向かって突き進むだろう、

でもいざその夢が叶ってしまうと自分を見失ってしまいがちじゃないかな?

だから俺は、常に次の目標を心の中に思い描いていこうって決めているんだ」

いつもあまり自分の考えを話すことがない一人の言葉に私は驚きながら、

一人が、仕事中に気分転換と称して、よく屋上に行く意味が少しだけわかったような気がした。

「一人はだから山が好きなの?」

「ああ、そうだよ、自然は嘘をつかないし、自分の小ささがよくわかるんだよ」


気がつくと福ちゃんは既に、マヨイガの森の出口にいて、次目的地に向かおうと手招きしている、

一人と私も懐かしい香りのする、ふるさと村を後にした。


遠野ふるさと村から県道160号線を伝承園の方向へ戻る形になるが、

昨日不思議な老女を乗せた妻の神の石碑の脇を通り、福泉寺へと向かった。

今日もあの老女は登戸の親戚の家へ出掛けているのだろうか?

謎解きの進み具合も福ちゃんに聞いてみたかったが、福ちゃんからその話があるまで待とう思った。

「ところではなちゃん、笛吹峠って知ってるかい」

福ちゃんが言った。

「ええ。釜石に抜ける峠のことでしょう。何か気になる事でもあったの?」

「僕が小さかった頃、母さんがよく歌っていた歌の中の歌詞に出てきて覚えていたんだよ。

とてもロマンチックな内容の歌だったから、

さぞ、素敵な言い伝えがあるだろうと期待していたら、

継母が笛のじょうずな継子の男の子を殺した場所だっていうじゃないか・・

ショックでさ・・・」

「えっ!そうだったの・・・」

「助けを求めるためにその少年は、一生懸命笛を吹いたらしい、

今でも時々悲しげな笛の音が聞こえてきて、それで、笛吹峠という名前がついたらしい」

なんとも悲しい話が土台になっていたことに私もショックを隠せなかった。

福ちゃんのお母さんが歌っていた歌は

4人組のグループMARUKANが歌った

「不思議な遠野の物語」の中の一節だと思った。

私の母もMARUKANのファンでよく歌っていたから私も覚えている。

とてもロマンチックな歌で、笛吹峠で再会を約束する美しいフレーズを思い出す。

それがまさかの内容に、福ちゃんのショックな気持ちがよくわかった。

「福ちゃん、お母様にはこの話は内緒にしておいてあげてね」

「僕もそう思ったよ。母さんのお気に入りの歌だったから余計だよね」

三人で頷いた。


第二十一話・・・福泉寺・・・

広い駐車場の法面には、低く刈り込まれた松の木が福泉寺の文字を形作っている。

さっきまで降っていた雨で一枚一枚の葉が綺麗に洗われてより鮮明に見える。

福泉寺は遠野で一番新しく一番賑わっている寺である。


正式名称は真言宗豊山脈法門福泉寺という。

山門をくぐり、長い階段を登りしばらく行くと、

六万坪の広い境内に、新西国三十三番観音霊場、

新四国八十八ヶ所霊場、

更に金色に輝く木造福徳大観音像、

多宝塔や五重塔などがある。


福泉寺の開山は大正(1912年)で初代住職佐々木宥尊師が、

県内外の信徒の協力を得て、苦心を重ねながら開いたと伝えられる。


また二代摺石宥然師は、戦後の人心の荒廃を憂い、

戦没者の慰霊と世界平和を祈願して木造大観音の健立を発願。

昭和二十六年、綾織の砂子沢に根本の直径三メートル余り、

樹齢約千二百年の松の大木を得て、

延べ三万人の信徒の手で、雪ソリで十日がかりで寺まで運んだと伝えられている。


住職の宥然師は、二ヶ月に1週間の断食を繰り返し身を清め、

精魂込めついに昭和三十八年秋に完成。

福徳観音像は、光背を加えて十七メートル、重さ二十五トン、

木彫観音としては日本最大のものとして知られている。

佐々木喜善氏は先代と親友で、同士の顕彰碑が境内にある。


「十二年もかけて観音像を彫るって・・しかも断食しながら・・・すごいことだよね」

大観音堂に祀られている、

金色の観音像を見上げながら一人がつぶやいた。

「この遠野には大きな志を持った人たちが多いように感じるね。

清心尼公様や千葉家の当主、

そしてこの宥然和尚、調べればもっと沢山の人がいそうだけどね」

福ちゃんも、やはり金色の観音像を見上げながら言った。

「この岩手の山奥で、人々の幸せのために、日本の国の平和のために、

全力で働いた人達が居たってことよね」

私も二人と同じように金色の観音様を見上げながら言った。

「田舎も都会も関係ないと思うよ、

都会に住んでいるから志が高いとは限らないしね、

むしろ少し離れた場所から眺めたほうが、全体を見渡せる事もあるからね」

福ちゃんが言った。

「なるほどね、今の世の中にこそ志の高い人が必要よね。」

私たちは観音様の前にある賽銭箱の前に、

向かって左から福ちゃん、私、一人の順で並んでいる。

「そうだね、でも誰か特定の人が何かをして

人を引導する時代は、もうすぐ終わりを告げるように僕は感じているんだ、

特別な誰かではなく、全員がそうならないと、

この世はもうおかしくなる一方のような気がしてならないんだよ。」

と福ちゃん。

「環境汚染、異常気象、地球規模の変化が既に始まっているからね」

一人が相槌を打ちながら答えた。

「私たちにできることって何かしら?地球はどうして欲しいいのかしら、

いろんな学者がいろんなことを言うけれど、

もし地球が言葉を発して、私たちにこうして欲しいと言ってくれたら、

誰が何を話そうが一番説得力があると思うわ」

「そうだね。可能ならその答えを、この金色の観音様が伝えてくれるとありがたいよね」

福ちゃんがそう言いながら金色の観音様に手を合わせた。

続いて私と一人も手を合わせた。


その時

どこからか大きな太鼓の音が境内に響き渡り、

私は突然のあまりにも大きな音に驚き、

ハッとして拝んでいたのをやめて周りを見回した。


すると、私と福ちゃんの間を一本の白い矢が

ヒューと風を切りながらものすごい勢いで観音堂の奥へ飛んでいった。


その先から、再び大きな太鼓の音がドーンとしたのと同時に

「ご到着〜」

という声がお堂いっぱいに響き、

観音像のちょうど真後ろから、青い光がレーザー光線のように放たれて、

観音像を取り囲むように眩しく輝き始めた。


「何かイベントでも始まるのかしら?」

左隣の福ちゃんに声を掛けたが、手を合わせたまま動かない。

右隣の一人にも声を掛けてみたがやはり動かない。

更に周りを見回して私は驚いた。

「これは・・・・・」

まるでⅮⅤⅮを一時停止したような、

私の周りの全ての動きが止まっていたからだった。


両隣の福ちゃんと一人も、上空を行く鳥も、周りの木々や手水の水さえも、

全てがストップしたままピクリとも動かない。

私だけが動くことを許されていたのだった。

(確か昨日の夢の中で、

ハヤチネの神様が時間と時間の狭間を歩いて移動しているって言っていた・・・

あれはもしかしてこのことなのかしら・・・)

私はとても冷静にそのことを思い出していた。


すると観音堂の中から

「定刻になりました。

皆様お揃いになりましたので、只今よりヒダリマワの祭りを開催させていただきます」

その声を合図に青い光は更に輝きが増していくように感じた。

(ヒダリマワリって確か、以前座敷カッパのたっちゃんが、

ハ・ナ・エ・ヒダリマワリヲシヨウって言っていたのと同じことなのかしら?)

私は一人だけ動くことが出来る事を、

観音堂の本堂の中にいる人達に知られてはいけないとなぜか思い、

福ちゃんと一人の間で、手を合わせ薄目を開けて観音堂の中の様子を見守ることにした。

大きな太鼓の音が一つして、観音堂の中から、一層眩しい青い光が放たれたかと思うと


早池峰様・・・ラマト

六角牛様・・・アハウ

石上様・・・イーク

神遣様・・・キーミー

伊豆様・・・カン

諏訪様・・・カバン

荒神様・・・ベン

龍神様・・・エツナブ

荒川不動様・・・カウアク

山神様・・・オク

宇迦様・・・チークチャン

多賀様・・・キーブ

愛宕様・・・マニーク

乳神様・・・チューエン

羽黒様・・・メン

巌龍様・・・イーシュ

八幡様・・・イーミッシュ

卯子酉様・・・アクバル

稲荷様・・・エブ

オシラサマ・・・ムークル


と、遠野の郷の神々様の名前を声高らかに読み上げている。


神々様の名前の下に何処かで聞いたような呼び名がついていたが、

確かトヨの20の神々様の名前だと思った。

今回の遠野行きのきっかけになった、一人から借りたトヨの占いの書で、

イークは私の守護神の名前だったのを

たまたま覚えていたからだった。


でもなぜ遠野の郷の神々様の名前に、トヨの神々様の名前がついているのだろうか?

不思議に思いながら、私は相変わらず薄目を開けたまま観音堂の中の様子を見ていた。


名前を呼ばれるたびに、青い光が本堂めがけてどこからともなくやってきて、

あるものは渦を巻きながら中央で踊り始め、

あるものは不思議な形を造りながらやはり中央で静止している。

どうやら名前を呼ばれたものは、中央で挨拶をするのが礼儀のようだ。

そして、一体、一体、眩いばかりの青い光を放ちながら

観音像の左側へ集合していく。

すると今度は私と一人の間を、さっきと同じように赤い色の矢が、

観音堂の中へ物凄いスピードで飛び去って行った。

「ご到着〜」

今度は先ほどとは違い、赤い光が観音像の周りを取り囲むように放たれている。

大きな太鼓の音が鳴る度に赤い光は一層輝きを増し、

今度は遠野の郷の七観音の名前と、

最後にここ福泉寺の金色に輝く福徳観音の名前が呼ばれている。


青い光の時には、響きの良いテノールの朗々とした響きの声であったのが、

赤い光の時には金属的な声で神々さまの名前を読み上げている。


更には赤い光に合わせて、七色に輝く美しい布がひらひらと舞い、

様々な形を作りながら中央で踊り、今度は観音像の右側に集合していた。


青い光と赤い光が観音像を取り囲むように輝き、まるで光の渦のようで、

薄目を開けて見ていても、眩しく感じてしまうほどだった。


光たちはまるで会話をしているように様々に輝きながら色々の形を造り

「右へ」

初めに聞いたテノールの声が号令をかけると、

それまでバラバラだった動きが一斉に右へ動き始めた。

「左へ」

先ほどのテノールの声が再び号令をかけるとやはり一斉に左へ動き始める。

「左回転」

今度はそれぞれだった動きが、まるで一個の個体のように統一したものになり、

一塊の左回転に変化していった。

「右回転」

始めの左回転のうちは、二,三個の遅れた光がいましたが、

この右回転で綺麗な同一の動きに整うのだった。

その綺麗な同一の動きの美しさといったら、

まるで宝石箱の中にでもいるような気持ちになり、

思わず「綺麗・・・」と呟いてしまった。


慌てて口を押さえたが、光達の動きがピタリと止まり

「誰だ」

あのテノールの声が辺り一面に響き渡っている。

…うわ〜どうしよう・・・


遠野に来てから、沢山の不思議な体験をしてきたけれど、

どうゆうわけか恐怖を感じたことはなかった、

けれどこの時ばかりは、遠野物語の中で

山神の宴の邪魔をして無惨な死を迎えた男の話を思い出してしまい、

背中に冷たいものが流れるのを感じた。


・・・どうかお命ばかりはお助けください!神様仏様・・・


速まる心臓の鼓動を感じながら、

薄目のまま身を固くして目だけ動かして周りを見ると、

さっきまで右と左に分かれて踊っていた、遠野の郷の神々様が

一斉にこちらを見つめているではないか!

私はいよいよ覚悟を決め、より一層身を固くして、目をきつく閉じた。


それでも恐々薄目を開けて辺りの様子を見てみると、

ざわざわした観音堂の中から、

こちらに向かって一本の橋が

綺麗なアーチを描きながら私の足元まで伸びてくるのがわかった。


「はなゑ、こちらに向かって渡ってきなさい」


(・・・えっ!なんで私の名前を知っているの・・・

いよいよ人生最後の時が来たんだわ。

いくら叫んでも誰も助けてくれないよね、

だってここは時と時の狭間だものね、

時間が戻ったら、福ちゃんと一人が隣で息絶えている私を見たら驚くだろうな・・・・)

そして今までの短かった人生を思い出して涙が溢れて来た。

…誰かたすけて…


いよいよ決心を決め、いざ橋を渡るというときには、

足が震えてなかなか前に進めなかった。


それでも必死になって、渡り始めた橋の感触は、

極上の絨毯みたいにふわふわで、不思議と恐怖心が消えていくのがわかった。


一歩、一歩、進むたびに、驚くほど恐怖心が消え、

私は歌でも歌いたいくらい、ふわふわな、いい気分になっていくのが不思議だった。

(私・・・この橋を渡ったことがある・・・・)

そしてどこか懐かしい気持ちになっていた。


橋を渡り終えると全身真っ黒で、影のような人物が私を待っていた。

「はなゑ。よく来ましたね。

あなたを待っていました。これからヒダリマワリの祭りが始まります。

よく見ておくように、

そして、誰かにこの祭りの事を伝えるときは、時の声に従いなさい」

テノールの声の影の人は、私にそう言いながら目の前の椅子に座るように促した。

椅子に座ろうと一歩前に進み足元を見ると、

透明な板の上を歩いていて、足元には観音堂が透けて見えている。

まるで宙に浮いているようだった。


福ちゃんと一人が手を合わせたままの姿で遥か彼方に小さく見える。

アーチ橋はいつの間にか消えていて、

その橋があった場所に木製の小さな椅子が置いてあり、私はそれに腰掛けた。


その途端に影のような人は、白いベールのようなものを全身に纏っていた。

男性か女性かはわからない。ベールから出ていた手は白くとても美しかった。

そして、そしてその手には、銀色に輝く細い棒が握られていて、

まるでオーケストラの指揮者のように、上下左右に自在に動かしている。


棒の動きに合わせて、宝石のように輝く遠野の郷の神仏達の光は素晴らしく美しかった。

初めのうちは先ほどと同じように、

二つ三つの光の遅れがあったのだが、回数が進む度に一つの動きへと変化していった。


全ての光が一つの塊となり、まるで太陽の光のように燦々と輝き、

私はそのあまりの眩しさに手を翳していた。


すると影の人は光の輝きが一つになったのを確認するかのように、

大きく二回頷きながらこう話し始めた。


「宇宙は一つの意識から始まりました。

今、あなた方が生きている世界では、そのことが忘れられています。

魂と心と体も全ては繋がっています。

一人ひとりがその意識に目覚め、宇宙とのつながり、

つまりは、一人ひとりの音を思い出すことです。

貴方がいる今の世界では、

たくさんの雑音に紛れ、人々はその響きをわすれています。

大切なことは、あなただけの音を心の中に響きとして捉えることです。

やがてその響きが、光の粒子となり、大きな一つの塊と成長していきます。

それを大いなる意志と呼び、私たちの世界への橋が築かれます。

垣根を飛び越えるという表現が一番わかりやすいかもしれません。

いいですか。大切なのは音を、あなたの音を思い出すことです

その音を見つけることがとても大切なことです。

あちらもこちらも、良いも悪い存在しない世界が始まります。

もちろん宗教的な垣根もありません。

やがて、大いなる意志は更に大きな宇宙の大いなる意思とつながります。」


どのくらい時が過ぎたのだろうか、

ハッとして我に還ると、止まっていた時間は総て動き出していた。


私は福ちゃんと一人の間に立ち観音堂の賽銭箱の前に立っていた。

「はなちゃんらしいよな、世界が平和でありますようにと祈るところなんか」

福ちゃんが言った。

さっきまでいた世界と現実の世界の区別がはっきりしない、

今までにあんなに眩しい光を見たこともない、

耳鳴りと軽い眩暈がして、なんとか福ちゃんの言葉に答えようとしたけれど、

言葉が出てこない

「どうしたんだい、ボーっとして」

一人が言った。

「ちょっと眩暈がして・・・」

やっとのことでその言葉が口から出たきり、私はその場にしゃがみ込んでしまった。

軽い吐き気もする。変な汗が背中を流れていく。

「おい!大丈夫か」

一人の声がするけれど返事が出来ない、視界の端から黒い闇が迫ってきて、

やがて何も聞こえなくなった。

そしてふんわりと誰かに抱き抱えられたような気がした。


「はなちゃん!はなちゃん!」

福ちゃんの心配そうな顔がぼんやり見えた、どうやらベンチに横になっているらしい、

「あせったよ!急に倒れるから、起きちゃ駄目だよ、まだ寝てなよ」

私は小さく頷いた。

その時一人が走ってくるのが見えた。

「はなちゃん、気がついたかい」

そう言いながら、冷たいタオルを首にあててくれた。

「ごめんなさい。ありがとう」

喉の奥がヒリヒリしてやけに苦い味がした。

眩暈は幾分治ってきたけれど、まだ耳は水の中にいるような感じがして

ガラスの向こうから話しかけられているようで、はっきり聞き取れない。


「一人がこの東屋まで運んでくれたんだよ。ここなら屋根もあるし、ゆっくりできるからね」

「一人、ありがとう」

一人は手を横に振り気にするなといっているようだった。

「はなちゃん、何かあったのかい」

向かいのベンチに腰掛けている福ちゃんが言った。

「うん、今は話せないけど、話せる時が来るまで待ってくれるかな」

「大切な事なんだね」

「誰かに話すときは時を待てって言われたの」

「そうか・・・」

「ごめんね。心配かけて・・・」

「気にしなさんな、今日はもうここで終わりだから、ゆっくり休むといいよ」

「ありがとう」

そう言うと、一人が水筒からコップに水を注いで渡してくれた。

それは、こんなに美味しい水があるのかと思うほど甘く美味しい水だった。

そして、現実の世界に戻る事が出来て本当に良かったと思った。

あのままあの時間の間にいるとしたら、私はこの世で存在していただろうか。

神隠しで亡くなったと云われている人々は、もしかして、

私がさっきまでいた神様の時間を今でも旅しているのかもしれない・・

雨上がりの早池峰山からの風が優しく頬を撫でていた。


第二十二話・・・最後の宵・・・

「はなちゃん。着いたよ」

さっきまで福泉寺の東屋のベンチで横になっていたはずなのに、

いったい・・・

「よく眠っていたから一人が車まで運んでくれたんだよ。

夕暮れも近かったしね。どうだい気分は?」

「ありがとう・・・・」

そう言いながら、私はちょっと恥ずかしい気持ちになっていた。

(一人に運んでもらったって・・・うわ!重くなかったかな・・・)

「歩けるかい?」

「おかげで、めまいも消えたし、

耳もちゃんと聞こえるようになったみたい」

「よっ!巫女様」

一人がそう言いながら私の肩をポンと軽くたたいた。

「私を運んでくれたんですってね、ありがとう」

「はなちゃんが結構重くて大変だったよ」

そういいながら一人がよろける真似をしてみせた。

私はまるで心を読まれたような気がして、うつむいたまま小さな声で

「すみません・・・ごめんなさい」と返した。

一人は大きな声で笑いながら宿の中へ入って行った。

「さあ、遠野最後の夜だよ、ご飯にしよう」

福ちゃんがやさしく声をかけてくれた。


夕食の後、明日のために荷造りしながら

短いようで長かった遠野の郷での出来事を思い出していた。

今夜も座敷カッパのたっちゃんの姿は御膳の前にはなく、

思えばこの民宿パハヤチニカに泊まったことが全ての始まりで、

座敷カッパのたっちゃんとの出逢いからはじまり、

オシラサマのマリさん、

サムトの婆のサチコさん、

更にハヤチネの神様にヒダリマワリの祭りに、

トヨの神様。

平凡だった毎日が180度変わってしまうような、

目に見えない世界での体験の数々。

まるで夢の中にでも迷い込んだ出来事の連続を、

きっと以前の私なら、驚くばかりで

何が何だかわからないままだったと思う。

けれど全ての出来事のキーワードが

「はなゑ、待っていました。」

という言葉だったこと。

自分でも不思議なくらい冷静に感じとっていて、

自分の中から不思議な感覚が蘇ってくるのがわかった。

いったい私に何をさせようと言うのだろうか?

そして何を伝えようと言うのだろうか、

座敷カッパのたっちゃんは

「オモイダシテ」と言ったっきり

姿を見せなくなってしまった。

そして明日はいよいよ夢に何度も現れ続け、

私を遠野に導いてくれた続石に逢いに行ける!

半分怖いけど、半分何が起こるのか見てみたい。


「はなちゃん。荷造りは済んだかい?」

福ちゃんが隣の部屋から声をかけてきた。

「ええ、終わったわよ」

小さなスーツケース1個に、

わずかな土産物だけの簡単な荷造りは、

考え事をしながらでもすぐに終わり、

福ちゃんが明日のミーティングを行うと言うので、

隣の福ちゃんたちの部屋へ向かった。


隣の部屋に入るなり、福ちゃんが待っていましたとばかりに

「はなちゃん、凄いことがわかったんだよ」

と弾んだ声で話し始めた。

「これをみてほしいんだ」

そう言いながら、カレンダーの裏に

手書きでさっき一人が話してくれた、

曽祖父から聞いたという、

伊豆神社から早池峰神社を線で結び、

その直線上に神遣神社があることと、

石上山と六角牛山が三角形を描く事が書き込まれていた。


更には各神社の御祭神も書き込まれたいる。

伊豆神社と早池峰神社の御祭神は共に瀬織津姫命、

六角牛山の御祭神は速秋津姫命、

石上山の御祭神は速佐須良姫命

「はなちゃん、もう一度大祓祝詞を唱えてくれないかな、

ここに書き込んである

三人の女神がたちが登場する部分だけでいいから」

私が首を傾げて、何事が起きているのか、

わからないでいる私を福ちゃんが察して

「落ち着いてよく聞いてくれよ。

瀬織津姫が、人々が犯した罪や穢れを川から海へと運び、

速秋津姫を経由して根の国に住む、

速佐須良姫がそれを飲み込む、

つまり、早池峰山、六角牛山、石上山は

古代の浄化システムだったと言う意味じゃないかと思ったんだよ」

あまりのスケールの大きな話に、

福ちゃんの話がよく理解できないでいる私がいた。


それでも云われるままに再び

大祓祝詞の3人の女神が登場する部分を唱えた。

「ありがとう。さっき祝詞の意味を一人が調べてくれてね。

その結果なんだけどね」

福ちゃんは一人に説明するように促しているが、

一人は福ちゃんに説明してくれと手で合図している


「わかったよ、それじゃ僕が説明するね」

「ちょっと待って!遠野三山が浄化システム?

いったい何を浄化するためのものなの?

私には全く意味がわからないんだけど?」

「まあ、はなちゃんが驚くのも無理はないことだけど、

ここからが謎解きの始まりだから、落ち着いて聞いてくれよ」

福ちゃんにそう促されて、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「古代この日本列島には、西南のヤマト。

東北の日高見の二つの国が存在していたのは、

いろんな文献にも表されているから、

知っているかと思うけど、

東北の覇者として有名な、蝦夷の頭領の阿弖流為が亡くなり、

日高見の国が合併されてから、

ヤマトが日本の国名を用いたとされている

青森県のある村には

日本中央と書かれて謎の石文も残っているそうだ。

当時のヤマトの国の人々は

この東北を恐れていたことは確かだね」


「それじゃ、つまりヤマトの国の人たちが滅ぼした

日高見の国の人たちの恨みの気持ちを浄化するために

自然の形を利用してお社を建てたり、

神様を祀ったりしたってことなの」


「いや、そう考える学者もいるようだけど、

僕は違うと思うんだ。

遠野の郷や、山を実際に歩いてつくづく感じたのは

この土地の豊かさだよ。それも心の豊かさだよ。

どんなに辛い状況だったとしても、

昔話に表されているように総て笑い話や、

尊い教えとして語り継いでいるよね。

厳しい気象条件だったようだから、

人々の暮らしも大変だったと思うけれど、

だからこそ「生かされている」と言う気持ちが

あちこちに、今も生きていると感じるよね。

今はお金を出しさえすれば、大概の物は手に入る時代だけど、

本当はお金じゃ買えないものの方が、大切なんだって、

この郷の人々は知っているよね。

この思いは、古代からの大きな時代の流れの中で、

日高見の人々の心の中に流れている、思想だと感じるんだよ。

だから、争いを続ける当時の日本の国を、自分達の祈りの力で、

もう二度と争いの起こらない平和な世の中にしようと

したんじゃないかな、

僕はそのための浄化システムだと思うんだ」

福ちゃんはそう言い終わると大きなため息をついた。


「つまり、浄化システムを造ったのは、

ヤマトの人々ではなく、日高見の人々だったってことなの?」


「そう言うことになるね。

でもシステムを造ったのはヤマトの人々だよ。

御祭神がヤマトの国の神々だからね。

そこが日高見人々の凄いところだと思うよ。

たとえ敵軍が造ったものでも、

自分達の思想に変化させていくのだからね」


小学生の頃、教科書でこの岩手には

蝦夷と呼ばれる鬼が住んでいて、

征夷大将軍の坂之上田村麻呂により

蝦夷征伐が行われたと教えられた。


私たちの祖先は鬼なのかと

真剣に悩んだ事もあるが、

その後随分経ってから(歴史は勝者が創る)

と言うことを学んで

実は阿弖流為を中心とした、

争いを好まない平和な暮らしを営んでいたのが、

私たちの祖先だということを、提唱する学者が現れ、

近頃やっと世の中に知れ渡ってきた。


確かに土地の理を利用して、この地を浄化しようと考えたのは、

ヤマトの人々だったかもしれない、

昔からの自然崇拝を大切にしてきた蝦夷の人々にとっては、

自分達がいつも祈りを捧げていた場所に

立派なお社を建てられ、

聞いたことのない神々の名前を唱えるようにと強要されようが、

それでも、豊かな恵を与えてくれる山は山で、

そこに変わらずあるわけだから、

それも良しとして、争いのない

平和な世の中を願うことに変化させていったのではないだろうか、

私の心の奥の方で誰かが頷いたような気がした。


そして福ちゃんの解釈が本当に嬉しかった。


山は古代からこの日高見の国を守ってきた。

人の心がどうあれ、ひたすらに見守ってきたのだと思う。

今夜の福ちゃんの話をハヤチネの神様はご存知なのだろうか・・・


もしかして、今日私が時間の狭間で見た

ヒダリマワリノ祭りはこのことを伝えるために

見せてくださったのかもしれない。

そんな気持ちがものすごく強くなり、

私は二人に、私が今日体験した出来事を伝えなくてはいけない、

そう強く感じた。


「実は・・・・」

そう言いかけてあわてて口を押さえた。

・・・口外するときは時を選んで・・・

あの影のような人は確かにこう言った。

けれど時を選ぶってどういうことなんだろう・・・。

(ハ・ナ・エ・ダイジョウブ・イマガソノトキダヨ)

と、突然心の中に言葉が響いてきた。


この声と話し方には聞き覚えがあり、

私はすぐに、座敷カッパのたっちゃんだとわかった。

姿は見えないけれど、

きっと近くで私たちを見守ってくれているのはわかっていたから、

たっちゃんの言葉に、背中を押してもらいながら、

今日の出来事を伝えることにした。


「実は・・さっき訪ねた福泉寺でね、

ヒダリマワリの祭りを見せていただいたの」

「えっ!いつの間に?」

福ちゃんと一人が同時に聞き返してきた。

「賽銭箱の前で三人並んでお参りしたでしょう、あの時よ」

福ちゃんと一人は顔を見合わせている

「時間と時間の間の話なの、驚くかもしれないけれど、

本当のことだから落ち着いて聞いてね」

福ちゃんと一人は静かに頷き、

私は覚えている限りのことを二人に話して聞かせた。


しばらく沈黙が続いた。

到底信じてくれる内容ではないことはわかっている。

話している私でさえ信じられない

と言うのが本音なのだから、

今の世の中での常識では考えられない、

現実の世界とは違う次元が存在しているという事になるからだ。


「本当に時間と時間の間にいたのかい?」

一人が信じられないという顔で聞いてきた。

「信じられないかもしれないけど、嘘じゃないわよ。

だって風も雲のみんな動かないで止まったままだったから」

「その時俺たちはどんなだったの」

「賽銭箱の前で手を合わせてまま止まっていたわ」

一人はなぜかニヤリと笑い

「今度は俺も連れてってくれよ〜」

と手を合わせながら

私に言うものだから思わず笑ったしまった。

「悪いことに利用している人には

遠野の郷の神様は招待しないそうよ」

そう伝えると一人は

「遠野の郷の神様、仏様どうか今度はこの斎田一人にも

ヒダリマワリの祭りにご招待よろしくお願いいたします」

そう言いながら手を合わせている。

その姿を見て、福ちゃんと目と目を合わせて大笑いした。


「神様たちの姿は見えたのかい?」

福ちゃんが言った。

「姿というか・・・とにかく眩しい光だったの、

右側に集まったのが、

どうやら神様と呼ばれるもののような気がしたの、

光の中心にそれぞれ違う形があって、

回転していたり、螺旋を描いていたり、

真っ直ぐだったり、長いのやら、短いのやら、

今まで見たことのない不思議な記号のような形もあったわ、

それから左側に集まっていたのが

仏様と呼ばれている者達のようで、

美しい七色の原色に近い色合いの紐が、

いろんな形を造っていたわ」

「そりゃすごいものを見せられたんだね。

でもさ、はなちゃんの話を聞いてたら、

元素記号みたいなものじゃないかって思ったよ」

「えっ?元素記号?」

「そう、その影のような人は、

大きなエネルギーって言ったんだろう。

この地球の始まりは「光あれ」の言葉から始まり、

化学では水素から始まったって解明されているんだよ。

神仏がそれぞれ元素だと考えると、

大切にしなきゃいけない意味が、より自分達に近いことがわかるよね。

人間を構成している元素は土の元素に似ているらしいしね。

更にこの世は総て元素でできているからね」

福ちゃんがそう教えてくれた。


「さすが福ちゃん!そうか・・・神様が元素・・・。

なるほどね・・・

そう考えると神話の世界と現代科学の世界が、

すごく近く感じるわね」

私の言葉に福ちゃんが頷いた。


「トヨの神様の名前が付いていたって言ったよね」

「ええ、確かにそう呼んでいたわ、

早池峰の神様が確か・・・ラマト・・みたいな感じで」

「それもものすごく興味深いことだね」

そう言いながら福ちゃんはしばらく考え込んでいる。


「確かヒダリマワリの祭りって言ったよな」

一人が言った。

「うん。それがどうかしたの?」

「俺の友人で日本の古代の神様を研究している斎藤ってやつがいて、

その斎藤が言うには、

神事は総て左回りで始まるらしいんだよ、

たとえば神社の御神輿も

今は右回りから始まる神社が多いらしいけれど、

本来は左から歩みを進めるのが

古代からの流儀らしい。

いつからかははっきりしないらしいが、

誰かがわざとその流れを逆にしたとしか思えないくらいに、

真逆に変えられてしまっているらしい。

神事がちゃんとした流れではないから、

今の世の中が、どこかおかしくなっているんじゃないかって、

この間、斎藤と酒を飲んだ時に話していたのを思い出したよ」

一人はそう言いながら、グラスのビールを飲んだ。

「三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものだね。

どうやらまとめられそうだよ」

福ちゃんはそう言いながら鞄からノートを取り出した。

「僕たちに遠野の郷の神々が伝えたいことが

少しわかったような気がするよ」

そう言いながらノートに箇条書きに書き出し始めた。

① 古代の浄化システムとしての遠野三山

② 福山論としては、日本の国全体の浄化を目指したのではないか

③ はなちゃん論も②に従う

④ 一人論としては、左回りは神事の決まりである

この四つの事柄から導き出された答えは、はなちゃんに、

ハヤチネの神様が伝えた

(正しい祭り)の意味に通じると思うよ」

「それはどうしてなの?」

「つまり、日本の人たちが本当に幸せになれるシステムが、

この遠野にはあると言うことだよ」

「・・・・・えっ」

福ちゃんの話す内容があまりにもスケールが大き過ぎて、

思わず唾を飲み込んでしまった。

「柳田國男氏は何度もこの遠野に足を運んで、

この場所の大切さを深く理解した、一番最初の人じゃないのかな?」

「それはどうして?」

「遠野物語の序文の前に書かれた扉の言葉を知っているかい?」

「たしか・・・この書を外国に在る人々に呈す。だったわよね、

不思議な文章だから覚えているわ」

「そう、再販された遠野物語の覚書には、

外国に出かけようとしている友人へ贈ろうと思い、

扉の文字にしたと柳田國男氏は書き添えているけれど、

僕の解釈は海の外の外国ではなく、

この日本の中の遠野物語のベースになっている、

古代の日本の中での二つの国、

ヤマト国と日高見国の人々、

つまり、日高見の国の人々が、

ヤマトの国の人々に向けた言葉のように感じてしまうんだよ」

「古代の日本・・・外国・・・すごい解釈ね。

つまり神代の物語の時代と思えばいいのね」


「はなちゃんは、鬼門って言葉を知っているよね。」

「よく家相に出てくる鬼門のことかしら?」

「そう!鬼門は今では鬼の門って書くよね、

でも本当は貴い門と書いて貴門が本当らしいよ、

いつの間にか鬼の文字に変えられていたらしいんだよ。

文字に魂が宿ると考えられていた時代の、

呪術的なことが潜んでいたのかもしれないね。

ヤマトの国から見たら、日高見の国は鬼門中の鬼門に当たるよね、

このことからして、当時のヤマトの人々は、

日高見の国の人達を恐れていたのが感じられるんだよ」

「貴い門、鬼だと都人からは恐れられていた蝦夷の人々が

本当は、平和を願う貴い人々だったってことなのかしら」

「うん。実はもう一つ柳田國男氏からのヒントが

序文に残されているんだよ」

「序文に?」

「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。

この書のごときは陳勝呉広のみ。の部分だよ」

「覚えているは、戦慄って言葉が印象的だったから」

「意味はね。願うことならこれを語りて平地人、

つまりヤマトの国の人々が、恐ろしくて体が震えあがるほど、

驚かしてお上げなさい。

この本の素晴らしさは、秦滅亡の端を開いた、

楚の陳勝と呉広のはたらきと同じである、

という意味になるんだよ」

「すご〜い!遠野物語の中に棲んでいる

神様や妖怪達の喜びの雄叫びが聞こえてきそうね」

「東北は鬼が棲む場所として恐れられていたけれど、

本当は固有の土着の神々と共に生きていた

素晴らしい場だったと言うことさ、

神と人の区別なく、むしろ神様も人々と共に住まいして、

喜怒哀楽を共に過ごしていた土地だったんだよ。

そんな土地が他にあるかい?って

柳田國男氏がお茶目に語りかけているのが見えるようだろう」

私は大きく頷いた。


福ちゃんの解釈を、

もし古代の日高見の国の人達が聞いたら、どんなに喜ぶだろう。


何千年と過ぎた現代でも、

これだけの答えを与えてくれるこの遠野の郷、

やはり現代でも貴い門であることには、

変わりはないと強く感じた。


「ところで、全員が幸せになるシステムと

神と、人が同居している遠野の関係がなぜ、

はなちゃんに、早池峰の神様が伝えようとした

正しい祭りの謎解きになるんだい?」

「おっ!いい質問だね。

さすが一人くん!鋭いね。

つまり誰か一人だけが幸せになるような社会ではいけないってことさ。

祭りの語源は真吊りといって、

吊り合いが取れるようになるのが本当の意味らしいんだ。

要はバランスが大事ってこと。

遠野はいい意味で、

神と人のバランスが良い土地なんじゃないかな」


すると一人が突然、ひざ小僧をポンと叩きながら

「思い出したよ!神事を研究している斎藤が

鬼門は確かに貴い門と云われていたと前に確かに話していたよ。

それからこうも話していたな。

そこにいる、つまり貴い門にいる神様が

ちゃんと建つ時に、社会全体の秩序が整い、

喜びや笑いの絶えない世の中になるって力説していたよ。

貴門は北東のことだって

飲み屋の箸袋の裏にその時書いたんだよ。

俺の中に流れる東北の血が、

北東って文字が東北に見えてやけに嬉しかったのを覚えているよ。」


「また謎解きが前進しそうだね」

福ちゃんはそう言いながら、

再びメモ帳に何やら書き始めている。


「福ちゃんも、一人もすごいわ、

私一人では早池峰の神様や

遠野の郷の神仏が何を伝えようとしているのか

まるでわからなかったもの、ありがとう」

福ちゃんは無言のまま頷いた、

一人はビールのおかわりを頼みに階下へ降りていった。


「よし!出来た!凄いよ。出来過ぎだよ」

さっきからメモと睨めっこしていた福ちゃんが

突然大きな声を出した。

その声とほぼ同時に、

一人が冷えたビール瓶とグラスを片手にドアを開けた。


「一人!はなちゃん、ありがとう。

僕いつかこのことをまとめて一冊の本にまとめるよ。

いや〜遠野は素晴らしいところだね」

いつもはクールな福ちゃんが

凄いことがわかったと何度も繰り返し言っている。

私と一人はグラスに注がれた冷えたビールを飲みながら、

上機嫌の福ちゃんを見ていた。


「わかったから落ち着けよ。何がわかったんだよ、

俺たちにも話してみろよ」

いつもならはしゃぐのは一人で、

宥めるのが福ちゃんなのに今夜はすっかり逆転している。

そんな二人がおかしくて私は思わず笑ってしまった。


「はなちゃん!笑っている場合じゃないんだ、

やっと謎解きができたんだよ。祭りの意味もね。

一人の友人の斎藤くんに感謝だね。」

「なんだよ。元はと言えば、

俺が斎藤の話をたまたま覚えていたからで、

斎藤じゃなくて俺に感謝しろよ」

一人が口を尖らせて福ちゃんに文句を言っている。


「まあまあ落ち着いて、二人とも良く聞いてくれ。

この遠野の里とハヤチネの神様が言う祭りの関係は、

遠野三山の浄化システムがちゃんと動き出したら、

この世は幸せな世の中になるってことさ」

そう言いながら腕組みしたままで、福ちゃんは二回頷いた。


「ごめん、その話なんだけど、

さっき同じ話を聞いたばかりだぜ。」

一人が少しだけムッとして言っている。


「わりい・・言葉が足りなかったね。

説明し直すから聞いてくれるかい」

私と一人は静かに頷いた。


「遠野三山の浄化システムは

ヤマトの国も日高見国もない、

つまりは、争いのない平和な世の中にするためのものだと考えたんだよ。

それはそのまま貴い願いと考えられないかい?

貴い願いは一人の友人の斎藤くんが教えてくれたように

貴門の働きが整うと言うことだと考えると、わかりやすいよね。

争い事はやられたら、やり返すの繰り返しで、

終わりが見えない状態だよね。

争いのない平和な世の中を築くには、

一人一人の心の中から、争う気持ちが消えて、

ゆるす気持ちが芽生えたら、

この世は本当の幸せが溢れた世の中になる。

そう答えが出たんだよ」

福ちゃんはそう言いながら冷えてしまったお茶を

美味しそうに飲んだ。


「柳田國男氏はそこまでご存じだったのかしら?」

福ちゃんは待っていましたとばかりに

「僕たちは遠野を取材して周ったわけだけど、

一人が昔話は人生の教科書みたいだって言ったのを覚えているかい」

「ええ。凄く印象的な言葉だったから」

一人は照れ臭そうに頭を掻いている

「柳田氏はつまり、遠野の昔話には人間の感情が現す、

さまざまな出来事が綴られているから、

総ての出来事がいつか自分の身にも降りかかる可能性はある。

だからそんなことはつまらないからもうやめろ

(外国にある人に呈す)と(戦慄せしめよ)は、

争うことが好きな外国の人達は、

この本を読んで自分の愚かさに気がつきなさい。

そういう意味が込められていたんじゃないかな。

僕の考えはこう結論がついたんだけど、どうかな?」


一瞬の沈黙の後

「凄いよ!!!!!福ちゃん」

私と一人はほぼ同時に声を上げた。


「さすが福ちゃん、最後の夜にふさわしい答えが出たね」

すると福ちゃんは、弥栄だ!とコップにビールを注ぎ始め、

それを片手にすっくと立ち上がり、

「では、明日の続石での取材が最後となりましたが、

我が福山班の益々のご活躍をご祈念申し上げまして、弥栄!」

福ちゃんはそう言うと、

一気にコップの中のビールを飲み干してしまった。

私と一人もそんな嬉しそうな福ちゃんを見ていて

遠野最後の夜は大いに盛り上がった。


あの夢が総ての始まりだった。

遠野の郷に来てから、訪ねた先々で出逢う不思議な出来事の中で、

福ちゃんと一人はいつも私を守ってくれていたように感じる。


この二人と共に遠野を訪ねることが出来て本当によかった。

気がついたら福ちゃんは既に酔っ払ってダウンしていた。


東京のオフィスでは見たことのない、

少年のようにはしゃいだ福ちゃん、

その寝顔におやすみを告げ、後は一人に頼み私は部屋に戻った。


座敷カッパのたっちゃんは

今夜も姿は見せてくれなかったけど、

きっと近くで私たちを見守ってくれているはず。


明日の天気が晴れることを

ハヤチネの神様に祈りながら眠りについた。

「晴れますよう


第二十三話・・・さよなら民宿パハヤチニカ・・最終日

昨日の雨が嘘のようにからりと晴れ、

太陽の光が眩しい朝を迎えた。

部屋の窓を開け、綺麗な空気を胸にいっぱいに吸い込み、

遥かに見える早池峰山に手を合わせ挨拶をした。


「晴れにしていただきありがとうございます。 

今日一日よろしくおねがいします。」

その時、隣の一人達の部屋の窓がガラリと開く音がして、

一人が思いっきり背伸びをしているのが見えた。


「おはよう。一人」

「はなちゃん、おはよう。良い天気でよかったな」

「うん。今、早池峰の神様にお礼を言ったところよ、あれ?福ちゃんは?」

いつも早起きの福ちゃんの姿が見えない。

「福山は二日酔いでダウンしているよ、

昨夜彼には珍しくかなり呑んでいたからな」

「やっぱりね。お薬は飲んだの?」

「モトさんにお願いしたところだよ」

「そう。今日は続石に行く予定だったわよね。無理しないように言ってね」

「☆☆〜#∈■・・・」

「今、福ちゃんらしき声が聞こえたんだけど」

「福山がゴメンって謝ってるよ」

一人は振り返って福ちゃんと言葉を交わしているようだった。

「出発は十時三十分にしてくれって言ってるよ」

私は指でOKマークを作り合図した。


昨夜の福ちゃんの様子からして、こうなることは予想していたから、

私も一人もさして驚きもしなかった。

夕方、新花巻の駅に着けば良いのだから、

それまでのんびり遠野の郷で過ごすのも、

早池峰の神様の粋な計らいなのかも知れない。

一人と二人で食堂へ降りて行き、

ゆっくりと朝食をいただく事にした。


「今日でいよいよ終わっちゃうね」

食後のお茶をいただきながら一人が言った。

「うん。そうだね。でもね、今度里帰りした時に、

もう一度訪ねてみようと思っているの、

ゆっくり、ゆっくり神様の波動を感じながら歩いてみたくて」

「その時、俺も一緒に来て良いかな」

一人の言葉に驚きながら、私は小さく頷いた。

「本当に良いの?」

「その代わり運転は一人に任せていい?」

「当たり前だよ。はなちゃんの運転じゃ心配だからな」

「あはは!そうだよね」

二人して顔を見合わせて笑った。


今はこんなさり気ない瞬間がとても嬉しく感じる。

遠野の郷で気づいた一人への私の気持ちを大事にしたい。

本当に大切にしたい。

そして少しずつ二人の距離が縮まっていったらいいな。

心からそう願った。


「あの鳥居の形の岩にいよいよご対面だね」

「長いような短いような不思議で夢のような、

きっと一生忘れられない時ってこう言う時を言うのかしらね」

「いろんな事があり過ぎだったよな」

「うん。今まで経験したことのないことの連続で、

私の頭の中がおかしくなったんじゃないかって、

心配したことが何回もあって、

でもね、一人と、福ちゃんがいつもそばに居てくれて

とても安心したの、本当にありがとう。感謝しています」

「俺も、はなちゃんと福山と一緒に旅が出来て楽しかったよ」

一人がそう言うと、てれくさそうに頭を撫でた。

その時

「すみません。お水ください」

と、二日酔いでダウンしているはずの福ちゃんが食堂に姿を現した。

「おい、まだ寝てろよ」

一人が福ちゃんに歩み寄った。


「大丈夫だよ。さっき宿の御主人のモトさんが、

二日酔いの特効薬だってくれたカプセルとドリンクが、

めっちゃ効いてさ、すっかり元気になったよ。

心配させてごめんよ」

確かにさっきまで力なく話していた福ちゃんではなく、

いつものダンディーな福ちゃんに戻っている。


「すみません。これから朝食をいただいていいですか?」

「今、お粥を用意していますから、もう少しお待ちください。」

厨房からモトさんの声がした。

「本当に大丈夫なの?

でもよかった福ちゃんがいないと何にも進まないから。

で、特効薬のカプセルとドリンクってなんだったの?」

あの状態からいつもの元気な福ちゃんに戻した

宿の御主人が使った魔法はなんなのだろうか

「水素カプセルと元気の素がたくさん入っている特別なドリンクなんですよ」

いつの間にか、宿の御主人のモトさんが

福ちゃんの朝食をお盆に用意して私たちの後ろに立っていた。

「番茶に潰した梅干しを入れて、醤油を垂らしたものも効きますが、

今朝の福山さんの状態だと水素が一番効果的ですよ」

モトさんの機転で、すっかり元気を回復した福ちゃん。

早速特製のお粥を食べ始めている。

あんなに具合が悪そうだったのに、既におかわりまでしている、

特効薬の凄さに驚いた。

この民宿パハヤチニカは、

確かに座敷わらしの棲む宿として有名だが、

一人ひとりの客を、大切な家族の一員としてもてなしてくれる、

この暖かさが予約の取れない所以ではないかと思った。


福ちゃんも元気になり、いよいよこの民宿ともお別れの時が近づいている。

玄関には宿の御主人始め、

スタッフの皆さんが勢揃いして

私たちを見送りに集まってくれている。

「福山さんも元気になりましたし、

これで皆さん無事にお発ちになれますね」

モトさんが言った。

「おかげ様ですっかり元気になりました。ありがとうございます。

また遠野にきた時はぜひこちらに泊まらせていただきますので、

それまで皆さんお元気でお過ごしください」

福ちゃんがモトさんと握手しながら言った。

「ハ・ナ・エ・アリガトウ」

私の胸に、座敷カッパのたっちゃんの声が響いてきた。

はっ!と思い振り向いたけれどやはり、たっちゃんの姿はなかった。

(ほんの短い間だったけど、

座敷カッパのたっちゃんとの出逢いは、

私の今までの人生とこれからの人生を足しても、

きっと一番の衝撃的な出来事になると思う。

たっちゃんには、たくさんのことを教えてもらった。

おかげですっかり遠野が好きになった。

ありがとうたっちゃん。

またいつか必ず会いましょう。)

そう心でたっちゃんに語りかけた。

「冷たい!」

突然、頭のてっぺんに冷たい水滴が落ちてきたように感じて、

手でなぞってみたけれど濡れていない。

天井を見上げたけれど、水滴らしきものは見当たらなかった。

(もしかして、たっちゃんのいたずらかな?)

「はなちゃんどうかしたの?」

一人が私の様子を見て話しかけてきた。

「なんでもな〜い」

その時、どこかでたっちゃんが笑ったような気がした。

(さよならたっちゃん。またね)


見送るモトさんとスタッフの皆さんの姿が見えなくなるまで

私と福ちゃんは手を振り続けた。

宿の御主人のモトさんが宿泊の記念にと渡してくれたのは、

民宿パハヤチニカの名前と

緑色の可愛い顔のカッパのイラスト入りのビールジョッキーだった。

お嬢さんのマキさんがデザインしたと、モトさんが嬉しそうに話してくれた。

「このビールジョッキーを持ち寄って旅の反省会を開こうね」

福ちゃんが言った。

「賛成!」

「ただし呑み過ぎには気をつけましょう」

三人の笑い声が車内に響いていた。


第二十四話・・百花繚乱・・

宿を離れて直ぐに、昨日までの里の様子と

何処かが違うことに気がついた。


この世の中に四季を分ける物差しがあるとしたら、

悪戯好きの神様がそれを使ったとしか思えない、

まるで、一本の線ではっきりと線を引いたように

昨日とは違う景色が広がっていたからである。


建物と建物の間、路地の隅々まで、ありとあらゆる場所で、

昨日まで眠りについていた花々が、

一斉に咲き始めていた。


桜に梅。水仙にチューリップ、たんぽぽ、菜の花、

辛夷に連翹までもが、まるで歌を歌っているように

嬉しそうにお日様に向かって可愛いお顔を向けている。


「いや〜凄いね。百花繚乱っていうのはこんな景色を言うのかな」

一人が驚いたように窓の外を見ている。

「長い冬の後の命の喜びかな」

福ちゃんもあまりの美しさに窓の外の景色に釘付けになっている。


「そう、岩手の春は突然始まるの、

私の田舎もこんなふうに春が突然始まるのよ。

それから、お山の雪が溶けて山肌にいろんな模様を描くの、

有名なのが岩手山の鷲の形、私の地元の焼石岳はハルの文字、

駒ヶ岳は馬の形、それがその土地の田植えの時期を教えているって、

おばあちゃんが教えてくれたわ」

都会ではけっして見ることのできない景色が、

目の前に広がっている。

私には、ハヤチネの神様からのプレゼントのように思えた。


数日前の千葉家からの帰り道、

猿ヶ石川のほとりの桜並木の車窓から眺めながら、

この桜が咲いているところを見てみたいと強く願ったのだった、

まさか滞在中にその願いが叶えられるとは、

本当についてる!と思いながら、

信じられないような美しい景色を眺めていた。


「確かこの辺りは綾織という地名だったね。

まさに名前の通りの地名だね」

福ちゃんが言った。

「本当ね、まるで神様が作った織物みたいな景色よね」

綾織は天女の羽衣伝説が地名の由来となっている。

まさにその名の通りの美しい羽衣のような景色に

私たちは言葉を失い、しばし見惚れていた。


「あのさぁ!あの雲の右端なんだけど、

さっきから光っているように見えるんだよ、

俺の気のせいかな?」

一人が車の前方の空に浮かぶ、

皿のような形をした雲を指差しながら言った。

「本当だ、なんだろう・・・それにしても不思議な形の雲だね」

福ちゃんが言う。

私は後部座席の真ん中からフロントガラスを覗き込んだ

「そういえば、カッパ淵で出逢った内ヶ崎さんがはなしてくれた、

お爺さんの話しの中に出てくる、

銀色に光る皿のようなものに似ていないかしら」

「どうだろう、それにしても不思議な形の雲だね。

まるで僕たちを案内しているみたいだね。」

福ちゃんが言った。

「そうなんだよ、さっきから必ず俺たちの車の前にいて、

時々端っこが光るから俺も気が付いたんだけどね」

一人が言った。


確かに普通の雲ならば、

カーブするたびにその位置が微妙にずれるはずであるが、

皿の形の雲は常に私たちの車の前方に、

それも一定の距離を保ちながら浮いていた。


車が左にカーブした時だった。

「あっ!消えた」

一人が言った。


一人の言葉に促されて、福ちゃんも私も雲を探したけれど

その姿は跡形もなく消えていた。

「やっぱり、UFOだったのかな」

福ちゃんが言った。


「宇宙人が乗っていたのかしら?」

確かめる術はないけれど、

内ヶ崎さんの話の通りなら・・・・


「あれ?来すぎちゃたのかな?」

不思議な形の雲に気をとられ、

どうやら続石への道を見失ってしまったらしい。

ちょうど地元のご婦人が自転車を押しながら歩いてくるのが見えて、道を訊ねた。

「ありゃ〜来すぎたよ〜戻ってみらい」

と教えてくれた。


相変わらず顔いっぱいのクエスチョンマークの二人に

「来すぎたから戻るようにだって」

と伝えた。

何度聞いてもやはり二人には、

ネイティブの言葉は難しいらしい。

一人はUターンし始めた。


右側にゆるくカーブしたその場所に

(続石駐車場)と木の板に墨書きされた案内板が建っていた。

皿のような形の雲が消えた場所がちょうどこの辺りで、

「やはり私たちを案内してくれていたのかもしれないね」

と三人で頷いた。


第二十五話・・・続石①・・・

駐車場に車を停め、いよいよ続石との対面である。

宿の御主人のモトさんは私たちが続石へ行くと告げると

是非まわり道ではなく、

鳥居をくぐって進む、山道を登るコースを行くことを勧めてくれた。


苦労して山道を登ってこその感動があると言うことだった。

遠野に来て二日目のことである。

それには山岳部出身の一人が賛成し、

途中雨天のため日程は大きくずれ、

今日になってしまったけれど、

それだけ遠野の郷に長い間滞在できたのは、

さまざまな体験が重なり、

むしろラッキーだったのではないかと今となっては思えた。


モトさんが教えてくれた鳥居は、

朱の色が風雨に晒されて、かなりの年月を感じた。

そして驚くほど小さく、

腰をかがめて、やっと潜ることができるほどである。


私はその鳥居の前に立ち大きく深呼吸した。

夢の中のあの大きな鳥居のような形の岩に、

いよいよ対面できるのである。

これから山登りをしなくてはいけないのに、

私の胸は既に呼吸が早くなり

嬉しさと緊張感でいっぱいになっていた。

奇跡というしかない不思議な巡り合わせで、

こうして夢の中に何度も登場した岩に実際に会えるのだから。

もしかして夢の中の出来事かもしれない、

そう思えて来て頬をおもいっきりつねってみた。

「痛い・・・」

その時、一人が私の肩をポンと叩きながら

「行くぞ!」

と親指を立てて合図をし、三人並んで柏手を打った。

一人を先頭に、私がその後に続き、

最後は福ちゃんの順で山道を登り始めた。


熊避けの笛を福ちゃんが吹き、

私と一人はベルトにやはり熊避けの鈴をぶら下げて歩いた。

ちょっとした楽隊のようで、なかなか賑やかだ。


昨日の雨が春の訪れを告げたのか、

雨上がり独特の草いきれを感じながら、

大きな岩が次々に現れる山道を歩いた。

脇に咲く草木達がそんな私達を見守っていた。

時折差し込む日の光が、

木々の先の葉をまるでエメラルドのように輝かせていた。

道はかなりの険しさである。

一人は高低差のある場所では必ず振り向いて、手を引いてくれた。

福ちゃんはモトさんおすすめの二日酔い解消サプリセットのお陰で、

サクサク山道を登っている。

私は立ち止まり後ろを振り向いてみたが、

眼下には鬱蒼とした森が広がっているばかりで、

確かに熊がひょっこり顔を出しても、

不思議ではないと思い正直怖かった。


私の母は祖母譲りの山菜取りの名人で、

よく山のルール、つまり掟を教えてくれた。

その中の一つに、山の中には獣道と言われる動物たちの道があり、

その道を人が汚してはいけない。

また、その獣道の先には、熊の巣と言って、

熊以外入っていけない聖域があり、

山で遊ぶ人達はそのことをよく知っているので、

その場所には絶対に入らない、と教えてくれた。

また、山菜の取り方にも山人の中で決められた昔からのルールがあり、

根こそぎ全て採取することはしてはいけない。

次回の楽しみに小さなものは山に残しておくとの事だった。

近頃は山のルールを知らない者たちが山に入り、

次の年から、まったく山菜の取れない山になってしまった山も多いと聞いた。

大きな岩と岩との間を昨日の雨の影響だろうか

まるで小川のように水が流れていく、

一人がまず向こう側へ渡り、

大丈夫なことを確認してから、私にOKマークを見せてくれる。

カメラを担いだ、なんとの頼もしい山男である。


この山全体が大きな岩山なのだろうか、

ゴロゴロと大きな岩があちこちに横たわっている、

息も荒くなり足も岩と岩との上を渡り歩くのが辛くなってきた。


途中(弁慶の昼寝場)と書かれた看板が立っている場所があった。

伝説では続石を積み上げるのに疲れた弁慶が

この場所で昼寝をしたと伝えられている。

木々に覆われて柔らかそうな下草が生えていた。

由来の本当は確認できないが、

弁慶が大きなイビキをかきながら

本当に眠っていそうだと思った。

眠っている弁慶に気づかれないように、

私たちは静かに無言で山道を進んだ。


岩場を抜け、一層急な坂道を登り切ったところに

穏やかな山の斜面を利用した広場があり、

山の水を利用した水飲み場が作られていた。

その左手奥に夢の中と同じ姿で続石は立っていた。


「これが続石か・・・・・」

福ちゃんが言った。

一人も私も福ちゃんも、何度も写真や画像でその姿は知っていたが、

実物の迫力は予想以上だった。

夢で見たあの大きな岩が今、目の前にある。

喘ぎながら登ってきた苦労は、

確かにこの岩に逢うための儀式のようにも感じられた。

夢に導かれるまま、やったとの思いで逢えた続石。

私はしばし言葉を忘れてその姿に見惚れていた。


「こっちから見ると映画のエイリアンみたいに見えないかな?」

一人が、私たちが登ってきた方向からカメラを構えて言った。

「本当だ、立ち上がって歩き出そうだね」

一人のカメラを福ちゃんも覗き込んでいる。

確かに周りにある木々の枝が

エイリアンの手足に見えて本当に迫ってきそうだと思った。

「しっかし、なんでこんな山奥にこんなものが建っているんだろう」

福ちゃんが言う。

「俺も同じ事を考えていたよ」

一人もカメラのシャッターを押しながら言った。

この続石については(遠野物語)の中に次のように紹介されている。


綾織の山口の続石は、

この頃学者の言うドルメンと言うものに良く似ている。

二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、

幅が一間半、長さが5間もある大石が横に乗せられ、

その下を鳥居のように人が通り抜けて行く事ができる。

武蔵坊弁慶の作ったものであると言う。

昔弁慶がこの仕事をする為に、

一旦この笠石を持ってきて、

今の泣き石と言う別の大岩の上に乗せた。

そうすると泣き石が、俺は位の高い石であるのに

一生永代他の大石の下になるのは残念だと言って、

一晩中泣き明かした。

弁慶はそんなら他の石を台にしようと、

再びその石に足を掛けて持ち運んで、

今の台座の上に置いた。

それ故に続石の笠石には、弁慶の足型の窪みがある。

泣き石と言う名もその時からついた。

今でも涙のように雫を垂らして、

続石の脇に建っている。 

(参考資料正部家ミヤ昔話集第四集)


「ドルメンと言う説があるけれど、

ドルメンって確か古代遺跡の事よね」

福ちゃんから以前教えてもらったことがあった。

「確かに古代の遺跡の事をそう呼ぶんだけど、

いくつかの石を組み合わせた上に

平たい石を乗せた石造物の事を

言うらしいよ。

「支石墓」もこの中に入るらしいが、

ドルメンは必ずしも墓であったとは限らないんだ。

分布も広く、紀元前後のアジア、ヨーロッパまで見られるんだよ。

日本には九州や沖縄などに多く見られるけれど、

東北では未だに確認されていないらしいんだ。

大筋ではこの地域に石が多いことから、

土石流などによって作られた

自然の造形物と考えられているようだよ。

でも人為的に造られた巨石記念物であると証明できれば、

遠野の世界遺産登録も間違いなし、かもしれないね。」

さすが福ちゃん!わかりやすく教えてくれる。

それでも私には到底自然の造形物とは思えなかった。

「これが自然に造られたですって?信じられない!

世界遺産じゃなくて、世界魔法遺産に登録すべきよ」

「ははは、魔法遺産ね。はなちゃんらしいや、

ただね、この岩にはもっと面白い事があるんだよ」

そう言いながら福ちゃんは続石の鳥居のところへ歩いて行った。

「え?面白いこと?何?何?」

私は福ちゃんの答えを待った。

「方角だよ」

「え?方角?方角がどうかしたの?」

福ちゃんは振り向きながら

一人に方位磁針を持っているか聞いている

「実はこの続石は正確に南北の方角に立ち、

東西に潜り抜ける形に建っているらしいんだ、

エジプトのピラミッドも正確な方位を指しているっていうから、

何かしらの意図があったんじゃないかと僕は思うんだ」

一人はポケットから方位磁針を取り出して確かめている

「本当だ…」

私も一人に駆け寄り方位磁針を覗きこんでみたが、

確かに正確に南北、東西を指していた。

その時、辺りに生い茂る木々が突然ざわめき、一瞬ドキリとした。


「しかし、本当に不思議な岩だよな、

この岩がドルメンかそうじゃないかなんて、

この岩にしてみたら甚だ迷惑な事だよな。

現にこうしてここに建っているんだから、

俺がこいつの気持ちになったとしたら、

なんか文句あっか!って叫んでいるな」

そういう一人の姿が、弁慶に見えて思わず笑ってしまった。


続石から少し離れた林の中に朽ちた鳥居があり、

その奥に泣き石と呼ばれる岩が建っている。

見るとその岩肌は確かに濡れていて、

周りの空気がそこだけ蒼く感じる。

林の暗さと岩の周りの蒼い色が

なんとも不気味な雰囲気を醸し出していて、

まるでこちらの様子を伺ってでもいるように見えて、

訳もなくギクリとした。

「あの泣き石・・・こっちを見つめているような気がするな」

一人がカメラを構えたまま呟いた。

「えっ!一人もそう感じたの?」

「どれが目だって言われたら困るけど、そう感じただけだよ」

「私もさっきから視線を感じて振り向いたらあの濡れた岩があって、

不気味だなって感じていたの」

一人は私の言葉には反応せずに、相変わらずカメラを構えたまま

「確か、伝説では位の高い岩だったよな」

「ええ、らしいわね。でも岩に位なんてあるのかしら?」

一人が山神様のお社の前にいる福ちゃんを手招きしている。

「ちょっと質問。岩に位ってあるのかい?」

一人が言った。

「僕はあると思うよ、言葉遊びみたいになるけど、

この場合岩を石と表現させてほしいんだけど、

石と意志は似ていると思わないかい?」

「石と意志?」

「そう人間の考えには貴い考えもあれば、下品な考えもあるように、

石にもいろんな石があっていいと思うんだよ」

「硬い石に堅い意志。もろい石にもろい意志なるほどな」

一人が言った。

「だからこの泣き石の性質は台座に向かなかったんじゃないかな、

本当はもろい石だったりしてね」

「位についてはどうなの」

一人が聞き返している。

「ここは早池峰構造体に属していて、

地表に現れるはずのない石が

地表に現れているって前に説明したよね。

長い年月の間にいろんな石が混ざり合って、

もしかしてこの泣き石が

本当は地下の深い所にあった石かもしれないよね。

つまり、あるはずのない石があるってことは、

逢うことのできないくらい、

位の高い人がいるって解釈に繋がると思うんだよね」

「なるほど!なかなかトンチが効いたお答えでございました。

さすが福山教授!おみそれ致しました。」

「斎田くん、他に質問はあるかね」

「いえ、質問は以上であります」

一人が福ちゃんにおどけて敬礼している。

そんな二人の明るさに、

さっきまで泣き石から流れていた、

不気味な雰囲気はすっかり消えていた。

私は本当に、この二人と一緒に訪ねることが出来てよかったと思った。

一人きりで訪ねたらきっと、

泣き石の不気味さに尻込みして逃げ出していたかもしれない。

心の中で二人に感謝を伝えた。


第二十六話・・続石②・・・

続石の少し奥に山神様の小さな祠がある。

中には赤と白の布でそれぞれ作られた

一対の小さな枕が奉納されていて、

お産が近づくと、ここから枕を一個借りて行き

産室に祀り、安産の時には

お礼に枕を二個奉納する風習があるそうだ。


遠野の郷の女性たちはこの山道を、

臨月近い大きなお腹のまま登ってきたのだろうか?

時代は変わっても、お産は女性にとっては命懸けの大仕事、

今は男女平等が当たり前の世の中になったけれど、

女性の地位が確立されたのは戦後になってからのことで、

厳しい暮らしの中で迎える出産の恐怖と戦いながら、

無事に命が授かるようにと、

山神様に祈る女性達の姿がありありと見えるようだった。

私は静かに手を合わせた。

「この場所にはもう一つの伝説があるんだよ」

福ちゃんが言った。

「ここは山の神様たちの遊び場とされていてね、

それを邪魔した鷹匠の鳥御前が谷底に落とされて、

三日後に亡くなったそうだ。

山伏たちは山神の祟りを受けて死んだと伝えたそうだよ。」

私は以前、福泉寺で神様たちに見つかった時の記憶が蘇り身震いした。

「ここは、位の高い石と山神様の遊び場、

いずれにせよ神聖な場所として大切にされてきた場所なんだよ」

福ちゃんが言った。


「△⊆※■%#・・・・」

突然誰かに呼ばれたような気がして辺りを見回してみた。


「△⊆※■%#・・・・」


再び同じ声が聞こえて来た。

その声はどうやら泣き石の辺りから聞こえてくるようだ。

私は泣き石のそばに駆け寄り、

声の主を探してみたが、

木々のざわめき以外は聞き取ることはできなかった。


そして改めて泣き石を見てみると、

さっきまでの不気味な雰囲気はすっかり消えていて、

柔らかな日差しが差し込み

まるで天蓋の中のゆりかごのように見えた。


泣き石の周りを一周して見たが、

別段変わったことはなく

眼下に続石の周りで取材を続ける

一人と福ちゃんの姿が見えた。

改めて泣き石のそばから続石を眺めていると、

泣き石の気持ちがなんとなく伝わってくるような気がした。


ほぼ同じ場所にある続石は、

人々に注目されて賑やかなのに、

どちらかというと泣き石は

暗い雰囲気を醸し出しているように感じられて、

現に私もさっきまで近寄ろうともしなかった。


私は泣き石が気の毒に感じて

そっと泣き石に触れて優しく撫でて見た。

今まで、仕事柄、役職のある方々を取材することも何度かあったが、

取材中にふと見せる表情に、

トップに君臨することの

寂しさのようなものを感じてしまうことが多かった。

偉ぶってみたところで、

誰も心底尊敬などしない、

むしろ嫌われてしまうことの方が多い。

プライドが邪魔して、

辛いとか、苦しいだとかの泣き言は

言えないことの方が多いように感じた。

泣きたい時に思いっきり泣き叫び、

辛いと言えるのももしかして、

幸せなこのなのかもしれないと、

泣き石の隣で下を見下ろしながらそんなことを考えていた。


「はなちゃん」

一人と福ちゃんが私に向かい手を振っている。

夢の中では、

続石の真ん中から光がこの泣き石に向かい差し込んで、

石が二つに分かれて、

中から光輝く人が現れるはずだった。


(夢が現実に・・・ある訳ないよね。

今までがうまく行きすぎたのよ)


この続石が、私はここまで導いてくれたのだから、

今までと同じように

ここでも不思議な出来事が起こると信じていた。

けれど、どうしたことか

今までの出来事がまるで嘘のように

静かな時が過ぎている。


すると身体中の力がいっぺんに抜けてしまい

その場にペタリと座り込んでしまった。

「はなちゃん大丈夫かい?」

一人が驚いて駆けつけてくれた。

「うん。大丈夫」


「ほら・・・・」

目の前には一人の大きな背中が広がっていた。

「いいよ。大丈夫よ。歩けるから」

「はなちゃん、無理しないで」

福ちゃんが少し離れた場所から叫んでいる。

「そうそう無理しないの」

背中を向けたまま一人が言った。

「よろしくお願いします」

一人の広くて大きな背中は、

小さな頃おんぶしてもらった父の背中に似ていて暖かだった。

「ありがとう一人」

一人が小さく頷いた。

そして、泣き石のある少し小高い場所から、

続石のある広場に一人は私を運んでくれた。

たくさんの思いが一気に私の心の中を駆け巡っていて

其のせいか、少しめまいがする。

「この水、美味いよ飲んでごらん」

小川の水を笹の葉で作った小さなコップで

一人が山の水を運んで来てくれ

一口飲むとスーッとして心が落ち着いていくのがわかった。

「二人ともありがとう、心配かけてごめんなさい」

「はなちゃん疲れただろう。

山道も結構きつかったし、

宿の御主人のモトさんおすすめのサプリを一緒に飲めばよかったね」

福ちゃんが言った。

「福ちゃん、一人もありがとう。

私はここまで連れてきてくれて、

ほんの小さな夢だったのに、

こうして現実にこの場所に連れてきてくれて、

二人には本当に感謝しています。

ありがとうございます。」


「はなちゃん、水くさいこと言いっこなしだよ。

こちらこそ、はなちゃんのお陰で楽しい取材ができたよ。

ありがとうはこっちのセリフだよ。なぁ一人。」

一人が大きく頷いた。


「はなちゃんも元気になったし、

もう少しこの辺りを見てみようか」

私も迫力に圧倒されて、

まだ続石に挨拶していないことに気がついた。


堂々と立つ続石、

自然の造形と言うには余りにも人工的で、

自然の造形物とは思えない、

だとしたら誰がいったいなんの目的で造ったのだろうか。

間近で見るこの巨石は

そんな事はどうでもよい、と言いたげである。


鳥居の形の石の前ではやはり一礼する。

「よっ!巫女様」

一人がいつの間にか私のすぐ横に立っていた。

言い返してやろうと頭を上げ、

すぐに目に飛び込んできたのは、

台座と笠石の間に押し込まれた小銭。

誰かが願掛けしたのだろうか?

更に台座と笠石をよく見て驚いた。

笠石は片方の石の上にだけ乗っていて、

もう片方との間には隙間があったからだった。

ものすごいバランスで

この形が出来上がっていることに改めて驚いた。

そして、鳥居の形の部分にいると

不思議と温かく感じる。

大きな石が風を遮るのは分かるが、

お母さんの腕の中で抱かれているような

不思議な安堵感があった。

笠石も、台石も静かに呼吸しているように感じて、

私は石に抱きついてみた。

静かに目を閉じて耳を石に当ててみると、

とても懐かしい気持ちになるのはなぜなのだろうか?


(アーイー)

耳元で石の中から歌が聞こえてきた。

もう一回耳を当ててみる。

ゴーという水の流れの中に小さく紛れるように確かに誰かが歌っている。


(アーイー)

「はなちゃん。何をやっているの?」

一人が声をかけてきた。

「耳に当ててみて、誰かが歌っているの」

一人は嘘だろうと言いながら耳に当てている

「本当だ、かすかに聞こえる・・」

一人は信じられないという表情のまま、

もう一度耳を続石に当てている。


「二人とも何をしてるの?」

福ちゃんが声をかけてきた。

「あのね、石の中から誰かが歌っているような声が聞こえるの」

福ちゃんは信じられないというような顔をしながら続石に耳を当てた。

「本当だ、水の音の奥の方から小さく聞こえるけど、

確かに誰かが歌っているよ」

福ちゃんにも聞こえたことに安堵しながら、

三人並んで続石に耳を当ててみた。

「アーイーって聞こえないかい?」

一人が言った。

「僕もそう聞こえる」

福ちゃんが答えた。

「なぜ水の音が聞こえるのかな・・・」

いつも状況の変化を的確に抑える福ちゃんらしく、

原因の追求を初めている。

「そうか!この岩の下を地下水が流れていて、

何かにぶつかる音が岩に反響して、

歌を歌っているように聞こえるんじゃないかな。」

なるほど!と思いながら、

霊的なモノと直ぐに関連させてしまう私としては

その解釈に少しの寂しさを感じてしまった。


「さて、そろそろ帰ろうか、

もうすぐ十三時になりそうだし、昼飯にしよう」

福ちゃんが私の表情を伺いながら声をかけてくれた。

きっと心残りなのを気遣ってくれているのだと思った。


せっかくここまできて、

あの夢の謎が解けないまま帰るのは心残りだったけれど、

これが答えなのかもしれないと自分を納得させて、

またいつか訪ねてみようと心に決め、

福ちゃんの言葉に頷いた。

そして、先頭を福ちゃん、

次に一人、私とつづき、

今度は回り道のルートから下山することにして歩き始めた。


「・・・・・」

突然誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。


「はなちゃん、今誰かの声が聞こえたよな」

私の前を歩いていた一人にもその声は聞こえたようだ。

「うん、聞こえた」


(・・・・・イ)

どうやら先程までいた続石の辺りから

その声は聞こえてくるようで、

私と一人は声のする場所まで戻ってみた。


その声は、さっき三人で耳を当てて聞いた、

あの小さく聞こえた歌のようなものが、

ボリュームが大きくなって、

この場所全体に響きわたっていたのだった。


私は一度はあきらめた夢の答えが始まった!

と確信して涙が溢れてきた。


一人がそっと肩を抱いてくれた。


福ちゃんも私達の姿が見えなくなったのがわかったようで、戻ってきた。

「これは・・・・・」

「シー・・・・」

私たち三人は前から決められていたかのように、

水飲み場のあたりに並んで立ち、

目を閉じてちょうど瞑想する時のような

とても厳かな気持ちで、

歌声が次第に大きくなってくるのを静かに見守っていた。


目を閉じ、

聞こえてくる美しい歌声を聴きながら、

風が運んでくれる春の草花の香りが心地よかった。


第二十七話・・・続石 ③ ・・・

「ウソだろ〜」

初めに声を上げ叫んだのが一人だった。

「夢じゃないよな」

続いて福ちゃんも驚きの声をあげている。

二人に促されて私も目を開けた。

「・・・・・えっ!なにこれ!」

なんと私たちは、

一面銀色に輝くドームの中に立っていたのだった。


さっきまで、美しい歌声を聴きながら、

続石の脇にある水飲み場にいたのに・・・

これはいったいどうしたことか・・・

状況がのみこめないまま、しばらく呆然としていた。


そしてこの場所は確か、

いつかの夢の中に出てきた場所に

そっくりだと気づくまで

それほど時間は掛からなかった。


照明器具は見当たらないのに

やけに明るい場所に三人並んで立っている。

初めは驚くばかりで何もできないままだったけれど、

危険では無いと分かると、

一人も福ちゃんも、持ち前の好奇心が頭をもたげて

周りをうろうろし出している。

「おい!窓の下に続石が見えるぞ」

一人がそう言いながら手招きしている。


福ちゃんと駆け寄り窓の下を覗いてみると、

確かにさっきまで私たちが居た景色の全てが

草木も小川も山神様も続石も泣き石も薄く透けて見えている。


ドームを形作っているものはどうやら柔らかな素材らしく、

常にゆらゆら揺らいでいて、

境界線がはっきりしない。


私たち三人はドームのちょうど真ん中に立っているようだ

「なんだか不思議な場所ね」

「さっきまで水飲み場にいたのに、

いつの間にこんな凄い物の中にいたんだろう」

福ちゃんが言った。

「おい!天井を見ろよ」

ゆらゆら揺らいでいるドームの天井には

水が勢いよく8の字を描きながら流れていた。

「さっき聞こえてきたのは

この水の音だったのかもしれないね」

福ちゃんが言った。

「続石に耳を当てて聞いたあの音ね」

「うん。でも続石はほら

あそこに薄く透けて見えているだろう。

いったいこのドームがどのくらいの大きさなのか、

素材はなんなのか、全く見当も付かないから、

そう感じただけなんだけどね。」

いつも論理的に説明してくれる福ちゃんが、

目の前に広がるこの不思議な出来事を

どう説明していいのかわからないでいる。

「俺たち、なんでこんなに冷静でいられるんだ?

こーゆー場合、パニックになるのが普通なのに、

なんなんだこの落ち着き様は・・・」

一人がそう言いながら腕組みをした。


「僕・・・・ここに以前

来たことがあるような気がするんだ」

福ちゃんが言った。

「私は、遠野に来てからあの夢の続きで、

この場所にとてもよく似た場所に来た事があるから、

福ちゃんの言葉に驚かないわ」

「福山・・・実は俺もそうなんだよ。

はっきりとした記憶はないんだけど、

確かにこの場所に来たことがあるよ」

一人が言った。


あの夢の中では、一人と福ちゃんによく似た

全身が緑色の人達が

ハヤチネの神様に案内してくれた。

ここはいったい何処なのだろう・・・・。


するといつの間にか、

私たちの前には続石そっくりな形の椅子が三つ置かれていた。

「ここに座れってことかな?」

一人が言った。

「ここまで来たらまな板の上の鯉だろう。

黙って従った方が良さそうだね」

恐る恐る続石にそっくりな形の椅子に腰掛けてみると、

見た目はゴツゴツとしているのに、

まるで極上の毛皮の上に腰掛けたような、

ふわふわとしていて気持ちが良かった。


すると風に運ばれて

何処からかとても良い香りが漂ってきた。

まるで自室のお気に入りの椅子に腰掛けているような

絶対的な安心感に包まれて、

私はいつしかうとうととした微睡の中へ誘われていた。

両隣の福ちゃんと一人も同じように

うとうとし始めている。


山神様が私たちのに(お疲れさま)とでも言ってくれているのだろうか、

全く予想だにしていなかった展開に

本来なら驚きのあまりパニックになるはずが、

そんなことは、どうでもいいほどの

絶対的な安心感の中にいた。


少し眠ったような気がして、ふと気がつくと

ドームの外側に薄く見えている泣き石の辺りから、

白いモヤのようなものがドームの中へ入ってくるのが見えた。

そのモヤは次第に人の形を造り、

三人の美しい女性の姿が現れたのだった。


「私たちは、早池峰山、六角牛山と石上山にそれぞれの精霊です。

あなた方を歓迎いたします。」

これには流石の私たちもすっかり驚いてしまって、

慌てて起き上がり、

直立不動のままペコリとお辞儀をするのがやっとだった。


「驚かせてしまいましたね。

ごめんなさい。どうぞおかけください。

私は早池峰山の精霊の、ラマトです。

あなたがたと、こうしてお逢いできた事をとても嬉しく思います。

あなたたちは、選ばれてここにいます。

その証に恐怖や怖れは心の中に存在していませんね。

変化を楽しんでください。」


私たちは言われるままに

ふわふわの椅子に腰掛け、

早池峰山の精霊ラマトの言葉に静かに頷いた。

次の瞬間、ラマトと名乗る精霊の周りが

キラキラと輝きだし、

まるでそれに呼応するように、

私たちの体も足元から

キラキラした粉のような光の粒子に包まれ、

次第に身体全体が透明になっていった。


一人と福ちゃんも既に光の粒子に覆われていて

その姿は見えなくなっていた。

「それぞれの魂に見合った身体を

それぞれに作り始めています。」

ラマトの声がした。


それにしてもこの気分はなんと表現したら良いのだろうか、

今まで身体に纏わりついていた

重い鎧を脱ぎ捨てたような解放感、

楽しいとか嬉しいとか幸せだとかの天国言葉が

一遍に現れたような

言葉に表せないほどの大安心の気持ち。

「全てゆだねてください」

とても良い香りが私の身体全体を包み込み、

身体の内側にもポカポカと

暖かな春の陽だまりのような暖かさを感じる。

光の粒子がスーッと身体の周りから消えた後、

今度はイークと名乗る石上山の精霊が私たちに語り始めた。


「大いなる旅が始まりました」

すると何処からともなく風が吹いてきて、

私たち三人の身体はふんわりと宙に浮き上がり、

仰向けのまま空中に静止した状態になった。

この時も誰一人として慌てることもなく、

以前から知っていたかのように、

とても静かに全てを任せていた。


「ヒダリマワリ」

イークが声をかける。

すると私の身体は仙骨を中心に

ゆっくりと回り始めた。

静かにゆっくりと、

小さな波の上にいるように私は漂い、

一回りするたびに身体中の力が抜けていき、

関節という関節が気持ち良く伸びをしているように感じる。

ちょうど三周した時だった。

「止まれ」

イークが声をかけると同時に回転は止み、

私たちの身体は静かにもといた椅子に戻った。


「全ては自ら始まります。

その本質は水なのです。

この地球にとって水は命。

水はすべての浄化を行います。

渦を巻き、

蛇行することで水は自らの浄化を行います。

また空気は風によりその息吹を蘇らせます。

光は火の力を与えます。

あなた方の身体の準備は整いました。」

イークは静かにそう語った。


すると一筋の光が天井から差し込み、

鈴の音のような美しい歌声が遠くの方から聞こえてきた。

アー

オー

ウー

エー

イー

その声は次第に大きくなり、

気がつくと私たちのいるドームの周りには

二重、三重の大きな輪がたくさんの人々により造られていた。


第二十八話・・・続石④・・・

いつの間に、こんなにたくさん人々が集まっていたのかは、

全くわからない。

皆一様に肌の色が緑色で、

身に付けているウエットスーツのような着衣の色までもが緑色で、

つまりは全身緑色の人達が、

私たちのいるドームを中心にして大きな輪を作っていたのである。


緑色の身体にはギリシャ神話に出てくる神々のような

白い布を巻き付けていて、

皆一様に長髪で赤い紐のような物が腰からぶら下げられていた。


女性らしき人たちは、

胸が膨らんでいて、

髪に花飾りを着け何処か優しい表情をしている、

また男性らしき人たちは、

筋肉が盛り上がっていて、

とてもマッチョな体つきをしていた。

私はこの緑色の人達に見覚えがあった。

それは夢の中でハヤチネの神様に案内してくれた、

福ちゃんと一人にそっくりな人達だったから。


ふと気がつくと、

福ちゃんと一人も全身緑色に変化していて、

いつ着替えたのかウェットスーツのようなものまで着用していた。

さらには身長までほぼ同じになっていたから驚いた。

更に二人の身体には、ドームの周りにいる人々と同じように

白い布が巻きついていて、同じように赤い腰紐がぶら下がっている。


周りばかりを気にしていてふと我に帰ってみると、

足元にはさっきまで履いていた登山靴ではなく、

ニンフが履くような白いサンダル履きになっていて、

白い布が歩く度に、はためいているのがわかった。

そして私も全身が緑色の肌色に変化していたのである。


頭の方がやけに重く感じて手を頭に伸ばしてみたら、

なんとティアラをつけているではないか、

これは・・・いったい・・・・

着替えた覚えもないのに、どうして、

いつの間に身に着てけていたのだろう・・・不思議だ。

そんな事を考えていたら、突然声がして

「はなゑ前へ」

私は何かに導かれるように前へ進んだ。


(すべてを任せて大丈夫だよ)

一人の声がした。

私が一歩前へ進むと同時に、目の前には、

以前カッパのたっちゃんが教えてくれた、

エメラルド色にキラキラと輝きながら、

大きく呼吸している大木の姿がはっきりとした形で現れ始めた。

ハヤチネの神様である。


アー

オー

ウー

エー

イー

ハジマリヘ

ヒラクウタ

ツヅクイシ

ドームの周りにいた大勢の人々が

声をそろえて歌っている。


私はハヤチネの神様から伸びてきた

一本のキラキラと輝く白い紐のようなものを、

少しずつ、少しずつ

ドームの外側を囲んでいる人々に向かい送り出していた。


白い紐は大勢の人々を一回りして、

一人一人の腰の辺りから出ている赤い紐を結び付け、

最後に福ちゃんの赤い紐を結び、

次に一人の腰から出ている赤い紐を結び私の元へ帰ってきた。


「私はアハウ、六角牛山の精霊です。

全世界向け溢れるような愛を与えます。

このトーノの地に伝わる沢山の伝説はご存じですね。

罪の裏には隠されたものが存在しています。

それは自分の中の意識と共鳴し

他に対する攻撃の前に、

今一度自分の意識を振り返ることが何より大切です。

それは、やがて視点を変えることとなり、

誠の愛、本当の自由へと変化して行きます。

影の部分も、もう一人の自分と納得し、

愛してあげて許してあげてください。

許せなかったら、

許せなかった自分を許せば良いのです。

自分を変えることは、

これから始まる地球の大変換期を手伝うことになります。

それが真の真吊り(祭り)へと変化していきます。

さあ、間もなくこのトーノの地を始めとし、

地球全体が大いなる変換の時を迎えます。

さあみんなで歌いましょう。

あなた方一人一人が行う

正しい真吊りがこれからを決めていきます。」


三人目の精霊が話し終えると、

さっきまでの三人の女神たちの姿は、

金色に輝く蝶の姿に変わり、

何処かへ飛び立っていった。


「は・な・ゑ」

この辿々しい話し方は、座敷カッパのたっちゃん。

この場でまさか、たっちゃんに会えるとは・・


懐かしいのと、心強い気持ちで

ごちゃごちゃの気持ちのまま振り向いたそこには、

小さな男の子の姿のたっちゃんではなく、

以前夢の中でハヤチネの神様の元へ案内してくれた、

成人男性の姿のたっちゃんが立っていた。

「はなゑ、みんなあなた達がこの場所へ来ることを

心待ちにしていました。さあ!その本をこれに」

たっちゃんの話す言葉は

いつもの辿々しい話し方ではなく、

しっかりとした物言いで、

耳障りの良いテノールの音に変化していた。

「本?・・・・・って?」

「その手に握られている本です。さあ!」

私の手にはいつの間にか一人から借りた

(マヤの占いの書)がしっかりと握られていて、

隣にいる一人に渡して良いかを確認すると、

手のひらを上に向けてどうぞの合図をしてくれた。

「さあ!はなゑ」

たっちゃんの声に促されて、

私は(トヨの占いの書)を

銀色に輝く不思議な形の皿の上に置いた。


近づいて本を載せようと思ったら

私の腕が皿に映り込んだので、

どうやら鏡のようだと思った。

たっちゃんはその鏡の上に

マヤの占いの書を載せて、

うやうやしく頭上に掲げ、

薄く透けて見える続石の元へと運んでいった。


「ヒラク」

たっちゃんが、そう声を掛けると、

さっきまで薄く見えていた続石は、

はっきりとした形となってその姿を現した。


私は一人と福ちゃんの間に立ち、

二人としっかり手を握り合っていた。


たっちゃんは、その続石の前に立ち、

笠石に残る弁慶の足型の窪みの部分に、

トヨの占いの書を載せた不思議な形の鏡を置いた。

するとその鏡はぴたりと窪みにはまり、

それと同時に続石の中から美しい歌声が聞こえてきた。


アーオー

アーカー

アーイー


窪みにはまった鏡の上からは白い煙が立ち上がり、

中から沢山の金色に輝く蝶が飛び立っている。

辺り一面が金色に輝き

あまりの美しさに私は言葉を無くしてしまった。


「精霊たちです」

たっちゃんが教えてくれた。

金色に輝く蝶たちは、

ドームの周りにいる一人一人の肩に留まり、

もちろん私たちの肩にも留まってくれた。


アー

オー

ウー

エー

イー

モトハモトヘ

ハジマリハ、ハジマリヘ

ヒラクウタ

ツヅクウタ


ドームに周りを二重、三重に囲む人々が

体を左右に大きく揺らしながら、

みんな一斉に歌い始めた。


どの顔も笑顔が溢れている。

歌にあわせ蝶たちも楽しそうに飛び交っている。

草花も木々たちも、

風もドームの天井を流れている水さえも

みんな嬉しそうに歌い始めた。


歌声がひときわ大きくなり、

まるでうねりのように感じたとき、

ドームめがけて一本の光の線が向かってくるのが見えた。


「浄化の道です」

たっちゃんが教えてくれた。


続いて二本の光の線がこちらに向かってきて、

三本の浄化の道が

ハヤチネの神様の根元にしっかりと絡みつくと、

歌声は更に大きくなり、

大きな音の渦の中にいるように感じる。


そして、それはキリスト教の大聖堂の中で、

天使が歌う讃美歌のように美しかった。


「言霊と音霊の競演みたいだね。」

言葉に魂が宿るという言霊という思想と、

魂の響きと言う音霊という思想が

この日本には古来より伝えられているが、

この場に集まっている一人一人の歌に込められた

言葉の響きと音色は、いつしか光にその姿を変え、

この遠野の里に住まう

浄化の神々を揺り起こしたのかもしれない。


「俺、この様子を一度見たことがあるような気がする」

一人が言った。

「実は俺もなんだ・・・・」

福ちゃんも同じことを感じているようだ、

そんな二人を見て私も頷いた。


その時私の後ろに立っていた、たっちゃんが

「みなさん此処にいました。

やっと思い出してくれたのですね。」

そう言いながら、笑顔で頷いている。


「ここが日本人の魂のふるさとだからです」

心地よい歌声はまるで

波のように遠くに近くに聞こえている。

「そうか・・・ここで俺たちの魂は生まれ、旅立ったってことか」

福ちゃんが言った。

「そうです!この浄化の道を通り

浄められた魂は再び彼の地へ行き、

大いなる学びの時を過ごします。

そして再生を繰り返した魂は、

更なる高みへと向かいます。

ここは、火の力と水の力の調和が保たれている場なのです。」


私はたっちゃんの言葉を聴きながら、

魂のふるさと=トーノ。

この言葉を思い出していた。


不思議な響きのトーノという言葉に、

遠い昔確かにこの場所にいて、

ここから旅立って行った。


そんな記憶が蘇ってくるような

不思議な気持ちになっていた。


第二十九話・・・続石⑤・・・

一人はドームの床にあぐらを書いて座り、

福ちゃんと私は続石の形の椅子に座り、

たっちゃんはまるで、

SPのように私たちの後ろで仁王立ちして見守ってくれている。

「たっちゃんと呼んでいいのかな?」

福ちゃんが言った。

「はい、お願いします」

「たっちゃんはどうして大人の姿になったり、

子供の姿になったりできるんだい。」

「私たちは自分のなりたい姿に変化できます。

例えばそれは、初めてお会いした時のような姿だったり、

腰が曲がった老婆だったり、

自転車に乗った案内人だったり」

そい言いながらたっちゃんは、私の方を見てウインクしてみせた。

「どうして変化する必要があるんだい」

「同じ姿のままではあなたたちに、

キズキを起こさせる事が出来ないからです。

ハヤチネの神様は再生と浄化を司っています。

貴方達一人一人の魂には

真心が存在しています。

その真心は大いなる元神様からの分け御霊と言い

あなたたち一人一人が

大いなる元神様と共にあることがわかると

信じられないような奇跡が起こり

誠の心が導く世界が現実化していきます。」

福ちゃんはしばらく考え込んだ後、

ポンと一つ膝を叩きながら

「そういうことか!」

と呟いて笑った。

「・・・・・・?」

私は意味が全くわからず

二人のやり取りを見ていたが、

福ちゃんはたっちゃんと並んで見せて

こちらを見て笑っている。

「・・・・・!そういうことか!」

(福ちゃんの身長が伸びている。

そういえば一人ともほぼ同じ背の高さだった。)


ドームの外では、

キラキラ輝く浄化の道を通り、

新しい魂が旅立っていく。

遠くの方からすっかり輝きを無くした魂が戻ってくる。

戻った魂は、ハヤチネの神様の前にある鳥居が、

スーッと開き中へ入っていく。

歌声は絶えることなく相変わらず辺りに響いていた。


「さあ時間です。」

たっちゃんが私たち三人に言った。

「どうぞ前へお進みください。

ハヤチネの神様から貴方たちにお言葉がございます。」

たっちゃんの突然の改まった言い方に、

ハヤチネの神様への尊敬の気持ちが溢れている。

ここに来て初めて緊張している自分に気がついた。

「はなゑ。リラックスしてください。

大丈夫です。福山さんも斎田さんも安心してください。」

笑顔のたっちゃんが言った。

「たっちゃん、ありがとう」

たっちゃんは、私の手を取り鳥居の前へ案内してくれた。

福ちゃんと一人も後に続きき、

四人で鳥居の前で一礼し中へ進んだ。


あの夢の中と同じ鱗状になっている木の肌が

一つ一つ違う生き物のように呼吸している。

すると、ハヤチネの神様の遥か上の方から

三本のキラキラ輝く白い糸が降りてきて、

まるで人間の手のように

私たち一人一人と握手を促すように、

それぞれの手のひらに向けて伸びてきた。


まずは福ちゃんと握手し、

続いて一人が握手して、

最後に私の前に白い糸が降りてきてくれた。


私はその白い糸に触れた瞬間に、

精一杯の感謝の気持ちを込めて握り返しながら

(ハヤチネの神様、

ここまで私たちを導いていただきありがとうございます。

私が見たあの夢に意味を教えてください。お願いします。)

と心の中で強く願った。

すると

「自分を大切に、

恐怖の気持ちで事を始めないで、

愛の気持ちで

他人と自分自身との絆を築く事。

意乗り(祈り)を大切に」

とまるで球を転がしたような美しい言葉が、

やさしい響きと共に私の心の中に広がり

言葉の響きが終わると同時に

白くキラキラと輝く糸は、

私の頬を優しく撫でてくれた。

極上の安心感の中にいて

私はうっとりとした気持ちに満ち溢れていた。

白いキラキラの糸は

私が幸せに満ち溢れている姿を確認すると、

スルスルと元の高い位置へ戻って行った。


一人と福ちゃんも同じように言葉をいただけたようで、

とても穏やかな幸せな笑顔をしていた。


三礼三拍手一礼の後鳥居を抜け、

続石の形の椅子に座るように促された。

ハヤチネの神様の優しい声と言葉、

そしてあの不思議な白い糸の感触がまだ頬に残っている。

私は手でそっと頬を手で押さえてみた。


「みなさんとこうしてお逢いできた事は、

大変嬉しく楽しいひと時でした。

どうかお元気で、

私たちはいつも、いつでも貴方たちのそばにいます。」

たっちゃんはそう言いながら、

私たちそれぞれと握手を交わした。

「たっちゃん、ありがとう」

たくさんの言葉が浮かんでは消えていく、

けれど口から出て行ったのは、

ありきたりな言葉だけだった。


今となり、たっちゃんが

私たちをどんなにか支えてくれていたかがわかる。

ありがとうたっちゃん。

またいつか必ず会いましょう。

「さよなら」

たっちゃんは笑顔のままそう言うと、

スーッと外へ消えていった。


雉がけたたましい声で鳴き、

私たちの周りを一瞬眩しい光が覆った。

気がついた時には、

私たち三人は続石へと続く山道の鳥居の前に立っていた。

「あれ?・・・・・」

福ちゃんがそう言ったまま周りを見回している。


「俺たちなんでここにいるんだ?

さっきまでドームの中に居たよな」

一人がそう言いながら

さっきまで着ていた白い衣装ではなく、

緑色の皮膚だったことも跡形もなく消えて、

続石へ向かう時に身につけていた、

Gパンとパーカー姿に戻っていることに驚いている。

「夢だったのかしら?」

私自身も、登山する前の姿にもちろん戻っていて、

キラキラ輝くティアラも消えていた。

「三人で同じ夢を見るわけないだろう。」

一人が言う。

「そうよね、たっちゃんに挨拶したものね」

夢にしてはあまりにも現実的で、

切り返しの速さに驚くばかりで、

およそ人智の及ぶ話ではないことは、

重々わかってはいるけれど、どう解釈したら良いのか・・・

その気持ちはきっと三人が同じ気持ちだったのだと思う。


「あれ!福山、いつ子供に戻った!」

「うるさい!」

確かドームの中では福ちゃんは

一人と同じ身長になっていたはずだが、

目の前の福ちゃんは元の身長に戻っていた。

「あれ?変だな、時間が全く変わっていない!

俺たちが続石に着いて、

下山を始めたのがちょうど午後一時だったはず・・」

福ちゃんが時計を見ながら言った。

「え・・・・・どう言うこと?」

一人が驚いて福ちゃんに聞き返している。

「あっ・・・もしかして、

私たち時間と時間の狭間に居たんじゃないかしら。

私が福泉寺で体験したみたいに・・・」

その言葉に福ちゃんと一人が驚いたような、

納得したような不思議な顔をしてこちらを見ていた。

「神様の時間・・・・だったよね。

はなちゃんだけが動くことができて、

僕と一人は時間が止まったままだったってやつだろう、

確かにありうるかもしれないね。

そうか・・・そうか・・・・これが・・・・」

福ちゃんが自身を納得させるように、

今さっき体験した事実を振り返っているようだった。


一人もまた同じように信じられない、

という顔と、それでも自身が実際に体験した感触を

楽しんでいるように私には見えた。


当の私といえば、ハヤチネの神様から、

夢の答えを聞くことができた喜びで、

胸の中がなんともいえない幸せに満ちていた。


頬を撫でる柔らかな風。

優しい春の草花の香りが辺り一面に香り、

空には抜けるような青空に白い雲がポッカリと浮かび、

枯れたススキがちょっぴ寂しそうに風に揺れていた。


第三十話 ・・トヨの暦・・・完結編

続石に別れを告げて、

レンタカーで国道283号線を花巻方面へ向かい、

新花巻駅から東京へ戻ることにした。


さっきまでの夢のような時間を

それぞれが思い出しているようで、

車内では自然に口数が少なくなっていた。

窓の外には少しずつ遠ざかっていく

遠野の郷の景色が広がっていた。

私はきっとこれからも

この遠野の郷で過ごした時間を忘れない。

ありがとう遠野の郷の不思議な神々様。


「一人と福ちゃんは、

ハヤチネの神様からどんな言葉を頂いたの?

よかったら教えてくれないかな、

あの夢の謎解きのヒントがあるように思うの」

東京へ向かう新幹線の車内で、私は聞いてみた。


「続石はつづくいし」

福ちゃんが教えてくれた。

「何か深い意味がありそうね」

私の問いかけに福ちゃんは深く頷いた。


「一人はどんなメッセージだったんだい」

福ちゃんの問いかけに、一人は

何かを探すように宙を目で追いながら

「俺には言葉じゃなかったんだ」

「言葉じゃない?じゃあ何かの映像でも見せられたのかい」

「うん、そうなんだ」

「どんな?よかったら話してくれないか」

一人は福ちゃんの言葉に頷きながら

「石の板に必死になって

文字と数字を刻みつけている

男の背中を見えたんだ、

最初顔が見えなかったから

誰かはわからなかったんだけど

振り向いた顔は、まさに俺自身だったんだ」


「え!一人だったの」

思わず口から出た私の言葉に一人が

「うん、確かに俺だった」

そう答えながら自分を納得させるように頷いていた。


「それで、その刻みつけていた文字や

数字の意味はわかったのかい?」

福ちゃんが問いかけている

「ああ、トヨのカレンダーだよ」

窓の外を見ながら一人が答えた。

「私が前にハヤチネの神様から見せていただいた

あのカレンダーのこと?」

「ああ、きっと同じものだよ。

信じる、信じないは勝手だけど、

あの石板に確かに俺は刻みつけていたんだ、

それが俺の仕事だったんだよ」

一人はそう言いながら深いため息をした。

「私は信じるよ。

理由なんてないけど一人なら

あの壮大なカレンダーを造る一員になっていても

おかしくないもの。

あのトヨの本だって一人のものだったんだから」

そう言いながら私は

一人から借りたトヨの本を、

たっちゃんに渡して

あの窪みにはめたことを思い出していた。

そして、もしかしてあの本も

戻ってきているのではないかと思い

鞄の中を探してみた。

トヨの本が入っていた紙のケースだけが

鞄の中にあるだけで、

トヨの占いの書の姿はなかった。

「あ・・・・・あれ」

鞄の中からケースを取り出してみると、

ケースの中に朴木の葉で包まれたものがあり、

取り出して恐る恐る包みを解いてみると、

中には小さな石が入っていた。

「続石そっくりね」

取り出した石の形は、あの続石そっくりだった。

「たっちゃんからの贈りものかな?」

福ちゃんが言った。

私もそう思った、

そして心の中でたっちゃんにありがとうと呟いた。


「ところではなちゃんは

どんなメッセージだったの?」

私は覚えている限りの事を話し、

あの夢の答えを教えてほしいとお願いしたことを伝えた。


すると福ちゃんは、

ハヤチネの神様が私たち三人に

それぞれ伝えた言葉や事柄に、

何か大切なメッセージが込められているはずだと、

メモ帳を取り出して考え始めた。


私と一人は、福ちゃんの考えが纏まるまで

邪魔をしないように、

静かに窓の外の景色を見ていた。


「俺、はなちゃんと今度は二人っきりで遠野を訪ねてみたいな」

車中の雑音に紛れて一人の声で確かにそう聞こえた。

一人は相変わらず窓の外を見ている

(なんだ・・・・気のせいか・・・・)


「はなちゃん!」

どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。

福ちゃんの声で目が覚めた、

あと一時間で東京に到着するという辺りだった。


「わかったんだよ」

どうやら福ちゃんの謎解きが終わったらしい。

「ハヤチネの神様が俺たち三人に託した

メッセージの意味がやっとわかったんだよ」

一人も目を覚ましていた。

「はなちゃん、ヒダリマワリの祭りの時に、

遠野の郷の神様の呼び名に、

トヨの神さまの名前がついていたと教えてくれたよね。

それが大きなヒントになったんだけど、

トヨの暦は2025年で終わり

その先は刻まれていないから、

この世の終わりが近いと騒がれているよね、

僕はその大きな鍵となるのが

これからの数年間にあると考えたんだ。

確か、はなちゃんが以前話してくれた

ハヤチネの神様の元で見たカレンダーには

2025年から先は

赤い色で数字が刻みつけられていたんだよね。」

「ええ。そうよ。

その後で蒼色に輝く丸い球を渡して下さったの」

「つまり、2010年から2025年までの15年間のうちに、

一人、一人が自分を大切に、

恐怖の気持ちでことを始めないで

愛の気持ちで他と自分自身との絆を築く事。

意乗り(祈り)を大切にする事。

そうすることで、この世が続く意志が生まれると言う事だと思うんだ」


「俺の考えも言っていいかな」

一人が言った。私と福ちゃんは静かに頷いた。

「自分がトヨのカレンダーを刻んでいた事を思い出したわけなんだけど、

福山、確かトヨ文明は大きな国家を造らずに、

小さな共同体のような小国が

強いネットワークで結びついていた社会だったよね」

福ちゃんが頷いた。

「遠野の郷に来て、言葉や理屈抜きに、

魂にじかに響いてくる感覚って、

昔話の中に隠されていることを知ったよね。

それって誰もが持っている、

人間としての根源にある

共同意識みたいなものを

思い出させてくれる働きがあるってね。

つまり、他の人との繋がりの大切さを知る事だし、

個の力が増していく事だよね。

ごく一部の権力者が

リーダーとして権力を振りかざすスタイルは

近年破城してきているのがいい例だし、

一人が突出して全体を支配するのではなく、

個々が持つ最高の力が集まって

一つの世界を作り上げていく。

それが大切なことなんだって

トヨのカレンダーは教えているように思うんだ。

トヨ文明の大都市は徐々に衰退していったけれど、

それでも小国は生き延びて、

トヨの末裔として暮らし続け、

ナユグ国に滅ぼされるまで二千年も続いた大国だった。

そのことも俺たちに伝えて欲しかったんじゃないのかな」


三人それぞれに違うメッセージを伝えて下さった、

遠野の郷のハヤチネの神様。

そこには神様たちだけに

流れている不思議な時の中で

地球の平和と浄化を願いながら

祈り歌い続ける神々様たちの

暖かな思いが溢れていた。


私は、遠くの方で、

あの呼吸するエメラルド色の

ハヤチネの神様が微笑んでいるように感じていた。


私たちの謎解きは正しかったのかはわからない。

ただ一つ言えることは、

ハヤチネの神様が渡してくれた

藍色の珠=地球。

それを守れるのはこの地球に住んでいる

私たち一人一人の力なのだと、

そう、ハヤチネの神様は伝えたかったんだと思った。


後日

福ちゃんが制作した

「遠野物語百年記念」のパンフレットが仕上がってきた。


その表紙には

一人が撮影した続石の写真と

共にこんな言葉が添えられていた。


精霊の護る郷・・・トーノ・・・

     今と昔、  そして未来へ続く意志


おわり












参考文献

『柳田国男』  1991第一刷~2004第六刷  遠野物語 集英社文庫


「鈴木サツ昔話集」平成2年初版 続・遠野むかしばなし 株式会社熊谷印刷出版部

     笛吹峠    

     遠野三山   

     母也明神   

     天人子    

「正部家ミヤ昔話集」 平成7年初版  第四集遠野むかしばなし 株式会社熊谷印刷出版部

     続石の泣石・ 

「鈴木サツ自選50話」昭和62年初版 遠野むかしばなし 株式会社熊谷印刷出版部

     寒戸の婆様  

     天狗の衣   

     愛宕様    

     卯子酉さん  

     オシラサマ  

     竜神のお告げ 

「檄文」2023年第1版発行 斎藤一人 舛岡はなゑ著 マキノ出版


遠野市観光協会カッパ捕獲証明書


遠野市観光協会発行パンフレット / 道の駅遠野風の丘/伝承園/常堅寺 かっぱ淵/遠野市立博物館/早池嶺神社/法門山福泉寺/


遠野ふるさと村/遠野昔話村/遠野七観音・松崎観音


神拝祝詞 神道大祓全集/


































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