【#ゲーム実況感想文】狩野英孝『EIKO GO』――嫌味のなさという、最強の武器【#Podcast エピソード紹介】

Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。

毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。

なお番組の最新エピソードご聴取はこちらよりどうぞ↓



第0章 映画批評に疲れた日の、癒しとしての『EIKO GO』

0.1 今日は映画から離れる

今日は映画から少し離れてゲーム実況動画に言及したい。

映画を見て考察する。それが日常生活の一部として機能し始めてもう何年経ったろうか。好きだからこそ続けられるわけだが、それでも疲れるときはある。映画批評って、脳に負荷がかかる。構造を読み解いて、メタファーを抽出して、学術的視点を援用して、時代背景と接続して——これを繰り返していると、たまに「何も考えずにただ笑いたい」という欲求が湧いてくる。

そんな日々の癒しとして機能しているのが、狩野英孝のゲーム実況『EIKO GO』なのだ。

チャンネル名は正式には「狩野英孝【公式チャンネル】EIKO!GO!!」。2019年12月開設。2025年11月時点でチャンネル登録者数262万人。最初は神主という異色のキャリアを活かした初詣マナー解説や、大好きな『ちびまる子ちゃん』についてのトークなど多岐にわたる内容だったが、2020年4月13日に配信した『Dead by Daylight』のプレイ配信が大ブレイク。以降、ゲーム実況者・狩野英孝の快進撃が始まった。

0.2 笑いの神に愛された男、という常套句

狩野英孝という人間の面白さは、その天然ぶりにある。これはもう何度も言及されていることで、決して目新しい事実ではない。曰く「笑いの神に愛された男」。ありえない偶然を引き当てて、常に人を笑わせている。

Xアカウントのエラーでツイッターができる前のタイムスタンプでポストしたり、ゲームをすれば隕石に衝突する確率程度のバグに遭遇する。特に『Dead by Daylight』第1回配信でのコントローラー故障——「勝手に斧振らないで!」——は伝説になった。このハプニングがTwitterトレンド2位に入り、しかも公式が5周年イベントのロード画面に採用するという異例の展開。

芸人人生が終わりかねない不祥事の際も、記者会見での見事な天然ぶりによって記者に笑いを引き起こした才能もある。あの会見、YouTubeで見た人も多いと思うけど、本当にすごかった。緊張感と笑いが同居する、奇妙な空間だった。

0.3 しかし本当の答えは「人柄」にある

ただ、彼がどうしてこんなにも人を惹きつけるのかを考えると、その答えは実質「才能」というよりも「人柄」なのではないだろうか。

これが今日の提唱だ。狩野英孝の魅力は、天然でも、運でも、ハプニングでもない。嫌味のなさ諦めない姿勢という、人間の根幹にある。そしてそれが、ゲーム実況という極めて「人柄が出る」メディアで、完璧に可視化されている。

"Character is like a tree and reputation like a shadow. The shadow is what we think of it; the tree is the real thing."
(人格は木のようなもので、評判はその影のようなものだ。影は我々がそれをどう思うかであり、木こそが本物である。)
―― エイブラハム・リンカーン

第1章 記者会見とドッキリ番組――誠実さが人を救う瞬間

1.1 笑いは付加価値に過ぎない

なにか特別なことをしているわけではない。しかし、彼は悲惨な目にあっても常に前向きで、自省する。

先に上げた記者会見も、実際のところ彼がどこまでも正直かつ誠実に受け答えしていたという事実が彼を救っている。笑いの有無はあくまで付加価値に過ぎない。

あの会見、詳細は伏せるけれど、普通なら芸能生命が終わってもおかしくない状況だった。しかし狩野英孝は、嘘をつかなかった。言い訳をしなかった。誠実に、自分の言葉で、起きたことを説明した。その過程で天然ぶりが出て、記者が笑ってしまった——これが奇跡的に彼を救った。

でも本質は笑いじゃない。誠実さなのだ。人は、誠実な人間を攻撃し続けることができない。誠実さは、最強の防御でもある。

心理学者カール・ロジャーズが提唱した「一致(congruence)」という概念がある。1961年の著書『クライエント中心療法』で展開された理論。ロジャーズは、カウンセラーに必要な三大条件の一つとして「一致」を挙げた。一致とは、内面で感じていることと外面で表現することが一致している状態。嘘がない。偽りがない。そのままである。

狩野英孝の記者会見は、まさにこの「一致」だった。彼は演技していなかった。取り繕っていなかった。ただ、そのままの自分で、起きたことを話した。だから記者も、視聴者も、「この人は嘘をついていない」と感じた。

1.2 ドッキリでも、相手のために必死になる

大規模なドッキリ番組に騙されたときも、彼は最後まで仕掛け人の要求に答えて、自分なりにより良いものを相手に届けようと必死だった。

ドッキリ番組って、被害者を笑いものにする構造があるじゃないか。でも狩野英孝の場合、ドッキリが明かされた後でも、視聴者は彼を笑いものにしているんじゃなくて、彼の一生懸命さに笑っている。そして最終的には応援している。

これ、すごく重要な違いなのだ。「嘲笑」と「共感的な笑い」は別物だ。嘲笑は上から目線で、距離がある。でも共感的な笑いは、同じ目線で、距離がない。狩野英孝が引き出すのは常に後者。

なぜか。

そう、嫌味がないのだ。

1.3 嫌味のなさという武器

社会学者アーヴィング・ゴフマンが1959年の著書『日常生活における自己呈示』で論じたように、人間は常に「演技」をしている。社会的な役割を演じ、期待される自分を提示する。これ自体は悪いことじゃない。社会生活に必要なスキルだ。

でも問題は、その演技が「嫌味」に感じられるかどうか。演技が見え透いていて、計算高く見えると、人は不快になる。「この人、いい人ぶってるな」「カッコつけてるな」——こう思われた瞬間、親和性は失われる。

狩野英孝の凄さは、彼が演技していないように見えること。いや、正確には、彼が演じているのは「素の狩野英孝」であり、それが本人とズレていないこと。ゴフマン的に言えば、「前舞台」と「後舞台」の境界が曖昧なのだ。普通、芸能人はカメラの前では「前舞台」の自分を演じる。でも狩野英孝は、前舞台でも後舞台っぽい。だから親近感が湧く。

"Sincerity is the highest compliment you can pay."
(誠実さは、あなたが払える最高の賛辞である。)
―― ラルフ・ワルド・エマーソン

第2章 ゲームは人の本性を暴く――ジョイコンを持ったら人が変わる

2.1 ゲームが顕にする抑圧された感情

それが極まったカタチで表に出たのが、狩野英孝のゲーム実況「EIKO GO」だったのではないだろうか。

ゲームというのは面白いもので、人の本性を顕にすることが多い。日頃口にできない不満や、苛立ちが、ゲームを通して不思議と口をつく。

ゲームの展開に対して文句を言ったり、自分の過ちをゲーム設計のせいにして罵ったり(実際ゲーム設計に原因があることも多い)、ハンドルを握ると人が変わるという言葉は今や、ジョイコンを持ったら人が変わるという言葉に置き換わってもおかしくないほどだ。

なぜゲームは人を変えるのか。

心理学的に言うと、これはカタルシス理論と欲求不満-攻撃仮説で説明できる。オーストリアの精神分析学者ジークムント・フロイトが提唱したカタルシス理論によれば、人間は日常生活で抑圧された感情を、安全な形で発散する必要がある。ゲームはその「安全な出口」として機能する。現実では上司に怒鳴れないから、ゲームで敵を倒す。現実では思い通りにならないから、ゲームで支配感を得る。

そして1939年、アメリカの心理学者ジョン・ドラードらが提唱した「欲求不満-攻撃仮説」。目標達成が妨げられると(欲求不満)、攻撃行動が生じる(攻撃)。ゲームは常に目標達成を妨げてくる——敵が強い、操作が難しい、バグが起きる——だから攻撃性が引き出される。

つまりゲームは、人間の抑圧された感情と攻撃性を可視化する装置なのだ。

2.2 ゲーム実況はさらに人柄を暴く

そしてゲーム実況は、さらに厄介だ。なぜなら、視聴者という「監視者」がいるから。

ゲームを一人でプレイしているときは、いくら暴言を吐いても、コントローラーを投げても、誰も見ていない。でもゲーム実況は違う。何千人、何万人が見ている。リアルタイムでコメントが流れる。つまり、公的な場でゲームをプレイするという、二重のプレッシャーがかかる。

ここで人は試される。視聴者に「良く見られたい」という欲求と、ゲームでの欲求不満が衝突する。そのとき、どちらを優先するか。どういう言葉を選ぶか。どういう態度を取るか。

フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが1943年の著書『存在と無』で論じた「他者の眼差し」。他者の眼差しを受けた瞬間、人は自分が「対象」になることを意識する。そして自分の行動を監視し始める。

ゲーム実況者は、常に「他者の眼差し」の下にいる。だから本性が出る。いくら普段は良い人でも、ゲームで負けたときの一言に、本当の性格が滲む。

2.3 さて、では狩野英孝はどうだろうか

さて、では狩野英孝はどうだろうか。

彼の面白いところは、ゲームプレイ自体は大概滑り出しはポンコツである。ここもまあ或る意味ではライトプレイヤーの共感を得る機能があるが、一味違うのが、彼は諦めないということだ。

そして重要なのは、彼が失敗したとき、最後に責めるのはいつだって自分自身だということ。

『バイオハザード4』のレーザートラップのシーン。決まった動きをするレーザーをしっかりと観察し、リズムを取って突破しようとした瞬間、まっすぐ進まず斜め前にあるレーザーに突進。見事にぶっ飛ばされて「バカヤロー」と自戒する。

この「バカヤロー」が、ゲームに向かってじゃなく、自分に向かっているのがポイントなのだ。

"The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall."
(生きることの最大の栄光は、決して倒れないことではなく、倒れるたびに立ち上がることにある。)
―― ネルソン・マンデラ

第3章 諦めないという尊さ――僕らは諦めることに慣れている

3.1 刷り込まれたのに、僕らは諦める

諦めないということの尊さを、僕らは幼少期に散々責任ある大人や無責任な大人たちから嫌というほど刷り込まれるわけだが、その実、大人も含め、僕らは諦めることに慣れている。

「諦めるな」「最後まで頑張れ」「努力は報われる」——こういう言葉を、学校でも家庭でも、何度聞かされたか。でも同時に、僕らは現実も知っている。努力しても報われないことがある。頑張っても無駄なことがある。だから、適度に諦めることを学ぶ。これは悪いことじゃない。むしろ、生存戦略として合理的だ。

アメリカの心理学者マーティン・セリグマンが1967年に発見した「学習性無力感」。犬に電気ショックを与え続け、逃げられないと学習させると、後で逃げられる状況になっても逃げなくなる。人間も同じ。失敗を繰り返すと、「どうせ無理」と学習し、挑戦しなくなる。

現代社会は、学習性無力感を育てやすい。SNSで他人の成功を見せつけられ、自分の努力が報われない現実を突きつけられ、「才能がないとダメ」というメッセージを浴び続ける。だから僕らは、諦めることに慣れている。

3.2 狩野英孝は「少しバグっている」

ところが狩野英孝という男はそこが少しバグっている。

諦めないのだ。

へなちょこに終わる回もある。落ち込むときもある。それでも励まされながら、いや、自分自身を励ましながら前進していく。

『Dead by Daylight』第1回配信。コントローラーが故障し、斧が勝手に振られ続ける。普通なら「ゲーム中断します」となってもおかしくない。でも狩野英孝は続けた。2時間以上。「勝手に斧振らないで!」と叫びながら、それでもプレイを続けた。

この姿勢、何なのだろう。

これは、アメリカの心理学者キャロル・ドゥエックが提唱した「成長マインドセット」に近い。2006年の著書『マインドセット「やればできる!」の研究』で展開された理論。人には二種類のマインドセットがある。

固定マインドセット:能力は固定されていて変わらないと信じる。失敗は自分の無能さの証明だから避ける。

成長マインドセット:能力は努力で伸ばせると信じる。失敗は学習の機会だから受け入れる。

狩野英孝は、完全に成長マインドセットなのだ。失敗しても「自分はダメだ」とは思わない。「次はもっとうまくやれる」と思う。だから諦めない。

3.3 僕らは彼の「前進」を見ている

或る意味で僕らはゲーム実況ではなく、狩野英孝という男のドキュメンタリーを見ている。

悪態をつくときもある。しかし、最後に責めるのはいつだって自分自身だ。このままではだめだと自分に言い聞かせながら前進を続ける姿が、同じ人間としてひとえにかっこいい。

ここが重要なのだ。狩野英孝は、視聴者に「俺、頑張ってるでしょ?」とは言わない。視聴者に責任を押し付けない。ゲームに文句を言わない(たまに言うけど、すぐ引っ込める)。自分に言い聞かせるのだ。

この姿勢が、視聴者に刺さる。なぜなら、僕らも同じだから。僕らも日々、自分に言い聞かせながら前進している。仕事で失敗して、「このままじゃダメだ」と思う。恋愛がうまくいかなくて、「次はもっと頑張ろう」と思う。でも、それを他人に見せることは少ない。

狩野英孝は、それを見せてくれる。カメラの前で、何万人の前で、自分の失敗と、自分への叱咤と、自分の前進を見せてくれる。だから僕らは、彼の中に自分を見るのだ。

"Success is not final, failure is not fatal: it is the courage to continue that counts."
(成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない。大切なのは続ける勇気である。)
―― ウィンストン・チャーチル

第4章 視聴者との関係性――ユーザー名を読む、という革命

4.1 「コメントだけを読む人」が多い中での差別化

狩野英孝のゲーム実況の特徴として、もう一つ重要な点がある。視聴者のユーザー名を読むこと。

2025年11月のインタビューで狩野英孝はこう語っている。「配信していると視聴者さんからチャット欄にコメントが来るんですが、(他の実況者が)チャット欄の"コメントだけを読む人"が多い印象の中、僕はそのコメントを送ってくれた方のユーザー名もしっかり読むようにしています。例えば『"ピノ大好きさん" いつも応援してます。頑張ってください』『"ピノ大好きさん" 頑張るよ。ありがとう』みたいな」

「結構、ラジオだとペンネームを読むじゃないですか。でもゲーム配信だと、意外とみんなユーザー名を読まないことがあるんですよね。僕は読んであげた方が視聴者さんも喜ぶだろうなと思ってて、そこは心がけていますね。」

これ、些細なことに見えて、実は革命的なのだ。

4.2 承認欲求の充足――「私」が認識された瞬間

心理学者アブラハム・マズローが1943年の論文で提唱した「欲求の階層説」。人間の欲求は5段階に分かれる。生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求。

ゲーム実況の視聴者が求めているのは、主に「承認の欲求」だ。自分の存在が認められたい。自分のコメントが読まれたい。自分が配信者と繋がっていると感じたい。

でも多くのゲーム実況者は、コメントだけを読む。「『頑張ってください』ありがとうございます」。これだと、コメントは認識されたけど、コメントした「私」は認識されていない

狩野英孝は、ユーザー名を読む。「『"ピノ大好きさん" 頑張ってください』ピノ大好きさん、ありがとう」。これで、コメントした「私」が認識される

この差は、巨大なのだ。

4.3 参加型文化としてのゲーム実況

アメリカのメディア学者ヘンリー・ジェンキンスが2006年の著書『Convergence Culture』で論じた「参加型文化」。現代のメディア消費は、一方通行ではなく双方向になっている。視聴者は単なる受け手ではなく、参加者になりたがっている。

ゲーム実況は、まさに参加型文化の最前線だ。視聴者はコメントでアドバイスを送り、配信者と会話し、時には配信の方向性に影響を与える。

でも、参加型であるためには、参加していることが認識される必要がある。コメントが読まれても、自分のユーザー名が読まれなければ、「私は参加した」という実感が薄い。

狩野英孝は、この参加型文化を完璧に理解している。彼は視聴者を「観客」ではなく「参加者」として扱う。だから視聴者は、配信に没入する。自分が配信の一部になっていると感じる。

"The deepest principle in human nature is the craving to be appreciated."
(人間性における最も深い原理は、評価されたいという渇望である。)
―― ウィリアム・ジェームズ

第5章 ゲーム実況というジャンル――『EIKO GO』の特異性

5.1 ゲーム実況の発展と視聴動機の多様化

ゲーム実況というジャンルは、動画配信の時代とともに発展し、今やゲームを初見プレイしたい人とは別に、まずはゲーム実況を見てから購入を考えるという層もいる。

2021年のソニー生命「中高生が思い描く将来についての意識調査」によれば、「ゲーム実況者」が将来なりたい職業として、男子中学生で5位(12.0%)、女子中学生で10位(7%)、男子高校生で8位(5.8%)にランクイン。しかも「YouTuber」や「プロeスポーツプレイヤー」とは別カテゴリーとして認識されている。

つまり、ゲーム実況者という職業・ジャンルが確立されたということだ。

そして視聴者の動機も多様化している。ゲームが上手い人のプレイを見たい層、ゲームの購入判断のために見る層、配信者のトークやリアクションを楽しむ層、視聴者同士の交流を楽しむ層——ゲーム実況は、もはやゲームそのものより、配信者を中心としたコミュニティ体験になっている。

5.2 狩野英孝という「エンタメ」――ゲームは舞台装置

一方で、「EIKO GO」はゲームそのものよりも狩野英孝という男を主軸にして描かれるエンタメだ。

これが重要なのだ。多くのゲーム実況は、ゲームが主役で、配信者は解説者やリアクション要員だ。でも『EIKO GO』は違う。狩野英孝が主役で、ゲームは舞台装置なのだ。

視聴者は『Dead by Daylight』や『バイオハザード』を見たいんじゃない。『Dead by Daylight』をプレイする狩野英孝を見たいのだ。『バイオハザード』で悲鳴を上げる狩野英孝を見たいのだ。諦めずに前進する狩野英孝を見たいのだ。

これは、メディア論的に言えば「パーソナリティ中心のコンテンツ」だ。ラジオのパーソナリティ、テレビのMC、そしてYouTuberもこのカテゴリー。重要なのはコンテンツの内容ではなく、誰がそれを届けているか

狩野英孝は、芸人として培ったパーソナリティの強さを、ゲーム実況という新しいフォーマットに持ち込んだ。そして成功した。

5.3 堂本光一も見ている——ポジションの確立

2025年9月、堂本光一が狩野英孝のゲーム実況イベント「EIKO!GO!! SPECIAL LIVE -TENJIKU-」にシークレット出演した。堂本光一は自身のInstagramで、「『勝手に斧投げないで』という狩野の配信を見て『これなら自分の方が上手くできるんじゃないか』と思ったのが始まりだった」と明かし、「どんなゲームも直向きに頑張られている姿を見てエイコー頑張れ!と応援している」と語った。

堂本光一が見ている。しかも応援している。これは象徴的だ。

芸能界でゲーム実況をする人は増えた。Hey! Say! JUMP・山田涼介、後藤真希、花江夏樹など多くのビッグネーム。でもその中でも狩野英孝の存在感は抜群で、「芸能界でゲーム実況といえば狩野英孝」という立場が確立されつつある。

"Entertainment is a responsibility."
(エンターテインメントは責任である。)
―― ウォルト・ディズニー

終章 私は彼に魅せられてしまった

終.1 才能ではなく、人柄が勝つ

或る意味で僕らはゲーム実況ではなく、狩野英孝という男のドキュメンタリーを見ている。

これが核心だ。『EIKO GO』は、ゲーム実況ではない。狩野英孝という人間のドキュメンタリーなのだ。

僕らは彼の中に、理想の自分を見ている。失敗しても諦めない自分。他人を責めない自分。誠実であり続ける自分。前向きであり続ける自分。

でも同時に、彼の中に「等身大の自分」も見ている。ポンコツで、失敗して、悔しがって、でも立ち上がる自分。

だから彼は、応援される。だから彼は、愛される。

現代は、才能よりも人柄が勝つ時代になりつつある。SNS時代、YouTubeの時代、誰でも発信できる時代——この時代に生き残るのは、才能がある人ではなく、人に好かれる人だ。

そして人に好かれる最も確実な方法は、嫌味がないことだ。誠実であること。諦めないこと。失敗を他人のせいにしないこと。視聴者を尊重すること。

狩野英孝は、これらすべてを体現している。

終.2 これは言い訳ではない、と添えておく

私は彼に魅せられてしまった。

これは断じて、最近映画批評の記事を投稿していないことのいいわけではないことを最後に添えておく。

本当だ。信じてほしい。

狩野英孝のゲーム実況『EIKO GO』は、エンターテインメントの本質を教えてくれる。才能や技術ではなく、人柄こそが最強の武器であると。嫌味のなさと誠実さこそが、人を惹きつけると。

そしてそれは、映画批評にも通じる。どれだけ学術的に正しくても、どれだけ深い洞察があっても、読者に嫌味に感じられたら意味がない。誠実に、等身大で、諦めずに書き続けること。それが大切なのだと、狩野英孝が教えてくれた。

だから私は、また映画批評を書く。狩野英孝のように、諦めずに。

"The two most important days in your life are the day you are born and the day you find out why."
(あなたの人生で最も重要な二つの日は、生まれた日と、なぜ生まれたかを見つけた日である。)
―― マーク・トウェイン


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


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