【#映画感想文】 #ディズニー アニメーション一気に批評 その15『#王様の剣』――隠れた名作? その魅力に迫る 【#Podcast エピソード紹介】
「Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。
毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。
なお番組の最新エピソードご聴取はこちらよりどうぞ↓
第1章 知名度がイマイチすぎる本作
1.1 正直、観たことない人の方が多いんじゃないか問題
『王様の剣』について語ろうとすると、まず最初にぶつかる壁がある。
知名度が、あまりにも低い。
ディズニー長編アニメーションの中でも、
本作はどうにも話題に上がらない。
名前は聞いたことがある。
剣を抜く話だということも、なんとなく知っている。
でも、ちゃんと観たかと言われると……うーん、怪しい。
体感としては、
「観ていない人の方が多いんじゃないか?」
というレベルにある作品だと思う。
私自身、初見は幼少期だった。
TSUTAYAでVHSを借りて、姉と一緒に観た記憶がある。
ただ、爆笑したかと言われると、そうでもない。
心にトラウマ級の名シーンが刻まれたかというと、それも違う。
なのに、なぜか覚えている。
“Not all those who wander are lost.”
「彷徨う者すべてが、迷っているわけではない」
――J.R.R.トールキン
この映画は、まさにそんな立ち位置だ。
1.2 派手さはない。でも、ロマンは確かにある
『王様の剣』は、派手な映画ではない。
悪役が世界を滅ぼそうとするわけでもないし、
壮大な戦争が描かれるわけでもない。
だが、そこにはロマンがある。
一介の少年が、
自分でも気づかぬうちに、
王としての運命を掴み取る。
過程の描写は、正直かなりあっさりしている。
修行も、試練も、どこか断片的だ。
それでも、
剣を抜き取った瞬間の気持ちよさだけは、はっきり覚えている。
あの一瞬のために、
ここまで積み上げてきたんだ、
という感覚が、確かにある。
1.3 原典に辿り着けなかった、あの頃の私
この映画を観たあと、
私は図書館でアーサー王伝説を探して読み始めた。
だが、すぐに挫折した。
難しすぎたのだ。
当時の私は知らなかった。
この映画が、
アーサー王伝説そのものではなく、
T・H・ホワイトのファンタジー小説
『The Once and Future King(永遠の王)』
を下敷きにしているということを。
“The past is never dead. It’s not even past.”
「過去は死なない。過去ですらない」
――ウィリアム・フォークナー
今になって振り返ると、
この映画は、
神話や伝説の再現ではなく、
伝説への入り口として作られている。
だからこそ、
子どもには分かりやすく、
大人にはどこか物足りない。
そのズレが、
本作の評価を難しくしている。
1.4 「名作」と呼ぶには弱く、「凡作」と切り捨てるには惜しい
『王様の剣』は、
いわゆるディズニーの代表作には数えられない。
だが同時に、
失敗作とも呼びづらい。
完成度は高い。
音楽も良い。
キャラクターも立っている。
なのに、
決定打がない。
この「中途半端さ」こそが、
本作を隠れた存在に押し込めている原因だと思う。
だが、
隠れている作品には、
隠れているなりの理由がある。
それを一つずつ掘り起こしていくのが、
今回の目的だ。
第2章 あらすじ
2.1 物語は「成長」ではなく「配置」で進む
『王様の剣』のあらすじは、ディズニー作品の中でもかなり変わった部類に入る。
なぜならこの物語、成長譚の形をしていながら、成長を段階的に描かないからだ。
主人公は少年アーサー。
愛称は“ワート”。要はイボだ。ひでぇ。
身分も低く、特別な才能もない。
彼は城で雑用をこなしながら、日々をなんとなく生きている。
そこに現れるのが、魔法使いマーリンだ。
マーリンはワートを弟子に取り、
彼にさまざまな「教育」を施す。
ただしここで重要なのは、
マーリンが教えるのは剣術でも統治術でもない、という点だ。
教えられるのは――
魚になったり、
リスになったり、
鳥になったり、
とにかく別の存在として世界を見る体験である。
“Education is not the filling of a pail, but the lighting of a fire.”
「教育とは、器を満たすことではなく、火を灯すことだ」
――W.B.イェイツ
2.2 エピソードが並ぶ、という異質な構成
物語は一直線に進まない。
試練 → 克服 → 成長
という王道の構造は、ほとんど取られない。
代わりに並ぶのは、
マーリンによる奇妙な授業の数々だ。
知識とは何か
力とは何か
支配とは何か
それぞれが、
直接的な言葉ではなく、
体験として提示される。
そのため、観ている側はときどき戸惑う。
「今、何を見せられているんだ?」
という感覚が、しばしば顔を出す。
だが、この散漫さこそが、
本作の性格を決定づけている。
2.3 物語のゴールは、最初から決まっている
この映画には、
明確なラスボスがいない。
世界を救う使命もない。
あるのは、
「王になれるかどうか」という一点だけだ。
そしてその答えは、
伝説を知っている人間には、
最初から分かっている。
アーサーは剣を抜く。
それだけだ。
重要なのは、
剣を抜くために何をしたかではない。
剣を抜く資格が、いつの間にか備わっていたことだ。
マーリンの授業は、
目的地へ向かう階段ではなく、
視野を広げるための回り道だった。
2.4 クライマックスの唐突さ
終盤、
城に突き刺さった剣が登場する。
周囲の人間は誰も抜けない。
そして、
ワートが何気なく剣を引き抜いてしまう。
盛り上げは最小限だ。
演出もあっさりしている。
だが、この唐突さには意味がある。
王になる瞬間は、
劇的である必要がない。
準備が終わっていれば、ただ起こる。
“Great things are done by a series of small things brought together.”
「偉大なことは、小さなことの積み重ねによって成し遂げられる」
――フィンセント・ファン・ゴッホ
2.5 あらすじとして重要なのは、この違和感
『王様の剣』のあらすじを追うと、
どうしても「物足りなさ」が残る。
盛り上がりに欠ける。
目的が曖昧。
カタルシスが弱い。
だがそれは欠点というより、
設計上の特徴だ。
この映画は、
「王になるまでのドラマ」を描いていない。
「王になる器が、いつの間にかできていたこと」を描いている。
このズレをどう受け取るかで、
本作の評価は大きく分かれる。
第3章 シャーマン兄弟、降臨
3.1 ディズニーの「音」が、ここで決定的になる
『王様の剣』を特別な一本にしている最大の要因は、
間違いなく音楽だ。
この作品で、ディズニーはついに
「ディズニーっぽい音楽」を完成させてしまった。
その立役者が、
シャーマン兄弟である。
後年、彼らは
『メリー・ポピンズ』
『ジャングル・ブック』
『くまのプーさん』
など、
ディズニーの看板となる楽曲群を次々と生み出していく。
だが、その起点が、この『王様の剣』だ。
“Music is the shorthand of emotion.”
「音楽は感情の速記である」
――レフ・トルストイ
この映画は、
感情の多くを音楽に委ねている。
3.2 「ディズニーを思い浮かべたときに流れる音」
ちょっと想像してほしい。
「ディズニー」と聞いて、
頭の中で流れるBGMは何だろう。
多くの人にとって、
それはシャーマン兄弟の旋律だ。
軽やかで、
親しみやすく、
どこか皮肉が効いていて、
それでいて、ちゃんと高揚感がある。
『王様の剣』の楽曲群は、
物語を引っ張るというより、
映画全体の温度を決めている。
ワートが迷っても、
観客は迷わない。
なぜなら音楽が
「これは楽しい冒険だよ」
と教えてくれるからだ。
3.3 マーリンの歌は、ほぼ全部ギャグである
特に顕著なのが、
マーリンに紐づいた楽曲たちだ。
内容を冷静に見れば、
ほぼ全部がギャグで構成されている。
呪文は支離滅裂。
歌詞は説明過多。
リズムは落ち着きがない。
だが、それがいい。
このポップさがなければ、
原作の持つ硬派さ――
T・H・ホワイトの『永遠の王』の哲学性――は、
キッズ向け映画としては確実に重すぎる。
“If you can’t explain it simply, you don’t understand it well enough.”
「簡単に説明できないなら、それを本当に理解しているとは言えない」
――アルベルト・アインシュタイン
シャーマン兄弟は、
難しいことを、
歌にして笑い飛ばすことで、
ディズニーに翻訳した。
3.4 「ビビディ・バビディ・ブー」の系譜
マーリンの呪文ソングを聴いていると、
どうしても思い出すものがある。
『シンデレラ』の
「ビビディ・バビディ・ブー」だ。
意味は分からない。
だが、楽しい。
呪文とは本来そういうものだ。
『王様の剣』は、
魔法を神秘として描かない。
音楽的イベントとして消費する。
その判断が、
映画を一気に軽くしている。
これは逃げではない。
観客層を見極めた、極めて冷静な戦略だ。
3.5 音楽が映画の「印象」を決め切ってしまう
正直に言うと、
『王様の剣』の物語は、
強い印象を残しにくい。
だが、
音楽は残る。
何年経っても、
ふと旋律だけ思い出す。
それこそが、
シャーマン兄弟の恐ろしさであり、
ディズニーの強さだ。
この映画は、
物語で記憶される作品ではない。
音で記憶される作品である。
第4章 マーリンという翻訳装置
4.1 原作は硬派、映画はポップ——その落差をどう処理したか
『王様の剣』を語るうえで、マーリンの存在は避けて通れない。
なぜなら彼は、この映画そのものの「翻訳方針」を体現したキャラクターだからだ。
原作であるT・H・ホワイトの『The Once and Future King(永遠の王)』は、
決して子ども向けの軽い物語ではない。
教育とは何か、権力とは何か、支配とは何か。
かなり思想寄りで、場合によっては説教臭くすらなる。
この素材をそのままアニメにしたら、
たぶん今の『王様の剣』にはならなかった。
そこでディズニーが選んだ解が、
マーリンを「おもしろジジイ」にするという大胆な翻訳だ。
“Humor is reason gone mad.”
「ユーモアとは、理性が少し狂った状態である」
――グルーチョ・マルクス
4.2 マーリンは教師だが、説教はしない
マーリンはワートの教育係だ。
だが彼は、教壇に立たない。
黒板も持たない。
長い講義もしない。
代わりにやるのは、
変身、失敗、ドタバタ、事故。
魚にする。
リスにする。
鳥にする。
とにかく放り込む。
つまりマーリンは、
知識を与える教師ではなく、
体験を設計する教育者として描かれている。
これは原作の思想を、
かなり忠実に、しかし形を変えて引き継いでいる。
“Experience is the teacher of all things.”
「経験は、すべてのものの教師である」
――ユリウス・カエサル
4.3 なぜ「奇天烈な呪文」ばかりなのか
マーリンの呪文は、
意味不明で、覚えにくく、
大抵は失敗する。
だが、それでいい。
魔法が完璧に機能してしまうと、
映画は一気に退屈になる。
万能な力は、学びを奪うからだ。
マーリンの魔法は、
常に少しズレている。
だからワートは考え、観客も考える。
この設計は、
『シンデレラ』の
「ビビディ・バビディ・ブー」系譜と明確につながっている。
魔法は神秘ではなく、
エンタメとしてのイベント。
そう割り切った瞬間、
物語は一気に子どもに開かれる。
4.4 マーリンは「正解」を教えない
重要なのは、
マーリンが一度も
「こうすれば王になれる」とは言わないことだ。
彼は未来を知っている。
だが、それを教えない。
代わりにやるのは、
世界の見方を増やすことだけ。
魚の世界。
動物の世界。
弱者の視点。
力に頼る愚かさ。
これらはすべて、
後になって「王であること」に接続されるが、
その場では説明されない。
この不親切さが、
『王様の剣』を
教訓映画ではなく、
体験映画にしている。
“Wisdom is not a product of schooling but of the lifelong attempt to acquire it.”
「知恵は学校教育の産物ではなく、生涯にわたる獲得の試みの結果である」
――アルベルト・アインシュタイン
4.5 マーリンが担った、最大の役割
マーリンは、
物語を引っ張る主人公ではない。
悪役でもない。
ラスボスでもない。
だが彼は、
この映画が「重くならずに済んだ理由」そのものだ。
原作の哲学を捨てず、
しかし子ども向けに開き、
しかも説教にしない。
そのための翻訳装置として、
マーリンほど優秀な存在はいない。
『王様の剣』が
どこか軽く、
どこか物足りなく、
それでも妙に印象に残るのは、
このキャラクター設計のおかげだ。
第5章 「隠れた名作」になりきれない理由
5.1 盛り上がらなさは欠点か、それとも性質か
『王様の剣』を見終えたあと、多くの人が抱く感想はだいたい同じだと思う。
「悪くはない」
「でも、なんか印象が薄い」
「名作って言われるほどかな?」
この“ぬるさ”は、単なる出来の悪さではない。
むしろ構造的にそうなっている。
この映画には、はっきりした「敵」がいない。
世界を滅ぼそうとする悪もいないし、
倒さなければならない存在もいない。
物語を前に引っ張る明確なゴールも、ほぼ提示されない。
“No conflict, no story.”
「対立なきところに物語はない」
――アリストテレス(要約)
この原則に照らすと、『王様の剣』はかなり危うい立ち位置にある。
5.2 ワートには「欲」がない
主人公ワートは、
王になりたいと思っていない。
強くなりたいとも思っていない。
世界を変えたいとも思っていない。
彼が望んでいるのは、
せいぜい「怒られずに生きたい」くらいだ。
この“欲のなさ”は、
教育映画としては優秀だが、
エンタメとしては致命的でもある。
観客は主人公の欲望に感情移入する。
だがワートは、
最後の最後まで能動的に何かを掴みに行かない。
剣を抜く瞬間ですら、
彼は「選ばれた」というより
「たまたま出来た」に近い。
この偶然性が、
あの爽快なシーンを生み出す一方で、
物語全体のカタルシスを弱めてもいる。
5.3 だから「何度も見たい映画」にならない
ディズニーの名作には、
何度も見返したくなる理由がある。
・圧倒的な悪役
・忘れられない悲劇
・明確な成長物語
・強烈なテーマ
『王様の剣』には、
それらが意図的に削ぎ落とされている。
代わりにあるのは、
エピソードの連なり。
小さな学びの積み重ね。
日常の延長のような冒険。
その結果、
一度見れば十分、
という印象になりやすい。
“Simplicity is the ultimate sophistication.”
「単純さとは究極の洗練である」
――レオナルド・ダ・ヴィンチ
ただし、この言葉は
“単純=面白い”とは言っていない。
5.4 それでも、この映画が嫌いになれない理由
にもかかわらず、
『王様の剣』は不思議と嫌われない。
それはこの映画が、
「偉くなる物語」ではなく、
「育つ時間の物語」だからだ。
誰もが王になるわけじゃない。
だが誰もが、
何者かになる途中の時間を生きている。
その宙ぶらりんさ、
方向の定まらなさ、
未完成のまま進む感じ。
この映画は、
そこだけは妙にリアルだ。
5.5 隠れた名作、という言葉の正体
結局のところ、
『王様の剣』は
「名作」と呼ぶにはパンチが弱く、
「駄作」と切り捨てるには誠実すぎる。
だから
「隠れた名作」
という便利な言葉に押し込められてきた。
だが正確には、
これは隠れている映画ではない。
前に出てこない映画なのだ。
それが長所でもあり、
同時に弱点でもある。
第6章 それでも『王様の剣』が残したもの
6.1 ディズニー史の中での、静かな役割
『王様の剣』は、ディズニー作品の中で語られるとき、だいたい立ち位置が曖昧だ。
革命的でもない。
シリーズ化もされない。
悪役も弱い。
泣かせにも来ない。
にもかかわらず、この映画はちゃんと「通過点」として機能している。
それは、
ディズニーが子ども向け長編アニメーションの重心を、完全に“教育”から“娯楽”へ移し切った瞬間にあたるからだ。
白雪姫やピノキオには、まだ明確な教訓があった。
善悪があり、罰があり、報いがある。
だが『王様の剣』では、それがほぼ霧散している。
あるのは経験だけ。
結果は、あとからついてくる。
“Life is what happens to us while we are making other plans.”
「人生とは、別の計画を立てている間に起こる出来事のことだ」
――ジョン・レノン
ワートの人生は、まさにそれだ。
6.2 「王になる物語」ではなく「王になる前の時間」
多くの王の物語は、
即位の瞬間をクライマックスに据える。
だがこの映画は、
その一歩手前で終わる。
剣を抜いた瞬間、
映画は唐突に幕を下ろす。
統治は描かれない。
戦争も描かれない。
責任も描かれない。
描かれるのは、
王になる前の、何者でもなかった時間だけだ。
これは、かなり大胆な選択だと思う。
6.3 なぜ子どもの頃は響き、大人になると薄れるのか
子どもの頃にこの映画を見た人は、
「ロマン」を覚えていることが多い。
だが大人になって見返すと、
どこか物足りない。
それは、この映画が
“完成”を描かない物語だからだ。
大人は結果を求める。
意味を求める。
カタルシスを欲しがる。
だが『王様の剣』は、
それをほとんど与えない。
この不親切さは、
同時にこの映画の誠実さでもある。
6.4 ディズニーが積み上げてきたものの中で
派手なヒット作の影に、
こういう映画がある。
爆発もしない。
泣かせもしない。
語り継がれもしにくい。
だが、
ディズニーが
「長編アニメーションを続けるスタジオ」
であり続けられた理由は、
こうした実験作の積み重ねにある。
『王様の剣』は、
その中でも特に
失敗を恐れずに軽さを選んだ作品だ。
6.5 隠れた名作、ではなく
この映画を
「隠れた名作」と呼ぶのは、
少し違う気がしている。
これは名作でも傑作でもない。
だが、
ディズニーが“軽くなること”を許した最初の作品として、
きちんと意味がある。
重くしなかった勇気。
まとめきらなかった覚悟。
完成させなかった選択。
それらすべてが、
この映画を独特な場所に置いている。
6.6 最後に
『王様の剣』は、
何度も見返したくなる映画ではない。
だが、
ふと思い出す映画ではある。
剣を抜いたあの瞬間の、
あの気持ちよさだけが、
ずっと頭に残る。
それで十分なのかもしれない。
王になる物語ではなく、
王になる前の、
まだ何者でもなかった時間の話。
その静かな価値を、
この映画は確かに残している。
そんでもって、ディズニーさんよ。
もう発表から10年経つけど実写化の案件はどうなったのよ。
podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(#ポケ沼 )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。
語りたい映画なんて尽きることない!
エピソードの公開は毎週or隔週となります。
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