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記憶の扉を開ける声——久米宏『ラジオなんですけど』2011年5月28日という日


序章 記憶の糸をたぐる季節

皆様、ご機嫌いかがでしょうか。

ふとカレンダーを見ますと、時は2026年。私が今おります札幌は、心地よい風が吹いておりますが、皆様の街はいかがでしょうか。

今日、皆様と一緒に記憶の糸をたぐり寄せたいのは、2011年5月28日の放送です。あの日、東京はしとしとと細かい雨が降る、昔ながらの梅雨の風情でした。ラジオから流れてきた久米さんの声には、暗い空模様を吹き飛ばすような、いつもより少しだけ明るいトーンが装われておりました。


第一章 雨を逆手にとる、へそ曲がりの矜持

「今日の振り方はなんか昔の梅雨っぽい、しとしと細かい雨がね、じたっとこの肌にこうぺちょって。(中略)今日は普通の話でも、ま、空が明るかったらね、明るく聞こえるじゃないですか。だ、今日はいつも明るい感じで放送していこうかなと思っております」

雨で鬱々とするリスナーの心理をすくい上げつつ、あえて明るく振る舞うという天邪鬼な構え。しかしすぐさま「いつもと同じじゃないかと言われればそれっきりです」と自嘲気味に落とす。この照れ隠しのような緩急こそが、あの2時間の幕開けにふさわしい呼吸でありました。


第二章 宮脇方式の森と、暗い東名高速

番組の前半、宮脇昭先生の植樹法についてのリスナーからの反響を語る久米さんの声には、静かな熱がありました。「瓦礫を活かして、自然の力で森の防潮堤を作る」。この素晴らしいアイデアが、あまりに安上がりであるがゆえに、大量の予算を注ぎ込むような事業の影に隠れてしまうのではないか。

「あまりにも宮脇先生のアイデアはお金がかからなすぎる。コンクリートを使って大量のお金を注ぎ込むんじゃないと、やっぱりダメなんじゃないか」

そんな少し皮肉めいた、しかし深く社会を見つめる眼差しは、長年ジャーナリズムの最前線に立ってきた彼ならではの鋭さでした。話題はやがて、深夜の東名高速へと移ります。東京料金所を抜けた後の、あの真っ暗な道。車線すら見えない恐怖。単に「道が暗かった」という日常の出来事から、インフラへの違和感を的確にすくい上げる。久米さんの言葉を通して、私たちはあの時代特有の「見えない先行き」に対する得体の知れない不安を、共に感じ取っていたように思います。


第三章 「単独」の甘美な興奮と、記憶の不思議

暗い高速道路の話から、久米さんの思考はふと、過去の記憶へと見事な跳躍を見せます。

「なんでこんな完璧に忘れてることを、人間ってこの記憶ってどこに入ってるんだろうと思って」

大瀬崎の深い海で泳いだ中学生の夏から、高校時代の山登りへ。軍畑駅に降り立ち、高水三山へ向かう。仲間と行くはずが、偶然からたった一人で山に入ることになった日。登山口に立った時の、トイレに行きたくなるような武者震い。

「1人で山に登るって、いつも仲間とバカな話をしながら登っていくんだけど、たった1人でお弁当ちょっと持って登っていくってね、恐ろしい興奮度合いなんですよ」

「単独」という言葉の響きに魅了され、恐怖と興奮の入り混じったエクスタシーを覚える。ラジオの前の私たちもまた、久米さんの語りに引き込まれ、いつしか自分自身の青春の「単独」の記憶を呼び起こされていたのではないでしょうか。久米さんは、私たち一人一人の中にある、ひそやかな記憶の扉を開ける天才でした。

――しかし、記憶の扉というものは、時に人をひどく気まぐれな場所へと運ぶものです。孤独の哲学に酔いしれた青年の余韻も冷めやらぬうちに、久米さんの語りは、川端康成への憧れと、ある浴室での小さな事件へと、静かに舵を切ってゆきます。


第四章 湯ヶ島の混浴風呂、若き日の狼狽

そして物語は、川端康成の『伊豆の踊子』に憧れた高校生の、湯ヶ島への一人旅へと続きます。背伸びをして一人で旅館を予約し、誰もいない大浴場を独り占め。

「もう決まりですよ。高校生がね、1人でお風呂に入ったら。何が決まりかっていうと、平泳ぎです」

得意げに平泳ぎをする高校生の久米少年。そこに突然訪れた、家族連れによる「混浴」のピンチ。

「やって首まで浸かった」「焦りまくってばーっと飛び出した」

慌てふためき、逃げ出すまでのドタバタ劇。先ほどの社会への鋭い視点や、孤独の哲学を語っていたのと同じ人物が、自身の若き日の滑稽な失敗談を惜しげもなく披露する。

哲学から平泳ぎへ——この落差にこそ、『ラジオなんですけど』の真骨頂があったように思います。完璧なようでいて、どこか人間臭い。だからこそ、私たちは彼の言葉を信頼できたのです。


第五章 深海から山頂へ、そして日常への帰還

「記憶ってものは不思議なもんです」

そう締めくくった直後、久米さんは何事もなかったかのように、「大ヒット漫画『ワンピース』の面白さ。お子さんは何と言っていますか?」という、全く異なる日常のテーマへとリスナーを導いていきました。深海から山頂へ、そして湯ヶ島の温泉から『ワンピース』へ。どんなに壮大な思索の旅に出ても、最後は必ず私たちの足元の「日常」へと着地させてくれる。社会の矛盾を鋭く突きながらも、最後には必ず一人一人の生活の営みに温かい眼差しを向けてくれる。


終章 あなたの引き出しに眠る風景

あの土曜日の午後1時、ラジオから聴こえてきた軽妙で知的なおしゃべりは、今も私たちの記憶の深いところに、大切にしまわれています。皆様の心の引き出しには、あの日のどんな景色が残っていますか?



あとがき

一本の放送を、これほどまでに丁寧に聴き返す機会は、そう多くはございません。深海の記憶から山の記憶へ、山の記憶から温泉の記憶へ——脈絡なきかに見えて、実はひとつの糸で繋がっている。久米さんの語りを辿るうちに、私自身もまた、しまい込んでいたはずの遠い日の景色をいくつか思い出しておりました。

放送とは、つまるところ声の記録でありながら、聴く者の内側に眠るものを呼び覚ます装置でもあるのだと、改めて感じ入った次第です。良き聴き手であった皆様と、この記憶を分かち合えましたことを、静かに嬉しく思っております。


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