黒い爪と見落としの連鎖 — 35 年の錯覚が教えてくれた「他者の眼」と「生き方」のリアル
1 見えていなかった異変
私の右手親指の爪には、ずっと黒っぽい線のようなものがありました。
中学生の頃、指をドアに挟んだ記憶があり、その時できた血豆だと思い込んでいたのです。
血の塊は爪の伸びとともに押し出されましたが、その後も色素沈着が残りました。
しかし、私はそれを“日常の痕跡”として受け止めていました。痛みもなく、機能的な問題もない。だから「たいしたことではない」と信じて疑いませんでした。
この長年の思い込みには、無意識のうちに働く 正常性バイアス がありました。
目の前の異常を、「この程度なら問題ない」と処理してしまっていたのです。
この記事について
僕の音声配信「バリアフリー探求所 」の過去エピソードをもとに、AIで拡張した記事です。
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2 安心と錯覚 — 初期医療の落とし穴
大人になり職場の同僚に「黒いマニキュア?」と指摘されたことがありました。
それでも私は笑いながらやり過ごしました。自分の判断基準は、自己完結していたからです。
35 歳の時、一度皮膚科を受診しました。そこで言われたのは「爪母のほくろでしょう」という診断。医学的には “良性の可能性” が高い診断ではありますが、私はそれを安心と受け取り、考えることをやめてしまいました。
ここに危うさがあります。
「専門家が言ったから大丈夫」
という安易に安心してしまい、自分の身体への注意深さを手放してしまったのです。
3 他者の眼が拾ってくれた異変
49 歳の時、別件で皮膚科を訪れた時のこと。
医師は私を見た瞬間、こう言いました。
「右手の指を見せてください」
私は、自分の爪の異変に気づいていませんでした。
実は、受付で記入している間、事務の方が私の手元を見て違和感を覚え、それを医師に伝えてくれていたのです。
ここに深い皮肉があります。
視力を失いつつある私が、他者の視覚によって命を救われた。
他人の視点があったからこそ、事態は進みました。
自分ひとりの観察では拾いきれない異変が、別の眼によって初めて命の危険として顕在化したのです。
4 専門という言葉の限界
その後、大学病院につながり、悪性黒色腫(メラノーマ)と診断されました。
一度目の皮膚科の診断は専門外の医師によるもの。非専門領域の診断は当然限界があります。
医学は専門分化しているため、すべてが一人の医師の眼で見抜けるわけではありません。
専門性は強力な武器である反面、その死角が存在することを私たちは認識しておく必要があります。
だからこそ大切なのは、
・セカンドオピニオン
・他者の視点に開かれた態度
・違和感を大切にする心
これらが、生死を分けることすらあるのです。
5 数字に表れないリアル
大学病院での診断は悪性黒色腫。
術後の病理検査ではステージ 1 でした。
これは確かに幸運でしたが、その 2年後、肺への転移が発見されました。
まさに病気とは、数字で語り切れない現実です。
ステージや進行度は医学的な指標ですが、患者の身体には常に不確実性がつきまといます。
私は現在、免疫チェックポイント阻害薬オプジーボによる治療を続けています。
幸い大きな進行はなく、現状維持です。
医療の進歩は確かに私たちを救ってくれていますが、そこには個人差や偶然性もあります。
6 がんを “エラー” として眺める視点
人生の折々に、「なぜ自分が」と考える瞬間があります。
しかし私の場合、身体に起きた出来事を “エラー” として捉える視点が、ある種の冷静さを生み出しました。
細胞分裂は繰り返される過程でミスが生じます。
それは生命の宿命とも言えます。
私自身、網膜色素変性症によって視力を失いつつあり、がん細胞が現れたことも、いずれも避けがたい自然の摂理の一部だったのかもしれません。
長く生きれば、それだけ “摩耗” のような現象は起きる。
病気を “ペナルティ” と考えるより、
長く生きたことの副産物、あるいは人生のチケットの半券と考える方が、私にはしっくりきます。
7 見えないものに目を向けるということ
今回の体験は、私に問いを残しました。
見えていなかったのは、
本当に視力だけなのか。
思い込み、安心、他者への遠慮、既成概念…。
それらが、私たちの認知を狭めているのかもしれません。
誰かが気づいてくれたから助かった。
でも逆に言えば、
もし誰も気づかなければ、
そのまま見過ごしていた。
社会は、こうした偶然性と他者の視点によって成り立っています。
自己完結では見えないものが、他者との関係性の中で初めて浮かび上がるのです。
8 今日をどう面白がるか
抗うでもなく、あきらめるでもなく。
起きたことを受け止めたうえで、私たちは今日をどう扱うのか。
それだけは、自分で決められる。
黒い線は消えません。
病歴も消えません。
でも、それをどう意味づけるのかは、まだ私の手の中にあります。
