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池江璃花子さんの「完全寛解」に思うこと。がんサバイバーである私の「終わりなき戦い」

1年前、競泳の池江璃花子さんが白血病から完全寛解というニュースが報じられました。心から「よかった」と思うと同時に、一人の同じがんサバイバーとして、その言葉の響きの裏にある複雑な現実にも思いを巡らせていました。彼女の吉報をきっかけに、私自身のがんとの向き合い方、そして「寛解」の先にある日常について、改めて言葉にしてみたいと思います。

この記事について

僕の音声配信「バリアフリー探求所 〜心の壁を考える〜」の過去エピソードをもとに、AIで拡張した実験的記事です。

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1.「完全寛解」と「完治」の間に横たわる、見えざる壁

世間では「がんを乗り越えた」と一括りにされがちですが、多くの患者にとって「完治」という言葉が使われることは稀です。私の場合も、悪性黒色腫(メラノーマ)が肺に転移し、4年以上オプジーボという免疫療法を続けています。治療のおかげでがんは抑えられていますが、医師から告げられるのは「寛解とも言えない」という状態です。肺の影は大きくも小さくもならない現状維持状態であり、がんが検査で見つからない「寛解」でもなく、「治った」ことを意味する「完治」とは程遠い状態です。この二つの言葉の差には、目に見えない大きな壁が存在します。それは、常に再発の可能性という不安と隣り合わせで生きていくという現実です。年に数回の検査のたびに、心のどこかで緊張が走る。この感覚は、サバイバーでなければ完全には理解し難いかもしれません。

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