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コロセウムの遺跡、あるいは六本木のニョッキ

村上春樹の初期のエッセイを読んでいると、しばし誕生日や星座の話題が登場する。ご本人としては占いに興味がないそうで「星座とか血液型とか天中殺だとか、そういうことはべつにどうでもいい」(『村上朝日堂 はいほー!』)とのことだ。しかし、

「まず気になるのは、僕と彼女のあいだに性格的運命的な共通点があるかということである」

「今年中に離婚すると言われ、今後の身の振り方を考えたりしながら過ごしたが離婚しなかった」

「誕生時間が5分違っていたらガールフレンドが10人くらいいたかもしれない」

村上春樹『村上朝日堂』新潮文庫

「『山羊座と天秤座の組み合わせはロクなことがない』という占星学の説だけはしっかり信じている。これは経験的に見て、全部当たっているからである」

「天秤座と結婚した山羊座の人間が良い思いをできるほど世の中は甘くない」

「僕はこの天秤座・山羊座コネクションを『カプリコーン・わり食う山羊座』と名付けている」

村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』新潮文庫

と、なかなかエンジョイしているように見受けられるのは気のせいだろうか。『ねじまき鳥クロニクル』に登場する本田さんや加納マルタといった凄みのある占い師の描写を見るに、占いというものとの向き合い方を“わかってる”などと思いたくなるのである。

さて、私は先日『一番ほめてくれる 366日の誕生日占い』という本を書いた。執筆していた1年間、脳が常に誕生日と関連のあることをサーチし続けていたような気がする。「あ、あの作品に誕生日のシーンが出てきたな」といったことである。祝福を受け、とびきり幸福な誕生日。胸を貫くような孤独を抱きしめるしかない誕生日。1年に一度、必ず巡ってくる特別な日がどのようなものであっても、私はあなたが大切だという気持ちでこの本を書いた。そしてときどき思い出したのが、村上春樹の『ノルウェイの森』および「螢」にて描かれる誕生日である。「螢」は『ノルウェイの森』の原型となった作品なので、一緒に語らせて欲しい。

主人公は東京在住の大学生だ。ひょんなことから自死を選んだ親友の恋人・直子と再会し、彼女の20歳の誕生日を「もし逆の立場だったら僕だって同じことを望むだろう」「一人ぼっちで二十歳の誕生日を過すというのはきっと辛いものだろう」と祝うことにする。満員電車は揺れに揺れ、持参したケーキは到着する頃には「ローマのコロセウムの遺跡みたいな形」に崩れていた。それでも誕生日らしく時間を過ごすのだが、途中から雲行きが怪しくなる。直子が喋り続けているのだ。用心深く特定のテーマを避けながら、けして話が途切れることのないように。
この夜からしばらく経って、直子から手紙が届く。

たとえ何が起っていたとしても、たとえ何が起っていなかったとしても、結局はこうなっていたんだろうと思います。(中略)これは本当に私が自分できちんと引き受けるべきことなのです。

村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫

そして主人公は迷走するかのように青春の日々を過ごし、『ノルウェイの森』は上下巻となるのだが、ところで村上春樹の作品にはもうひとつ、20歳の誕生日を軸に据えた短編がある。
タイトルはずばり「バースデイ・ガール」。20歳の誕生日、アルバイト先の「そこそこに名のしれた六本木のイタリア料理店」が舞台である。語り手は一緒に誕生日を過ごすはずだったボーイフレンドとは数日前に深刻なケンカをし、出勤するはずだったアルバイトのこが風邪で寝込んでしまった。よって20歳の誕生日という大きな節目でありながら、彼女はコックに怒鳴られながらかぼちゃのニョッキやら海の幸のフリットをテーブルに運ぶ羽目になるのだ。

しかし想定外の巡り合わせで、とある老人から「誕生日おめでとう」と祝ってもらえる。「お嬢さん、君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」と。そして、老人によってひとつ、願いを叶えてもらうことになるのだ。

その願いが何だったのか、果たして叶ったのか──という顛末は作中にてご覧いただければと思う。ここでは彼女が20歳の誕生日からずいぶんな歳月を経て語った言葉を紹介したい。

人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものねっていうこと。ただそれだけ。

村上春樹『TWENTY-FOUR STORIES めくらやなぎと眠る女』新潮社収録「バースデイ・ガール」より

切迫度合いはずいぶんと異なるものの、『ノルウェイの森』の直子が語ったことと、どこかオーバーラップする部分があると感じるのは気のせいだろうか。20歳、作品が描かれたと当時は成人である。成人とは自己決定が本格的に求められる節目だ。ここからは、自分の人生の選択を自分で引き受けることになる。それは決して「自由になんでも選べる」という呑気なお話ではない。決めたことに責任を持つことを求められるのだ。

おのれの20歳の誕生日を思い出すと、子供じみた言動に胸焼けがしそうだ。当時の恋人が「誕生日には空気清浄機はどうか。なぜなら必要だと思うから」と言ってきて、まるで女心がわかっていないと地団駄を踏んで抗議した。そんなものは生活用品であって、プレゼントでもなんでもないと。リングが欲しいなら欲しいと言えばいいのにね。

不器用でどうしようもなくて、ひたすら愚かで、それを他人とか時代のせいにした夜もあった。なるようにしかならないし、自分は自分をやっていくしかない──そう思えていたら、何かが変わったのだろうか。いや、結局は泣いたり笑ったりしながら誕生日を繰り返し、結局な似たりよったりの“今”に行き着いたのだろうと思うアラフィフの春である。


たくさんの誕生日を乗り越えて、この1冊を書きました。

本エッセイに出てくる本たちです。どれも好きな作品です。


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