【小説・ヴィーナス症候群】[744]新幹線花びらレモンスカッシュ
新幹線を降りた瞬間、弓張渚は肩をすくめた。
空気が、東京より一段冷たい。
ニットの裾から出た生足に、まだ春は届ききっていない。
フリーの「トルソーさん」として呼ばれた盛岡の老舗デパート・角田屋。
ブライダルフェアの仕事は、拍子抜けするほど静かに終わった。
閉店後、控室の隅でレモンスカッシュを口にする。炭酸が喉を刺し、遅れて甘さと酸味が広がる。
ようやく、身体が自分に戻ってくる。
「この時期だば、石割桜見さ行ぎぁんすたが?」
売場の年配の女性が、そう声をかけた。
「行ってませんね」
「んだら行ぎぁんせ」
長崎出身の渚に盛岡弁は難解だ。
それでも、行け、という意味だと渚は察した。
翌朝。盛岡地方裁判所の構内。石を割って伸びる桜は、すでに花びらを多く落とし、枝先に淡い緑を混ぜ始めていた。風が吹くたび、遅れて残った花びらがふわりと舞う。
「きれい…」
呟きは、誰にも届かず、静かな朝に溶けていった。

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