【小説・ヴィーナス症候群】(482)炎上広告
生まれつき両腕のない女性が一定数生まれてくる社会では、アパレル業界に「トルソーさん」という仕事が定着している。
赤坂のドレスブランド・Feliceのアトリエでも、それはごく当たり前の光景だった。
大きな窓から柔らかい自然光が入り込む室内で、武隈莉子は黒いゲストドレスを着せられたまま、静かに立っている。
隣には、同じ黒のワンショルダードレスを着せられたプラスチック製のトルソーが並んでいた。
肩を大胆に落とした非対称のライン。
プラトルソーの硬質な白と、莉子のなだらかな肩口とが、同じ布でありながらまったく違う印象を作っている。
「このプラトルソーのワンショルダーのやつ、ゲストドレスにしては攻めたデザインですね」
莉子がそう言うと、デザイナーの仁科が満足そうに頷いた。
「でしょ。莉子ちゃんのお友達が結婚する時に着て行ってよ」
「お前、何しにきたんだって言われそう」
「ハハハ」
軽い笑いが落ちる。
莉子は姿勢を保ったまま、視線だけを隣のトルソーに向けた。

「ところで、今朝、営業と広報が騒がしくなかったですか」
仁科はドレスの裾を整えながら言った。
「炎上しちゃったのよ」
「うちが?」
「じゃなくて、うちが広告を出してるマッチングアプリが。Avec+ってとこ。
『ドレス屋のFeliceも、あんなのを認めるんですか』って抗議が来たみたい」
「どんなこと言ったんですか。結婚しない奴は一人前じゃないぞ、とか?」
「それがね、電車の模型を踏み潰す広告だったの」
莉子は一瞬だけ、眉を動かした。
「……電車の模型? 何で? 電車は婚活の敵だとか?」
「さぁ。電車で遊んでる暇があったら婚活しろ、みたいな感じだったのかしら。
Avec+の広報の人が、そのうちこっちに来ますってLINEしてた」
その言葉を追いかけるように、アトリエのドアが開いた。
「いや〜、お騒がせしちゃって済みません」
Avec+の広報担当、広田だった。
「見たわよ。随分やらかしちゃったじゃない」
「一発、インパクトの強いやつをやったれと思ったんですけどね。
Web広告なんて、それが鉄則ですから」
「で、電車の模型を踏んだんだ」
「まぁ…」
広田は、堰を切ったように話し始めた。
「別に、鉄道マニアがどうこう、って話じゃないんですけどね。
うちが困ってるのは“趣味”じゃなくて“場の使い方”なんです」
仁科は何も言わず、続きを促す。
「Avec+って、女性会員が安心して使えるかどうかで成り立ってるサービスなんです。
数字を言うと、初回メッセージで『価値観が合わない』と判断されたケースの離脱率、
男性側より女性側が圧倒的に高い」
「で、その理由の大半が――」
広田は少し言い淀んだ。
「会話が成立しない。相手を見ていない。自分の話しかしない。
それが“たまたま”強い趣味の話題で起きることが多い、というだけです。
その最たるものが”鉄”の連中ですよ」
「サポートに来るんですよ。毎日。
『私、何のために登録したんでしょう』って」
声が低くなる。
「それで女性会員が抜けると、
次に起きるのは“スポンサーからの問い合わせ”なんです」
「“御社、最近マッチングの質落ちてません?”
“女性が定着してないって聞いたんですけど?”
そう言われると、広告を止められる」
広田は、そこでようやく感情を滲ませた。
「だから、“うちは価値観をちゃんと見る場所です”って
一発で伝えたかったんです。
雑でもいいから、誤解されない線を引きたかった」
「……踏む必要は、なかったと思いますけどね」
仁科が言う。
広田は苦笑した。
「もう、そういう判断する余裕が削られるんですよ」
「結果、謝罪して回ってる、と」
「そうそう。
誰も得してないやつです」
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