【小説・ヴィーナス症候群】[332]賞味期限切れのあなた
都内の録音スタジオ。
車椅子に座ったナレーターの柴伏みのりが、向かいのテーブルでクライアント担当者の説明を受けていた。
「私どもは全国の風俗街に店舗網がある薬局でして、主に精力剤や性病薬を取り扱っております。その中で今回新たに打ち出すのが、回春薬《桃源丹》です」
担当者は資料を開きながら続けた。
「効能は単なる体力増強ではありません。——女性を悦ばせる、そこに照準を合わせています。持続力、官能性、自信。お客様からは“彼女が笑顔になった”“忘れられない夜になった”と、多くの声をいただいております」
みのりは小さく頷いた。
「なるほど。そういった方向性ですね」
「はい。ですからCMでは“賞味期限切れのあなた”と挑発的に切り出し、最後に各店舗名を入れていただきたいのです。札幌すすきの、仙台国分町、新宿歌舞伎町、吉原、川崎堀之内、岐阜金津園、滋賀雄琴、神戸福原、博多中洲、那覇辻。この十店舗です」
「承知しました」
みのりは車椅子から上体を持ち上げ、支柱の上に据え付けられた。
上半身だけの姿に、珍満堂薬局の担当者は思わず椅子を蹴って立ち上がりかける。
その狼狽を、みのりは心の中で密かに楽しんだ。初対面の人間が必ず示す反応。慣れているはずなのに、何度見ても愉快に思える。

マイクが赤く灯る。
みのりの声が、色香を帯びて流れ出した。
「賞味期限切れのあなた!——女性を悦ばせる力を、今夜こそ。桃源丹。お買い求めは珍満堂薬局・札幌すすきの店で!」
「賞味期限切れのあなた!——忘れられない夜を、もう一度。桃源丹。お買い求めは珍満堂薬局・仙台国分町店で!」
「賞味期限切れのあなた!——男の自信を、取り戻す。桃源丹。お買い求めは珍満堂薬局・新宿歌舞伎町店で!」
その後も淡々と続け、吉原、川崎堀之内、岐阜金津園、滋賀雄琴、神戸福原、博多中洲、そして最後の那覇辻まで、機械的に読み上げた。
全十店舗分を終えた瞬間、録音停止のランプが消えた。
担当者はほっと息をつき、少し言葉を探すようにして口を開いた。
「いやあ……こう言うのも何ですが……お身体の事情があるのに、あんなに色っぽい声が出せるとは……」
みのりは車椅子に戻り、マネキンの下半身を付け直しながら、微笑を浮かべて答えた。
「リアルじゃなくていいんです。リアリティがあれば、それで十分です」
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