【小説・ヴィーナス症候群】[806]これだけですよ
新宿の自室。
YouTuber・麻帆は、ノートパソコンの画面を前にして、思わず口元をニヤニヤさせていた。
画面に表示されているのは、ネットバンキングの入金通知。
先日の、茨城県坂東市にある逆井城跡の案件動画に対する報酬が、無事に振り込まれたのだ。(本編789話)
「あー……頑張ってよかったなぁ」
あの慣れない地方自治体独自のプロモーションアプリと、足の指先をプルプルさせながら格闘した苦労が、ようやく目に見える数字として報われた。
ボロ儲けではないが、自分が自分の足で稼いだ正当な対価。
天井を見上げて深く息を吐き、達成感に浸っていた、そのときだった。
ピンポンピンポンピンポンピンポン!
静かな部屋に、狂ったようなインターホンの連打音が鳴り響いた。
心臓が跳ねる。この執拗で品性のない鳴らし方――嫌な予感しかしない。あの男だ。
ピンポンピンポンピンポン!
「チッ……」
このまま連打を続けられれば、マンションの近所迷惑になる。
オートロックの隙を突いてここまで上がってきたのだろう。
麻帆は椅子から立ち上がると、玄関へと急いだ。
鍵を外し、右足の先で乱暴にドアを押し開ける。
「何だよ!」
ドアの向こうには、案の定、酒臭くてみすぼらしい衣服をまとった父親――金目元次が立っていた。
「何だよじゃねえよ! 血を分けた父親が助けを呼んでるのに、駆けつけねえ娘がどこにいる!」
元次は開口一番、新宿の綺麗な廊下に響き渡るような大声を上げた。
「娘じゃなくていいよ。……で、また金?」
麻帆の冷徹な視線に、元次は急に肩を落とし、顔を歪めて哀れっぽい声を絞り出した。
「ここ数日間……何も食べてねえんだよ。本当なんだ、麻帆……頼むよ……」
「だったら早く死ねよ」
「それが親に対する言い草か!」
一転して激昂する元次。
これ以上、この廊下で騒がせるわけにはいかない。
麻帆はサンダルの底から鈍い銀色の100円玉を引っ張り出した。
「あーもう、金やるから消えろ!」
麻帆が冷たく言い放つ。
「これだけですよ!」

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