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【小説・ヴィーナス症候群】[764]現金な奴 (アマノ文筆クラブ「おてあげですね」続編)

茨城、筑波山の麓にある新治市。
冬の空は高く、レンコン畑の水面だけが鈍く光っている。
だが、その光景とは裏腹に、街は静かに人を失い続けていた。

戸頭紬にとってその土地は、もう「帰る場所」ではなく、「知っているだけの場所」になりつつあった。
フリーの試着モデル――いわゆる「トルソーさん」として各地を回る紬は、年に数回、美里から近況を聞く程度だ。
その美里が、妙に面白がるように言った。
「朝陽、元気だよ。あいつ、今すごいらしいよ」

池田朝陽。中学の同級生。
紬にとっては、あまり思い出したくない名前だった。
新治市役所に勤める池田は、商工観光課で、市長である「新治の金正日」鮏川泰然の息子であり、商工会青年部長でもある「新治の金正恩」鮏川泰斗に取り入るため、紬に無償でのイベント出演を持ちかけてきた。

「地元のためだからさ」という言葉に、報酬の話は一切なかった。(本編484
紬がそれを断ると、朝陽の態度はあからさまに変わった。

紬に梯子を外された彼は市役所で冷遇され、紬はクラスのグループラインから静かに排除された。
年末の同窓会の連絡も来なかった。

だがその後、状況は奇妙な方向に転がる。
叔父の経営する建設会社で部長を務める泰斗が、筑波参宮鉄道のBRT化を独断で進めようとしたのだ。(本編746

地元の顔役を飛び越えたその強引な動きは、結果的に父である市長・泰然の面目を潰すことになり、泰斗は勘当同然で表舞台から消えた。
朝陽が取り入ろうとして冷飯を食わされた相手が、突然いなくなった。

商工観光課から外された彼は、庁舎管理課――誰もが「何も起きない場所」と思っている部署にいた。
だが美里の話では、そこからが本領発揮だったという。

「市長が通るとこだけ、やたら綺麗なんだよ。ほんとにそこだけ」

最初は冗談かと思った。
だが聞けば、朝陽は庁舎内の動線を徹底的に調べ、市長が日常的に通る廊下や階段、会議室の入口だけに予算を集中させているらしい。

床には赤いカーペットが敷かれ、照明は明るく調整され、観葉植物が置かれる。
逆に、その一本裏の廊下は蛍光灯が切れたままでも誰も手をつけない。
「来庁者の印象向上」という名目は立つ。
だが実際に印象を受けるのは、ほぼ市長だけだ。

さらに、視察や会議の日には、その“通り道”の完成度が一段上がる。
古い椅子は他の階から新しいものと入れ替えられ、トイレは直前に念入りに清掃される。
市長が「最近、庁舎の雰囲気が良くなったな」と口にすれば、その言葉はそのまま朝陽の評価になる。

市長室の空調も、妙に快適だという。
誰がやっているかはわからないが、朝陽はきちんと「わからせる」タイミングを知っている。

「なんかね、問題も全部“もう対応済みです”って上がってくるんだって。逆に、自分がやったやつだけは、ちょっと大きく見せてから解決する感じ」

美里は半分呆れ、半分感心したように言った。

紬はスマートフォンの画面を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
あのとき、無償で働けと言われたことも、グループラインから外されたことも、今となっては遠い。

だが、朝陽のやり方はよくわかる。
相手が誰であれ、「誰に見せるか」を見極めて、その一点に全てを注ぎ込む。
そのためなら、他を切り捨てることに躊躇がない。

「現金な奴だね」

筑波山の麓で、レッドカーペットはまっすぐに伸びている。
誰も見ていない場所には、最初から敷かれていない。

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