【小説・ヴィーナス症候群】[442]今の祭り
中目黒の小さな下着ブランド「ア・ミューズ」。
自然光の入るフィッティングルームで、武隈莉子は静かに立っていた。
本来、彼女はドレスブランド《Felice》の専属トルソーである。
しかし、高身長172cmの“動かない身体”は希少で、ブランド間の特別契約で“レンタル”されることがある。
「莉子ちゃん、今日はありがとね〜」
ア・ミューズのスタッフが、ブラのストラップを丁寧に肩に合わせながら声をかける。

莉子はふっと微笑んだ。
「いいえ〜。ここ、単価が高いから楽しみですよ。
前回なんて銀座の料亭で“究極のメニュー”でしたから」(第126話)
「えー、いいなあ。そんな所、一度でいいから味わいたいわ」
スタッフは莉子の肩のカーブに布を添えながら、慎重にサイズを測っていた。
外から突然、街宣車の声が響く。
「改革の一丁目一番地は医療保険制度改革です!
少子高齢化は待ったなし!
負担割合をこのままにすれば破綻は目に見えている!
後の祭りになる前に!
今の祭りのうちに改革すべきなのです!!」
スタッフは苦笑して窓の外をちらり。
「なんか絶叫してるね〜、選挙近いのかな」
莉子は少しだけ目線を上げる。
「若い子が子供産まなかったら、その分、医療保険の負担が上がるって……まあ理解できますけどね。
でも、手無しの私が子供産んだら、遺伝してまた手無しが生まれてきて……高い筋電義手で税金チューチューになりますよ」
「莉子ちゃんみたいな美人なら許すかも」
スタッフは笑いながらも、少し思案するような顔に変わる。
「それより……私の友達の子供が、たぶん発達系の特性があってね」
莉子はまばたきを忘れる。
「それ、きついかも」
「うん。あちこちでやらかすから、そのたびに友達が謝って回ってて……
『この子を産んでよかったのか』って悩んでるみたい」
「……それはそれで、きついかも」
スタッフは息を吐く。
「最近はさ、『子供のしたことだからって許されると思うな!』って言われる時代じゃん。
ほんとに、なんか全部が息苦しいんだよね」
莉子は静止姿勢に戻る。
「今の日本で子供産もうとか……思わないですよね」
外ではまだ、政治家が“今の祭りのうちに!”と叫び続けていた。
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