【小説・ヴィーナス症候群】[410]ときめきトゥシューズ
ダンスウェアブランド〈Confeito〉で「トルソーさん」をしている大里ひかりは、
いつもの吉祥寺行きのバスではなく、西武新宿線の中の人になっていた。
今日は、野方にあるトゥシューズメーカー〈Mille Pointe〉に行ってほしいと言われている。
自宅の最寄駅から一本。路線アプリで調べたら、各駅停車でも乗り換えなしで20分だった。
「今日はよろしくお願いします〜」
「わざわざありがとう」
出迎えたのは、Mille Pointeの三代目・森野遥。
ミシンの音が響く工房の奥は、木の匂いと接着剤の匂いが混じっている。
「今、SNSで映えるトゥシューズを考えてるのよ」
「はい」
「社長やってる父さんはね、『しっかりしたものを作ってればお客さんは分かってくれる。トゥシューズは工芸品じゃない』って言うの。
でも私からすれば、だったら尚更、映えて売れるように考えなきゃダメでしょって思うのよ。でも頑固でね」
「映え、大事ですよね」
「でしょ? だからこれから“ときめきトゥシューズ”っていうラインナップで、SNS映え狙っていこうと思ってるのよ」
ひかりは奥の試着スペースでレオタードに着替え、義手を外した。
テーブルの上には新作のトゥシューズ。桜色のサテンが照明を受けて柔らかく光っている。
ひかりが履くと、遥はスマホを構えた。
「じゃまずルルヴェで立ってもらえる? ……って、ルルヴェ分かる?」
「一応知ってますよ。レオタードやなんかのカタログ撮りの時は基本的なポーズはさせられますし。営業の篠宮さんが元バレリーナだったので」

「ああ、篠宮さんね。今回もあの人にお願いして、あなたをお願いしたの」
「うちの営業、大体バレリーナとか体操選手とかのホッチャレですから」
「ホッチャレ?」
「篠宮さん、北海道出身らしいんですけど、産卵を終えて死にかけの鮭をそう言うんですって。脂が乗ってなくて美味しくないって」
「へえ……初めて聞いた」
遥が笑いながらシャッターを切る。
「じゃ、次プリエいける?」
「はーい」
ひかりは膝を軽く曲げ、床を押すように立った。
サテンの光が足首を伝い、スマホの画面の中でわずかに揺れた。
そして、撮影は淡々と続いていった。
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