【小説・ヴィーナス症候群】(651)停電
Feliceの「トルソーさん」武隈莉子の次の仕事は、金沢・香林坊のデパートで開かれるブライダルフェアだった。
東京駅から北陸新幹線に乗り、日本海側へ向かう。
窓の外の景色はまだどこか冬の色を残していたが、金沢に着くころには、街の雪はほとんど消えていた。
この仕事が終わったら、少し街を歩いてみよう。
莉子はそんなことを考えていた。
同僚の夜久野由美が、前にぽつりと言っていたことを思い出す。
「ひがし茶屋街、いいところだったよ」
あれは失恋旅行だったらしいが、話すときの表情はどこか楽しそうだった。(第343話)
――帰りに寄ってみようかな。
そんなことを思いながら、香林坊のデパートへ向かう。
⸻
ブライダルフェアの仕事は、いつも通り静かに進んでいった。
Feliceのドレスを着て、展示スペースに立つ。
このブランドは、動きよりも静止した姿の美しさを大切にする。
売場には、結婚を控えたカップルや家族連れがゆっくりと歩いていた。
「このドレス、素敵でぇー」
そんな声が聞こえる。
金沢の人は、「〜で」を少し伸ばして
**「〜でぇー」**と言うことがあるらしい。
そういえば、以前どこかの義肢メーカーで会ったトルソーさんに、金沢出身の子がいたような気がする。
――どこの会社だったっけ。
そんなことをぼんやり考えていた、その時だった。
突然。
ぱっ
売場の照明が、一斉に消えた。
「えっ!?」
館内が一瞬で真っ暗になる。
次の瞬間、
ゴォォォォン……
低いモーターのような轟音がどこかで鳴り始め、
しばらくして緑色の非常灯がぽつぽつと点いた。
薄暗い売場の中で、白いドレスだけがぼんやり浮かび上がる。
「びっくりしたわぁ」
スタッフの一人が苦笑した。

仕事が終わったあと、莉子は売場のスタッフに聞いてみた。
「停電って、よくあるんですか?」
スタッフは肩をすくめて笑った。
「冬はあるげんて」
「そうなんですか」
「まあ一発雷やろねぇ」
北陸の冬の雷は強い、とどこかで聞いたことがある。
「大変ですね」
莉子がそう言うと、スタッフは少し楽しそうに続けた。
「でもねぇ、こういう時は寒ブリがうまなるげんて」
「寒ブリ?」
「雷鳴るやろ? 海荒れるげん。
そしたらええ寒ブリ上がるげんて」
なるほど、と莉子は頷いた。
スタッフが言った。
「せっかく金沢来たがやし、食べていきまっし」
莉子は少し考えてから答えた。
「ひがし茶屋街には行こうと思ってるんですよね」
「ああ、あそこええとこやわいね」
スタッフは笑った。
「女性とかカップルに人気ながやわ」
⸻
デパートの外に出ると、金沢の空気は少し湿っていた。
遠くの空の向こうで、また雷が鳴った気がした。
その音は、まだ少し冬の残る日本海の方から聞こえてくるようだった。
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