「ずるい!」について考える
ずるいって言葉をよく聞くようになったのは、
いったいどれくらい前からなんだろう。
通りすがりで、こんな記事に出会った。
記事を読んでみて、
中田氏とその家族が「ずるい」と批判されていることを知り、
以前から気になるワードだったので、「ずるい」??? ん~???
となってしまった。
「ずるい」って遥か昔から使われていた言葉だし、
私の小学校時代でも「ずるー-っい!」などと
みんなで騒ぐことはあったけど、
(特に誰かが贔屓されてるみたいに感じられるときとか、ね)、
以前は、これほど頻繁に、この言葉に出会うことはなかったような気がする。
ネットでは、たまに「こんなことでずるいなんて言う?」と、
違和感を覚えるような使われ方をしてたりする。
そもそも「ずるい」って言葉には、ネガティブな感情が付きまとう。
自分だって同じような、いい感じの状況にいられたはずなのに、
なんだか運が悪くてこんなことになってるのよ、みたいな、
言い訳じみた背景がある言葉だ。
ルール違反をしていい結果になったときの「ずるい」には、
相手を非難するという攻撃的な意味合いもプラスされている。
そして、「ずるい」という言葉の中には、
ジェラシーが秘められている。
自分と「誰か」を比べてしまうところから、
ジェラシーが生まれる。
みんな平等なんだから、似たような結果になるはずなのに、
何故、自分は上手くいかないんだろう?
たぶん、そんなところからジェラシーは生まれる。
そうか。
みんな平等なはずなのに、ってところがネックなのかもしれない。
「ずるい」と言うとき、
実は、相手と自分を同じポジションに置いている。
同一化していると言ってもいいかもしれない。
私の個人的な感想としてだけど、
高い理想や高い目標を持っている人ほど、
相手に対して「ずるい」という感覚になりやすいような気がする。
特別な「何か」であろうとすると、
特別な「誰か」を近しく捉えてしまうってことなのかもしれない。
所詮、他人事なのに。。。
個性だの、独立だの、事業主になるだの、
特別な成長と結果を求める世間(親も含め)。
そういう世間に「お答えしよう」とすればするほど、
ギャップに悩み、
特別な誰かと自分を重ねてしまうんじゃないだろうか。
本当は真面目な人なのかもしれないね。
すぐに「ずるい」って感じてしまう人。
「ずるい」って言いたくなる人。
情報が溢れ切ってる今を暮らしていると、
どんどん自分が小さく見えてくる。
周囲の目ってのは、昔は、そこそこ見える範囲だったけど、
今は、ネットの中に、想像もつかないくらい広がっている。
その上、その、とてつもなく広がった周囲を見渡すと、
特別な何かを手に入れた「キラキラ」な人であふれている、
ように見える。
だけど、リアルな周囲って違うと思うんだよね。
「特別な何かじゃない人」が世の中にはたくさんいて、
世間ってものは、
「特別な何かじゃない人」がたくさんいないと成り立たない。
そして、一番大切なこと。
「特別な何かじゃない人」には、ちゃんと価値がある。
そういう当たり前のことを忘れてしまうのが、
ネット社会ってものかもしれない。
マイペースで、自分らしく生きることが難しいから、
「ずるい」という言葉がはびこってしまったのかもしれない。
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あー、なんか今日の文章は、読み返してみてももどかしさが抜けないなぁ。
もっとすっきり書けないものなのか。。。
何度修正しても、すっきりしない。
そのうち、ひっそりと書き直してみよう。
