【グッドハートの法則の罠】数値目標が「改革」を破壊する
「改革」の「数値目標」が組織を殺す
ビジネスや行政の現場で、「改革」を行う場合、「計画」を策定し、KPIなどの「数値目標」を盛り込むことが絶対的なルールになっています。
そうして掲げられた「数値目標」は、知的でそれらしく見える一方で、現場では機能不全が起きてしまいます。
そもそも、「数値目標」は「現状を観測するためのツール」に過ぎません。
しかし、ひとたびそれが示されると、それは「達成すべきノルマ」へと変貌します。
そして、人々は「改革」の本来の目的を忘れ、「数値目標」を達成することだけに全力を注ぎ始めるのです。
とにかく「数値化」という無理難題
「改革」とセットで策定される「計画」には、必ず「数値目標」の設定が求められます。
しかし、この「数値目標」の設定が実は非常に難しいのです。
そもそも、真に価値のある「改革」には、数値化になじまない「定性的なもの」が数多く含まれています。
例えば、
業務フローの改善(正確かつスムーズに業務が流れるか)
ベテラン工員の技術伝承(言葉にできない暗黙知をどう継承するか)
効果的な若手の育成(若手のやる気をどう引き出すか)
コンプライアンス意識の醸成(内なる倫理観をどう高めるか)
といったものです。
しかし、「改革」を進めるための「計画」には何らかの「数字」がなければ承認されません。
そうなると、しかたなく経営陣が気に入るような「数値目標」をひねり出すことになります。
「業務フロー改善」であれば、「手戻り・再送の減少数」
「ベテラン工員の技術伝承」であれば、「ヒヤリハットの発見精度」
「効果的な若手の育成」であれば、「入社3年以内の社員の離職率」
「コンプライアンス意識の醸成」であれば、「内部相談・通報件数」
といったところでしょう。
どうでしょうか、ひどく空虚で、くだらないと感じませんか?
しかし、現代のビジネスシーンは、こうした「こじつけの数字」であふれかえっているのです。
「数値目標」は一人歩きを始める
数値目標が設定された瞬間、それは一人歩きを始めます。
「業務フローをどう良くするか」という本質的な議論はどこかへ消え、いかに「手戻り・再送」のカウントを減らすかという矮小な議論にすり替わります。
「技術をどう伝えるか」よりも、報告書上の「ヒヤリハット数」をどう調整するかに注力されるようになります。
「数値目標」の達成が目的化した組織では、「本質的な改善」よりも「数字の帳尻合わせ」に知恵を絞る人間が、皮肉にも「優秀」だと評価されてしまうのです。
グッドハートの法則の罠
こうした状況が「グッドハートの法則」です。
グッドハートの法則とは、一言で言えば「ある指標が目標に設定された瞬間、その指標は良い指標ではなくなる」という現象を指します。
グッドハートの法則(Goodhart's Law)
経済学者のチャールズ・グッドハートが提唱した「ある指標を据えた瞬間、その指標と本来の目的との結びつきが消えてしまうという法則」
本来、「数値目標」は進捗を測るための「ものさし」でした。
しかし、その「数値目標」の達成が評価と結びついた瞬間、現場は「本来の目的」を捨て、「数字を良くすること」を最優先します。
その結果、経営陣の手元には「目標達成」という輝かしい報告が届き、「改革」は「計画」どおり進んでいるということになる一方、その裏側で、本当に成し遂げるべき改革は何一つ進んでいないという状況になります。
こうした「数字上の成功が、本質的な失敗を隠す」 この不条理な構造の正体こそが、グッドハートの法則で、ものさしだった「数値目標」が、現場を縛り付ける「足枷」に変貌してしまった姿なのです。
数値の「達成」が、改革の「死」を招く
「改革」において、「数値目標」を設定し追い求めることは、時として最大の「毒」となります。
本来、現状を測るための「ものさし」であったはずの「数値目標」が、「達成すべきノルマ」へとすり替わった瞬間、組織はグッドハートの法則という罠に陥ります。
現場が本質的な「改革」を捨て、数値の帳尻を合わせるための「アリバイ作り」に奔走し始めたとき、経営陣の手元には「計画」どおりの成功という偽りの報告が届きます。
しかし、その華やかな数字の裏側で、「改革」の本来の目的は静かに息絶え、組織はかつてない機能不全に蝕まれていくのです。
真の「改革」は、虚妄の数字を積み上げることではありません。
数値化できない「現場の手触り」や「誠実なプロセス」にこそ目を向け、数字という足枷から解放され、「確かに前に進む」ということが、真の「改革」なのです。
「本当はこんな数字、何の意味もないのに」と虚しさを感じながら報告しているものはありませんか?そんな、現場で起きている「グッドハートの法則」の実例があれば、ぜひコメント欄で教えてください。
