カウンセラー裏話~「容器」編~
こんにちは、はるひこです。
皆さんは、普段、人の相談に乗ったりしていますか?
私はたまに、「よく相談されるでしょう?」と
言われることもあるのですが
そんなことはありません(;^ω^)
「カウンセラーなのに?」って思われたかもしれませんが
「カウンセラーだから」相談を受ける場面は
選んでいるところがあります(*‘ω‘ *)
今回は、そんな話をしたいと思います。
先日の出来事
先日、ある人から、相談されたことがありました。
その人はほんとに優しい方で、自分でHSP傾向があると
思っているそうで
特にかかわりのなかった方が
不幸に見舞われた
話でも
涙を流していました
そして、また別の、次は関わりの深い方にも
何か嫌なことが起こるのではないか、と
すごく不安に感じているそうです・・・
私はこうした悩みを聞いたとき、
「気の利いたことを一つでも言えたらよかったのに」
とあとで後悔していました・・・
その場では、特に印象に残るような
話をしたわけでもなく
黙って聴いていたような感じです・・・
皆さんは、同じ立場なら
どんな風に、返答するでしょうか

カウンセラーとしての葛藤
「あの対応は冷たくなかったかな?」
「カウンセラーなのに・・・」
そんなぐるぐる思考に見舞われます・・・
少し別の視点が考えてみると
私は話を聴くとき、その場で感情が動くよりも先に
「どこまで自分が責任を持てるだろう」
という「構造」を先に視ている
そんな風に思います・・・
ビオンという精神分析家は、人が抱えきれない感情を、誰かがいったん受け取り、考えられる形にして返す働きを重視しました
でも、そのためには“容器”が必要です
時間、場所、役割、責任の範囲
カウンセリングにはそれがあります
けれど、プライベートな相談には、それがないことがあります
そのとき、相手の苦しみを入れる容器が、私個人の心だけになってしまう
私が抵抗を感じるのは、相談されることではなく、容器のないまま誰かの痛みを抱えることなのかもしれません
今の仕事は6時間以上、施設の利用者さんとかかわっていきます
一人一人を大切にしたいと思うからこそ
相談に乗るときは、こっちも守られた空間が
必要なのだと思いました

相談に乗る人も、否定したくない
ここまで書いておいてなんですが
普段から、人の話を聴いている人を
私は否定したいわけではありません
自分の言い訳をしたいわけでも・・・(たぶん(;'∀')
例えば、話を聴かない代わりに
どこか、別の場面で、助けになるように動く、とか
フォローする、とか
自分にできることをしよう、と思いました
大事なのは
自分の心を観測して
どんな反応をしているのか
どうしたいのか
誤解がないように
相手に伝えていくことかな、と
共感疲労を巻き起こし
共倒れになっていく苦しさは
一緒に立ち上がれた時の嬉しさは
共に「生きている」という強烈な
感情が巻き起こるのではないか、と
繊細さんな私の仲間は
共感してくれるのではないか、と思っています(;^ω^)
そこは、教えていただきたい・・・

最後に
前回の記事と地続きですが
今は特に、自分に余裕がない状態で
容器を機能させるには
より構造を味方につける必要があると
思いました('ω')
私は冷たい人間に見えますかね??
(不安)
皆さんにとって
「相談」って何でしょうか?
また感想をお待ちしています

