真説「水戸黄門」
世に知られる水戸黄門漫遊記。 だが、あれはほとんど誤解である。
諸国を巡って悪を裁いたのは、助さんと格さんだった。 黄門様こと光圀は、旅の“看板”にすぎない。
もちろん若い頃は英邁で鳴らした人物だ。 だが寄る年波には勝てず、近頃は物忘れがひどい。 助さんと格さんは、それを誰より知っていた。
だから捜査も調査も証拠集めも根回しも、すべて二人がやる。 黄門様に任せるのは危険だった。
一度など、印籠を失くしたと大騒ぎになり、あやうく一つの藩をお取り潰しにするところだった。
以来、印籠は格さん管理となった。
今回の相手は、年貢を私腹に入れていた悪代官である。 だが勝負はもうついていた。
裏帳簿は押収済み。 証人も確保済み。 奉行所への連絡も済んでいる。
残る仕事は一つだけだった。
悪代官一味は縛り上げられ、証拠は山のように積まれている。
助さんが確認する。
「格さん。」
「はい。」
「証拠。」
「完璧です。」
「証人。」
「待機済みです。」
「奉行所。」
「動きます。」
「では。」
二人は振り返った。
「ご隠居、お願いします。」
光圀は団子を食べていた。
「何をですかな。」
助さんは静かに天を仰いだ。
空はどこまでも青かった。
「印籠でございます。」
「ああ。」
格さんが懐から印籠を取り出し、そっと手渡す。
「こちらです。」
「おお。」
光圀は感心したように眺めた。
「立派ですな。」
「毎回ご覧になっております。」
「そうでしたかな。」
役人たちが固唾を呑む。
村人たちも息を潜める。
悪代官は震えている。
すべて整った。 あとは決め台詞だけだ。
助さんが小声で言う。
「黄門様。」
「はい。」
「例の台詞を。」
「例の台詞?」
「例のです。」
光圀は首をひねった。
「なんでしたかな。」
助さんの顔から血の気が引いた。
格さんは目を閉じた。
悪代官はなぜか希望を見出した。
そのときだった。 後ろから八兵衛が囁く。
「この紋所が目に入らぬか。」
「ああ、それです。」
光圀はぱっと顔を輝かせ、印籠を高々と掲げた。
上下が逆だ。
「この紋所が目に入らぬか!」
一同、平伏。
悪代官も平伏。
役人も平伏。
村人も平伏。
平伏した格さんの肩だけが小刻みに震えていた。
助さんは見なかったことにした。
その夜。 旅籠に戻ると、助さんは酒を飲んだ。
格さんも飲んだ。
八兵衛はなぜか一番飲んだ。
光圀は上機嫌だった。
「今日は見事に決まりましたな。」
「左様でございます。」
助さんは遠い目で答えた。
「やはり最後はご隠居様でなければ。」
格さんもうなずく。
「まったくです。」
光圀は満足そうに笑った。
「わしもまだまだ役に立ちますな。」
助さんと格さんは顔を見合わせ、同時に盃をあおった。
誰も口には出さなかったが、二人とも同じことを考えていた。
――今日も無事に終わった。
後世、人々は語る。
水戸黄門が悪を裁いたと。
だが真実を知る者は少ない。
悪を裁いたのは助さんと格さん。
偶然助けたのは八兵衛。
そして黄門様の役目は――
ただ、最後に立っていることだった。
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