縁界外来記 :世界に音を置いた今を走る友人|
― 記録されなかった訪問者 ━
魔界に、ひとつだけ“ずれている存在”が現れた。
それは魔物でも、人間でもない。
姿は曖昧で、形を定めようとすると、視界がわずかに歪む。
そこに“いる”ことだけは分かるのに、何者かは分からない。
ただ一つ確かなのは、
それがこの世界の理の外側から来ているということだった。
ラグナードはそれを見つけたとき、すぐに別の存在だと理解した。
魔界では、存在する全ては“即座に排除されるもの”だ。
だがその存在には、敵意も殺意もない。
ただ静かに、周囲を見渡していた。
まるでこの世界を記録し自分たちの一部として受け入れているかのように。
「……何だ、あれは」
誰に向けたわけでもない呟きが、空気に落ちる。
しかし、返事はない。
近づくべきか、言葉をかけるべきなのか。
その存在は、ラグナードの言葉に反応しなかったのではない。
そもそも“話す”という概念の外側にいるようだった。
近づけば、消える。
距離を取れば、そこにいる。
一定の距離を保ったまま、それはただ存在していた。
魔界の空気が、その存在の周囲だけわずかに乱れている。
そこだけ、世界の流れが違う。
やがてラグナードは気づく。
それは“干渉する存在”ではない。
ただ、“観測する存在”だ。
戦うこともなく、逃げることもなく、
ただこの世界の形を見ているだけ。
その瞬間、ラグナードの中に小さな違和感が生まれた。
(なぜ、見るだけで成立している?)
この世界では、生きるとは“何かを奪うこと”だ。
見ているだけの存在など、本来は成立しない。
だが、それはそこにいる。
何も奪わず、何も壊さず、ただ“在る”。
まるでこの世界の外側から、
縁だけを指でなぞっているように。
「お前は……何だ」
問いは届かない。
その存在は、ラグナードの方を見たようで、見ていないようでもあった。
その視線の先には、ラグナードではなく、
“この世界そのもの”があった。
次の瞬間。
その存在の輪郭が、わずかに揺れた。
まるで、何かを“理解してしまった”かのように。
そして静かに、そこにあった気配が薄れていく。
逃げたわけではない。
消えたわけでもない。
ただ、“観測が終わった”というだけのように。
残されたのは、わずかな歪みだけだった。
魔界の空気の中に、説明のつかない余韻だけが残る。
ラグナードはしばらくそこから動かなかった。
(今のは、何だった?)
答えは返ってこない。
ただ一つだけ確かなのは、
この世界にはまだ“知らない層”があるということだった。
そして、その歪みの中に──
確かに残っていたものがあった。
音だ。
それは戦いの音でも、風の音でもない。
ただ世界の輪郭をなぞるような、静かな残響だった。
その音は消えなかった。
むしろ、そこからずっと残り続けている。
まるであの存在が最後に、この世界へ“置いていったもの”のように。
そしてラグナードは、まだ知らない。
その音が、これからこの世界の形を少しずつ変えていくことを。
※この世界に残された“音”は、別の形で記録されている。
縁は、見えない場所でも繋がっている。
だがその中には、時々こういうものが混ざる。
名も持たず、意志も持たず、
ただ世界の形を確かめに来るだけの存在。
そしてそれは、誰にも記録されない。
ただ一つの“違和感”として、世界に残るだけだ。
そして、その音はひとつでは終わらなかった。
あの存在が残した“残響”の先に、
もうひとつ別の音が生まれている。
それは、世界の外側から来た音ではない。
この世界の内側から、静かに滲み出た音だった。
▶︎ 縁界:魔界の闇と君の声
それは説明できる音ではない。
ただ、あの“観測された世界”の続きを、
誰かが無意識に拾ってしまっただけのものに近い。

