無自覚な差別ー見えない認知格差
― 自己責任論では説明できない社会のゆがみ
日本ではよく、こんな言葉を聞きます。
「努力すれば報われる」
「やる気があればなんとかなる」
「できないのは本人の問題」
いわゆる自己責任論です。
もちろん努力は大切です。
しかし、この言葉があまりにも簡単に使われる社会には
大きな問題があります。
それは
人は同じ条件で生きているわけではない
という現実を無視してしまうことです。
社会には「見えない認知格差」がある
社会の格差というと、
多くの人はまず経済格差を思い浮かべます。
しかし実際には、もう一つの大きな格差があります。
それが
認知格差です。
人間はみな同じように考え、
同じように理解し、
同じように処理できるわけではありません。
例えば社会には
・境界知能
・発達特性
・ギフテッド
・above-average IQ
といった 認知の多様性 が存在します。
これは性格の問題でも、
努力の問題でもありません。
脳の情報処理の違いです。
社会は「平均の認知」で作られている
ここで問題になるのは社会の設計です。
学校教育
職場の仕事
行政手続き
契約や制度
これらの多くは
平均的な認知能力
を前提に作られています。
しかし実際の社会には
様々な認知特性の人が存在します。
その結果どうなるか。
平均からズレた人たちは
・仕事ができない人
・コミュニケーションが苦手な人
・努力不足の人
として扱われてしまいます。
自己責任論の危険性
ここで自己責任論が登場します。
もし社会が
「努力すればすべて解決する」
という前提で作られていたら
認知格差の問題は見えなくなります。
そして
生きづらい人
社会に適応できない人
制度の隙間に落ちる人
はすべて
本人の責任
として処理されてしまいます。
しかしこれは本当に公平な社会でしょうか。
もし
・家庭環境
・経済状況
・認知特性
すべてが違う人たちを
同じスタートラインで競争させている
としたら、それは平等ではありません。
これは個人の問題ではない
ここで重要なのは
この問題は
当事者だけの問題ではない
ということです。
社会の設計が
平均的な認知だけを前提にしている限り、
その社会は
多くの人にとって不自由な社会
になります。
つまり
社会全体の問題です。
社会が変わる必要がある
認知格差の問題は
「困っている人を助ける」
という話だけではありません。
それ以上に
社会の設計を変える必要がある
という話です。
・理解しやすい制度
・多様な働き方
・認知特性に配慮した教育
・情報のアクセシビリティ
社会が少し変わるだけで、
多くの人の生きやすさは変わります。
日本はまだ立ち上がれる
日本社会は長い間
「みんな同じ」
という前提で作られてきました。
しかし現実には
人はみな違います。
家庭も違う。
能力も違う。
認知の仕組みも違う。
それでも同じルールで競争させれば
当然、歪みが生まれます。
その歪みを
自己責任という言葉で片付けてしまえば
社会はどんどん疲弊していきます。
しかし逆に言えば、
この問題を正しく理解できれば
社会はもっと良くなる可能性があります。
多様な人が生きやすい社会は
結果として
すべての人にとって生きやすい社会
になるからです。
まいすたが考えていること
まいすたでは
社会の生きづらさの多くは
スタートライン格差から生まれていると考えています。
家庭環境
経済状況
認知特性
社会制度
こうした条件によって
人生の難易度は大きく変わります。
そしてその中でも
見えない認知格差
は、これからの社会が向き合うべき
重要なテーマの一つです。
最後に
この問題は
「誰か特定の人の問題」
ではありません。
社会の設計の問題です。
そして社会の設計は
人間が作っています。
だからこそ
変えることもできる。
日本社会はまだ立ち上がれます。
そのためにはまず
見えない格差を見えるようにすること。
まいすたは
その議論の場になりたいと思っています。
