「1つの自治体」でも社会は1つではない
前に区議会でも取り上げたけど、こういった格差、偏在は大田区だけでなく日本中で起きていると思うのですけど、なかなか画期的な解決策がないところなのですよね。
— おぎの稔東京都議会議員_都民ファーストの会(大田区選出) (@ogino_otaku) February 9, 2021
大田区議会決算特別委員会 教育費(学習環境の偏在について) https://t.co/b1SSf4F7nK @ogino_otakuより pic.twitter.com/R6P0uWO2qP
東京都大田区議が以前、興味深いデータを示していたことがある。区内の大学進学率、平均所得、管理職比率は西北部ほど高く、ひとり親世帯は逆に南東部ほど低い。同じ区内なのに、世界が二極化しているのだ。
大田区といえば町工場などが盛んでよく言えば下町人情、悪く言えば風俗などのある遷移地帯のイメージがあるが、東京を代表する富裕層地区の田園調布などの東急沿線のハイソな地域も大田区内だ。田園調布に住む東急沿線民は、おそらく日常、人生のほとんどで京急沿線に行くことはほぼないだろう。羽田空港から海外旅行をする時だけ素通りするのみ。「下町としての大田区」は外国程遠いのである。
日本人は総中流と言う幻想に生きた時代が長かった。60歳以上の老人には、日本国内であればみんな同じ常識が通じるものだと本気で思い込んでいる人がいまだに多い。しかし「失われた37年」のいま、単一社会というのは嘘だとハッキリ証明されている。
これは海外と全く一緒だ。筆者が住んでいたカナダのバンクーバーでは、地区によって貧富の差がキッパリと分かれていた。ギャスタウンという石畳の並木道の、おしゃれなレストランカフェバーから数ブロック離れただけでカナダ最悪のスラム街のイーストヘイスティングスがあった。詳細は街歩きをしている留学生のブログを読んでほしい。本当に徒歩数分で世界が一変するのには驚いた。
でも日本も程度の差はあれ同じなのである。
筆者は湘南の人間だが、湘南の自治体は東海道線より海側か山側かの格差がハッキリとある。
同じ市内でも、海側はプチブル層在住地区があったりして、そこのファミリーは公立校を避け、わが子を辻堂の平和学園あたりに通わせたりするのが常識で、そこで育つと1度も取っ組み合いのけんかもしたことないままICUやSFCあたりの学費の物凄い高い私立大学に行き意識高い系サークルの影響で学生団体上がりのNPO活動をやり、気づくとコンサルみたいな虚業についていたりするものだ。
そんな風な階層に育った同級生のM君は、子どもの頃は自慢の芝生の庭と私の自室くらい広いドレッサーが印象的な輸入住宅の豪邸に住んでいた。同窓会で久しぶりに再開したらなんとニートだった。お前はこれからどうするんだと周りからは囃し立てられたら「オースティンのおじさんの家で仕事を作ってもらうからいいもん!」と言っていた。たぶん今ごろコネ採用でテキサスの力強い日差しのもと外資系に勤めていることだろう。
一方で線路を越えた内陸側は工場勤めのブルーカラー層ばかりが団地に住むような地域があって、そこでは誰もが公立に進学するのが常識で、大学に行かない同級生だって多い。やがては綾瀬に向かう県央の県道沿いのワークマンで仕事道具を買って職場に行ってはコンビニの駐車場でタバコを吸ってストレスを晴らすような、電車に全く乗らず1年に1度たりとも東京に出ないような人生が待っている。本当にNPO活動が必要なのは、社会問題の当事者になりがちな彼らの側なのだが、こういうタイプの人ほど新聞も読まず、社会への関心は薄い。
これは誇張ではない。私の知人はどちらの側もいるのでよくわかる。生まれてから大人になるまで全く別の人生を遂げたのに、同じようにけろととした顔で「湘南最高!」って言ってるのである。私みたいな媒介者も中にはいるが、基本的に互いが互いの世界の存在を大人になっても知らないのだ。同じ市内でに格差がハッキリあるという話は、私の地元だって同じ。あなたの住んでいる自治体も同様だ。
そこで日系イギリス人のノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ氏が提唱する「縦の旅行」が重要になってくる。
俗にいうリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。
私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」でなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。
インテリや富裕層の住む世界はだいたい均質である。バンクーバーだって公用語が英語なだけで、街並みもそこにある店のブランドも人間の見た目や中身も横浜のいいとこの海沿いの街と変わらなかった。そんな先進国の上澄みだけを飛び交って「国が違ってもみんな一緒!これがグローバル社会!」などと世界を知った気になったらまずいだろう。視野を広げるどころか狭めるばかりだ。
私やあなたがどの層の住人かはわからないが、社会の1つのレイヤーの中に閉じ込められ、その中で生活や人生が完結するのですぐそばの「縦」の別世界も知らずに生きているのは、罪であるともいえるし、世界の面白さを知らないもったいないことでもある。
せめて行政に勤める人、地方議員でも、公務員でも、しかるべき公共機関くらいは「1つの自治体」でも社会は1つではないということは暗黙の了解になってなければいけないと思う。そのうえで、どうやって縦の分断のブレイクスルーをするかという発想の軸で市政の立案や公共サービスをするべきではないかと思うのだ。
社会は1つではないし、みんなは同じではない。だからこそ、どうやって互いを認識し、統合してゆき、どう最良に近づけるか、と言う発想が大事なのだ。
