短編小説「ひみの花咲く夏祭り」
―― 七月二十一日は夏祭りで交通規制
俺は、通勤のため朝の田舎道を
軽自動車で走っていた。
ふと、道路脇に立てられていた看板の
文句が気になって、思わず車を停める。
夏祭り……?
家のすぐ近所の、歩く人とてみかけない
ような、さびれた場所だ。
この山と畑と民家がぽつぽつとあるだけの
ひなびた町。ここで俺は生まれ育ったが、
この時期に夏祭りがあるなんて、
聞いたこともなかった。
しかも交通規制だと……?
首を傾げたが、看板にある文句はこれだけで、
看板の右下には橙色のひまわりのような
花の絵が描かれている。
どこの誰が看板を立てたとも書かれては
いなかった。
まあ、いいか。当日になればわかるだろう。
俺はそう思って勤め先の町役場に出勤し、
そのまま、そんな看板のことなど、
忘れてしまった。
俺は、町役場の土木課で働いている。
今は、建設中のダム工事のことで毎日
頭がいっぱいだ。
今日も工事業者との打合せが入っていて、
俺は朝からその準備で大忙しだ。
それなのに、肝心の打ち合わせの成果は
いまひとつだ。
「ダム建設地の地形が、受け取った地図とは
大きく変わっていますよね?
予定通りに工事が進められないですよ」
工事業者は驚くことを言う。
そんなことってあるだろうか?
ちゃんと去年、業者に依頼して木の位置まで
確かめてもらって作った地図なのだ。
そのうえ、希少な絶滅の恐れのある魚が
建設予定地の川で発見されたなんて
通報まで町役場にあったらしい。
明日は実際に俺が現地に行って、
地形が地図通りか、この目で確かめてやる。
魚だって、今更言われたって、
さんざん環境だって調査してきたはず
じゃないか。
今更、他の魚も調べるなんて無駄も
いいところだ。
俺は、ダム建設予定地の地図を眺めながら
ため息をついた。
予定通りに工事が進められないと
怒られるのはこの俺だ。
なんとかしなければと気がはやる。
翌日、俺は、朝早くに出て、車をダムの
建設予定地へ向かって走らせた。
すると、目の前に黄色の上下を着た警備員が
立っていた。
「すみません、今日は、夏祭りが
あるんですよ。
ここから先の道は通行止めです」
そう言ってゆく手を塞いでくる。
「夏祭り……?」
俺の脳裏に昨日の朝見かけた看板の文句が
よぎった。
「こんな時期に夏祭りなんて
聞いたことがないぞ」
そう言う俺に、警備員は困った顔をする。
「知らないんですか?
きれいな花の咲く夏祭りですよ。
今年は例年よりもたくさん花が
咲いているみたいですよ」
こんな夏の盛りに、いったいなんの
花が咲くって言うんだろう。
俺はそう思ったが、通れないというものは
仕方がない。俺の様子を見ていた警備員は、
前方の車を指さした。
「ちょうど、あちらの車には実行委員の
人が乗っているんですよ。
あの車に乗り換えてもらえれば、
この先に入って祭りを見ても
構いませんよ?」
おかしなことを言う。
祭りに行きたい人は、全員ここで車に
乗り換えねばならないとでも言うのだろうか。
しかし、好奇心も手伝って、
俺は、その実行委員とやらの車に
乗り込んでみることにした。
なに、町役場には、朝からダムの建設予定地に
直行すると伝えてある。
その行き先が建設予定地の近くの夏祭り
だと知られることもないだろう。
自分の車を路肩の空き地に停めて、
俺は、前方の車に歩いて向かった。
すると車から、まだ若い女が一人、
降りてきた。祭りがあるからなのだろう。
法被のような、薄い黄色の衣を身につけて
いる。
クリっとした丸い大きな瞳をしたその女は、
黒い長い髪を風になびかせながら
俺に近寄ってきた。
女は早川と名乗った。
「あら、あなた、お祭りに参加したいの?
勇気があることね」
いきなり不穏なことを言う。
夏祭りに参加するのに勇気がいるのか……?
「祭りって喧嘩祭りか何かなんですか?」
俺がそう問うと、女は笑って答えた。
「喧嘩……?
そんな野蛮なことしないわ。
夏祭りといっても、夏の花を楽しむ
祭りなのよ。ひみの花と言うの。
優雅なお祭り、今年はあなたも参加して
くれるというし、とても楽しめそうだわ」
―― ひみの花……? 聞いたこともない。
飛び入りで俺が参加することで、
何が楽しくなるのかよくわからないが、
歓迎されているってことかなと少し心が
弾んだ。
ダムの仕事が一瞬頭をかすめたが、
まあ、ほんのちょっと寄り道するだけだと
思い、俺はその早川という女の車に
乗り込んだ。
しかし、俺はこの町の人間はほとんど
知っていると言っていいほどなのに、
この早川の顔は、全く見覚えがない。
かといって他所の土地の者とは思えないほど、
早川はこの辺りの道に詳しい様子だった。
やがて、車の窓の外には、橙色に咲き乱れる
ひみの花々が見えてきた。こんな花畑、
こんな所にあっただろうか?
しかもここはダムの建設地そのものでは
ないだろうか。いつの間に花畑にその姿を
変えたのだろう。
花畑の脇の空き地に車を停めて、
俺は早川と車を降りた。
確かに夏祭りらしく、大きな櫓が
組み立てられていた。
広場になっている大きな空き地では、
人々がたくさん集まっていて、
屋台もそこかしこに出ている。
櫓に近づこうと早川と二人で歩いていて、
ふと早川が草を踏む音がしないのに気付く。
何か特殊な靴でも履いているんだろうか。
そのうえ、足跡が水に濡れていた。
いや、濡れているなんてもんじゃない。
雨でも降ったかと思うほどの水たまりが
できている。なんだかどこか薄気味悪い女だ。
たどり着いた広場は、お祭りの真っただ中
だった。
水あめ、綿菓子、焼きそば……
本当にお祭りだ。
ふいに巻き込まれた祭りだったが、
生来、楽しいことの好きな俺は、
急に気持ちが湧きたつのを感じた。
しかし、祭りに集まっている人々の顔を
見回しても、誰一人、見知っている顔は
なく、俺は強烈な違和感に苛まれる。
この町に俺の知らない人間がこんなに
いるはずがないだろう?
この人たちはいったいどこからやってきた
のか。この祭りはいったいなんなのだろう?
その時、櫓の上で、マイクを握っている
中年の男が大声を張り上げた。
「これより、ひまわ町の夏祭りを
開催しまーす」
人々は拍手喝さいだ。
ふと、魚のにおいが辺りに漂っている
気がして、魚を焼いている屋台でもあるのか
と思ったが、特に見当たらなかった。
そういえば、業者が言っていた。
ダムの建設予定地の川の川幅が、
広く深くなっていると。
ここはそうすると、川になっている
はずの場所だ。
なんだ、川なんかじゃなく、広場じゃないか。
―― 戻ったら工事業者を怒鳴りつけて
やらないと
俺は、仕事に気をとられる。
「夏祭りのメインイベント、
ひみの花畑の中でのひいさま探し、
是非、参加してくださいね」
仕事に想いを馳せているうちに、
祭りの説明が進んでいたようだ。
ひいさま……?
俺が首を傾げていると、早川がそっと
耳打ちしてきた。
「ひいさまと言うのは、ひみの花畑の中に
隠れているの。
それをみんなで見つけるっていう
お祭りなのよ」
なるほど、誰かがひいさまに扮してでも
いるのだろう。
これは、豊作を祈る祭りか何かかな?
ひいさまっていうのはそのシンボル
なのかもしれない。
俺は、好奇心からひいさま探しに
参加してみることに決めた。
他の祭りの参加者は、早川と同じ薄い黄色の
法被を着せられているというのに、
なぜか俺だけ、飛び入りだからなのか、
真っ白な法被を着せられる。
そして、祭りも佳境に入ったころ、
俺は他の参加者とともに、
ひみの花畑に踏み入った。
なぜか、花畑に踏み入ったとたんに、
暑い夏の盛りだと言うのに、周囲の気温が
ガクンと下がったように感じる。
冷んやりと、涼しい。
ひみの花が木陰のように機能している
のだろうか。
このひみの花は、ひまわりに似ている。
ひまわりのように黄ではなく、橙色の花で、
その顔を太陽に向けて人の背よりも高く
そびえ立っていた。夥しい数の花が
咲き誇っている。
先ほどから感じていた魚の匂いが
ますます強まった気がして、
俺は不思議な気分になる。
いったいどこからこの匂いは漂って
いるんだろう。
そういえば、ひいさまというのは、
どんな姿なのか聞くのを忘れたな……
花畑に深く分け入ってから
俺は、うっかりしていたと気付く。
周りの参加者に聞こうと周囲を見渡すが、
鬱蒼と咲き誇っている、ひみの花々に
さえぎられて、人の姿は周りには
見当たらなかった。
ふと見上げると、さっきまで太陽のほうを
見ていた、ひみの花たちが、すべて、
俺のほうに顔を向けているのに気付いて
ぎょっとする。
そういえば、さっき早川が、
「このひみの花の花言葉は、
『あなただけを見つめる』ですよ」
なんて言っていた。
見つめるなら、そのひいさまとやらを
見つめてくれよと俺は、途端に気味が
悪くなる。
そして、不安になって改めて周りを
見渡して驚いた。
ひみの花々の陰から、薄い黄色の法被を
つけた人々がいっせいに顔をのぞかせて、
俺のほうを凝視していたからだ。
「なぜ人間が夏祭りにきているんだ?」
一人がつぶやいた。
さっきまで地面だったはずの足元から
にわかに水がしみだして、
俺のスニーカーは、たちまちびしょ濡れに
なった。
水位は見る間にあがって、水はどこから
ともなく、このひみの花畑に流れ込んでくる。
「不思議ね、ここは水の底なのに、
どうして人間がいるのかしら」
祭りの参加者の人々はそうささやく。
―― 水の底?
そう思って、見上げてみると、
そこには水面があった。
俺がいるのは深い水の底。
ごぼり
驚きで俺の口から大きな泡がこぼれる。
慌ててもがいて水面に上がろうとする
俺を、美しく咲く橙色のひみの花たちが、
一斉に顔を俺に向けて、行く手を妨げてくる。
もがいてももがいても、夏祭りに咲く美しい
このひみの花たちは、俺を逃してはくれない。
やがて、息が幾度も俺の口から洩れて、
最後の気泡が水面にあがってゆく。
俺の行く手を阻む花々の陰から、
俺をこの夏祭りに連れてきた女、
早川が顔をのぞかせた。
その瞳は、先ほどまで俺の見ていた
瞳ではない。丸くて、縁もまーるくて、
そう、まるで魚の眼。
途切れ行く意識の中で俺は彼女の声を聴いた。
「ひいさま、それはあなたのことよ。
だってあなたは、白い着物。
ひいさまは白き着物をまとうもの。
私たちの居場所に、ダムを造ろうなんて
考えるからよ」
そう言ってくすりと笑った。
―― この祭りは、そうか、
ダムに沈められる魚たちの……
俺が魚なんてどうでもいいなんて
思ったからか
俺の意識はそこで、途絶えてしまった。
ひみの花々は、とたんに川の底の水草に
その姿を変えて、俺の遺骸にからみつく。
ここは、深い川の底。
この場所を犯そうとするものは、
夏祭りの日に、ひいさまとして、
捕らわれる。
捕らわれたひいさまは、
二度と浮かび上がることはない。
今日、七月二十一日は、年に一度の夏祭り。
ひみの花はたくさん咲き誇り、
ひいさまも無事、みつかった。
めでたし。めでたし。
