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スナック中瀬ゆかり

※本作はフィクションです。実在の人物・新潮社などの要素をもとに構成されています。

路地裏の奥に、その店はあった。
看板は小さい。

だが常連たちは言う。


「ここは酒を飲む店じゃない。人生の言い訳を作る店だ」

カウンターに座ると、中瀬ゆかりママが聞いた。


「今日は何をなくしたの?」

メニューより先に聞かれた。



私は答えた。

「自信です」

「それなら棚の三段目にあるわよ。みんな置いていくから」

そう言って焼酎を出した。
店内には本が積まれていた。

文学賞を取った作家の本もあれば、売れなかった本もある。



その中に、一冊だけ少し擦り切れた本があった。

私は表紙を見た。

白川道。

「あれ、好きなんですか?」

そう聞くと、ママは少しだけ笑った。

「まあね。昔からの常連」


その言い方が妙だった。

亡くなった作家を、まるで昨日も来たみたいに言う。

閉店間際。
客はみんな帰った。

店の奥の席だけ空いている。

なのにママはそこへグラスを一つ置いた。
焼酎を少しだけ注ぐ。

「来るんですか?」


私が聞くと、
「来ないわよ」
と笑った。

「来ないけど、いないとも言い切れないでしょ」

私は返事ができなかった。
ママはグラスを磨きながら続けた。


「人間ね、亡くなるのは一回だけど、思い出されるのは何度でもあるの」


外では雨が降っていた。

しばらくして私は会計を頼んだ。


レシートの裏に、ママが何か書いて渡してくる。
そこには、



『人生は締切に追われる。でも愛情に締切はない。』

と書いてあった。


振り返ると、奥の席のグラスが少し減っている気がした。もちろん気のせいだ。

たぶん。
たぶんだけれど、

その店では、そういう気のせいが一番大事なのかもしれなかった。

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