水彩画と御城印で巡る 日本の名城12      秀吉天下人への道 兵糧攻め

秀吉の兵糧攻めによって開城した――上月城・三木城・鳥取城をあるいてみた

城は、力で落ちるとは限らない。
 
戦国の合戦といえば、槍衾や鉄砲、勇猛な突撃を思い浮かべる。
だが天下統一へと歩んだ**豊臣秀吉**の戦いは、
必ずしも正面衝突ではなかった。
 
囲む。
断つ。
待つ。
 
兵糧を断たれた城は、やがて静かに力を失う。
堅固な山城も、壮大な石垣も、補給が途絶えれば持ちこたえられない。
秀吉の天下人への道は、
武勇だけで築かれたのではない。
 
それは兵站を制し、時間を味方につける戦いだった。
 
戦国は、刀の時代であると同時に、水と米の時代でもあった。
 
この章では、三つの城を通して、
秀吉がどのように“包囲という戦術”を身につけ、
天下統一へと近づいていったのかを辿る。
 
城は石でできている。
だが城を支えるのは、人と食である。
 
それを断つことができれば、
戦はすでに半ば終えている。
 
天下人への道は、
まず補給線から切り開かれていったのである。

上月城――秀吉の「補給を断つ」を実践した最初の舞台

上月城 尼子再興の夢が潰えた城(兵庫県佐用郡)

播磨国西端に築かれた山城、**上月城**。
この城こそ、秀吉が「補給を断つ攻城」を実践した最初期の舞台である。
 
1577年、第一次上月城の戦い。
攻め手は**豊臣秀吉**率いる織田方と、尼子再興を目指す**尼子勝久**。
守るのは播磨の国衆、**赤松政範**。
 
上月城は典型的な山城で、尾根を削り、曲輪を連ねる堅固な構造を持つ。
だが山城には弱点がある。
水源である。
 
秀吉は正面突破を選ばず、城内の井戸・水の手を押さえる。
水を断つことは、兵糧を断つことと同義である。
 
山上に籠もる城は、
水を失えば長く持たない。
 
結果、上月城は落城し、秀吉方の**尼子勝久**が入城する。
ここで秀吉は、城を“崩す”のではなく、
“支えを断つ”という発想を実地で示した。
 
だが翌1578年、第二次上月城の戦いが起こる。
今度は毛利軍が城を包囲し、兵糧を断つ。
秀吉は救援に向かうも撤退を選び、尼子は滅亡する。
 
上月城は、
秀吉が攻める側と囲まれる側、両方を知った城である。
 
第一次では水源を断ち、
第二次では味方が兵糧攻めで滅ぶ。
 
この二重の経験が、のちの三木・鳥取攻めへとつながる。
 
城の強さは、石垣や堀の深さだけではない。
城を支える水と米こそが、持久を決める。
 
上月城は、
秀吉が「補給を制する者が勝つ」
という戦い方を身につけた出発点であった。
 
山は今も静かだ。
だがその尾根には、
戦国の戦い方が変わる瞬間が刻まれている。
 
天下人への学びの城――。
ここは**上月城**である。
 
2024年5月5日 訪城
日本100名城、続100名城ではないため公式スタンプなし

上月歴史資料館にて御城印を拝受

 

三木城 ― 「干殺し」という持久戦に敗れた城

三木城 兵糧攻めが徹底された城(兵庫県三木市)

播磨国の要衝に築かれた**三木城**。
ここは、兵糧攻めが徹底されたことで知られる城である。
 
城主は**別所長治**。
当初は織田方であったが、やがて離反し、毛利方と結ぶ。
これに対し、中国攻めを任された**豊臣秀吉**は、三木城を包囲する。
 
三木城は平山城で、播磨の交通の要を押さえる重要拠点。
周囲に支城を配し、連携して守る構造だった。
 
秀吉は、正面攻撃を避ける。
 
城を囲み、
支城を一つずつ落とし、
補給路を断つ。
 
いわゆる「三木の干殺し」である。
 
約二年に及ぶ長期包囲。
城内の兵糧は尽き、飢餓が進む。
 
武勇ではなく、
時間と兵站が勝敗を分けた。
 
1580年、別所長治は開城を決断。
自刃し、城は明け渡される。
 
三木城の攻防は、
秀吉の兵糧攻めが“完成形”に達した戦いであった。
 
上月で経験した包囲。
それをさらに徹底し、持久戦として洗練させる。
 
三木城は、
秀吉が“待つ力”を持つ武将であったことを示している。
 
戦場での華々しさはない。
だが、確実に相手を追い詰める。
 
天下人への道は、
突撃ではなく、
忍耐によっても築かれた。
 
三木城の静かな丘に立つと、
持久という戦いの重みが、今も残っている。
 
2024年5月5日 訪城
日本100名城、続100名城ではないため公式スタンプなし

みき歴史資料館にて御城印を拝受

 

鳥取城――最も残虐な籠城戦に敗れた城

鳥取城 山を守ったが、飢えに敗れた城(鳥取県鳥取市)

因幡国の中心、久松山に築かれた**鳥取城**は、
中世以来この地を支配した山名氏の拠点を基礎とし、
戦国期には毛利方の重要拠点となった城である。
 
標高約263メートルの久松山山頂に本丸を置き、
尾根伝いに曲輪を配する典型的な山城構造。
山麓には居館部が広がり、
のちに整備される石垣(天球丸など)にもその発展が見て取れる。
自然地形を最大限に活かした、防御性の高い城であった。
 
1581年、この城を守ったのが**吉川経家**である。
経家は毛利氏に属する石見吉川氏の当主で、
毛利家の家臣として鳥取城の城将を務め、籠城戦を指揮した。
 
対するは、中国攻めを進める**豊臣秀吉**。
 
秀吉は正面攻撃を選ばない。
周辺の米を買い占め、補給路を断ち、徹底した兵糧攻めを行う。
 
山は堅い。
だが山は食を生まない。
 
包囲が長期化するなか、城内は過度な飢餓状態に陥る。
後世の軍記物には、
極限状況のなかで**cannibalism(食人)**が生じたとする記述も見られる。
 
やがて持久は限界に達し、
1581年、ついに開城。
吉川経家は城兵と領民の助命を条件に切腹し、
城は明け渡された。
鳥取で「戦わずして崩す」術を完成させた。
 
山城は堅固だった。
しかし城を支えるのは石垣ではなく、人と米であった。
 
戦国の戦いが勇ではなく兵糧で決まることを示した城――
ここは**鳥取城**である。
 
2022年5月14日
日本100名城 No.63. 鳥取城公式スタンプ取得

鳥取市歴史博物館にて御城印を拝受


秀吉天下人への道 ― 兵糧攻めに滅びた三城を巡ってみて

播磨の**上月城**では、
秀吉は井戸を押さえ、水源を断った。
山城の弱点は補給にある――
その現実を突いた攻城である。
ここに、兵糧(水)攻めという発想の萌芽があった。
 
続く**三木城**では、
持久戦が徹底される。
支城を落とし、補給線を断ち、二年をかけて干殺しにする。
時間を味方につける戦いが、戦術として確立する。
 
そして**鳥取城**。
周辺の米を買い占め、徹底した兵糧攻めを行い、城は飢えによって崩れた。
戦わずして勝つという方法が、ここで完成を見る。
 
水を断ち、
補給を断ち、
時間を制する。
 
三城を巡ると、秀吉の戦い方が進化していくのが分かる。
刀の強さではない。
知力、ここでは補給を握る力である。
 
城は石で守られている。
だが城を支えるのは人、つまり水と米だ。
 
それを制した者が、
やがて天下を制する。
天下人への道の、静かな核心であった。
 
※次回は、水攻めを受けた、
三城を巡ってみたいと思います。



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