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中部ジャワの旅3泊4日 3日目ジュパラ観光 木工芸術とカルティニの街

ジュパラはカルティニの街として有名。工芸も盛んで特に精巧な木彫りと家具の名産地として、その名を全国に轟かせている。

他にはカリムンジャワという海がきれいな島々へのアクセスポイントとして有名だが、今回は時間がない。海への情熱に欠けるので、時間をかけてきれいな海を見に行くモチベーションがわかない。

他に時間がなく諦めたのはイカットの工芸村訪問。ジュパラのイカットはジャカルタでも売られていて、興味があったが木工品に集中したい。


ジュパラの観光地の場所

1.カルティニ博物館

街の中心にある広場、アルンアルンの目の前にある。

8:00オープンで8,000ルピア

カルティニのことをご存知ない方のため簡単に彼女について説明したい。
インドネシアの民族意識を誰よりも早く持ち、女子教育や地場産業の振興にも取り組んだ偉人。
日本の明治維新の頃に生まれ、25歳の若さで亡くなった。
わたしが最も尊敬するインドネシア人。

この博物館は、カルティニが育った家ではなく、関係ない場所を博物館にしている。
彼女の生活した家は、次にご紹介するプンドポになる。

展示物は関係者の写真、当時使われていた食器などの道具など。

オランダ本国の女王にまで知られていた三姉妹
カルティニは1番左

彼女たちはオランダ人子弟の通う学校に通っていたため、オランダ人が驚くほどのオランダ語を喋っていた。
かつカルティニは頭が抜群に良かったため、オランダ語を使い深い思考ができた。この時代、カルティニだけが見えていた世界、インドネシアのあるべき未来があったのだ。
それらはオランダ人の文通相手への書簡で語られ、カルティニの死後に書籍化された。

2.カルティニの育った家(Pendopo Kartini Kabupaten Jepara)

13:00-17:00しか空いていない。無料

本当はここに行く前に家具の職人村を回っていたのだけど、順不同で進める。

元は王宮クラス、カルティニの時代はブパティ(県知事)の館だ。
プンドポ(pendopo)とは屋根の付いた広い空間で、イベントが行われる場所をいうジャワの言葉。

建物の中もすごい。

カルティニは弩級の特権階級出身なのが改めて分かる。マジャパヒト王家の血をひく有力貴族の出なのだ。

カルティニの手紙の展示もあった。

そして、わたしが1番楽しみにしていた、カルティニが閉じ込められていた部屋

ベッドはレプリカ

ジャワの貴族階級には、結婚前の女性を数年(初潮から嫁入りまで)隔離する慣習があり、ピンギタン(Pingitan)という。
学校1番の才女だったカルティニも例外ではなく、中学に上がれず豪邸に閉じ込められた。

皮肉なことに、彼女の思索が深まるのはこの隔離期間と言われている。父親が買い与えた本や雑誌を読みふけり、オランダ人と文通していたのだ。

部屋は思いのほか狭く、息が詰まる。何千キロも飛べる鳥が、小さな鳥かごに閉じ込められ、あえいでいるようだ。

カルティニの書簡集の題名「暗闇を超えて光へ(原題: Door Duisternis tot Licht)」が浮かんだ。彼女は暗闇の中にただ1人インドネシアの未来の光を見ていた。

3.Mulyoharjo家具村

街の中心から4キロほど北に行った場所に、家具屋が集積している通りがある。
およそ2キロにわたり道の両側に家具、彫刻、モニュメントを売る店が並ぶ。

そこら中から、チェーンソーやノコギリの音が聞こえ、木やニスらしい香りが漂う。

わたしは彫りものを探していた。レリーフと呼ばれている精巧な彫刻。
あるにはあるが、華僑の家にありそうな馬、鯉、龍、あるいは宗教色の強い作風のものばかり。
全く好みが合わない。

最後の晩餐風

わたしが欲しいのは古いデザインで売れないのだろうか。
イメージはこんなやつ。

こういうこともあるだろう。
わたしは次の家具村へ向かった。

4.Senenan家具村

街の中心から5キロほど東南へ行った場所にある。
最初に訪問したMulyoharjoに比べると規模は劣るが、田舎度は増し工芸村感はより強くなる。
ここの方がレリーフを作っている工房が多い気がした。だが全部見た訳ではないから、初見の感想だ。
2軒目で見つかったから、実は少し見ただけだ。

比較的小ぶりなのから大きいものまで、デザインも複数ある。ラーマヤナを題材にした牛や鹿がいるデザインと、鳥と花のデザインと、花と植物のデザインだ。

わたしは迷った上で、小ぶりな鳥と花にした。

最後仕上げて送料30万ルピアでジャカルタの家に送ってもらう。本体価格は1.5万円。

ホテルに戻る途中、レリーフと書いてある店に立ち寄ると、これでもかというほど、種類が多く、クオリティーが高い店があった。

探しているものが一度見つかると、今度は次々と見つかる法則が、ここでも当てはまった。

ここは価格はさっきの店の4〜5倍はするが、彫刻はより精巧で、デザイン性も高い。

100万円以上するものもあり、圧倒的。

1枚板を彫って製作している

わたしが1番気に入ったのはサテ売り屋台。
手頃な大きさだし見ていて飽きない。
7万円だった。
さっき買っていなければ、こっちを買っただろう。

5.スマランへ移動

もう一晩ジュパラで過ごし、翌朝空港へ向かう予定にしていたが、スマランに移動することにした。
スマランで美味しい食事と酒を楽しみたくなったのだ。

15:00ジュパラ発のクンチャナトラベルのトラベル。来る時と同じ90,000ルピア(810円)。
スマランタワン駅に17時過ぎに着いた。

ホテルは旧市街地にあるホテルプランギインダ。美しい虹ホテルという意味。
場所がいいのと、安いのが気に入っている。
改修してきれいになっていた。

トイレとシャワーが共同の18万ルピア(1620円)のエコノミー部屋が満室で、ちょっと高い25万ルピア(2250円)の部屋にした。

エアコンの調子が悪く、部屋を交換した。

6.スマランの旧市街の夜

旧市街地はいい感じにライトアップされ、人々が集う。

この旧市街地は、インドネシア各地の旧市街地とは別格。本当に素晴らしい。

わたしは最初から行く気満々でいたスピーゲルに入った。

喫煙のバーカウンターしか空いていなかったが、ラッキーなことにタバコを吸っている人間は1人しかいなかった。
タバコ臭いと美味しい食事が台無しになってしまう。

サーモンとワインを頼む。

食レポは後日に。美味しかったのは言うまでもない。

次はデザート
店を変える。せっかくなので、色々回りたい。落ち着きがなくすいません。

創業90年を誇るスマラン最古のレストラン、トコ•オエンのデザート業態の店Oud En Nieuw by Toko Oen
こちらは創業8年目を迎える。

バティック協会のあった建物だろうか。まだ看板が残っている。こういうセンスが素晴らしい。温故知新というやつだ。
古い町並みに合わない派手な色の大きな看板をつける店があるが、見るからに駄目さが伝わって来る。
弱い犬ほどよく吠えるとはよく言ったもので、自分の味やサービスに自信がないから、外見で目立ちたいのだろう。

オエンは、東ジャワのマラン市最古のレストランでもある。今はマラン店は創業一族の店では無くなったがアイスクリームのレシピは昔のまま名物になっていて、わたしもマランでは楽しんだ。

なので、ここでもアイスクリームを頼む。
アイス三種盛り。ケーキ付き

ストロベリーチーズ、ラムレーズン、バニラ

マランのアイスクリームを思わせる、シャーベット感、レトロなアイスクリン感がする。
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(後日修正)
スマランとジュパラに詳しい知人より、「Oenはオエンと読むのではなく、オンと読む」と教えていただきました。地元ではトコ・オンと呼んでいたとのこと。Soekarno Hatta(スカルノ・ハッタ)と同じように、oeと書いてuと読むやつです。オエンでもウンでもなく、オンが地元の正しい呼び名のようです。
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すっかり満足すると、最後は酒を飲みに酒屋へ

ここは酒屋で酒を買い、店内で飲める。インドネシア版の角打ち。
安上がりで気に入っており、スマランで旧市街に泊まる時は立ち寄ることにしている。

プロストのあとはシンガラジャを頂き、今日も楽しい1日だった。

続く














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