『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』55点(100点満点中)
◆高すぎる人気が招いた、IP映画の罠
人気絶頂のスパイダーマン最新作は、その高すぎる人気のせいで「IPモノの罠」にハマった、少々ざんねんな一本となった。
すべての人々の記憶から消え、一人で戦い続ける道を選んだスパイダーマン=ピーター・パーカー(トム・ホランド)。だが、かつての親友ネッドや恋人MJ(ゼンデイヤ)のSNSに投稿された、幸福な人生の中に自分がいないという事実は、徐々にピーターの心を荒廃させていく。さらに、MJと新恋人のキスシーンを見たショックで、クモ由来の遺伝子が暴走、心身ともにコントロールを失ってゆくのだった。
トム・ホランド版スパイダーマンは、原作要素のうち「明るいお調子者」の側面を強く打ち出すコンセプトでスタートした。その結果、孤独や罪悪感といった、スパイダーマンストーリーならではの深みが足りない作風にならざるを得なかった。
ところが前作『ノー・ウェイ・ホーム』は、それを逆手に取って、「実はここまでの3本は、真のヒーロー誕生までの前日譚でした~!」と、衝撃の大どんでん返しを見せたのであった。
つまり、ピーターが最愛の家族メイを失うことで、『喪失と救済』をテーマとする、真の(いつもの)スパイダーマンが誕生したわけだ。ある意味、そこまでは長い予告編、いや序章のようなものだった。まさに、3作目にしてシリーズの大転換だ。
しかも、「悪いヤツを見逃したがためにベンおじさんを失った」サム・ライミ版やアメージング版のように「因果応報」というわけではない。ホランド版ピーターは、「間違ったことをしていないのに、メイおばさんを失った」のである。
これは要するに「正しく力を使っても悲劇は起きる。それでも責任を負わねばならない。それでも正しいことをやめるべきではない」という、従来より過酷な責任論を提示したシン・スパイダーマンということなのである。
これほど奥深い、見ごたえある前作だったわけだが、その続きたる本作は、IPファン(キャラクターや世界観のファン)向けの仕掛けを詰め込むことに力を入れすぎ、ご都合主義と説明不足が目立つ凡作になってしまった。
まず大前提として、ホランド版ピーターは、最初からすべてを持っていたというのがある。最高の疑似父親(トニー・スターク)、スーツ(スターク製、AI搭載)、仲間=アベンジャーズ、家族メイ、理解者ネッド、恋人MJ──。
せっかく3作品という時間をかけて、それらを少しずつ失っていき、最後にすべてなくす「喪失のドラマ」を描いたというのに、この最新作にはその腰の重さがまるで継承されていない。
前作で「大いなる力の代償として、生涯孤独を選んだ」はずのピーターは、本作の上映時間、2時間25分すらその責任=孤独に耐えられない。
毎日モトカノをSNSでストーキングし、あげくキスシーンを見て心折れ、結局「孤独に耐えられませんでした」とギブアップする。
まあ「孤独から立ち直る」をテーマにして、ピーターと同じような、ある種の自傷行為に落ちてゆく若者たちを励ましたい作り手側の狙いはわからないでもない。要は「これも若者の未熟さなんだよ」ということなんだろう。
だが、そうはいっても本作のピーターはもう高校生ではない。あれだけデタラメやって世界を滅ぼしかけたんだから、せめて映画一本分、『トモダチも恋人もゼロの刑』くらい耐えろよと言いたくなる。世の中、彼女いない歴40年のオヂサンだっているんだぞと。
だいたい孤独孤独と言いながら理解者の女警官や共闘するヒーローもいるし、相棒のAIの声なんて三石琴乃だ。「俺の人生より全然快適そうじゃねえか」と思われかねない。つまりこの映画には『絶望』の描写がまるで足りない。
もっとも、こうしたグダグダぶりや、『3歩歩いて2歩下がる』式の遅々として進まない青春ドラマ展開こそが、最初に書いた「IPものがハマる罠」だったりする。
一般に、IPファンは「その世界観に没入したい」欲求が強く、脚本の完成度やテーマ性を重視する映画ファンとは評価軸が異なる。
彼らは行ったり来たりのドラマ展開や、物理的にシリーズが長く続くことにも寛容だ。SNSにも積極的に絶賛感想を載せてくれる。
現代では、映画ファンが書いたややこしい批評よりも、こうした気軽な褒め投稿が拡散されて客を呼ぶので、キャラクターと世界観さえキッチリしていれば、映画会社側も「この程度でいいか」と安直続編を送り出しやすい環境になっている。
結果、あれほど深いテーマ性を内包していた傑作の続編が、平凡なキャラクター映画になってしまう。
キャラクターといえば、新規の登場人物の扱いも雑だ。
たとえばパニッシャーという男は、他社の配信ドラマなどで何度も描かれている古典的ヒーローなのだが、映画版スパイダーマンシリーズでは初登場。ならば最低限の説明が必要と思うが、本作ではいきなり『方法論は違うが実力を認め合うライバル』みたいな関係で出てくる。ちなみに俳優同士が仲良しなので、その関係性が演技にもにじみ出ていて余計に戸惑わせる。
これではマニア以外、たとえば映画しか見ていないライトユーザーは「ていうかお前誰だよ」「その設定、いつ追加されたんだよ」状態になりかねない。
きわめつけはヴィランの正体についてだ。
このヴィランについては相当な事前知識がないと、あらゆる点がピーターと「逆」に設定されていたり、なぜ「マインドジャンプ」なんてチート設定が追加されているのかなど、テーマに関連するメタファーに気付くのがかなり困難になるはずだ。これはさすがに不親切の極みだと言わざるを得ない。
ということで、MCU38作目でもある本作は、過去最高レベルで他作品の視聴を強要する。米国のファンほど原作(というよりアメコミ全般の)知識がない日本のお客さんは、相当数が置いて行かれる可能性がある。
私は、ユニバースを深掘りしたい人に、配信コンテンツなどを「追加のお楽しみ」で用意するのはいいと思う。だが本編視聴の必須条件とするのは違うんじゃないの、と思っている。
むろん、MCU側がこのあとに予定する某大シリーズの知名度を上げるために(そちらをヒットさせるために)、ビジネス上の都合でこのヴィランを登場させたのであろうことも、100も承知である。
だが、スパイダーマンという、今となってはMCU最強となったIPを、新シリーズの踏み台のように使用するなら、せめてもっとうまくやれよというのが正直なところ。そういうことは、まずは単体の映画として完成度を高め、映画ファンを満足させてからの話ではないのか。
前作まではそのあたり、うまくバランスが取れていたが、本作ではIPファンさえ満足させればシリーズは安泰だ、といった奢りが感じられる。しかも海外では特大ヒットしているので、今後はこのレベルでも『傑作』『正義』となってしまう。
これもIPビジネス全盛という、時代の副作用ということなのか。
(7月31日より公開中)
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