全東信破綻が投げかけるもの② ~カード会社・銀行・行政の責任を考える~
前回の記事では、全東信の破綻を「負債1259億円の大型倒産」と捉えるのではなく、“1259億円規模の資金循環が突然止まった事件”として見るべきだという視点を紹介しました。 全東信は単なる決済代行会社ではなく、加盟店への立替払いを通じて資金を循環させる“金融インフラの一部”を担っていたからです。
では、なぜその資金循環は止まってしまったのか。 経営責任が全東信にあるのは当然としても、カード会社、銀行、行政は本当に「無関係」だったのでしょうか。
今回の記事では、全東信破綻が私たちに突きつけた“責任の所在”について掘り下げます。
全東信だけの問題として片付けられるのか
破綻の直接的な原因としては、新型コロナ禍による業績悪化に加え、2024年に発覚した加盟店契約を巡る不正問題が大きな転機になったと報じられています。社員の逮捕、書類送検という事態は、金融機関や取引先の信用を一気に冷え込ませました。
しかし、ここで引っかかる点があります。
全東信は突然現れた新興企業ではありません。 長年にわたり決済サービスを提供し、全国に加盟店を抱え、年収入高約80億円規模にまで成長していた企業です。加盟店募集業務もカード会社から受託し、決済業界の一角を担う存在でした。
そんな企業が、1259億円もの負債を抱えるまで異常に気付けなかったのか。 この疑問は、どうしても残ります。
カード会社の責任
法的責任は今後の破産手続きで整理されるとして、社会的責任の観点ではどうでしょうか。
全東信はカード会社から加盟店募集業務などを受託していました。加盟店から見れば、全東信は「カード会社の看板を背負った会社」に映っていたはずです。 実際、多くの飲食店経営者は、全東信という社名よりも VISA・Mastercard・JCB といったブランドを信頼して契約していた可能性があります。
そう考えると、
「委託先の経営状態や内部管理を、カード会社はどこまで把握していたのか」
という疑問は避けられません。
もちろん、カード会社が全東信の経営を直接コントロールしていたわけではありません。 しかし、決済ネットワーク全体の信用を支える立場として、もっと早い段階で異変を察知し、監督や是正を行う余地はなかったのか――この点は議論の余地があります。
銀行の責任
全東信のビジネスモデルは、資金調達が生命線でした。 加盟店へ売上代金を先払いする以上、その原資を常に確保しなければならず、銀行融資や与信がなければ事業は成立しません。
つまり銀行は、全東信の事業実態を最も近くで見ていた存在とも言えます。
ただし銀行側にも難しさがあります。 不正問題が発覚した企業に融資を続ければ、銀行自身が損失リスクを抱えることになる。 融資を続ければ「甘い」と批判され、止めれば「見捨てた」と批判される。 まさに板挟みです。
しかし、もし複数の金融機関が一斉に与信を縮小したのであれば、それは全東信にとって“資金の大動脈が同時に止まった”ことを意味します。
今回の破綻は、倒産というより 資金循環の停止による“心停止” に近い側面があります。
だからこそ、
「もっと早い段階で再建支援や管理強化はできなかったのか」
という疑問が残るのです。
行政の責任
見落とされがちなのが行政の役割です。
日本は国を挙げてキャッシュレス化を推進してきました。 キャッシュレス決済比率は年々上昇し、クレジットカードや電子決済は社会インフラの一部になっています。
しかし、そのインフラを支える決済代行会社に対する監督や保護制度は十分だったのでしょうか。
電力会社や銀行が突然機能停止すれば社会問題になります。 ところが決済代行会社については、加盟店保護の仕組みが必ずしも整備されているとは言えません。
今回の破綻では、
決済端末が使えない
売上金が入金されない
新たな決済会社を探さなければならない
という事態が現実に起きています。
キャッシュレス社会が進む中で、行政も制度設計の見直しを迫られる可能性があります。
最大の被害者は誰か
責任論では企業や銀行、行政に目が向きがちですが、最も大きな影響を受けるのは 現場の加盟店 です。
飲食店や小売店にとってカード売上は単なる数字ではありません。 従業員の給与であり、仕入代金であり、家賃を支払うための資金です。
全東信の破綻で止まったのは決済システムではなく、 その先にある生活と経営そのもの なのです。
まとめ
全東信破綻の責任を一社に押し付けることはできません。 もちろん経営責任の中心は全東信にあります。 しかし、カード会社、銀行、行政のいずれも今回の問題と無関係とは言えないでしょう。
今回消えたのは1259億円ではなく、 カード会社・銀行・加盟店・利用者をつないでいた 1259億円規模の資金の大動脈 です。
そして今問われているのは、
「誰が悪かったのか」ではなく、 「次の1259億円を止めないために何を変えるべきなのか」
という未来への問いなのかもしれません。

