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写真は、言葉にならない望みを救い上げてくれた

ご無沙汰しています。マドゥです。
とうとう私、来月9月で半世紀歳になります😳
ここまで生き延びられたことに、まず感謝です。


私は13歳の時、突然入院して手術をしました。

大好きだったバスケット部に復活する予定だったのに
お腹には大きな傷が残り、そのうえ手術で肝炎に二次感染。

それまで当たり前だった
「好きなことをやる人生」が、突然180度ひっくり返りました。

病気という、自分では選んでいないラベルを背負って
希望と現実のギャップに翻弄されながら
この心と身体と魂をなんとか乗りこなしてきました。

でも気がつけば今
100%ではないけれど、
私はやりたいことをやれている🎉

そう思えるようになったのは、写真を撮るようになってからなんです。

人物写真を撮り始めて、もう5年くらい。
そして最近、ひとつ気づいたことがあります。

写真は、人の望みを叶えるツールなんだ。

と言っても、
「綺麗に撮ってほしい」とか
「プロフィール写真が欲しい」とか
そういう表面的な望みだけじゃありません。

もっと心の奥にある、
本人もまだ言葉にできていない望みのことです。
それに気づいたのは、私自身が被写体になった時でした。

ある撮影で、私は友人に写真を撮ってもらいました。
その時の私は、上手いとか下手とか関係なく
ただ思いの丈を身体に込めて踊りました。

踊りたいように。
動きたいように。

そして、そのままカメラのレンズに眼差しを向けました。
安心できる友達が夢中でシャッターを切ってくれていた。

あとで写真を見た時、私は感動で涙が出ました。
そこには、鏡を見ながらでは絶対に出会えない自分がいました。

誰かに評価されるためでもなく
上手に見せるためでもなく

ただ、私を表現しているところを、見て欲しかった。
それを自分で見れたのです。
私が私を見てあげられた😭

「私はこうしたかった」

を叶えている自分。と、その姿を見ている自分。
この両方、主観性と客観性の両方を体験できるツールなんだと
発見したのです。

ずっと自分の中にあった、
自分でも拾えていなかった望み。

写真が、それを救い上げてくれたんです。
写真という存在を通して私にお知らせしてくれた。

人って、自分の望みをちゃんと叶えてあげると
少し次へ進めるんだと思います。

それは、望み通りの結果になるという意味じゃありません。

自分の思いを外に出す。表現する。
そして、自分で受け取る。
それだけで、堰き止めていた何かが動き出すことがあります。

私は昔、ヒプノセラピストとして活動していました。

写真を撮るようになって気づいたのは
私は昔も、今も、カメラを通しても
その時と同じ眼差しで
目の前の人の前に、いるんだなということ。

その人の中にある、まだ形になっていない
言葉になっていないエネルギーに光を当てる。

そのありのままの状態を見つめて、シャッターを切る。

そして、それを写真という媒体を通して
受け取ってもらう。

そうか、そうだったんだ。
撮影はセラピーの様と撮ってくれた友人が言ってくれたこと
今、すごく胸に響いています。

私にとって撮影は、
ただ綺麗な写真を残すことではありません。

もし何かを表現したいのに、

何を表現したいのか自分でも分からなかったり
人の目が気になって動けなくなっていたり
モヤモヤしていても

誰にも見せなくていい場所で、自分のためだけに
「本当はこうしたかった」を叶えてみてもいいと思います。

それを自分に許可する。OKとする。
そして、その自分を写真に残してみる。

あとで写真を見た時
「ああ、私、ちゃんとここにいたんだ」
「生きていてよかった」
と受け入れられる瞬間が訪れるかもしれません。
私がそうだったから。

私は、写真にはそんな力があると信じています。

写真は、言葉にならない望みを救い上げてくれる。

半世紀を目前にして、
今の私はそんなふうに写真という存在を見ています。

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