地テシ:485 キャナルシティ博多の成り立ち
去る7/28に発生した熊本を中心として九州一円に大きな被害をもたらした地震によって被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。我々も福岡にて公演直後に大きな揺れを体験し、心底驚きました。被害の大きかった地域にお住まいの方々に於かれましては不安な日々をお過ごしのことと思われます。まだまだ大きな余震もあり、暑い日々も続いておりますので、どうか安全に気をつけてお過ごしいただきますようお願い致します。
そして、今回の地震での交通機関や道路状況の悪化によってご来場が困難なお客様には、別日へのお振り替えや払い戻しを行っております。下記のリンクよりご確認下さいませ。
九州新幹線や高速道路を始めとする交通インフラに不備が出ていたりしておりますので、安全を最優先にご判断いただきますようお願い致します。また、来週には大きな台風の来襲も予想されますので、どうか、どうか身の安全を第一にお過ごしいただきますようお願い致します。
一日も早くまた平穏な日々が戻ってくることを心よりお祈りしております。
我々、劇団☆新感線「アケチコ!」の福岡公演はなんとか無事に行えております。毎日大勢のお客様にご来場頂きましてありがとうございます。公演も中盤に至り、残り一週間となりました。
「アケチコ!」の福岡公演は大規模複合施設・キャナルシティ博多の中にあるキャナルシティ劇場にて行っております。この劇場への行き方は前回に書きましたね。まあ、福岡市内を縦横に走り回っている西鉄バスに詳しい福岡民の皆様はバスなり自転車なりでお好きにお越し下さいませ。
このキャナルシティ博多というのはもはや都市とも言えるほどの規模でして、二つのホテル、シネコン、劇場、各種店舗に娯楽施設、レストラン、オフィスビルまで内包した巨大施設なのです。こんな福岡市のヘソのような好立地に、なぜこれほどの巨大な施設を建てられる余地があったのか。気になりませんか? まあ気になりませんよね。でもまあ気にして下さい。気にしましたね? ではその謎を解いていきましょう。
ええと、簡単に言いますと、かつてココには巨大な工場があったのです。で、その工場が閉鎖された後に色々とありまして、で、再開発されてキャナルシティができたというワケです。
では、何の工場だったのか。実は、明治から昭和に掛けてはカネボウの巨大な福岡工場がありました。カネボウといえば2000年代に経営難によって解体され、現在ではカネボウ化粧品くらいしか名前が残っていませんが、かつては繊維や食品、医薬品などを製造販売する日本を代表する巨大企業だったのです。
カネボウは元は鐘淵紡績(かねがふちぼうせき)という繊維会社で、東京都墨田区の隅田川下流にある「鐘ヶ淵」が発祥です。鐘淵紡績を略して「カネボウ」です。紡績工場には大量の水が必要ですので川縁に建設されることが多く、この鐘ヶ淵もそうですし、福岡のカネボウ工場でも同様でした。ですから那珂川や博多川に面したこの土地が選ばれたのです。また、明治30年に前身となる工場ができた頃には博多駅が現在よりも西側にあったので割と近く、輸送にも便利だったのでしょう。


まあとにかく、明治後期から昭和中期までこの土地にはカネボウの巨大な工場があったのですね。で、工場閉鎖後にはプールやゴルフ場などの紆余曲折を経まして、1996年(30年前ですね)に巨大な複合施設であるキャナルシティ博多となったというワケです。一旦はマンションを建設するコトになって基礎工事まで始まっていたそうですが、急遽方針を転換してキャナルシティ博多になったことについては産経新聞のこちらの記事が詳しいです。
さて、そんなキャナルシティ博多の歴史について書いてきましたが、ついでにもう一つ、博多の歴史について書いておきたいコトがあります。というのは、鎌倉時代には現在の福岡中心部は海だったんだよという話です。
キャナルシティ博多の少し南側にある住吉神社は、全国各地にある住吉神社の始祖という説もあるほどの古社です。一般に住吉神社というのは航海安全・船舶守護の御利益のある海の神様ですので、海沿い(もしくは海を見下ろす山の上)に祀られていることが多いのです。でも福岡市の住吉神社は平らな内陸部にあるので不思議だったんですよね。

その住吉神社には「博多古図」と呼ばれる中世期(鎌倉時代頃)の博多の地図が残されており、その複写がいくつかの場所に展示されています。これがね、面白い古地図なのですよ。ぜひ見たいじゃないですか。で、福岡市地下鉄呉服町駅近所の歩道にもあるというコトで確認しに行ったらこの体たらく。

いやあ、紫外線というのは怖ろしいモノですね。何が書いてあるのか、さっぱり判りません。福岡市観光情報サイト「よかなび」さんにはまだ綺麗な頃の解説板が掲載されていますので参考にして下さい。
ですので、ここではかつて住吉神社に行った時に撮影した解説板の写真を載せておきますね。

これは南を上にしているので、逆さまにしてちょっと傾けると現代の我々にも判りやすいと思います。ではひっくり返してみましょう。

中央に「冷泉津」と書かれている大きな湾がありますね。この湾が現在の天神エリア、つまり福岡市の中心部です。その下に半島状に突き出して「日本第一住吉大明神」と書いてあるのが今の住吉神社。ほら、やっぱりかつては海沿いだったのですよ! その右上の「櫛田宮」と書いてあるのが今の櫛田神社。その間の抉れているあたりが今のキャナルシティ辺りです。やはり海の中だったんですね。
冷泉津の左側にある南北に延びている半島が今でも盛り上がっている土地です。平尾村というのが今の福岡市動植物園の辺りだと思うし、北警固村というのが福岡城跡や舞鶴公園の辺りなのではないでしょうか。その先に逆L字に伸びている「長浜」というのがラーメン屋台街で有名な長浜です。文字通りに長い浜だったんですね。その先の「洲崎」というのが今の洲崎公園辺りでしょう。
その右側の「沖ノ浜」というのが今の博多座の辺りで、その間の細い水路が今の那珂川河口辺りにあたると思われます。沖ノ浜と「袖之湊」を挟んで櫛田宮のある辺り一帯が、いわゆる博多旧市街にあたる部分だと思います。この辺りの地形については博多駅地下街の端っこにある通路展示の「えふギャラリー」で展示されていた博多遺跡群発掘調査結果とも一致します。


他にも荒津山や簑島、鵜来島など、今でも残る地名がたくさんありますし、小さな湾である「草香津」の名残が大濠公園の池なのではないでしょうか。福岡に土地勘のある方ならばこの古地図から色々と読み取れることと思います。
いや、そんな古地図話はいいんですよ。要するに、今の福岡一番の繁華街である天神エリアは中世頃には海の中だったってコトですよ。面白いもんですねえ。いや、面白いかどうかは人によるとは思いますけれども。
そんなこんなのキャナルシティ博多と福岡市中心部の歴史あれこれ。海や川など水にまつわる話でした。そもそもキャナルというのは「運河」という意味。ですからキャナルシティの中にも運河が流れ、噴水ショーも行われています。ご観劇の前後にぜひお楽しみ下さいませ。


