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おっぱいを正しく使う

春、初めての出産を経験した。

産後、母乳をあげる練習がはじまった。

これまでおっぱいに全く自信がなかったので、まじまじと見るのを避けてきた。
観察しなければいけなくなった。



ああ、
なんか、
爆弾。

胸元に爆弾がついてる。



自分のおっぱいに興味はなくてもとりあえずブラジャーはつけなければいけないので、サイズは知ってるはずだった。
私の思っているそのサイズの大きさより、だいぶ大きくみえた。

知らない。なにこれ。借りてきてくっつけてるような、変な感じ。

ぼやく暇もなく必死に母乳をあげる。げっぷをださせて寝かせて、ぴったり2時間後に泣くのでまた母乳を…



「道具だ」と思った。

なんだか、とんでもないことになってしまった気がした。



夫に「私のおっぱい、道具になっちゃった」とこぼしたら、
「正しい使い方してるんだからいいんじゃない?」と言われた。

まあ、たしかに。
おっぱいは乳をだすためのものだし、赤ちゃんは乳を飲む生き物だし。論理としては合ってる。



それから2ヶ月も経つと、母乳をあげる"作業"には慣れた。
だが人前(赤ちゃんだけど)でおっぱいをどかーんと露出する違和感は消えなかった。
嫌悪感とはまた違って、うーん。

しかしそのモヤモヤとは裏腹に、ほぼ母乳で育てている。

はじめはミルクと半々にしようと考えていた。
次第に「母乳をあげるのは自分にしかできないからやりたい」と思うように。

というより、夫への嫉妬かもしれない。

夫は器用で、教えたらなんでもできる。
というか教えなくても調べて大体のことはやるのだ。
すると、育児の中で私しかできないことって、母乳くらいしかなくなる。

ありがたいというのは大前提だが、なんか…悔しかった。

授乳の違和感はうっすらと残り続けていたが、母乳をあげたいのも本音だった。
ミルクは誰でもあげられるけど、母乳をあげられるのは私しかいない。この角度でこの姿を見られるのも私しかいない。独占欲のようなもの。それが満たされるのは気持ちが良かった。

やりたくないけど、やりたい。
二律背反の苦しみ。



いつかは授乳が終わる。
解放と、成長の喜びと、虚無と、いろいろなものにおそわれるんだろうか。

ひとつ決めているのは、授乳が終わったら自分にぴったりのとびきり良いブラジャーを買うこと。こんなことになって戸惑ったのも、自分の体を知ることを避けてきたからなんじゃないかと思った。

使い終わっても取り外せるわけじゃないし。体を労ることを覚えていきたい。



最後までお読みいただきありがとうございました。

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