【わたしの探究メモ_5】お金とか生きるとか、いまとか未来とか
寄付やファンドレイジングについて調べていると「共感」というキーワードに出会ったので、共感と名の付く本を本棚から引っ張ってきた。
『共感資本主義を生きる 共感が「お金」になる時代の新しい生き方(高橋 博之さん 新井 和宏さん)』
いい意味で、いろんな問いや疑問がたくさん湧いてきて、学んだことと考えたことがごっちゃになってしまったのだけれど、これも探究の軌跡ということで、そのまま残してみることにする。
私たちは、測れないもの、表現できないものを、"無いもの"と勘違いしがち。切り捨ててしまいがち。だからこそ、大切なものを大切にするための価値基準・価値尺度を自ら主体的に選んでいくことが大事。
お金は、媒介という形でいろんなヒト・モノ・コトの間に関係をつないでくれそうに見えるけれど、実は、お金こそが関係の分断を生んでいる?
お金を貯め込むから、お金に付随するいろんなことが、淀む、滞る?お金を流す・めぐらす・回すことを意識したら、いい方向に事は動くのかもしれない?
お金やお金に準ずるものを巡らせるという意味で、「贈与経済」や「贈与」が気になってくる。やっぱり、マルセル・モースの贈与論を手に取るか。
共感を生むには、「間」が必要。そして、「間」を育むという考え方がじんわりきた。
「不便なところに大事なものが宿る」「面倒なものにこそ、自分自身の「生」を主体的に生きることだったり、幸福を育む源泉が宿る」とのこと。お金をもっと不便で、面倒なものにしたら、私たちは大事なものをもっと大事にできるようになる?
私たちの"生きる実感"、"生きるリアリティ"を充たしてくれるものはなんなのだろうか。
「未来の成長や豊かさのために、いまこの瞬間の生を犠牲にする生き方はやめよう」、「いまを犠牲にしない生き方、日々その瞬間瞬間を丁寧に積み重ねていこう」という論に共感。
いいよねと思う一方で、「いまと未来は、本当にゼロサムの関係なのか」「いまも未来も犠牲にしない生き方は、本当にできないのか」ということがとても気になってきた。というか、「いま」という概念そのものも、当たり前のようで、実は当たり前じゃないもの、つくられたものなのかも。
この「いま」と「未来」の二項対立を乗り越えることができるかどうかが問われているのかも。過去、現在、未来という直線的な、不可逆的な時間認識が実はいまの社会とマッチしなくなってきているのかも。時間認識の制度疲労なのか。
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