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ぬ語を操りし者

「ゆっくり休んでぬ」

「また後でぬ」


ただしくは「ゆっくり休んでね」と「また後でね」だろうLINEの言葉を読んで初めのうちは脳内変換をして可笑しい日本語を読んでいたのだけれど。

ここぞという真面目な会話の流れで「そうだぬ」とLINE越しに語りかけてくる。

 些細な事でヒリついてしまっていた私は「どうしていつも『ね』を『ぬ』と間違うの?」と返してしまった。いつもなら笑って返すのに、ヒリヒリピリピリしてしまい身体にも心にも良くないヒリつきを相手にぶつけてしまった。

「ごめんぬ」






涙がでてきた。
滲んだ視界の中でLINEが続けて鳴る。

「間違えました、ごめんなさい」

返信の文字を辿りながら情けなくなった。
もう私の完敗。

相手は老眼が進んだ我が母なのだけれど。わざとではなく、毎回忙しい合間を縫って打っているから間違えて当然な年頃なのに。今思い返すと笑って脳内変換していれば、良かっただけのこと。本人曰く「文字の端っこに丸が付いているので間違えてしまうんだよね」と、本当に悪気がない。

昔、冗談のジョの字も知らない母に悪ふざけで冗談を言ったら「私の辞書に冗談はない!」と返されて以来、母への軽い冗談は封印。成長と共に面白い話は先輩や友達とふざけて来たから、全然問題はないのだけれど、家の中で冗談が言えないから、見えない心に寂しさの穴がぽっかりと空いた。
そういう母にも母なりの深い傷があって冗談は言えずに生きてきた。だから言えないんじゃなくて知らないだけ。冗談とか、お腹を抱えて笑うってことが。
それなのに、それなのに、ある頃から箸が転がっても、滑っても笑う人になった。驚いた。人ってこんなに変わるものなのかと思うほどよく笑う様に。

人生の曲がり角を何回も曲がって、やっと冗談と笑いを知ったのに、肉体は年を重ねて老眼になっていたから「ね」と「ぬ」を間違えてしまう。今度は娘が語尾間違いのLINEを読んで泣いたり怒ったりしてしまっていた訳で立場逆転したのだ。

ぽっかり空いていた穴が小さくなるような気がした。

人に恵まれている人生だと思う。だから寂しくないと言い聞かせて笑って生きてきた、でも、本音は母の笑顔が見たかった。

もう簡単に直接会えない環境にいるけど、電話越しに笑い転げる母は、嬉しそうだ。

「ごめんぬ」の破壊力に音を上げてスマホを片手に私も笑い転げた。

「いってくるぬ」
「嬉しいぬ」

そう私から母へ返すと


「ぬ」

一文字即レスで帰ってきた。

 ユーモアを知った母は、ぬ語を見事に操っている。というか、さりげなく間違えずに「ぬ」一文字を送って来ているから間違えている様子がない。ん?もう母は、全てを見えているのではないだろうか。

その後も母は「ぬ」を一文字で返事をしたりするのではじめのくだりは、なんのはなしなのかさっぱり分からないが、自分だけの言葉遊びを乗りこなしているので楽しそう。もう何の心配もない。

 
つい最近「生きてた中で一番楽しいのが今日だった」と言っていたので人生の扉はいつ開くのか分からないことを「ぬ語」を操る母から教えてもらっている。私も失敗や辛いことがあっても、歳を重ねたいと思えた日の日記。



ここにくるまで時間がとても必要だったけれど母がよく笑うようになって、あと何回一緒に食事したり語り明かせるのか分かりません。以前、同じ様な話をラジオで聞いてから尚身に染みるようになりました。大切にしたいです。努力して自分で自分の殻を打ち破った母がこれからも笑い続けていて欲しいと心から願っています。
ここまで読んでくれてありがとぬ。

あとがき
chimo

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#言葉遊び

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