かもめの放物線
少し前に姪っ子の記事を書いたら、なんでもない春の日を思いだしました。
眠る寸前に目の前に幸せがあるとどうにも眠りたくない、眠ってしまったら今の魔法みたいに幸せな時間が終わってしまう感覚になる。たとえば仲のいい友人の家に集まって夜通し語り合い、みんながワイワイと話す声の中でまどろみながらソファに顔をうずめる。眠ると幸せが遠くへ飛んで行ってしまいそうな気がする。そういうときの眠る前は半分幸せで、半分寂しい。
よくわからないけど。
春の夕暮れを思いだす。数年前、きょうだい家族が帰省してきて、ふだん静かな実家が急に大所帯になった。まだ小さかった姪っ子は、お昼寝から起きると私の足に泣きついてきた。姪っ子のお母さんは、すやすやと気持ちよさそうに眠っているその子を「起こしたら可哀想」だからと申し訳なさそうに私たちに預けて、お墓参りにいっていた。
目が覚めたらお母さんがいないのだ、えーん、えーんと泣きじゃくる姪っ子を抱っこする。
「どーした?どーした?お母さんすぐ帰ってくるよ」
姪っ子に向かって、いないいないばぁをしても、変な顔しても、「お菓子食べる?」と聞いても、差し出した手を虚しくぺしっと叩かれてしまう。
叩かれた手をなでながら、姪っ子の前にしゃがんで目線を合わせる。泣きじゃくる姪っ子は、わたしと比べて、手も、足も、顔も、すべてが小さい。その小さな手をさわると泣きすぎたせいか、ひんやりしていた。
そういえば私も子供の頃、お昼寝をして夢から覚めたら、まわりの皆に置いてけぼりになった寂しさで泣いたことがあったっけなぁ。
(いいよ、いいよ、泣いていいよ。誰も置いていかないよ、ここにいるよ。)
泣くのを諦めた姪っ子を連れて外の空気にあたりに行った。お母さんが用事を済まして帰ってくるまで、おんぶと抱っこを繰り返しながら夕焼け空の下を2人で歩く。
「あ、かもめぇ」
夕方になると、漁船のまわりをかもめが飛び交う。実家は漁港の近くにあったので、わたしには慣れた景色でも、ちいさな姪っ子にとっては新鮮な風景。夕暮れの中をひゅーん、ひゅーんと飛び回る姿を2人で眺めて、姪っ子の小さな指があっちの空、こっちの空を指さす。見上げた空は茜色に染まりながら、夕焼けの反対側の空は夜のベールが近づいている。
「そうだよ、かもめだよ。おうちに帰るんかねぇ」
「おうち……?」
「そうだよ、かもめもおうちに帰って寝るんかねぇ」
「おうち……かえる」
「そっか、帰ろうか」
家に着くと、帰ってきていたお母さんに向かって一目散に飛びついて、かもめの話をしていた。あの日の夜。姪っ子は夢の中でかもめが描く放物線をみて眠ったのかな。
かもめが描くきれいな放物線と、小さな手の平越しに見えた空の向こうに、今日と明日の境目が見えた気がした。茜色と夜に染まるグラデーションは静かに明日を連れてくる。今、瞳を閉じて眠ったら、きっと幸せな今日が終わってしまう。
だけど夜のベールと一緒に眠って明日を迎えようとするのは、今日の続きに何がまっているのかを知りたくて、私たちは何度だって静かに夜を越えていく。

イラストありがとうございます
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