日曜日は珈琲で再会
小高い丘の上へと続く坂道を登りきった、その先には八重桜が咲く場所がある。
僕がこの街を訪れたのは偶然じゃない、父が眠る海に立ち寄ったからだ。
皐月と訪れるのは何年ぶりだろうか。夕陽が沈む前に丘を登り切ると、オレンジの光が差し込んで来る。八重桜の花びらが揺れる隙間から眺める景色は、まるで海が太陽を抱き込む様に少しずつ欠けていく、欠けていきながら光は色を変え、丘を染め、僕たちは本当の日暮れが来るのを静かに見つめる。
「グリーンフラッシュ見てみたかったなぁ」
「何度もきてるけど、俺も見たことないよ」
グリーンフラッシュは夕陽が海に沈む瞬間に緑色の閃光が水平線に一直線に輝くらしい。
「また、来ようね」
「うん」
一人きりで来る勇気など微塵もない。
小高い丘の上で二人並んで光る水面を眺めながら、静かに手を合わせた。胸の奥から込み上げてくる感情に飲み込まれそうになった瞬間「もう帰ろう、道が暗くなるよ」そう言うと皐月は、俺の左手をとった。
いつも丘を下るとき、現実と夢の境界線を歩いているような錯覚を起こす。皐月はそれに気付いているのか、きゅっと手を握りしめて離さない。
皐月が好きだ。そして皐月が淹れてくれる、何の着飾りもなく澄んでいる珈琲も好きだ。彼女との出会いはイベントマルシェに手伝いに駆り出されて、珈琲ブースで注文の飲み物を受け渡しを担当していた。小柄な皐月は、ジャケットの裾から伸びた手で、丁寧にカップを受け取る仕草が印象的だった。「ごちそうさま、美味しいです」はにかむ彼女が背中を向けたのを、呼び止めてしまった。その時に立ち話をした後に連絡先を交換した。
皐月は十代の頃に喫茶店に勤務していたこと、趣味も珈琲を楽しむこと、美味しいものを食べ歩くこと、喫茶店で「路地裏へいくと言った不思議な男性客との出逢い」、インターネットに物語を投稿していること、たくさんの彼女を知った。
理容師になって間もない頃。父さんとの別れは突然訪れた。まったくの偶然。旅先で海難事故に遭って助からなかった。
母も姉も同じように別れを受け入れられないまま、全て滞りなく終わろうとしていた…小さい箱に納まった父さんへ花を手向けた瞬間に僕の心は弾け飛んだ。
それから突然、嘔吐と頭痛に苛まれるようになった。理容師の仕事中にも急な吐き気や目眩に襲われる様になり、鋏が持てなくなり、終いには立てなくなった。クリニックへ行くとしばらく安静にして過ごすのを勧められた。
家族を失った悲しみは自分だけではない、そう思うのに鋏を持つ度に「お前に髪切ってもらうといいもんだな」そう言って笑う父の顔が浮かんで、手が震え、目の前が真っ暗になるようになった。気付いた頃にはしばらく休むと言っていた仕事を遂には辞めてしまった。
塞ぎ込む日々を過ごした先に、最後に海を見に行こうと思った。どうせ見るなら、父が眠る海が良いと車を走らせたものの、予想以上の大雨でたまたま立ち寄った喫茶店「カナリヤ」。正面の少し重たいドアを開け目線をあげたた瞬間、父さんと再会した。いや、父さんではない、頭では分かっているのに目の前にいる男性が父さんとゆっくり重なった。
車中泊なんて嘘だ、もうこの夜で全て終わりにしたい。仕事も無くした、心も身体もチグハグになった、会いたい人はいない、母も姉も支える器のない、自分の存在が嫌いだ。
「・・・名前は?」
タオルを取り出してきた男性は、椅子に項垂れた俺と顔を合わせるためにしゃがみ込む。
声が出ない。
「雨冷たかっただろう」
目の前にいる父さんと幾分も歳が変わらぬ男性に話しかけられ、優しさをかけられている。それと同時にどんなに恋しがっても父はもうこの世の何処にも居ないのだとハッキリと身体に突き刺さり、声が出ないまま項垂れた。
「明日とりあえず、病院に行こうな。近くに爺ちゃん先生だけど、優しい人がいるんだ、念の為に診てもらおう」
男性の自宅に案内されると、小さな犬と小学生の男の子が不思議そうに俺をみていた。男性は六畳一間の部屋に布団を敷き、ポットと紙パックの飲み物、マグカップにグラス。それらをお盆に載せて枕元へ置いてくれた。布団に隠れた俺の背中に向かって
「お腹が空いたら後でオニギリ置いておくから、ゆっくり休みなさい」
そう言い終えると、襖をゆっくり締めた。襖の向こうで「だあれ?」さっきの男の子は不思議そうに男性に話しかける声が響く。
ー・・・この家に他の家族はいないのだろうか。
だけどこの小さな部屋の温かさは、ひりついた現実から遠ざけてくれるようでホッとする、久しぶりに静かに、静かに、眠りについた。
彦さんの家にしばらくいると、シングルファザーで喫茶店を経営しているのが分かった。
彦さんは強かった。
奥さんに捨てられたとか言う噂話をきいた。その度に俺は怒り許せないと口走ると、彦さんに本気で叱り諌められた。
「怒る元気が出てきたのはいいけど、元気は自分の為に使わないとな」
冗談だって言って良い事と悪い事があるのに、何で笑ってやり過ごしているのか無性に腹が立った。そんなむくれ顔をしていた俺をみて、彦さんは続ける。
「ただ笑ってるなんてしてないさ。毅然としていると言ってくれ。俺は悪いがな、面白いことしか正面から受け止めないし、相手にしないと決めてるんだ。自分に対して嘘はつきたくないからな。ヘラヘラ笑ってる様に見えてタナベを不安にさせていたなら謝る、でもこれは俺の信念なんだ」
唇を噛みしめながら、眉間まで歪めて納得できない感情が膨れ上がった、言い返さない彦さんだから、相手も付けあがるような気がしたからだ。
「珈琲一杯で人を幸せにしたいと思うなら、その何倍も影で努力が必要なんだよ。珈琲に限ったことじゃない。智やハナ、タナベ、自分が大切に想う人を幸せにしたいと願うなら最初に自分が不幸を選んだらダメだと気付いた。自分が幸せなる選択、小さな怒りや悲しみに飲まれないって言い聞かせてる」
後から聞いた話だ。
彦さんは智くんを一人にしていた時期を酷く後悔していて自分の世界に閉じ籠もって一切遮断し、そのまま全部投げ捨てようとしていた。智くんが学校へ行くと言った日、顔を殴られた位、いや、生き直しをしようと誓ったらしい。走っていく我が子の背中を見て教えられた、生きる強さと逞しさ。
彦さんに笑えとか、言われたことはない。どんなに具合が悪くても元気になれと励まされることはなく、ありのままの全てを受け入れてくれた。
◇◇◇
彦さんの一人息子の智くん。その同級性の小春ちゃん。二人は仲が良くて俺を「タナベ兄」なんて呼ばれるようになって、飼い犬のハナと皆で散歩へ行くようになった。
あるとき。小春ちゃんにじっと顔を見つめられた。
「タナベ兄・・・家族いるの?」
触れて欲しくない所に入ってくる子だ。そう思った次の瞬間、
「わたしはね・・・。本当のお父さんとお母さん分からないの」
小さな両手は足元のシロツメクサをプチりプチりと摘んでいく。返す言葉に悩んでしゃがみ込むと、パッと顔をあげて。まっすぐに見つめてくる。
「タナベ兄はね、本当のお兄ちゃんみたい。だからね、ホッとするの。だからね、いつでも遊んでね」
小さな手にシロツメクサを並べていたのを、俺の頭の上からぱぁっと降らせた。笑い転げながら逃げるように走る、小春ちゃんを追いかける。
父さん。
綺麗な花が咲いているんだ、みんなの笑い声が聞こえているかな。ここにいる誰一人、まん丸な家族を持っていない。だけど、生きているよ、こうして今も。
◇◇◇
恩義がある。どうやったって返せない、その度に彦さんは「今は何も考えなくていい」時が来たら開くんだよ。焦るな、焦るな。
溢れてくる胸の奥から、波間を見ていると父さんを恋しく思う気持ちと不器用に生きた自分を、心配した母や姉の元を離れて暮らした一年半のこと。
そして皐月と出会えたこと。
失くしたくない大切な居場所。
◇◇◇
引っ越しの荷解きがひと段落して、珈琲を淹れてリビングへ行くと皐月の手には、大学ノートが数冊握りしめてある。
「どうしたの、それ」
「・・・彦さんに頼まれたの」
「頼まれた?何を?」
「物語を書いてくれないか、アイディアはいっぱいあるよって」
「どういうこと?」
「このアイディアを元に、物語を書こうと思う」
「どうかしてるだろう、彦さんが書くべきだよ」
「託してくれたの。客観的に書いて欲しいから、近いようで、ちゃんと外から描いてくれる皐月ちゃんがいいって。」
珈琲をもったまま天を仰いだ、彦さんは時々、無茶苦茶を言う。そして皐月も時々無茶苦茶を言う。
「結構中身は本気だよ。これは家族への手紙だよ」
「読まれなかったらどうするんだよ」
「そこも込みで楽しんでるみたいだよ、だったら初めから自分で手紙書くでしょう」
それもそうか、彦さんらしいな。
「皐月」
「その物語には俺も出てくるんだろう?」
目が合って
「そうだね、私たちも物語にしよう」
「それで?どこで発表するの」
「彦さんおすすめのプラットホームがあって、そこを教えてもらった。何でも『路地裏』っていうらしいの」
「あれ・・・それって。」
「そう!わたしが十代の時に、不思議な男性に会ったときに言われた言葉と一緒!」
興奮気味に二人ではしゃぎ合いながら、タブレットで言葉を入力してみる。「彦さんが言ううには、『うちの店の裏口は多分、路地裏に繋がってるよって。どこの街にもそういう居心地の良さがある場所は人目につかないから。きっと必死に探しても見つからない、フラフラ歩いていると日常と繋がってるようなものだから』って」
「なんだかなぁ、彦さんに絶対遊ばれてるよな、俺ら」
そう言いながらも物語になって、遺りたいという密かな願いが胸をかすめたのは嘘じゃない。忘れたくない人との出会いが此処まで突き動かしてきてくれたから。
それから皐月は物語を書いた。
十七歳の頃に出会った話を。
そして、今日この日のこと。
また彦さんに珈琲淹れてもらおうか。とびきり深いのを。
「智まだかなぁ」
「新幹線の遅延だから、もうしばらくかかるかな」
土曜のライブに智はついに間に合わなかった。代わりにトキが客席から拍手を送ってくれた、本当にトキは優しい。ライブの途中で店のドアが開いたので顔を思わず向けたら、智の遅れを知らせに来た智のお父さん。優しい笑みを浮かべながらわたし達の演奏に拍手を送り、トキの隣に座った。
トキが塗ってくれた赤いネイルが、少し寂しく見えているのは気のせいだろうか。
ライブが終わり後片付けをしていると、トキが駆け寄ってきて
「智が来るまでお疲れ様会しようって、智パパが」
「智のお父さんは、疲れてるよ。今日は帰ろう」
「こーはーるー」
恐る恐る首を捩じると、どうして幸せを選択しないのだ、智のお父さんは分かっていて誘ってくれている、小春はいじける癖がある、智だって待っていたら嬉しいに決まってる・・・。次から次へと説教とは違うトキの溢れた想いを語り尽くす。バンドメンバー、店のスタッフ、智のお父さんまで結局笑いながら見守って、わたしは顔が真っ赤になりながらトキの胸に抱き着いた、目頭にじわじわ隠せない涙が浮かんでくる。
子供の様に智を待っていた自分が此処にいる。
少し背伸びをした指先に気付いて欲しくて、待ち焦がれた。
智の父さんがゆっくり立ち上がる「日をまたいでもいいから、家においで」
そしてトキと一緒に喫茶カナリヤで智の帰りを待っていた。
何故。今日だけこんな自分をさらしているのかも分からない。
「ほら、お腹空いただろう」
湯気がたったステンレス製の皿には焼うどん。上には鰹節がゆらゆら揺れている。
「ここって、喫茶店ですよねぇ。うどんってありなんですか」
「智が帰ってきたら夜食にしようと思ってね、さすがに店では出さないよ」
「まじっすか」
「小春ちゃんも食べな、泣くとお腹空くだろう」
智のお父さんの前で泣いたのは、お祖母ちゃんとこの席でナポリタンを食べた時以来。隠し事は出来ない気がして来た。お祖母ちゃんが座っていた席にはトキが背筋を伸ばして座っている。わたしの隣にはいつも誰かがいてくれた、家族であったり、家族以上の誰かであったり。
あつあつのうどんを、冷ます為にフーフー言いながらトキと一緒に頬張る。
「・・・・おいしい」
「よかった、よかった」
車のドアが閉まった音が遠くで聞こえた。
「お、帰ってきたかな」
時計の針は午前零時を過ぎて、日付が変わった。
トキがわたしをみて微笑んでくれる。
智のお父さんが裏口のドアを開けに行くと、カウベルが小さく鳴った。
「ただいま」
わたしの頬は静かに火照った、あの幼い日々から旅立つように。
【エピローグ】
どうして私たちはいつも難解で解けないままの糸を手繰り寄せて行くのだろう、先が見えてしまったら狡賢くも要領よくもなれてしまう人間の怖さがある。見えないから、大切で愛しい一粒に涙したり恋しさを募らせたりするのなら、人生の不思議さは必然の風景なのではないだろうか。
誰の胸にも路地裏があるなら、そこには仄かに明るい色が灯る。華やかで無くていい、けして煌びやかでなくていい、たしかなのは、ありのままを受け入れる小さな灯りがただそこにあること。
貴方の路地裏は何処にありますか?
わたしたちは物語の主人公になっていく。何の役にも立たないと言われているけれど、とっておきの美味しいのをドアの向こう側で用意してお待ちしています。珈琲を挟んで向かい合わせで、再会した歓びを分かち合って乾杯できたら嬉しいです。
「これから、この街の路地裏へ行くんですよ。いつか遊びに来てくださいね」
その時の合言葉は……
【了】
【作品によせて】
ひとまず。完走しました。
ここまで拙い物語(文章)にお付き合いいただきありがとうございました。
短いような長い長い1週間になりました。時間軸で言うと智と小春が8歳〜26歳の18年間。皐月の17歳〜35歳までの18年間の一部を描いているので時空を捻ってお送りしました。時間をモチーフにしている漫画に刺激を受け続けたせいか時間の流れで遊ぶのが好きです。
しかし、あっちこっちに場面が飛んでいるので読んで下さる方が混乱したかな…と反省しています。そして未熟さを痛感しつつも楽しく描くことが出来ました。最初から最後まで半分フィクションで半分リアルです。
「#なんのはなしです珈」をつけて投稿した際、コメントでコニシ木の子さんから書き上げたあとに味わってください。というようなコメント頂いていました。未熟さをじっくり味わっています 笑。今まさに推敲してじっくりしあげたい気持ちです。
後半は辻褄合わせや、設定に溺れないように、登場人物たちの心情を出来るだけ追って自由に動き回って貰えるかを大切にしました。一人で書いているのに、登場人物たちがわたしを引っ張っていってくれました。なので、月曜日の回に登場した不思議な男性が未来から来た設定をクリアできませんでした 笑。リライトの宿題です。
智と小春二人の関係には続きがあるのでいつかリライトして一つの物語に作り直す予定です。ZINEに掲載された「月曜日は珈琲で乾杯」は手直しせずに大切に大切に保管していきます。
物語全体のテーマは「未完成」。
珈琲は豆が変わったり淹れるその時の気持ちが映し出され表情が変わるので、いつも「完成」が見えないなぁといつも不思議です、私にとっては。
それがまた次へ次へ繋がる気がしています。
小春は本来登場する予定は全くなかったのですが、水曜日と木曜日を行ったり来たり書いているうちに、智を助ける為にひょっこり現れました。びっくりしました。
思いがけず小春が登場したので水曜日と木曜日を全部ひっくり返してエピソードを転換したら、智が自由に話してくれるようになりました。それまでとても無口で動いてくれず手のかかる子だったのに。笑
小春はずっと小春らしく佇む様に皆を照らすような不思議な優しいキャラクターになりました。
もともと七つ物語を書く予定でしたが、気がつけば珈琲を通じた人の物語になりました。まだまだ私自身の未熟さが痛いほど表れた作品ですが、改めてここまでお付き合い頂き心から感謝申し上げます。
chimo
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