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社内不倫で懲戒解雇──ドキュメント労働事件 繁機工設備事件


イントロダクション

一九八〇年代後半、北海道旭川市の小さな配管工事会社で、一人の女性事務員が懲戒解雇された。

会社が解雇理由として挙げたのは、妻子ある同僚男性との不倫関係である。

職場の風紀を乱し、会社の信用を損なったというのが会社側の主張だった。

これに対し、女性は解雇の無効を求めて提訴した。裁判で争われたのは不倫だけではない。企業は従業員の私生活にどこまで介入できるのか、その境界も争われたのである。

そして一九八九年(平成元年)旭川地方裁判所は、ある判断を示す。

このドキュメンタリーは、不倫を理由とする懲戒解雇処分を通して、私生活上の行為と懲戒処分の関係、そして企業秩序と個人の自由の境界を検証するものである。


序章 一つのどんぶり

一九八七年(昭和六十二年)の晩秋。
旭川市内にある配管工事会社の事務所では、少ない従業員が慌ただしく動いていた。

従業員は十名ほど。大企業のように部署が細かく分かれていないので、従業員同士の動きは、自然と互いの目に入る。

社長もその例外ではない。晩秋のその日、社長の様子は明らかに不機嫌だった。

書類を机に置く手つきは荒く、「親分」らしい労いの言葉もない。

従業員が訝しり声をかけた。

「どうしたんですか」

社長は顔をしかめ、吐き出すように言った。

「あいつら、一つのどんぶりで飯を食っていやがる」

「あいつら」とは、事務所で経理を担当する女性事務員と、現場で働く男性従業員のことだ。

二人は最近、狭い事務室で一緒にいることが多かった。

昼休みだけならばまだしも、仕事の合間にも顔を合わせては言葉を交わし、周囲の目を気にする様子もない。

やがて、その関係は職場の外にも漏れていき、取引先でも話題にのぼるようになっていった。

そしてある日、会社に一本の連絡が入る。

相手は、取引先ではない。あの男性従業員の妻からだった


第一章 社長の苦悩

旭川の早い冬が訪れた。この季節の旭川で、雪が積もり始めると、水道工事の現場は厳しさを増す。

凍りついた地面に向き合う配管工事は、骨の折れる仕事である。それでも社長は、会社を回さなければならないし、社長が動かなければ従業員十名ほどの会社は回わらない。

現場の段取りを見る。取引先に頭を下げる。機械が不調になれば社長自身が動く。従業員同士の揉め事には、間に入って、時には"なだめ"たり、またある時は"すかし"たりする。

だから社長は、あの二人の関係を見過ごすことができなかった。

ここからは、当事者について語りたい。

経理を担当する女性事務員は、一九八六年(昭和六十一年)十一月に入社した。離婚歴はあるが、独身であった。

一方の男性従業員は既婚者で、一児の父。入社は一九七七年(昭和五十二年)で、会社ではベテランと呼ばれる人物だった。

この二人が親しくなったのは、一九八七年(昭和六十二年)五月頃である。

最初のうちは、社長もさほど気に留めていなかったが、夏を過ぎたあたりから、社内の空気が変わり始めた。

「あの二人は、付き合っているらしい」

そんな話が、いつの間にか従業員の間で交わされるようになった。

噂はやがて取引先にも広がっていく。

小さな会社では、個人の評判と会社の評判が分かれることはなく、誰か一人の話が、そのまま会社全体の印象になることもある。

社長は男性従業員と何度か話をした。

妻子がいる以上、関係は清算した方がいい。家庭を壊すようなことはするな、という趣旨の忠告だったという。

しかし状況は収まらなかった。むしろ時が経つにつれ、社長の耳に入る話は重いものとなっていた。

そうした状況の中、社長にある人物から連絡が入る。

男性従業員の妻だ。

妻の話は切実で、「夫が帰ってこない」というもの。しかも女性の家に泊まっているらしく、長年連れ添った妻に対しては、離婚を切り出しているという。

この話は社長にとって、単なる男女間の問題として切り離せる話ではなくなっていたし、看過できるものではなかった。

しかも職場では、二人が親密に振る舞っているという話も広がっており、急ぎ対処しなければならない。

そして社長が動く。

一九八八年(昭和六十三年)一月頃、二人に交際をやめるよう求めたのだ。

もちろん私生活、特に「恋愛」に深く関与すると、のちに大きな問題に発展しかねない。だから、その際にも「私生活に干渉するつもりはないが」と前置きしていたという。

とはいえ現実には、二人の「恋愛」が、職場に空気として染みわたっている。

この状況は、社長が動かずとも、自然に霧消する類の話でなくなっていた。


第二章 女性事務員の言い分

一九八八年(昭和六十三年)四月九日。女性事務員は社長から懲戒解雇を言い渡された。

解雇の理由は「素行不良」と、「職場の風紀・秩序を乱した」というものだった。

納得がいかない。

男性従業員と恋愛関係にあったこと自体は否定しないが、それはあくまでも私的な交際ではないか。

その点が、どうしても腑に落ちなかった。

もちろん、相手が既婚者であることは事実だし、相手の妻が社長に相談していたことも知っている。

その後、社長から注意を受けたが、やましいとは思わなかったので、交際は続けた。

それに、妻帯者と交際することが、果たして会社の秩序を乱しているのだろうか。

恋愛と社内秩序の狭間で、第三者がそれをどう捉えるのか。

のちの裁判で会社側は、二人が職場で「常軌を逸した」行動を繰り返していたと主張する。

常軌を逸した行動とは、「一つのどんぶりでラーメンを食べていた」こと。そして「勤務時間中も二人で過ごしていた」こと。

それが、他の従業員に不快感を与え、二人のいる事務所に寄りつかなくさせていた。

しかし彼女は、会社の主張をそのまま受け入れず争った。少なくとも彼女の認識では、会社が言うような「風紀紊乱」という感覚はない。

それよりも、社長の怒りの方が次第に強まっていく──その印象の方が強く残っていた。

彼女は経理担当として勤務していたが、業務命令に従っていたし、不正経理などもしていなかった。

解雇後、彼女は旭川地方裁判所に仮処分を申し立てる。会社の処分は無効である──そう訴えるためだった。


第三章 余話として──あの時代らしい空気

少し余談をしたい。

女性従業員が、不倫関係を理由として解雇された日から、すでに三十八年が過ぎた。

当時は昭和末期。現在の職場倫理から見ると、理解しづらい側面もある。

特にこの事件の舞台には、いかにも"あの時代"らしい空気が漂っている。

従業員十名ほどの地方の零細企業。そこの社長は、経営者であると同時に、「職場の親分」に近い存在でもあった。

親分にとって、従業員同士の不倫関係は、単なる私生活では済まされない。

少し時代が下った平成初期、ある俳優が「不倫を否定しすぎると文化は痩せる」旨の発言をし、激しい批判を浴びたことがある。あの騒動にも、昭和からつづく倫理観の風景が映されていた。

もちろん現代では、妻帯者との恋愛関係を理由に、会社が当事者へ深く踏み込むことには慎重さが求められる。

だが、零細企業では、人間関係の軋みがそのまま仕事へ影響することも少なくない。

だからこそ、親分は二人の関係を放っておけなかったのだろう。


第四章 法廷での攻防

会社側の主張

旭川地方裁判所で争われていたのは、不倫関係の善し悪しではなく、職場倫理との関係であった。

会社は、従業員の私生活にどこまで踏み込めるのか。

そして、不倫という私的な行為を理由に、「職場の風紀・秩序を乱した」として懲戒解雇することは可能なのか。

争点は、そこに収れんされていた。

会社側はこう主張する。

男性従業員は妻帯者でありながら女性事務員と交際していた。それは、妻に対する不法行為であるし、社会的にも非難される行為であると。

さらに会社は、それだけではないとも主張する。

二人は職場でも不倫関係を隠そうとせず、周囲の従業員に悪影響を与えていた。その象徴的な場面が、「一つのどんぶり」の話だった。

事務所で、2人が一つのどんぶりからラーメンを食べていた。

それだけではない。と会社はいう。

男性従業員は、事務所で女性と過ごす時間が増えていたし、その様子に嫌気がさした、他の従業員が事務所に寄りつかなくなった。

だから会社にとっては、単なる恋愛ではなく、職場の秩序そのものに関わる問題だと主張した。

女性事務員の主張

交際の事実は認める。女性事務員は、その部分だけは素直だった。

しかし懲戒解雇の理由となった部分については、一切妥協しない。

男性従業員との関係は、あくまで私生活の問題にすぎない。それに、彼女は不正経理をしたわけでもなく、業務命令に違反したわけでもない。

それが事実だから、会社も「職場の風紀・秩序を乱した」という抽象的な理由により、懲戒解雇をおこなった。

また「一つのどんぶりでラーメンを食べていた」という話や、従業員が事務所に近寄らなくなったということについて、これを裏付けるだけの十分な証拠はあるのかと、彼女は一歩も引かなかった。

噂と証拠は別である。少なくとも彼女はそう考えていた。

裁判所の判断

一九八九年(平成元年)十二月二十七日。旭川の街は、マイナス八度という大寒波に覆われていた。

その街の一角にある旭川地裁。そこで、「繁機工設備事件」の判決が言い渡された。

裁判所は、会社の主張をそのまま受け入れることはできず、事実を認めるには足りない──そう判断した。

社長が主張していたあの場面は、法廷では事実として認められなかった。

もっとも、裁判所が不倫関係そのものを是認したわけではない。妻子ある者が別の相手と関係を持てば、配偶者との関係では不法行為となりうるし、社会的に非難される余地もある。その点は、判決文で明確に触れられている。

しかし、この裁判で問われたのは、「非難される行為かどうか」ではなく、それが職場環境にどのような影響を及ぼしたのか、という点だった。

道徳的に問題があるというだけで、懲戒解雇が当然に許されるわけではない。

会社が懲戒解雇という重い処分を下す以上、「職場の風紀・秩序を乱した」ことが、明確に示される必要がある。

しかし裁判所は、企業運営に具体的な悪影響が生じていたとまでは認められないと判断した。

懲戒解雇は無効。

さらに女性事務員は従業員としての地位を失わず、賃金の仮払いも命じられた。

昭和末期の旭川で起きた一つの男女問題は、裁判にまで発展したが、結局のところ、風紀紊乱による懲戒解雇と自由恋愛の攻防だったのだ。


終章 二つの問い

女性事務員に対する懲戒解雇は、判決により無効とされた。

会社は、彼女の「労働者」としての地位を認めなければならず、さらに賃金の仮払いも命じられた。

その額は、基本給十一万円に住宅手当一万円。合計十二万円だ。

もっとも、懲戒解雇された五月三十一日以降、彼女は出勤していないので、通勤手当は支給の対象外とされた。

こうした金額は、彼女が日々を続けていくための、現実的な数字であった。

しかし判決では、彼女の「地位」は認めても、「不倫」は認めていない。

裁判所は、妻子ある者との関係と、懲戒解雇の有効性を同列に扱ってはいなかった。

裁判所の視点はこうだ。

不倫が、女性事務員の職を奪うほどの理由になるのか。そして、それを裏づける材料が示されているのか。

それらを審理した結果、社長が問題にした「一つのどんぶり」の話も、事実としては認められなかった。

彼女を排除するのであれば、それに見合う根拠が必要であり、会社が根拠にした「噂話」は、裁判では根拠不十分とされた。

振り返れば、この事件は不倫をめぐる争いでありながら、それだけではなかった。職場倫理(就業規則)と、私生活の自由(社内不倫)とがぶつかり合い、社長は倫理に基づいて会社を守ろうとした。

一方、女性事務員は自分の立場を守ろうとした。

三十七年前、冬の旭川で引かれたその線は、現在も色あせていない。

会社は、どこまで私生活に踏み込めるのか。

自由は、どこまで許されるのか。

判決文が示したのは、当事者が求めた答えではなく、むしろその二つの問いだったかもしれない。


事件名

繁機工設備事件(妻子持ち同僚恋愛関係解雇事件)

事件番号

昭和63年(ヨ)第60号(旭川地方裁判所)


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