自分に対して弱いだけの私

【旦那との価値観の違い】というか、【私自身の心の狭さ】というか。そんな若干、自己嫌悪にも似た感情を痛感した。もちろん (自分で言うのも変かもだけど)その時点で既に思うことがあったので、数分後には同じことをモヤモヤすることは無かったってな話。

上記のエピソードについて、私の経験を綴っていく。しばらく前から、魚用の盛り付け皿が欲しいと言っていた旦那。なかなか気に入るものが無くて先送りにしていたのだが、やっと見つけたお店の中で、楽しそうに選んでいた。そんな旦那が、私の意見を聞いてきた会話に対して、私が放った言葉は「それって食洗機使えるのかな?」っていう疑問だった。【率直な私の価値観だった】のは否定しない。けれど、私のその一言で、旦那は急にお店を離れて行った。旦那は、「そんなこと言われたら焼き物の食器なんていらないし、だったら代わりに食洗機対応の皿を選んで来てくれ」っと私に言った。

私は、そんな険悪な雰囲気になるなんて、考えもしなかった。私は、旦那の反応に驚いたと同時に、『そんなつもりじゃなかったのにな』っていう気持ちになった。だから、「旦那が欲しいって分かってた物なんだから、今買おうよ!」って何度か伝えた。けれど、旦那は聞こうとしなかった。そして、その後私は旦那を追いかけ、他の買い物を共にした。その帰りの途中で、私は1人でお店に戻った。旦那が気になって見ていたお皿を購入し、再び旦那と合流した。

この時、私は、とっても大事なことを気づいた感じがして、『ハッと』させられた。確かに、私が【私の感覚で放った一言】に嘘はない。ただ、私には【私の都合】で『思うことがあった』って話。
でも、後で振り返ると、やっぱり反省したんだよね。【旦那の希望】を叶えることよりも【自分の都合】の方が【気になってしまった自分】に対して。【そんな価値観の私】だから、『上記の発言になったんだ』と納得する。【めちゃめちゃ自分の事しか考えてない奴だ】と、自分の【余裕の無さ】【器の の狭さ】【人間として相手を思う心に欠ける自分】を痛感した。
最近特に、子猫を新たに迎え入れ、リビングで放し飼いをする日が近付いている現状。私は普段、自宅のキッチンの配置の都合上、食洗機を使用しない時は、食洗機の引き出しの中を乾燥する目的で使用することが多い。手洗いした食器達を乾燥させるために開けっ放しにしている。すると、今はそれほど大きな支障がないからいいものの、子猫が興味を持って近づいたら、色々問題な訳だ。だからといって、毎日洗っては拭いて片付けるを毎食行う【現実】に対して、私は【不安】を募らせていた。こなす【自信】もなければ、そもそも【やりたくない】が強かった。だから私は、食洗機を使用することでその手間を省こうとしている。実際、この数週間で増やした自覚もある。
すると、必然的に、食洗機対応の食器を求めてしまう訳だ。また、旦那からしたら、家事が関わってくる時点で、その主導権は私になってしまう訳で。上記のような発言になる旦那の価値観を、私は数分後に理解した。

【旦那の価値観】を【私なりに理解した】ところで私は思った。『食洗機対応を求めるのは、確実に【私の都合】だ』ってこと。ただ、【私の都合】だからといって【嫌でも押し通したいほど強い希望な訳でもない】ってこと。そんな『私の都合を押し通すことより』も、『旦那の希望を一緒に叶えること』の方が【確実に意味のある選択だよね】ってこと。そう自分の中の答えに辿り着いた。
だから私は、『お店に1人で戻って買ってくる』っていう選択を実行した。決して『旦那のために』とか『旦那のご機嫌とり』みたいなことではない。【私がそれを望んだ・求めた】っていう【私の都合】だってことを自覚している。
別に、お皿を買ったからと言って、特に旦那に何か言われた訳でもない。けれど、それでいいって思っている。あくまでも【私の都合】で買ってきたんだから。旦那は、最終的には【感情的】になりながらも『いらない!』って主張をした訳だ。だから、それに対して買ってきたのは、確実に【私の都合】ってな訳で。私が、【本当に食洗機対応にこだわり続ける】なら、【自分の都合を押し通す選択をする自分】も『別にありだ』と思ったから。ただ今回は、【そこまで強い自分の都合じゃなかったんだ】ってこと。『ただそれだけの話』だと私は思っている。

そしてもう1つ、気になったこと。
どうしても、【旦那の言い方が強い】ように思ったり、【私の意思が常に弱い】みたいな見方をしていた私。今回も、少し似たような印象を自分で持った。でも、そこで新たに発見した考え方があったんだもね。
別に【旦那が強い】とか【私が弱い】とかじゃないんだってこと。【お互い】に対して、【対等】に【目を向けた時】の話。【旦那は、旦那自身に対して強さを持っている】だけ。【私は、私自身に対して、強さを持ち合わせることが苦手】なだけ。だから、どうしても【旦那が強い】とか【私は弱い】とか思いがちなだけ。
でも本当は違う。やっぱりどこまで行っても【旦那は旦那】だし【私は私】だって話。

最近、オフィスで仕事をするようになってから特に、私のプライベートについて聞かれたり話したりする機会が増えた。ほとんど、お互いを深くは知らない状態の会社の人達。だから、私達夫婦の在り方(お互いの関係性・家事の役割分担みたいはこと)に関しては、不思議に思われることも実際多い。やっぱり現代社会において【共働き=家事役割分担】の印象が強かったり、【女はだんだん強くなる】とか【言われっぱなしは良くないよ】とか、年配の方に言われたり。
それでも、私は【私なりの自分の生活の満足】を話しているつもりだ。たぶん、『相手にもそれは伝わるってる自負』はある。
また、「喧嘩はしないの?」「どっちが折れるの?」なんてことを聞かれたこともあった。私は「喧嘩したことは、ほとんどないですね。基本喧嘩しないです。私があまり強く言わないタイプなので。」と自分で話すこともしばしばって感じ。
でも、そんな何気ない会話の中にも【自分で自分は弱いです】とか【私自身に対して強くいることが苦手です】とか。そんな印象を、『自分から発信している』みたいな気分になった。
それくらい、無意識に話したり、ブログにも綴ったりする機会が増えた。私は【強く言うタイプではない】とか【意思が弱い】とか。
ただ、【そんな私だけど、それが私です!】みたいな、【自分で自分を認める意味】で使うことが多いはずなんだけど。でも若干、何か違和感を抱いたんだよね。
でも、なんだろう?やっぱり【自分に対しての強さ・弱さ】みたいなものって、【常に一定な訳ないんだろうな】って感じがする。【強い時もあれば弱い時もある】だろうし、【あえて強く・弱く】とか【自分が無理しない程度に加減する】みたいな時もあったりだとか。
結論、【色んな時があってもいいんだよね】みたいな感覚。【強い・弱い】からと言って【良い・悪い】みたいな話じゃない。私の場合は特に、基本的に【言わないことが多い】事実はあるけども。だからといって【言わないから弱いでもない】って私は思っている。同じ【言わない】でも、【意思があって言わない選択をする】みたいなことは、実際に増えた自覚がある。しかも、【その選択をする自分に対する意思・責任】みたいなものも、『以前の自分より』は、少なからず身につけたと思っている。
だから今回も、確かに【旦那の発言・態度】によって影響を受けた自覚はある。けれども、【私は私の意思】で【私の行動・価値観に変化があった】のも、これまた確かな現実な訳で。
そんな風に、【お互い】が【お互い】に。時には【感情的】になりながらも、お互いを【知る】とか。何かしら【思ったり気づいたり】とか。【影響を受けたり与えたり】とか。
【人間】って。【夫婦】って。【人生】って。【それらを重ね続けて成り立つものなのかな?】ってな感覚を、改めて学んだ経験になった。

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