互いに人間、互いの価値観
人とコミュニケーションを交わす時、以前から若干、気になることがあった。気になり始めた当初の頃。私は、相手に対して【めんどくさい印象】を持ったり、【直接的に反論】を繰り広げたり。みたいなことが、しばしばあった。その結果、【相手との距離感の調整】や、【いちいち真に受けて相手にしないこと】を身につけるようになった。と自負している部分もある。まだまだ未熟だけど、そんな【意識を持つ】ようになったことが、【今の私】へと繋がっている。
とはいえ、今でも、もしかしたら私自身も、無意識にそんな言い方をすることがあるかもしれない。と時々思う。元々は私自身も、そんな話し方をする傾向が強かった自覚もある。特に、私の実体験的に頻発するのは、下記のようなこと。
・【相手の問題】に対して【ただ私情を言いたいだけじゃん?】みたいなこと。
・【言ってる本人】には【直接的な影響は無いはず】なのに、何故かやたらと『これがいい!』『こうした方が絶対いい!』と強気な発言のこと。
・【言ってる本人】には【直接的な影響は無いはず】なのに、【毎回】のように【心配】されたり励まされたり【応援】されたり。みたいなこと。
【今の私】からすると、たぶんだけど、【いちいち感情的になること】は少なくなった。別に『それを【あなたから聞いた】から』と言って、【私】にとって【直接的な影響は特にない】と学んだから。あくまでも『あなたは、そうなのね』『あなたは、そう思ってるのね』みたいに受け取ることが増えた。そのため、【そう言ってる本人】に対して【尊敬】とか【感謝】とかの【感情】を抱くことも減った。逆に、それらの感情が芽生えるとするならば、【本当に私がそう思った時だけ】になった。
ただ、やっぱり『私は、こうだよ』『私は、こんな考え方してるよ』と意見することは未だにあるけれど。
あとは、上記とは真逆で、
・相手も、【あくまでも自分の話だよ】と前置きして話す人
・【あなたとは違うけど、私の場合は、これが私に合ってたよ】みたいな話し方の人。
・普段の話の中で持論がある人、具体的な実体験を話す人。
最近は、そんなイメージの人と関わる時ほど、【新たな発見が多いってこと】に、私は気づいた。【私の中】で自然と【意味のある・納得する内容】だと感じるってことなのよね。【私】が【自分で心に留めるだけ】だったり、【私も自分の話をしてみる】だったり、【お互いの違い】に【気づく・納得する・知る】だったり。そんな【深みのある経験】をする機会が増え、その都度『面白いな』って感じている。
【過去の私】は、何度も重ねて綴るように、とにかく【他人の影響】を受けやすかった。【他人に頼り切って生きていた】自覚さえ、今では簡単に頷ける。だから、そんな【自分以外の人】とか【自分が信じようと思った人】とかに対して。今では考えられないくらいの【尊敬】とか【感謝】とかを、【必然的に抱いていた印象】があるんだよね。そして、同じくらい私自身も、【相手に対する感情】が【とにかく異常に強いタイプ】だった。
でも、【どんな人でも、所詮みんな同じ人間】だって最近思う。つまり、【どんなに信用している人】の言葉でも、教えでも。あくまでも【自分が知っているのは、相手の一面に過ぎない!】ってことを、常日頃から自分に言い聞かせている。その結果、【自分と相手を分けて生きること】を学んだってな話。
【とにかく自分!】に対して【何事も目を向けるように意識する】今の私。故に【自分以外の人】に対しての【執着心】は、本当に激減した。その影響があってか、昨年は特に【他人と自分の価値観の違い】に対して『黙っていられない!』みたいな時期多かったのも事実。だから、冒頭のような【私】を生んだ訳だけれども。
それが、更に月日を重ねる中で、【相手への印象】も変われば、【自分の感じ方・付き合い方】にも【変化】を感じている。【私なりに】っては大前提としてある。けれど、【自分とは違う、相手の言い分】を【黙って受け取るだけ】のことはするようになった。
その根底にある私の感覚は、【私が1人の人間】だと思う意識と同時に、【相手も同じ1人の人間】だってこと。そして、今の私は、少しでも大人な対応、自分がなりたい自分を目指して模索中ってな訳だ。【理解はしないけど相手を認める・尊重する】みたいな対応を【自然と振る舞う私】で生きたいと思っているから。
そう考えるようになったからか、最近では、過去の私を振り返って思うのは、同じような会話の流れも、今の私とはまるで異なる。
『あなたの言うことよりも私の方がいいと思う』とか『あなたの行動は、私には理解できない、考えられない』とか。『あなたのと心配してるよ.応援してるよ』みたいな発言も。
昔は全部、『そうなんだ、そうしなきゃいけないんだ』とか『理解されない自分ってダメなんだ』とか『あの人が心配してくれてるから、私は頑張らなきゃ!』みたいな解釈だった。
けれど今は『あ、そうなの?それはあなたの話で私は違うのよ』とか『理解されなくても別にいいや、私は私』とか『私、そんな心配されなくても元気だよ?ちょっとの【悩み=絶望】みたいな思考は、今は違うから』って思ったりする。
【私以外の存在】=【私の距離感を私が作るもの】って感覚になってからは、本当に変わり始めた。【私の価値観】を明確に、最大限のストレートに。相手がどんな思考】であろうとも、【私がモヤモヤしない方法】【私がスッキリするために】を常にベース心掛けている。
【相手のために】とか【相手が喜ぶかも】とか【相手が悲しむかも】とか。それらは、私にとっては全部、【私がしたい】とか【私から見たら、そう思う】とか【私の感覚では、そう思う】とか。だから、【私の行動・言動】に繋がるみたいな。【全部が私のベース】で、【私が納得することだけする】って感覚。
だから反対に、相手から見た時に【私のために】とか【私が喜ぶかも】とか【私が悲しむかも】なんてことについて。それらは、【絶対的に私の価値観】の話な訳で。そう考えたら、【相手の言動・行動】に【私が何を思おう】とも、【私の価値観】なんだもんねって。そう思う。
【お互いの反応】を期待する訳じゃない。【お互いにお互いが思う言動・行動】ってこと。それを改めて心に留めて生きたいって強く思う。
