決断力→ 満足度や幸福感
先日、これまでは旦那が主体で考えていたファミリーカー購入について、何故か急に「私が決めた車にする」って言われた。これまでも散々考えていた旦那を横目に見てきた私。それなりにイメージは膨らませていたけれど。いざ自分が決定権を握ることになった途端に、とてつもない重圧を感じた。
そこまで車の知識がある訳では無い私。車を選ぶとなると、色んな角度からの拘りや選び方がある。ファミリーカーと一言で言いつつも、各社それぞに種類がある訳で。何をどうやってオプション付けたらいくらになるとか、そもそもの機能の意味とか。私にとっては難しいことだと改めて思った。それに加え、そもそもが決断力に欠けている自覚がある私だ。車を調べているうちに私は、私の決断力の乏しさについて、猛烈な劣等感を抱いたのである。
私は、『自分で決められない人』みたいなワードでネット検索を始め、辿り着いた気になる記事を読み始めた。色々と自分の生き様に該当する内容に納得しながら読み進めた。そうやって自己分析しながら自分の心を落ち着かせ、あまり深く考え過ぎないように意識した。そして、『なぜ旦那は急に私に決定権を振ってきたのか?』と不思議に思ったので聞いてみた。すると、相変わらず冗談っぽい感じで「m__lovemiも考えろってことだわ」と一言。そのまま会社に出かけて行った。
その後の私は再び考え続けた。今思うと『最近の私にしては珍しかったかもしれない』と思う程、完全に【考え過ぎの沼】にハマっていた。私は何を決めるにも『金額に左右されてる感じがするな』とか、そもそも『その時点で自分のことしか考えいないな』とか。また、『もっと家族を思う気持ちがあれば、金額に勝る価値観で考えるのかな』とか、『相変わらず旦那任せにしていた自分に内心は安心していたんだな』とか。そして結局 のところは『自分が決める立場になることから逃げてたんだな』とか色々。とにかく自分の中のネガティブな粗探しがしばらく続いた。
旦那からしたら、ただ単純に「私の乗りたい車にしよう、まずは形から選んでみたら?」と話しているだけのこと。それなのに私は、そんな旦那の思いとは裏腹に『余計な考えが勃発しまくっただけ』のことなんだよね。上記のようなネガティブ思考を重ねる程のことでも何でもないのに。私が私の癖で、
①何かと安く済ませることが最優先
②より便利な贅沢は考えないように、とにかく最低限の満足
を『目指して選ぼうとしていただけ』なんだよね。
ただ、そうすると、せっかくの車選びの時間を自ら苦しい時間にしていたことを私は学んだ。最低限の価値観なんて不明確だし、『何を目的に車選びしてるの?』って考えたら『安い車にすること』が答えになる感じがしてきた。まさに自分の自己満足でしかないと思った。しかも、『誰得の自己満足なんだろ?』って。私自身が後ろ向きなマインドで車選びしたとして、決めた車が我が家のファミリーカーになったとして。『果たして決めた本人の私が愛着湧くのかな?』と自問した。人生においても生活においても大きな買い物なはずなのに。こんなに『打算的みたいな気持ちで決めてしまうことの方が苦しい気分』になってきた。
それから私は気持ちを切り替えた。同じ車選びの状況は変わらないのに、私のマインド1つ思考転換させた。『購入後は私は主体で乗ることになる車なんだよ。もっと自分が乗りこなすイメージ膨らませてみたら?』とか、『どうせ大きな買い物する訳だから、安いだけが取り柄の車じゃなくて、私なりの拘りポイント作って選びたいよね』『選んだ張本人の私が1番満足して長く愛して使いたいよね』とか。そんな風にポジティブな気持ちを膨らませた。
そして今回の思考転換からは、【自分の満足度や幸福感に繋げる価値観】について、改めて学んだ気分になっている。
正直、相変わらず私は【自分の満足度や幸福感に繋げる価値観】がとにかく苦手な感じは否めない。けれども、今はそんな私なだけ。きっといつかの将来の自分は、【自分の満足度や幸福感に繋げる価値観】を『当たり前の様に身に付けて生きていたいな』と強く思う。そんな未来に向けた意味では、『大きな意味を持つ経験なんだろうな』と今は純粋に思う。そう、純粋に。
何事も今の自分の心に純粋に。それこそが【自分の満足度や幸福感に繋げる価値観】なんだよね。って覚えておこう。
