変わらない事実,ぶれない私
前回の投稿から1週間が経とうとしている。なんだかんだと充実していた。4連休あった休日も、過ぎてしまえばあっという間だった。
そんな私の現在の心境は、不明確なことばかりの状況の中でも、どちらかというと情緒は安定している。
①配属先が未定
②飲み会の二次会も未定
③猫2匹目を検討中の旦那に対して、またもや返答が曖昧の私
④旦那と2人で出かけることや、互いの予定
主に思いつく不明確要素は上記の感じ。
だけど、自分の中で『人生そんなんもんだ😊』みたいな感覚が芽生えつつある。
いくら考えたところで、想像したところで、イメージしたところで。全く無意味なことは無いし、それらが必要な時、大事な時があるのも事実。だから、【自分自身】の【幸せ】とか【本音の意思】とかに目を向けた時。『どんな行動を起こすことがベストなのだろうか?』ってことを、私は最近は考える。それが、【自分で自分を満たすこと】に直結すると思っているから。【自分の中の答え】が【曖昧な時ほど、意識したい】と強く思う。
上の①~④の中でも、私個人的には、【決定権は誰?】ってのが重要だと思っている。いくら思考を巡らせたとしても、【今の自分次第でどうにかする!】みたいな事象なのか、【今の自分だけではどうすることも叶わない】事象なのか、っていう。対照的なパターンがあることに私は気づいた。極端な私は、【何でも自分!】って思う反面【何でも他人任せ】って考えたり。その『バランスや考え方について納得するため』には、数年単位の時間と経験を重ねてきた自覚がある。
まだまだ未熟な私だけれど【今の自分の積み重ね】が【未来の自分】を作るんだよねってこと。また、【変わらない過去】だからこそ、【今の自分次第で肯定も否定もする】訳で。それに【どんな相手でも、相手には相手の意思がある】訳で。【自分には理解し難いこと】でも、【それが相手の生き方】なのだと割り切ったりね。そんな相手との関係は、シンプルに【相手から見た自分】であり、【自分から見た相手】なだけだから。そんなお互いに対して、【他者】が『どう見よう』とも、【既に変えようのない事実】なのだから。
と私は考えて理解するようになったと思う。
特に私自身に当てはめて考えた時の話。私の過去の話。当時の私が、【幸せで順風満帆と言える程の人生ではなかった】としても、【変えようのない過去の事実】でしかないんだよねって話。【環境】【両親】【親戚関係】【固定概念】含め、全部、今更の話。そんな【過去の事実】があって【今の私】がある。【過去の事実】は、正直、今も未来も何も変わらない。【環境】【両親】【親戚関係】【固定概念】に関しては、今も全部健在している。ただ【私】が、【付き合い方や考え方、距離感】を【私の意思】を持って『調整するようになった』だけの話。
また、そんなことを【実感した私】が思うのは、そっちの界隈で私を見た時には、今現在も、【過去の私の印象まま】な気がしている。いつまで経っても【固定概念の中のm__lovemi】とか【固定概念に沿った主観で見たm__lovemi】とか。いつまで経っても【親の子】でしかないみたいな。そう考えるだけで、私は萎える。そっちの界隈への苦手意識が炸裂する。実際私は、そんなイメージが強かった。
けれど、そこから派生して色んな思考が巡った結果。『そんなもんだ😇』って納得するようになった。その考え方ってのが、要は『著名人や有名人に寄せて考えた時』の話。表に出れば出るほど、世間からは【二世呼ばわりされる】とか、子供が有名にならなくとも、巷ではきっと、少なからず【著名人の子供】【有名人のご子息】として見る人が一定数存在しているってこと。
私も似たようなもので。と言うか、それなりに該当する人も一定数は存在すると思う訳で。結局のところ要は【どんな親でも自分の親】であって。【どんな家族でも自分の家族】であって。親戚も親戚な訳で。【みんなそれぞれ】に【望んで選択して生きている】結果、【それぞれの今がある】訳で。だから、そこに【私】がどう思ったところで、両親も家族も親戚も。【本人は本人達の望む生き方があるのだから】って感じに、今は思うようになった。
【本人の人生】なのだから、【私】に決定権がある訳じゃない。『意見することはする』としても、『最終的に選択して生きていく』のは【本人】でしかない訳で。つまりは、【本人の本音】の部分を『本人が望まないくらいに深く【詮索】したり、本人の意思を尊重せず【強要】したり』すること。そんなこと自体が、そもそも【互いの信頼が乏しい関係】な印象になる気がした訳なのよね。更には、自分自身『余計なエネルギー消費をしている状態なんだろうな』って感じ。
【最終的な決断】をするのは、あくまでも【当事者】な訳よね。【誰の人生なの?】って話。それが、【自分】なのか【自分以外】なのか。その【線引き】を自分の中で『するのか、しないのか』っていう。ただそれだけの話。それに、生きていれば【誰だって、いつでも、どんな事でも変わるもの】って私は思っている。だからこそ、『それをどう受け取るのか』は【私の問題】なんだって。常々意識したいよね。
あとは、【変わってしまうもの】に目を向けるんじゃなくて、【ずっと変わらないもの】に目を向けるんだよね。
例えば自分。どんな時も【私は一生、死ぬまで私】なんだよね。【自分にとっての家族】もきっとそう。私は両親から生まれて今があり、両親は両親の祖父・祖母から生まれた訳であって。その【過去の事実】は、永遠に変わらない。
そして昨年、私は旦那と結婚した。未来の子供が出来れば、【私が親となる家族】が初めて成り立つ。そう考えた時、私は初めて気づいた。私個人の価値観かもしれないけれど、【自分の親を想うこと】と【自分の子供を想うこと】って、なんか似てる。
こうした【変わらない事実】の下、『私は一生、私の人生を全うする』みたいな感覚。むしろ、【自分の両親を想うこと】で、初めて【自分の子供を想うこと】に【通ずる感情】が生まれる気がした。正直、未来のことなんて分からないけれど。でも最終的には、【私】が『大切にしたい』と思うもの。家族だって、大切な人達だって、きっとそう。【私の価値観】で、それが簡単にブレることのない、【揺るがない強い自分の意思】として。大事に生きたいと思う。
