ゆらゆら紀行-不均質な自然と人の美術館
不思議な美術館
つい先日、大分県にある「不均質な自然と人の美術館」に訪れた。
海岸沿いのキャンプサイトにポツンとあって、
でも存在感の不思議な外観。館内は3つの部屋からなる洗練されたつくり。
(期間限定でもう一部屋あるみたい)
このなかでも、「太陽と月の部屋」に一番心を揺さぶられた。
部屋の上部に、たくさんの小窓が取り付けられている不思議な部屋。
足を踏み入れると、ピアノの音に合わせて、パタパタと小窓が開閉した。
幻想的で、思わず「わあ」と声を上げた。

世の中に綺麗な形はひとつもない、それは自然にも
それからは小窓の開閉を長い間見つめていた。吸い込まれていたと思う。
小窓が動くたびに部屋の中に入る光の形が変わって、それが考えをめぐらす時間にもなっていた。
部屋に入り込んでくる光を観察していると、水玉に見えるときもあれば
かもめみたいな形、ブーメランみたいに細いものもあって。
踏んだらもちろん形は変わるし、丸は「円」のようで違った。
ホットケーキや地面に棒で書いた「まる」のように整ったものではない。
そこで「この世に整ったもの、綺麗なもの」はないということに気づいた。
機械で作っても、ていねいに人の手でつくっても、自然にできたものでも。
「綺麗な、完璧なもの」に人間は惹かれると私は思う。
でもそんなものはない、光が差し込む幻想的な部屋で、自然と人が手を取り合ったあの場所で私は感じた。
私自身、心の病を患ってから「完治」とか「元に戻る」そういうものにずっと囚われている。学生の時は、「頭のいい完璧な自分」になりたかった。
24年間生きてて、一度も「歪な形をした自分」が大嫌いだった。
美人じゃなくて、不器用で、頭も運動神経も悪い。
おまけにいつも人間関係がうまくいかない。そんな自分が嫌いだった。
鏡に映る自分を睨んでばかりいた。
しかし、少し心に変化があったような気がする。
世の中に均等なんてないし、整ったきれいなものはない。
今まで完璧に見えていたものは、自分がそう見せていただけ。
自然の光でできた「まる」でさえ、「円」ではないのだから。
だから、歪なままでいい。そのままでいい。そう思うことができた。
そして小窓から差す光を愛すことができる自分の感性を少し好きになった。
結び(自然と思考)
自然に触れることは、思考をめぐらせるのに適していると私は思う。
自然に触れるとき、受け取る情報は限りなく少ない。
だから、自分の感性にだけ身を任せる時間が増える。
その時間は実は人間にはとても大切な、いわゆる「心を癒す」とか
「自分と対話する」とかそういうものなのではないかと思う。
あの日、「太陽と月の部屋」で感じた吸い込まれていく感覚。
まばゆい光から目から離せなくて、思考が止まらなかった感覚。
あれは「自分と対話する」ということだったのではないかと思えてくる。
人と自然は歪で、共存していく必要が少なくとも私にはあると感じた。
そんなある日の「不均質な自然と人の美術館」での記録。
