私が、私になるまで⑦【私と社会貢献】
私には、好きなアイドルやアーティストはいませんでした。
人に興味を持つ事がなかったからです。
元々の性質なのか。
それとも、生きてきた環境によるものなのか。
私でいっぱいいっぱいだったからなのか。
でも、ある日突然、私の前に神様が現れます。
ビアンカパノバ。
1987年の世界新体操選手権で、史上初となる個人総合、種目別の全12演技にで10点満点の完全優勝を飾った、新体操の女王。
この時の大会を、母が務める病院の休憩室のテレビで見ていた私は、この選手に釘付けになりました。
※この頃、私は家に父と2人、もしくは1人でいるのが嫌で、母の職場に押しかけていました(迷惑な少女だったと改めて思います)。
生まれて初めて、胸がドキドキワクワクでいっぱいになり、じっとしていられない程の衝撃を受けました。
畳の小部屋の中で、置いてあった座布団を使い、ピアンカパノバ選手の動きを、見よう見まねでやらずにはいられなかった。
何が、どうして。
なんて、分からない。
とにかく血が騒ぎ、動かずには、踊らずにはいられなかった。
そこから、新体操をやりたい!、という気持ちが湧き起こるのです。
この鮮烈な想いはずっと胸の内にあり、よく音楽をかけながら、自由気ままに踊ったものでした。
手具は、割り箸にナイロンのビニール紐をくくり付けて作った、簡易的な【リボン】。
我を忘れ、時間が許すまで、毎日踊っていました。
その当時、ヒロインが新体操をするという、野球アニメが流行っていました。
ど田舎の私の故郷でも、新体操は普通に知られている存在だったのです。
ですが、やはりど田舎。
新体操は勿論の事、ダンスなんて名のつくものは、社交ダンスしか存在していなかったのです。
今の時代のように【習いに行く】なんて習慣もなければ、発想もなく、場所もなく、ただただ【踊りたい】という熱を秘めたまま成長をしていきます。
そして、情熱を秘めたまま中学生になった私。
ここで、【新体操部】と運命的な出逢いを果たすのです。
他の近隣の中学校には無かった新体操部が、私の通う中学校には存在していたのです。
即座に入部を決断した私。
学校嫌いな私ではありましたが、この新体操部に行く事だけが唯一の楽しみであり、学校に行く目的となったのです。
相変わらず、一部の人達には嫌われていましたし、話し掛けないし、暗いし、友達も多い方ではなかった私。
中には、直接的に行動してくるイジメのような内容もありました。
私の中で、学校がこの世で嫌いな場所には変わりありませんでしたが、新体操が出来る唯一無二の場所でもあったのです。
放課後の新体操の為だけに、中学校に通う。
私の中の認識は、こうでした。
生まれて初めて、母以外に心の拠り所を見つけたのです。
新体操をしている時の私は、まさに水を得た魚状態でした。
心から楽しくて、生きている、と感じる事が出来ました。
他の同級生の部員から、「いつも新体操してる時みたいに明るかったらいいのに」と、言われた事があります。
それ程、学校の私と新体操をしている私は、別人のようだったのでしょう。
3年間の全てを、新体操に捧げた私。
私の人生の半分以上を占める【ダンス人生】のルーツは、きっとここにあると私自身は感じています。
【踊っている時だけ、私は息が出来る】。
【踊っている時だけ、私は私でいられる】。
【ありのままの私でいられる】。
私が生きる理由。
私が生きていられる理由。
それは、この頃は全て新体操にあったのです。
【ダンス】から得られた事は、私の人生の中において、とても大きく、意味のあるものばかりでした。
変わりに、失う物も、勿論ありました。
それらを経験するのは、まだまだ後のお話となります。
next time
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