Red Riding Hood & The Wolf 赤ずきんと狼
「赤ずきんちゃん」は英語で Little Red Riding Hood(リトル・レッド・ライディング・フッド)と言います。Riding Hoodが(昔の)乗馬用の頭巾・フードの意味なので、littleを付けることで小さな赤頭巾ちゃん。このMVに出て来る女性は大人の女性なので、littleを抜いて「大人の赤ずきんと狼」をモチーフに、マイケル・ジャクソンのスリラーを彷彿とさせるような、ちょっとどことなく恐ろしさを感じる映像にしています。
大人女性の赤ずきんを、Top Giver としての純粋な与える愛の象徴として、相手が狼であるにも関わらず優しさを見出したり、飢えた狼の将来の変わる可能性を信じて観察し、あまりに純粋過ぎる友愛の結果何が起きるかの恐ろしいお話を、このMVを通して味わって頂けましたら幸いです。
時代に調教された社会的役割
「狼にまで可能性を見出す」というのは、他人を観察している時に最初の直感から感じ取ってしまっていた、他者の飢餓状態の欠乏を、自分が与え改善できるものかもしれないという自己過信と他者への思いやりから、時間を共有し過ぎてただ当たり前として利用・消費されるようになり、本来なら自分と交わることのない違う場所に長く留まり過ぎたと感じることがあります。
私にとって人間関係は車窓を流れる風景のようなもの。自分がどこに向かうかで出会う人々がどんどん変わっていくからであり、それでも長年残り続けるにはお互いが相当無理のない関係である必要があります。それにはお互いの時間を邪魔せず、お互いの負担にならず、それでもどこかで気にしていて、たまに良い情報やワクワク出来ることをそっと差し出せて、一緒に会って素敵な時間を共有できるような、会うのがちょっと楽しみになれる、思いやりに満ちた人間関係だけが少しだけあればいいのです。ほとんどの人間関係は残らないものだからです。そしてそれで良い。他者は決して変わるものでも、変えられるものでもないから、自分が関係を見直すだけ。
「狼にまで可能性を見出す」は、自分の幼少期のトラウマ反応でもあり、そのパターンを自分では既に解消しているつもりなのですが、それでも幼少期のパターンを馴染みのある風景として感じて繰り返そうとしてしまう癖は、無意識下ではまだ片鱗として自分の中に残っています。
つまり、「狼が荒れる事にも原因がある」「狼の傷を自分なら癒せるかもしれない」「狼もきっと幸せになりたい(自己治癒したい)と願っている筈」「私なら他者の傷を癒すことができるかも」などという自己過信の期待から自分の存在意義を感じようとする自分の悪い癖です。
それはきっと「クラスで虐められている子を理解して励ますのはあなたの役目」「あなたなら虐められた子を癒せる」と、クラスのカウンセラーみたいな役割を無報酬で中学時代に先生に押し付けられていたからかもしれません。
そして私が介入しなければ本当に悪魔のような時間であったカオスのクラスの時代がありました。障がい者の子をクラスの不良男子が蹴ったりして、その子が泣いて荒れて床に転げ回って授業にならないと言うような。私は塾に通っていたため、クラスの授業が中断しても成績になんの影響もなく、いつもその子の横で彼女を守り、ただただ学校での役割を全うしていました。ですが心の疲労だけが蓄積し、学校へ行くのがしんどい日が本当に続いていましたが、私がいなければあの子がまたクラスの男子に蹴られるかもしれないと思うと、学校も休めませんでした。その子がまた私の言うことしか聞かないと言うこともあり、私はいつも、何年間も、問題児のなだめ役でした。
それは幼少期から周囲の大人が私に傷と共に与え続けて来た、いわば私という個人の核を形成するために時代に調教されたかのような社会的役割であり、本来の自分ではないにも関わらず、あなたなら出来ると言われ続けてその役を買って出てしまっていた時代的トラウマ反応とも言えます。頑張って抑え込まないと、生き辛い日本社会において、また私はその役を演じてしまうという事です。そして本来の自分の個性からまた遠ざかっていく。そのトラウマ反応を封じ込めない限り、私は本来の自分に戻れない。そのような事はおそらく違う形で皆様も抱えているものと思います。
大人の他者は「子供の狼」ではない
しかしどんなに優しくしても他者を理解してあげたとしても、相手はもう子供の狼ではありません。既に立派な大人の狼なのです。大人の狼は、自分で自分が肉食動物である自覚があります。大人の狼は、自分のために他者を自分で捕食します。大人の狼は、自分が肉食動物であることに誇りすら持っています。大人の狼は、自分でそうなることを望んだ結果、ここまで鋭い眼光で、他者を震え上がらせるような生き方を自ら選んでいるのです。ここに「狼さんの心が荒れているのは、きっとまだ癒やされていない傷があるからだわ。私ならその傷を愛に変えられるかもしれない」という甘過ぎる考えを、いい加減捨てなければならない経験を、大人の赤ずきんちゃんがする羽目になる。そして森を出る頃には、赤ずきんを自ら脱ぎ捨てて、森で転んだ泥だらけの赤いドレスのまま自立し、一人で完結している一人の大人女性として我が道へ戻っていく。そんなイメージのMVになっています。
人生の後半期は、他人の因果に関わらない
昔は人間関係はただ純粋に助け合いだったかもしれません。ですが、社会を生き抜いている間に、いつの間にか役割が固定されていきます。ある人たちは、他人を利用することで固定していく。またある人たちは利用される側で固定されていく。そして利用する人の周りには利用する人が集まる。利用される側は利用される側の人間関係が出来、利用する側の人間が近付くと、お互いに相談し合って、利用する側の人間を危険とみなし、自分たちの人間関係から排除していく。そして同じような人間が集まって集団を作っていく。
人は自分に害を与える人の側に居たいとは思いません。それがお互いが分かり合えないという事
利用する側からすれば何故相手は素直に自分の言うなりにならないのかという身勝手な理由で他者にイラつきます。利用される側からすれば自分が相手への無限の許しと理解を何故こちらだけが一方的に与えなければならないのかが理解できません。お互いに差し出すものが違うのですから、それは思いやりの形が人それぞれ異なることでもあり、「他者が外側に投影してくるものは自分の中の欠乏」でしかないため、それに他者が絡み介入すると、余計に混乱を極めるのです。それは他者が自分の欠乏を他人で解消しようと躍起になっているからです。
本来であれば誰もが自らの影と闘い、「自分で自分を満たし整えた状態」にならなければならない。それが大人の人間関係というものでしょう。これは心理学者のカール・ユングが言うところの自己統合の状態です。YouTubeでもカール・ユングの関連動画は沢山出ているので、ご興味がある方はご覧になると、他者の感情と自分の感情の間に線引きをして、他者の問題を自分の問題と誤認することはなくなると思います。
不足から絡み合うのではなく、自分を満たした状態で正しく他者と関わり、自分は自分、あなたはあなたの独立した状態で、それを尊重できる関係で、必要以上に依存しないことが人生後半の人間関係の正しい在り方となるでしょう。
このちょっと恐ろしい「赤ずきんと狼」は、5月22日金曜日夜10時に公開して、以下にリンクを貼ります↓↓↓ お楽しみに🎧💘♫🐺💘🐺♫💘🎧
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