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【特異】映画『リー・ミラー』は、モデルから報道写真家に転身した女性の数奇な人生とその信念を描く(主演:ケイト・ウィンスレット)

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映画『リー・ミラー 彼⼥の瞳が映す世界』が描く「モデルから報道写真家へと転身した女性の生涯」は、驚き・葛藤・悲哀に満ち溢れている

私が「リー・ミラー」という名前を初めて耳にしたのは、映画『シビル・ウォー』を観た時だったと思う。主人公の戦場記者が「彼女に憧れて報道写真家を目指した」と言って名前を出していたのだ。というかそもそも、『シビル・ウォー』の主人公のモデルがリー・ミラーであるらしい。その辺りのことは、本作『リー・ミラー』を観た後に調べて初めて知ったことである。

戦場記者と言えばロバート・キャパと渡部陽一ぐらいしか知らなかったので、女性でしかもかなり有名らしい報道写真家がいたことにまず驚かされてしまった。というか、かなり凄いことを成し遂げた写真家のようだ。

さて、私は以前ロバート・キャパの写真展を観に行ったのだが、その中に「ドイツ兵と仲良くしていたために丸刈りにされてしまった女性」を映した写真があった。非常に印象的な写真だったのでよく覚えている。そして実は本作にも、リー・ミラーが撮ったという、同じような状況を捉えた写真が登場したのだ。同じ場面を撮ったものなのかは私には分からないが、少なくとも2人は同じようなタイミングで同じような場所にいたのだろう。であれば、リー・ミラーの名前ぐらい知っていてもおかしくないと思うのだが、今まで一度も名前を耳にしたことがないのが不思議だったのである。

そんなわけで私は、リー・ミラーの存在そのものを知らなかったわけだが、しかし、本作『リー・ミラー』は上映前に劇場でかなり予告が流れていたので、それを観て私は「彼女が元々モデルだったこと」を知った。雑誌『VOGUE』などで活躍していたそうで、つまりとても華やかな世界にいたというわけだ。本作も、「華麗なる者たちが集う野外パーティー」みたいな場面から始まる(そこで、後に夫となるローランドと出会い、すぐに恋に落ちるのだ)。そしてその中で彼女は、「酒とセックスと写真が得意で、その3つしかしていなかった」と語っていた。そこに至るまでの来歴はよく分からないものの、どうやら昔から「写真を撮ること」も得意だったようである。モデルをしていたにも拘らず、「撮られるより撮る方が好き」みたいに話していたほどだ。

そんな彼女が何故自ら過酷な戦場へと赴き、そして戦争を記録し続けたのか。その生涯が描かれる作品である。

映画『リー・ミラー 彼⼥の瞳が映す世界』の内容紹介

本作では主に2つのパートが並行して進行していく。1938年から始まる「リー・ミラーの人生を描くパート」と、1977年の「リー・ミラーが過去を語るパート」の2つである。後者では、記者らしき男性がリー・ミラーにインタビューを試み、彼女に人生を回想させようとしているようだ。

そしてその回想が1938年から始まる。この時点で彼女が何歳だったのか作中では特に示唆されなかったが、ネットで調べた生年は1907年だったので、つまり31歳だったのだと思う。どうしてわざわざ年齢を書いたかと言えば、「年増のモデルは採らないよ」と言われてしまうからだ。かつて彼女を起用していた『VOGUE』誌のセシルといういけ好かない男(だが有能らしい)からそんな風に門前払いを食らったのである。彼女のモデルとしての最盛期がいつなのかは分からないが、1938年の時点ではもう、モデルとしての需要はなかったということなのだろう。

しかしそうだとしても、「モデルから報道写真家への転身」というのはかなり大胆なものだろう。そんな決断の背景には、一体何があったのか?

リー・ミラーはそもそもアメリカ人なのだが(観れば分かるが、この点は物語において非常に重要なポイントである)、1938年時点ではフランスにいた。友人の多くがパリにいたようだ。しかし彼女は、夫のローランドと共にイギリスへと渡る決断をした。

その後欧州に、ひたひたと戦争の足音が近づいてくる。それはつまりナチス・ドイツの足音であり、ひいてはヒトラーの足音なのだが、少しずつ不穏な空気がじわじわと忍び寄っていたのだ。しかし、島国のイギリスは大陸から離れていることもあり、パリにいる友人たちを含む欧州の状況はあまり上手く把握できなかったようである。

ローランドからは「パリの仲間は皆地下に潜った」と聞かされていた。友人たちは危険を顧みず、レジスタンスに参加するなど色々と活動を続けていたこともあり、身を隠さざるを得なくなったようだ。しかしリー・ミラーは、パリに戻って友人たちに加勢しようとはしなかった。また、フォトグラファー(報道写真家ではなく一般的なカメラマン)として身を立てようと『VOGUE』誌に売り込んでみたものの、それも簡単にはいかない。そもそも戦時下で、次号が出せるかどうか分からないという状況だったのだから仕方ないだろう。

こうしてイギリスにいるリー・ミラーは少しずつ、「自分は役立たずだ」と自信を失っていくことになる。それまで華やかな世界で自信満々に立っていた姿からは想像も出来ないような有り様だった。

そして、だからこそ彼女は「自分も何かしなくては」と考えたのだろう。今度は「戦場を撮るカメラマン」として『VOGUE』誌に売り込んだのだ。そこにはきっと、「パリにいる友人がどうなっているのか知りたい」という気持ちもあったのだと思う。状況を知るには、戦場に飛び込むしかない。そうして彼女は、『VOGUE』誌との契約を取り付けるのである。

しかし事はそう簡単ではなかった。というのも、イギリスは「女性の従軍記者」を認めなかったのだ。リー・ミラーは後に、戦場での活動でタッグを組むことになった『LIFE』誌のデイヴィッド・シャーマンに、「あんたが戦場に行けるのはタマがあるからだ」と悪態をついていた。まあ、そう言いたくもなるだろう。なにせデイヴィッドは、フランス語が喋れないにも拘らずフランスへの派遣が決まったのだ。一方、フランス語が喋れるリー・ミラーは、「女性だから」という理由でスタートラインにも立たせてもらえないのである。

しかし彼女は諦めなかった。あの手この手でどうにか戦場へと潜り込み、そして、今もその名を知られる報道写真家として活躍したのである。

「20世紀で最もアイコニックな写真の1つ」と評される1枚、そして「女性であること」がもたらす困難さ

私は本作『リー・ミラー』を観るまで知らなかったのだが、彼女が撮ったある写真がとてもよく知られているのだそうだ。それは、「ヒトラーと愛人が自殺したその日に、ミュンヘンにあるヒトラー宅の浴室で撮ったセルフポートレート」である。本作のメインビジュアルも、その写真を元に作られたものだ。リー・ミラー自身が裸で浴室に座り、奥にヒトラーの白黒写真が配された写真である。

この写真を見て私は、「カメラマンの発想じゃないよな」と感じた。彼女自身が被写体になっているのだから、そう感じるのも当然だろう。この発想は本当に、「モデルとして名を馳せた彼女だからこそのもの」に感じられた。

公式HPによれば、このセルフポートレートは、「20世紀で最もアイコニックな写真の1つ」と評されているそうだ。まあ確かにそうだろう。「戦争」を一切映していないにも拘らず、「戦争を伝える写真」としては特異なインパクトを放っているわけで、こんな写真はなかなかないんじゃないかと思う。ただ、彼女が撮ったものの中には、「ダッハウ強制収容所」を捉えた写真など「記録として価値が高いもの」も多いようで、報道写真家としてそういう写真で評価される方が嬉しいんじゃないかとも感じるのだがどうだろうか。

さて話は変わるが、本作には「女である」という部分に焦点が当てられる場面が結構あった。浴室での写真も「リー・ミラーが裸で映っている」という点にインパクトがあるし、「ドイツ兵と親しくしていたから丸刈りにされてしまった女性」にしても、「髪」というモチーフが女性的である。また先述した通り、彼女は「女性だから」という理由で戦場に行かせてもらえなかったりするのだ。ジェンダー的な意識が欠如していた時代だったはずだし、また戦時中ということも関係するのだろう。「女性性であること」が様々な不利益をもたらす状況が存在したというわけだ。

しかし、私が個人的に最も印象的だと感じたのが、「女性ばかりが集まる避難場所での描写」である。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます


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