女王様の御戯
1
東京の夜は、欲望と暴力の臭いをネオンの光で鮮やかに偽装している。だが、その裏側に流れる暗渠には、いつの時代も濃密な血が滞留していた。
関東一円に広大なシマを持ち、古くからこの国の裏社会に深く根を張ってきた巨大指定暴力団『大蛇会』。その中核を担う武闘派組織『鬼島組』の組長である鬼島は、今、後部座席の豪奢な革張りのシートに深く身を沈めながら、奥歯が砕けそうなほどに強く噛み締めていた。
車窓を流れる冷たい都市の光が、彼の顔に刻まれた深い皺と、かつての激しい抗争を物語る頬の刀傷を交互に照らし出す。鬼島の膝の上には、黒光りする大型のオートマチック拳銃が置かれていた。
「……舐め腐りやがって」
低く、地を這うような鬼島の呟きに、運転席と助手席、そして後部座席で彼を挟むように座っている精鋭の部下たちが、ピリッと背筋を伸ばした。彼らもまた、懐に冷たい鉄の塊を忍ばせている。彼らが乗る黒塗りの高級セダンの前後には、同じように武装した組員たちを乗せた車が二台、追従していた。
事の起こりは、ここ数ヶ月のことだ。
突如として東京の裏社会に現れた謎の中華マフィア『黒蘭(ヘイラン)』。どこから入り込んだのか、どれほどの規模なのか、資金源は何なのか。一切の全容が掴めないまま、彼らはまるで音のない致死性のウイルスのように、大蛇会の末端のシノギを次々と侵食し始めた。
最初は些細な違法カジノのトラブルかと思われた。だが、トラブルの解決に向かった鬼島組の若い衆が、翌日、東京湾に浮かぶドラム缶の中から発見されたのを皮切りに、事態は異常な速度で悪化の一途を辿った。
報復のために送り込んだ鉄砲玉たちは、誰一人として生還しなかった。それどころか、彼らが向かったはずのアジトは常に空もぬけの殻であり、後日、彼らの無惨な死体だけが大蛇会系の事務所の前に乱雑に放り捨てられるという屈辱的な日々が続いた。
そして今日、昼下がり。
鬼島の元に、黒蘭から直接の「通告」が届いた。それは交渉でも宣戦布告でもなく、極めて事務的で、一方的な要求だった。
『新宿および池袋における大蛇会の主要なシマを、三日以内に明け渡すこと。逆らえば、処理の対象となります』
一枚の便箋に美しい日本語で印字されたその文面を見た瞬間、鬼島の脳内で何かが千切れる音がした。
極道としての矜持、長年血の滲むような思いで死守してきた縄張り、そして何より、自分たちをただの「処理すべき障害物」としか見ていないようなその冷徹な態度。それらすべてが、老齢に差し掛かった鬼島の暴力の衝動に火を点けた。
「会長、見えました。あのビルです」
助手席の若頭が、前方を指差して言った。
鬼島が目を向けると、都心の一等地にそびえ立つ、ガラス張りの瀟洒な高層ビルが闇夜に浮かび上がっていた。
外資系のIT企業や一流の商社がテナントとして入る、裏社会の人間にはおよそ似つかわしくないクリーンな建造物だ。黒蘭の「本拠地」がここにあるという情報は、莫大な金を積んで裏の情報屋からようやく引き出したものだった。
「こんな表のド真ん中に巣食ってやがったとはな……コソコソ隠れやがって。今日で終わりにしてやる。チャカの準備はいいか」
「はっ。いつでも弾けます」
鬼島を含む総勢八名のヤクザたちは、一様に殺気を放ちながら車を降りた。彼らは皆、数々の修羅場をくぐり抜けてきた生粋の武闘派である。手にはサイレンサーを取り付けた拳銃や、近接戦闘用のドスを握りしめている。
「行くぞ。一人残らずハチの巣にしろ」
鬼島たちは怒声を放ちながら、威圧感たっぷりにエントランスを制圧した。警備員を拳銃の柄で殴り倒し、専用の直通エレベーターに乗り込む。
エレベーターが上昇していく間、密室の中には男たちの荒い息遣いと、銃の撃鉄を起こす乾いた金属音だけが響いていた。
やがて、エレベーターが最上階に到着したことを告げる柔らかなチャイムが鳴った。
扉が静かに開く。男たちは一斉に銃口を前に向け、怒号とともに飛び出そうとした。
「――お待ちしておりました」
しかし、彼らの殺気は、予期せぬ光景によって空振りに終わった。
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