映画『サンセット・サンライズ』鑑賞
旬でもあるし、間違いなく実力派としても申し分なくなってきた菅田将暉。その菅田将暉とクドカン脚本。
そこそこ、期待をして観たんですが。
今作では何もかもが、うまくハマってなかったかな〜、と。
そのふたりがハマらなかったと言うよりは、
おそらく(未読ですが)原作小説が帯びている・・・・テーマというよりは、作者の価値観のようなもの?それか、時代感覚?
それらと、クドカンの持つテイストが、力学の作用としてちょっとあまりマッチしておらず、ちぐはぐになってしまってると感じました。
そこが残念だったのかなぁ、というだけであって。誰も悪くないとは思うのですが。
今作については、クドカン節は全部、スベっちゃってると思います。
アタマのあぬえすべぇとかカツラネタとかも、先ずは挨拶代わりの準備体操のようなノリだったのだと思うのですが、この映画全体を観た時にそれは事故レベルでスベっていると思います。
誰でもわかったはずですが、一番ヤバかったのは、あきらかにこの映画作品の最もピークポイントである、河原での芋煮会のシーン。
ここで菅田将暉に
『ついでに言うと 震災だって どうでもいいです』というセリフがあり、
序盤からずっと今作の影の語り手の役割を与えられていた女性キャラが、
『それは 芋煮会でも 言っちゃダメなやつ』
というツッコミを入れる。
このやりとりが今作の破綻っぷりを象徴していると思いました。
笑えない漫才はダメですよ。
またこれをキャラ立ちをさせる演技の才能のカタマリである菅田将暉が言ってしまうのだから、
もう収拾がつかないです。
クドカンのオリジナル脚本の作品ならばこんなにとっ散らからないですよね。彼はちゃんと、笑いとペーソスという、刀の抜きドコロをわかっている方なので。
うーん。
なんか、ただ、うまくマッチングがいかなかったんかなぁ?
はっきり言ってしまえば原作者の持つ時代感覚が、”古い”んだとは思いました。
そしてクドカンはその”古さ”にはあんまり興味がないクリエイターです。
例えば”人情”を描くにしても、その正解が過去”古さ”に在るとは考えない人だと思います。
そのクドカンを持ってしても、うまく語り変える事が出来なかった、旧時代的なもの達がこの原作から滲み出してきちゃったんだと、わたしはこの映画の失敗をそう見ました。
田舎と都会の二項対立なんて、今40歳以下でそんな感覚を持っている人、居ませんよ。田舎にこそ、居ない。
ホント。ここはナメないで。田舎。
だから、今現在どこにも存在していないひとたち、のお話をファンタジーとして書いちゃった原作小説なんだと思います。
それを、社会派娯楽作、みたいに変換出来る筈がないですよね。
ただの、架空の、
ファンタジーとして産み出す価値がどこにもない、
架空のハラスメントをたくさん描いているだけの、わけわからん映画だったかな。
これは現実を抽出してはいないよね。
モモちゃんの幸せを祈る会
とか。田舎の人間はああいった精神的屈折を原動力とした集団ハラスメントみたいな行為を当たり前にするんだ、とか。
んなわきゃないし。
クライマックス河原シーンでのピストルの長セリフもなんかゾクっとするほど薄ら寒かっただけだし。
全てが、ちぐはぐですよ。
