雑記|山内惠介さんのコンサートを観て
千歳市民文化センターの入口付近は天井が低く、薄暗かった。俺以外の客はほぼ全員七十代以上で、しかも全員うきうきして見えた。
開場時間になると、老人たちはほぼ全員会場であるところの三階へと向かった。俺一人ロビーにとり残された。
開場十分前に三階へ向かうと、そこは明るかったし天井も高かった。若い人もいたが全員スタッフだった。俺は中年なんだと自分の立ち位置を再確認した。ここに居る中年は全員老人の付き添いだった。俺だけが謎の中年シングル客だった。
大ホールに入ると、中は思っていたより一回り大きかった。スマホは使うなと念を押される。それでもギリギリまでスマホを眺めていた。主にnoteを見ていた。
開演時間になった。
果たして山内惠介である。
それと彼の曲を演奏するけいちゃんバンドである。
けいちゃんバンドの編成はバンドマスターがドラムで、その他ベース、ピアノ、ギター、サックス、バイオリンの合計六名だった。
演歌が演歌らしく聴こえるためにはサックスとストリングスが大事であることを受動的にこの編成から感じ取らされた。
けいちゃんは「この衣装、いいっしょ!」と、丁寧な感じの口調で繰り返す。
まあクソつまらないダジャレなのだが、これはけいちゃんが二十数年の歌手生活で培った老人とのコミュニケーション手段なのだとその二秒後に気付かされた。けいちゃんが「この衣装」というと、申し合わせたように客席から「いいっしょ〜」と返ってくる。このコールアンドレスポンスこそが老人たちにとって重要なのだと感じた。偉大なるマンネリ。振り放け見ると俺だってダンディ坂野を観ると「ゲッツ」を期待すると思う。その気持ちと全く同じだし、そういうものは全員が持っていると思う。期待通りであることがときには大切なのだ。
果たしてけいちゃんはそう言ったマンネリを丁寧に丁寧に積み重ねてお客さんに対して感謝の意を現す。それは歌においても同じで、けいちゃんはひたすら丁寧に歌い上げていた。俺にはそれが少しだけ退屈に感じた。プロの生歌と言うのは確かに素晴らしいと思ったのは事実だ。だが、俺が表現に求めるのは「魂」だった。けいちゃんからは感謝が溢れるほど伝わってくるが、「魂」が不足していると思った。
あらゆる持ち歌とカバー曲を聴き続けたがその評価は変わらなかった。
客イジりのコーナーも手慣れたものだった。桂文枝のイス転びや山田邦子のバスガイドのネタなど既視感のある安心パターンを巧みに織り交ぜつつ老人の心を掴む。基本は綾小路きみまろの語り口だ。この人は本当に勉強している。努力は裏切らないと思った。
そして最後の曲は、美空ひばりの「ひとすじの道」だった。
俺はここでけいちゃんの「魂」を見た。今までと気持ちの乗り方が全然違った。けいちゃんは自分のために歌っていた。俺はそれを見たかった。サビのところでワガママが見え隠れした。指の動き、首の反らせ方。俺はそこから魂を感じ取った。漏れ出ていた。けいちゃんのけいちゃんが漏れ出ていた。シビれた。
演歌歌手は曲を作詞家作曲家から頂くのが普通なんだと思う。曲を頂けることは感謝だ。だから感謝の気持ちを乗せて歌う。正しい。
だが。俺は魂が聴きたかった。もしかしたら老人たちの間にはそんな需要はないのかもしれない。
だとすると、けいちゃんのプロとしての御し方はそれが正解なのかもしれない。
心にじんわり響く歌と、心に突き刺さる歌があるのかなと思った。
そんなことを考えた。
俺は心に突き刺さる文章を書けるようになりたいなあ、なんておこがましくもそう思った。
恥ずかしい。
なんて恥ずかしい感想なんだ。
でも、そう思っちゃったんだから仕方がないのだ。
けいちゃんは昨年、紅白歌合戦に出場できなかったらしい。その前は十年間連続出場だったそうだ。
演歌には正直あまり興味はないが、今年の大晦日はけいちゃんがもし出たら観ようかなと思った。
(終わり)
